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TIBA  SAWARA  &  IBARAGI  ITAKO

 

利根川下流水運施設遺構ほか見学

 
 高校のクラスメートで川の歴史に滅法詳しいS君が,「クラスホームページ」にその薀蓄の一端を披露したことがきっかけとなり,手始めに利根川下流佐原,潮来辺りを彼の案内で探訪しようと云う事になった。
 6/28(火) 12:00 伊能忠敬記念館駐車場集合。わたしは,武蔵浦和駅前でK君にピックアップして貰って,東京外環〜常磐道経由で柏へ,国道16号〜国道6号 大利根橋手前で右折して利根川右岸の堤防上の道を一路佐原へ。若い頃,仕事で来たことのある”木下” ”安食” ”小林” ”滑川” ”根木名川”などの地名を懐かしく思いながら通過。
 
参加したのはクラスメート5人。まずは腹ごしらえせんと入ったのが,旧千葉銀行の建物を改修した創業天明年間だという「そば処小堀屋」。談笑しながら天ぷらそばに舌鼓を打つ。
 ここでAさんが,江戸時代の利根川改修の話から,松本清張作の「天保図録」に同じような情景を描いたシーンがあることを記憶していて,その本を探し出し皆に見せてくれた。だいぶ以前に読んだというのに記憶力のよさに感心する。(ちなみに,帰宅して調べたが,既に絶版で入手するには,神田古本屋街を漁り歩くしかない,その元気はもうない)

 
 ところで江戸時代には利根川〜江戸川経由で奥羽方面からの物資が船運で江戸に運び込まれていたということをご存知だろうか? そのため利根川の流路が変えられかつ大改修されたあたりの話が「利根川の東遷物語」に詳しいので先ず目を通して欲しい。

 さて,今日の予定だが,まず
「伊能忠敬記念館」→「伊能忠敬旧宅」→「小野川沿いの古い商家」→「横利根閘門」「水生植物園」「潮来 前川 仙台河岸」「権現山公園」の順に回る。人間の造った古い構造物ばかり見ても詰らないという人もいて,中間でいま盛りのあやめを眺めて目の保養もしようという幹事K君苦心のコース選定である。


















 
 
 
 

伊能忠敬記念館

小野川にかかる樋橋

 先ず最初に入ったのが伊能忠敬記念館(入館料 500円)
 伊能忠敬は誰もが知っている正確な日本全図を作った人。ここ佐原の生まれ。記念館には,測量に使った「量程車」・天文に使った分度器みたいな「象限儀」・同時代の外国人がつくった「世界地図」などなどが展示されている。 一同,いまさらながら忠孝の偉大さ,頭脳明晰さに感嘆する。
 伊能忠孝旧宅敷地内に「測量の日6月3日」という石碑があった。6月3日ってどんな語呂合わせなのかと思案したが浮かばない。調べたらS24.6.3の測量法公布記念日だそうだ。
伊能忠敬記念館ホームページ
 江戸時代の初期,潅漑用水を東岸から西岸に送るため木製の大きな樋が小野川に架けられた。後に大樋を箱型につくり丸太の手摺を付け板を敷いて人が渡れるようにした。
 大樋から水がジャージャーと流れ落ちるので「ジャージャー橋」とも呼ばれている。いま,落水は観光用に9:00〜17:00までの30分間隔で行っているそうだ。流れ落ちる様を写さんと,わたしがカメラを構えているうちに落水がストップしてしまった,残念ざんねん!
 
   
観光客を乗せて小野川を巡るサッパ舟
中村屋商店
 小堀屋本店  正文堂

 佐原は水郷地帯の中心にあり利根川下流部・北浦・霞ヶ浦(西浦)周辺から利根川中流部・江戸川を経由しての東北地方と江戸とを結ぶ船運の中継基地として重要な河岸(佐原河岸)であった。 
 河岸は利根川から細い水路「小野川」を1kmほど遡った所にあり,両側に商家が立ち並び繁栄をきわめていたようだ。当時の街並みは,今も大切に保存されている。
市内をゆったりと蛇行しながら流れる小野川沿いや香取街道沿いに,昔ながらの建物が多数残っていて利根川下流域の商業都市としての名残を強くとどめている。
 小野川沿いの木造や蔵造りの町家を眺めているうちに,先年訪れた,中国江南の水郷の町「周庄」,「朱家角」やベトナム中部の「ホイアン」の町と情景が酷似していることに気付いた。ほぼ同時代,規模こそ違うものの水運の拠点として栄えた町であった。
 
 
 

28 JULY 2005

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