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中国九寨溝(成都〜九寨溝〜黄龍〜成都〜重慶)

まずは、北京市内のレストランで無事、本体と合流!

 お盆休みを利用して昔の仕事仲間と三峡ダムほか水利施設視察という大義名分を掲げて、(実は8割方が観光旅行ですが)中国へ行ってきました。

一行は、現・元「ダム屋」・「工場土木屋」・「土木地質屋」とその家族あわせて12名です。

一行のうち9人,北京故宮に集合(8/9)


 わたし達夫婦は2日間先行して,ネパールの発電所工事で一緒に仕事をした中国人の王さんと北京で14年ぶりに再会し旧交を温めたあと本体と合流し、万里の長城、成都、九寨溝、黄龍、都江堰、成都、重慶、三峡下り、三峡ダム工事現場見学、蘇州、上海と13日間の旅でした。

 ここでは、今回の旅行で最大難関ルートだった成都〜九寨溝往復と重慶までの道すがら感じたことなど、これから九寨溝を訪れる方への参考にもなるかと思い綴ってみました。


 * 2003年秋から成都〜九寨溝・黄龍に飛行機が飛ぶようになった。2004年6月に上海〜重慶間の四川航空に乗った時, 成都〜九寨溝・黄龍のフライトスケジュールが記載された冊子があった。したがって,ここに示す成都〜九寨溝間の長時間バスの難行苦行は今後はないものと考える。 昔はこんなこともあったんだと読み流して下さい。          

北京で王さんと再会
王さんのご馳走 王さんとお嬢さん 抗日戦争記念館前で
8月11日(日)

    15時間、バスに乗り詰めの難行苦行のはじまり

 昨夜は、北京から成都への飛行機が遅れ、ホテルに入ったのが午後11時過ぎ。
 今朝は5時半起床でホテル発7時10分、小雨煙る成都市内を30分で抜けて一路九寨溝をめざす(総距離ざっと450km)。市内道路の中央分離帯には、さるすべりが満開であったのが印象的。

 35人乗り中型バスは雨の成灌高速道路を快調にとばし約40分で都江堰市を通過、市街のはずれの店で最初のトイレ休憩と簡単な食料と飲料水を補給する。
 ガイドの陳さんの話では、雨季中は崖崩れのために道路が寸断され一晩バスに閉じこめられる事もあるという。「万一のため食料を確保しておいた方がよい」と驚ろかされる。ホテルの朝食でゲットした饅頭をリュックに入れておいたのが正解であった。

 依然として雨が煙るなか、アバ・チベット族羌族自治州に入る。四川省には人口2500人以上の少数民族は12族とか。

              

          崖くずれと故障えんこ車で渋滞!渋滞!

 突然、渋滞!小さな崖崩れで水路がオーバーフローしているので片側通行。さらに故障トラック2台のため9時から10時5分までストップ。
 12時過ぎ、またもや事故車で30分渋滞。これから先が思いやられる。先日北京で会ったネパールでの仕事仲間であった王さんも言っていたが「中国製自動車の品質はまだまだ!」に納得。九寨溝へのアプローチ道路をスムースに通行できるようにするには、国産トラックの性能アップと道路の改良が必須条件だ。

 切取りのり面の防護工は、崩壊したところのみ数カ所工事をしていたが、雨季を迎える度に新らしい斜面崩壊が発生して、いたちごっこになることは確実と思われる。のり面崩壊対策工事には、少なくともあと5年間位はかかるかも。
 また、一定の降雨量に達した場合の通行禁止などの規制をしているのかも疑問、飛弾川事故のような惨事が起らないことを祈る。
 

少数民族の子供

  文川の手前の1車線トンネルで約20分ストップ。おかげで少数民族のおばさんと子どもたちが、ひま  わりの種をバスの客に売りつけている様子をじっくりと観察できた。
 
 14時10分 文川通過 (都江堰市〜文川90kmをおよそ6時間近くもかかっている)ここで昼食の予定であったが、都江堰市のはずれで調達した食料ですませ、昼食抜きで九寨溝をめざすこととする。

         建設中を含め水力発電用ダムが沢山

 
 15時05分 茂県通過(文川〜茂県40kmを1時間弱)。車はほぼ順調に岷江沿いの2車線道路を進む。
 
 ここまで、岷江に二つのダムが一つは半川締切りで、もう一つはバイパス方式で施工中であった。稼働中の水力発電所は大小あわせて7〜8ヶ所あったと記憶している。

 この旅の最終段階で視察する三峡ダムは別格として、中国には、まだまだ多くのダムなどの水利施設建設計画があると聞いている。
長江の水を黄河に流す「引長入黄」あるいは「南水北調」と呼ばれる巨大構想もあるという。
 中国の建設技術者はこれからも力を発揮する場がたくさんあって羨ましいかぎりだ。


 少数民族の家にTV+パラボラアンテナが国から無償支給されたと言う。

 16時 左支川黒水河との合流点通過。
 
 文川〜茂県〜合流点間の道路沿い民家の屋根にパラボラアンテナが目立つ、国から無償支給されたという。少数民族はそれだけ貧しいということなのだろう。中国共産党政府の少数民族保護策の一環か?
いま朝日新聞朝刊に連載中の和人がアイヌを圧迫していく様子をテーマにした内容の小説「静かな大地」をふと思い出した。明治政府のやり方とだいぶ差があるなと感じた。
いやいや、静穏に豊かな自然にかこまれて暮していた少数民族の生活を奪ったのはやはり漢民族!いずれにせよ、マジョリティーがマイノリティーの土地を力で奪っていった歴史的事実は同じことか。
  
 16時30分 岷江としばらく離れて、九十九折れにかかる、一気に眺望が開け、断崖絶壁を切土した所々オーバーハングの急峻な山道、登りきったところで、絶景に皆、「ウォーッ」と歓声。
道路脇で、角柱コンクリート製の防護柵工事をしている、足を踏み外せば数百メートルの断崖、命綱なしでよくやるもんだ。
 
 対岸の山腹に横穴が開いているのが目につく、付近は石灰質岩の山、セメント原料か砕石用に採掘しているらしい。
横坑式採掘方式のように思われる。なんでこんな方法を採用しているのか、景観保護か?斜面崩壊を懸念してのことか?どうも理由がよくわからない。


 休憩を兼ねて地震博物館を見学

 17時、1933年地震によって壊滅した羌<チャン>族の村の跡、下流にダムを造って出来たじょう湖を望む。
地震博物館を見学、説明してくれた羌族の娘さんは、村は地震の時数百m沈下したと言うが、壊滅前の村の写真からは、村は河岸段丘あるいは崖すい堆積物の上にあったように見える、沈下したのではなくおそらく川側にすべり崩壊したのが真相だと推測できる。

17時45分博物館を出発。

      昼食も夕食も摂らずに突っ走る

 19時20分 松藩(成都からおよそ400km)を通過。松藩に入ったところで、夕食を摂ろうかという話がでるが、一刻も早く目的地に着きたいと、全員「直行」に賛成。
 このころ寺岡さんに日本から電話が入る。お母上が急逝されたとのこと、ご本人とガイドと内藤リーダーが旅行社や日本と電話でやり取り。折角ここまで来たのに明早朝、とんぼ返りだろうか?お気の毒、残念至極!でも彼はまだ若いから機会をつくってまた来て下さい。
 
 それにしても標高3千mに近いこんな山の中から日本と通話できるとは驚き、中国の携帯電話の普及ぶりには目を見張るものがある。現在普及台数は1億8千万台とか、世界一だそうだ。沿道の随所に「中国移動通信」の広告看板が見られる。
20年ほど前、雲南省昆明のホテルで東京への電話が2時間も待たされたことは遠い昔の話となった。

        うわっ!置いてきぼりされそうになった!

 19時50分ごろ、川主寺通過、トイレ休憩。
そそくさと大を使って出てきたらバスが走り出していた、危うく置いてきぼりを喰うところであった。それはないよなあ!

 九寨溝まであと120km。
  
 20時10分 3100mの峠(暗くなってしまって、よくわからないが峠と言うより高原といった感じ)。これで岷江水系から嘉陵江と合流するバイ江水系に入ったことになる、九寨溝まであと一息!しばらくして急な下りが始る。

       15時間の長躯バスドライブが終った。

 やっと到着!
 22時15分 ホテル着 シャワーも浴びずに遅い夕食をとっていると、空いていた食堂が続々と到着する客で一杯になった。これでも我々は早い方であったのだ。それにしてもみんなタフですなあ!

                                                                 続く

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