8月12日(月) |
ホテルを8時出発。天候は晴れ、終日、九寨溝観光。
中国の学校は8月20まで夏休み、そのためか人、人、人!中国人もそれだけ裕福になったと言うことだろうか。
ここでは、我々が少数民族だ。
外国人優先で早々とチャーターマイクロバス(一応天然ガスを燃料としているクリーン&エコバスというふれ込みだ)に乗込み観光開始。
九寨溝は尾瀬、奥入瀬、奥日光、裏磐梯、上高地を足したようなもの
バスは中国人観光客の群れをかき分け一路、左谷の一番奥、標高3150mの長海をめざす。
9時50分、長海着、長さ4.5km、平均幅200m、平均深さ80m、九寨溝最大の湖で93万km2。付近はまったく人の手のはいらない原生林。
ここからバスを乗降りしながら五彩池、諾日郎瀑布、老虎海、樹正瀑布、樹正群海を巡る。
10j時30分、九寨溝で最も美しいといわれる湖、五彩池の岸を半周する。日の光の加減でコバルトブルーからマリンブルー、スカイブルーと変化する水面とうっそうと生い茂る原生林が美しい。
11時20分 諾日郎瀑布着。幅320m、高さ24.5m九寨溝最大の滝。
昼食後チベット人の家を見学させてもらった、内部はチベット独特の絵柄の家具が小奇麗に置かれている。
午後は、右支谷をちょっと入ったパンダ海から五花海、珍珠灘、珍珠灘瀑布を散策。
五花海も浅黄〜深緑〜深青と水面の色が美しく変化する魅力ある湖沼である。
石灰岩からなる河床を流れ下る珍珠灘、珍珠灘瀑布の絶景に感動!
雨季の九寨溝は5日に1日くらいしか晴れないという、本日は快晴で15時間のバスドライブの疲れも吹き飛んだ。
日本では、ちょっとお目にかかれない絶景である。尾瀬、奥入瀬、裏磐梯、奥日光、上高地を束にして,やっと勝負できるか?という感じである。
できれば人影の少ない紅葉期に4泊くらいしてゆっくり散策したいものだ。
珍珠瀑布 | 五花海 | 珍珠灘 |
8月13日(火) |
今日も晴れ、日照の少ないことで有名な蜀の国、まして、いまは雨季なのに我々は何とラッキーなことだ。
7時05分に新九寨賓館を出発、一昨日来た道路を逆行して黄龍に向う、今日も日程はきつい。
民族衣装を着飾ったチベット娘が道路の端に立並んで、車に乗せてくれと手を振っている。どこかでお祭でもあってヒッチハイクしようとしているのかなと思っていたら、ガイドの陳さん曰く「彼女たちを乗せたら最後、しつこくものを売りつけられますよ!」
8時30分、分水界の峠通過。この辺り、冬虫夏草をはじめ薬草の宝庫とか、そもそも四川省は、天然資源の豊富なことで有名。
春秋戦国時代、一地方政権であった秦が中国全土を統一できたのは、バックに天府の国「蜀」の豊かな資源があったからだとも言われている。
岷江最上流の支流に沿って川主寺へ下っていくこの辺り、両岸は見事に分厚い河岸段丘が発達しており、格好のコンクリート骨材として採取されている。
九寨溝空港ができる?
この景色を眺めていて、ひょいと思いついた、ここに空港を造ったら、九寨溝へは約1時間半で行ける格好のアクセスポイントになるのではないかと。陳さんの話では「3000m近い高地で気流が悪く、空港建設は無理」と言うことになっているとのこと。
でも地形的には空港造成工事は簡単に出来そうだ。ネパールではエベレストトレッキング客対象のルクラ空港(標高2827m)の例もある、一考する価値はあると思う。
* 帰国してからインターネットで「九寨溝・黄龍手前の村落に来年10月に開港する空港・・・・・」という
旅行者の投稿記事を見ました。
また四川省の開発計画報告文書にも「九寨溝」空港という名前が出ていました。
考えることは誰も同じですね。
*2003年11月の朝日新聞の九寨溝に関するの記事中に10月1日から運行開始している空港-----という文言がありました。
無料トイレは高くつく?
8時55分 川主寺到着、宝石ショップで休憩。
トイレ(無料)が宝石売場の一番奥にあるとは心憎い。
なるほど、この地域は天然資源の宝庫だ!紫水晶、ガーネット、オパール、めのう、翡翠、ラピィスラズリ、金鉱石、黄銅鉱、方鉛鉱等々立派な原石が並べられている。
玄関脇に中国全土の概略地質図が掲げてあった、この辺りは、中生界〜古生界に区分されている。おそらく頁岩、砂岩、石灰岩、粘板岩などに花崗岩類が貫入して有用鉱物が大量に生成されたものと思われる。
川主寺は、黄龍と松藩(成都方面)への道路および甘粛省蘭州に通じる国道213号線が分岐している町である。
9時20分、距離にして42kmの黄龍をめざす、2年前は、拡幅工事中で未舗装の悪路で2時間かかったそうだ。
新しい道路を快調に登る。
切取り法面がほったらかしなのが気にかかる。予算不足で未着工なのか、これで完成なのか分からない。
いずれにせよ、はやいとこプロテクトした方が良いのに!
9時55分全行程の最高点4200mの峠に着く、太田さんと私の妻が軽い高山病の症状を呈する。
右手に雪を冠った雪宝頂(標高5585m)の絶景が眺められる。この辺りでは「岷山チョモランマ」と呼ぶそうだ。なるほど、エベレストによく似ている、イエローバンドならぬブラックバンドも頂上直下にみえる。
チョモランマはエベレストのチベット名、ちなみにネパール名はサガルマータ。
10時25分 黄龍着、川主寺から約1時間だ。
10時40分チケットを買って黄龍を登り始める。スタート地点ですでに標高3100mを超える高地である。
最初は迎賓彩池(標高3199m)。高地なので無理をせずそれぞれ自分のペースで歩く。
黄龍では酸素ボンベが必需品
しばらくして太田さんファミリーがリタイヤ、松谷さんと私の妻が酸素ボンベ片手に休憩しながら登る。
迎賓彩池からおよそ4km、遅れがちな後続と時計を気にしながら、飛瀑流輝、蓮台飛瀑、金沙鋪池、盆景池を経て、13時ちょっと前に小さな池が幾つも並んで美しさを競いあっているかのような争艶彩池(標高3391m)に到着。前方には、万年雪を戴いた玉翠峰(5160m)の勇姿が見える。
投影湖(160の小池が棚田のように連なり,明鏡止水の観) | |
争艶彩湖(大小600余りの池がそれぞれ多彩な景観をみせる) |
上の方から降りてきた人の話では上に行くほど水面の色が鮮やかになると言う。
標高3500mにある、道教寺院黄龍古寺、五彩池まで行きたいが、今日は文川まで戻らなければならないので時間が押している。 残念ながら引返すことにする。
ここまで登って来たのは11人中6人でした。
倒木にCaCo3が沈殿・付着して棚田状の池が生成される過程にある箇所が数カ所見られた、現在もこの素晴しい光景が作り続けられていることが分る。
黄龍には比較的新しいしっかりした木桟道が造られている、また、各観光スポットの案内板には日本語も併記されている。中国の観光地ではきわめて珍しいことである。
機会があったら、黄龍のホテルに数泊してゆっくり最高地点まで行ってみたい。でも高山病にかかりやすい人は、ホテルの標高が3200m近くもあるので宿泊は無理かもしれない。客室にも酸素ボンベが置いてあるそうだ。
13時30分 黄龍のホテルで昼食、高地なのでビールは控えた(内藤リーダーは飲みたそう!)。
14時25分黄龍発、一路今夜の宿、文川をめざす。
道路わきに紅軍大長征の碑
15時20分 川主寺通過。
左手の丘の上に紅軍兵士の像、道路脇に紅軍長征記念碑が見える。
毛沢東率いる中国共産党は国民党軍の包囲作戦に敗北し、江西の紅軍根拠地を放棄する事を決定、1934年10月から翌年10月にかけて、陜西省北部延安までの2万5千里の大長征を行ったことは、史上つとに有名である。
何十機もの飛行機の爆撃と何十万という地上軍の追撃、遮断を避けながらこんな山の中を通過していったとは、まさに驚きである。
そういえば先日、北京の毛主席記念堂の周囲を参観する人々の延々長蛇の列を見たばかりである。毛さん、晩年いささかおかしくなったが、中国の人々にとってはいまでも神様的存在であることがよく理解できた。
松藩(15時50分)、じょう湖(18時20分)、黒水河合流点(19時10分)、茂県(19時50分)と、ほとんど渋滞なしで20時50分 文川新国際大酒店に到着。
車の通行を確保してから工事してくれよ!
途中、合流点より約10km位松藩寄りと合流点より下流4km位地点で法面防護工事をしていた。
いずれも 誘導員なし、前者はバックホウのブームを道路横断してぶん回しており、通行車両が、間隙を縫って通過していく様は まさに神業である。後者は道路を機材置場にして施工中、幸い我々は、突っ込んできた対向車をかわすのにちょっと手間取った程度で 通過できたが、行きかう車が我先に突っ込んで卍かためとなって大渋滞の原因となるのは必定である。
世界遺産を見に来る海外からの観光客も多くなることだし、少しでも九寨溝へのアクセス時間を短縮する努力をして 欲しいものだ。
続く