4.クーリィ准将の場合



「お放しいただこうか」


 昼下がり――いや、もうすぐ夕暮れ時に近づこうとする時間帯。人気の無い廊下を、FAF特殊戦の副指令であるクーリィ准将が足早に進む。
「そうもいかない。話はまだ終わっていないのでね」
「話ならば会議室でゆっくりどうぞ、お一人でね。生憎わたしには、そのような茶番に付き合うゆとりがありません」
 荒い足音を立て、広いとは言いがたい廊下を闊歩する。
 そのすぐ後ろ、クーリィ准将を追うかの如くに歩み来る人影――准将は、その人影と手荒く言い争いながら廊下を進む。
「これは驚きだ、クーリィ准将は会議室のような公儀の場で自らの痴態を晒す勇気とご趣味をお持ちとは。――素晴らしい」
 これを聞いた准将が聞こえよがしにチッと舌打ちしたが、人影は一向に気にした風がない。
 人影の名はFAF情報軍実務上のトップ、ロンバート大佐である。

「これ以上の問答は不愉快だ。即刻に立ち去って頂こう。無論、わたしのほうから立ち去っても構いません」
 立ち止まり、准将は眼光鋭く大佐を睨みつける。
「……が、その前に、その手を放してもらいたい。アンセル・ロンバート」
「手厳しいな、リディア・クーリィ。貴女の足があんまり速いから、ただちょっとつかまってみただけなのだがね」
 ロンバート大佐が目だけで笑う。その手は、准将の軍服の上着の裾をしっかりと握っていた。
「――まるでタチの悪い子供ですな。情報軍は不躾に人を呼びとめ訳の分からない問答をし、挙句こうやって服にまで手をかける? それが上に立つ者のお姿か?」
「訳が分からないとは心外だ。わたしとしては花も実もある有意義な設問をしているつもりなのだがね」
 ようやく手を離し、ロンバート大佐が微笑む。
「しかしあなたはなかなか答えてくださらない。なのでわたしはこうして後を追う羽目になっている。――さて、いい加減先程の問いに答えてもらえないだろうか」
「くどい! そのような戯言に付き合う暇は無いと言ったはずだ!」
 准将が吐き捨てる。険しく歪む柳眉に対し、それでもロンバート大佐は緩く微笑む。
「そうですか、それなら仕方がない。諦めましょう」
「それがいい。お互いの為にね」
 再度伸ばされそうになった手を荒く叩き、クーリィ准将は踵を返した。
 だが――

 突如、背後から空を切ってロンバート大佐の膝が強襲した。

「チッ……!」
 いくら実践には赴かない副指令――今や軍の重鎮とも言える年齢でもあるが――とは言え、一応の格闘訓練は受けている。繰り出された膝の初撃をかわして、懐の銃を確かめながら准将は身構えた。
「基地内で何を考えている! 気でも触れたか情報軍!!」
「何を考えているかって? 貴女がそれを訊くのか。悲しいね」
 優美に磨かれた革靴が准将を狙って再度振り上げられた。銃を構える隙を与えないつもりのようだ。二度三度と本気で出された蹴撃を准将は何とかかわし、あるいはその細身で受けていくが、劇鉄を起こす間もなく、ついには壁際に追い詰められる。
 背に迫った行き止まりにあっと思った時にはもう遅く、手にしていた銃は一瞬の内に遠くに蹴り上げられて、クーリィ准将はロンバート大佐に捕らえられた。
「……いや、特殊戦副指令の名は流石ですな。こんな細腰で大の男の蹴りをかわすか。いや素晴らしい。さすが、わたしが見込んだ方だけある」
「息が上がっておられるようだ。お年を考えず、少々無茶をしすぎたのではないの? ――――答えろ、貴様ジャミーズか」
 壁に寄せられ、両腕を大きな手で縫いとめられてクーリィ准将は動けない。目前にロンバート大佐の鋭利な両目が迫ってきている。
 辺りは人気も無く、多少大きな音が響いた所で、誰の気にも止まらないだろう。

 迂闊だった。
 以前から情報軍が何やら不可思議な行動を起こしているのには気付いていた筈だった。
 それなのに自分は、うかうかと誘い寄せられたようなものだ。
 ロンバートの後ろにいるのはジャムか、それとも『人間』か。狙いは雪風か特殊戦か。FAF全体か。
 はたまたロンバート自体が何か別の――……

 吐息が触れそうに近い所で柳眉を一層険しくして睨みつけるクーリィ准将に、ロンバート大佐は笑いかける。鋭利な瞳はそのままに、唇だけがゆったりと笑んだ。

「答えにくいなら言わずとも結構。その代わり、体に訊かせていただきます」
「は?!」
「先程の質問ですよ。――『今日はバレンタインだが、私への贈り物は用意しておいでか?』 ……まあ、その分だと用意なんてものはしていないと丸分かりではあるが、この場で直接頂くのも悪くない」
「何を」
「ああそうそう、身の潔白の為に申し上げておきますが、別にジャムだとか情報軍の捜査だとか、今だけは何も絡んでおりません。これは単なる私情に過ぎませんよ、リディア・クーリィ」
「何を訳の分からない事を!!」
 じたばたともがき、掴まれた腕を振り解こうと暴れるが、体躯差もあってかロンバート大佐はびくともしない。

 そう、確かに先程、会議が終わって部屋を出た後に、ロンバートから今日は何の日かと訊かれたのだ。
 バレンタインデーでしょう。我が特殊戦にはあまり関係の無い行事だが、他部署は浮かれておいでのようだ。まったく平和な事ですね、とそっけなく返して、それで終わったかと思っていたのに、この男は――……

「ああ、何ももらいっ放しにしようなどとは考えておりませんよ。あなたが、私の望むものを差し出せば、その分私もあなたが望むだけのものをご用意しましょう。――さしあたっては、そうですな、今この時点で現存しているジャミーズ、なんていうのは如何ですかな」
 ロンバート大佐が微笑む。笑うその顔はあまりに近づきすぎていて、本当に笑っているのか、それともその笑みは嘲笑の部類なのか、戒められて捉えられた准将には知る手立てが無い。
「――それは上等な取引だ」
 決して負け惜しみで言った訳ではなかったが、悔し紛れにこちらも笑んで見せる。
 大佐が少し離れた。
 人気の無い廊下に差し込みはじめた夕日が、大佐の顔を薄く彩っている。ようやく表情が見えた。――それは、見たことの無いような、なんとも甘い微笑みだった。

「それでは、取引成立という事で」

 ……こんな取引をするには、いくらなんでもお互いに薹(とう)が立ちすぎているように思われるのだが。

 准将は大きく舌打ちをし、そして苦々しく瞳を閉じた。

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