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GUNNMA  MATUIDA

 04 AUGUST 2005

碓氷峠アプトの道をたどり”めがね橋”を探訪

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 日本の近代化遺産のひとつ”碓氷第3橋梁〜通称めがね橋〜”を訪ねてきた。
おりしも今夏最高気温だったという炎天下,信越本線横川駅から往復4時間半の散策記である。久しぶりの単独行で勝手気まま・行き当たりばったり。途中,温泉で汗を流し,生ビールでのどを潤すという結構な一日であった。

 赤羽 7:26→高崎 9:09 9:14→横川 9:47
久しぶりに通勤ラッシュ時間帯に,いわゆる逆方向の電車に乗って驚いた。がらがら状態を想定していたが,豈はからんや,浦和でど〜っと乗ってきて,大宮駅からは山手線とほぼ同じくらいの乗車率となって,熊谷くらいまで変わらず,籠原でやっと空いた。工場や大学キャンパスが都内から離れて立地したりした結果のようだ。高崎に近くなると,こんどは,スーパーかコンビニにパートで通う感じのおばさん達で,少し込んでくる。信越線横川行きの電車もまた,高校生達で込み合っている。
 車窓から感じたこと二つ!
 以前から気になっていたのだが,JRは,アスベスト製品をたくさん使っている,ホームや建物の屋根・壁は殆ど石綿スレートである,とくに高崎駅手前の操車場構内の建物群はアスベスト板の展示場さながら,よくもふんだんにかつ代替品に更新もせずに使用しているもんだ。解体時,飛び散らないように注意してよね! 
 もうひとつ,
 何時頃だったか(多分1970年代のはじめ頃か?),安中公害事件(土壌のカドミ汚染)で名をはせた,東邦亜鉛の工場が,山地形を利用した選鉱・精錬所特有の巨大で不気味な姿で,今も健在であったこと。「えっつ まだやってんの!」という思いがした。亜鉛製錬では日本一の規模を誇る東邦亜鉛の工場,いま「東邦ZINC」という看板を掲げていた。

 そうこうしているうちに,横川駅到着。17年ぶりの横川である,平成元年1月11日に来ている,なんでこんなに詳しく覚えているかというと,乗車券の日付スタンプが”1.1.11”で「おっ  ラッキー!」と同行者と顔を見合わせたことがあったからである。
 
 さて改札口を出て,いよいよ”アプトの道”を辿って,めがね橋までのハイクを開始。
殆どの乗客は,トロッコ列車(鉄道文化村〜峠の湯)に乗ったり,軽井沢行きのバスに乗り継いだりして,ここ出発点から歩く人は,男女合せて15,6人のシニアグループ,一組のシニア夫婦のみ。
 今日のコースは下の図の如くである。

 アプトの道は,旧碓氷線鉄道施設が国の重要文化財に指定(1993.08)されてから,松井田町が国や県から数億円規模の補助金を得て,横川〜めがね橋(第三橋梁)の「アプト式」の軌道跡・橋梁・隧道(トンネル)を,整備改修してできた遊歩道である。

 歩き出してすぐ右手に
「招魂碑&鎮魂碑」がある。旧街道をすこし戻った左手に「碓井関所跡」。資料館は閉まっていて残念ながら入れず。
 
 アプト遊歩道に戻って,線路跡をアスファルト舗装した道を旧丸山変電所に向かう。
この区間は,強烈な陽光を遮るものが全くない難行苦行区間であった。アスファルト舗装ってのは,芸がないね!木材チップ材を敷くとか砂利道にするとか,せめて,路側に植栽を施すとかして貰いたいね。2本のレールの頭だけ出して全面舗装してしまっては無味乾燥この上ない。それから一部分だけでもアプト式のラック軌条を見られるように残しておいて欲しかった。
 
 
 
 

アプトの遊歩道起点

コース所要時間

 
 駅を出て左に100mくらい行った所にある広場がバス停。軽井沢行きの「連絡バス」(碓氷バイパス経由なのでめがね橋には行かない)と「めがねバス」(横川→碓氷湖→めがね橋→熊ノ平を往復するバス,一日一往復の便しかない)の停留所。
 奥の方が”鉄道文化村”でトロッコ列車シェルパ君の発着駅がある。


 
 アプトの道は,左上写真の広場に入ってすぐ右手(幟が2本たっているあたり)から始まる。
 
 鎮魂碑&招魂碑  碓氷関所跡東門
 右が招魂碑
 碓氷アプト式鉄道建設工事における犠牲者慰霊のため建立された。永年,路傍の片隅で寂しく眠っていたのを,写真左の鎮魂碑建立を機会にここに移設された。


 招魂碑建立のいわれについては,
    信越本線碓氷峠鉄道施設ー招魂碑ー
に考察がある。
 群盗取締りのため醍醐天皇時代に碓氷坂に設けられていた関所が,元和年間(1615〜1623)にここに移されたといわれる。
 徳川幕藩体制の安定という政治的意味合いを持つようになり,関東入国の関門として,いわゆる「入鉄砲と出女」の取り締まりを行った。明治2年(1869)まで中山道の要所であった。
 
 東西に門があり,西を幕府が,東を安中藩が守っていたそうだ。その東門が昭和34年,関所跡に復元された。
門柱および門扉は,当時使用されていた総ケヤキ材で今も堅固に建っている。
 脇に関所資料館もあり,関所および交通に関する資料が展示されているというが,事前に連絡をしておかないと観覧できないようだ。

アプト遊歩道 鉄道文化村の機関車静態保存
 碓井新線跡の上り線路敷きが遊歩道,下り線が観光トロッコ列車用となっている。
 交差する斜長橋は,上信越自動車道,まさに新旧交通インフラの交代を如実に示す情景だ。
 鉄道資料館では碓氷峠と“峠越え鉄道”に関する、貴重な文書や歴史資料が展示されている。その他はやや子供向けといった感じである。今回は入場しなかった。

 鉄道文化村公式ホームページ
 
 
 

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