3.深井大尉の場合



「何やってんだ零……」


 出撃の出鼻を挫かれ、呆然とブッカーがつぶやく。
「いたんですか深井大尉」
「さ、最初からいた……ぐっ、鼻から血が」
「ああッそういえばなんか部屋に入った時に隅っこに大尉によく似た影があったような!」

 それにしても零の様子がおかしい。
 いつもおかしかったりしているが、それに輪をかけて今日はおかしい。
 目は虚ろで焦点が合っておらず、顔はすこぶる血色が無い。始終小刻みに手が震え、時折大きく震えたかと思うと「フォ――!」と小さく叫んだりしている。
 おかしいと言うより、危険だ。 (深井ファンの皆様すみません)
「………なんかあったのか、零」
 付き合いの短いエディス&桂城コンビは思いっきり引いて後ずさっていたが、そこは天下一の中間管理職ブッカー。持ち前の父性愛(と書いて中間管理職魂と読みます)で零に問い掛けた。
「……………」
「黙ってたら分からないだろう。――話してみろ、力になれるかもしれん」
 床で這いつくばりながら鼻血にまみれて自分を見上げてくる零に、ブッカーが微笑む。
 ちなみに、自分も今まさに最大級のピンチを迎えているのだが、それは転んだ拍子に忘れてしまったようだ。

 零の瞳から涙がこぼれた。
「大尉?!」
「キャー深井大尉が泣いてるー!」
 意味も無くうろたえている部下二人を制し、ポケットからティッシュを出して手早く鼻栓を作ってやりながら、ブッカーはさらに零を促す。
「男の子が泣くな! さあどうした言ってみろ。ん?」
 だが、零は答えない。ブッカーを見上げ、鼻栓をし、一度口を開きかけたが、すぐ押し黙ってゆらりと立ち上がった。
「零」
「大尉」
 そのまま歩き出し、作戦会議にも使われるブリーフィングルーム内の大きなテーブルの脇を抜け、壁際に寄ったかと思うと、そこに膝を折って壁を向いて急に座り込んだ。
 きちんと両手をそろえて膝に置き、背筋は真っ直ぐめに伸ばして座している。視線は伏せがちで、時折嗚咽で肩が震えたが、膝が崩れる事は無い。
 広い部屋の狭い一角。特殊戦随一と謳われた名うてのパイロットが、鼻血止めの鼻栓をして壁を向き、床になぜか座り込んでいる――

「自主正座……!」

 桂城が叫んだ。

「は?」
「なに?」
「――自主正座です! 間違いない、あれは、自主正座です……!!」
 興奮した面持ちで桂城が続ける。
「古来より日本では、己が何か大きな失態をしでかした時に、自らを懲罰せしめる業(わざ)があるんです」
「で、あれがそうだと?」
「そう! 正座の多くは礼儀だったり座り方の一種だったりに過ぎませんが、自主正座は違う。座ると痛いところをわざわざ選んで座り、足が痺れようと腰が痛かろうと何だろうと、己の良心が許すまで背筋を正して座り続けるんです。それが自主正座……!」
「それ本当か?」
「いや推測ですけど」
 ケロリとした顔で桂城が言う。
 推測でモノを言うなと叱りつけ、真実を聞こうとブッカーが零を見やったその時だった。涙をこぼしながら、零が口を開いた。

「おれは……雪風のパイロット失格なんだ……!」
「はい?」
 足は崩さず、両手も膝にそろえて壁を向いたままで零は続ける。
「おれは……おれには、彼女の上に乗る資格など無い……!」
「上に乗るって言うな零。人聞きが悪いから」
「だって本当に騎乗位なんだ!」
「それはもういい」
 ブッカーがなだめる。
 ボロボロと涙を流す零を見て、桂城が、じゃあぼくも雪風に騎乗位なんですねと呟いたが、零の耳に届く前にエディスがどついたので、特に話は途切れる事も無く進んでいく。

「……格納庫に、いたんだ」
 零がポツポツと語り始めた。
「おれはそこで雪風の機体を磨いていた。しばらくすると、庶務課の――多分窓口にいつも座ってる人だと思うんだが――がやってきて、おれに……これを手渡してきた」
 そして零は震える手で上着を探り、一つの包みを取り出した。
 それは――
「バレンタインのプレゼント?」
 透かして眺めてみてもおかしな所は見当たらない。シックな色合いの包装紙できれいにラッピングされたそれは、結ばれたリボンまでもが上等で、どっちかと言うと本命系の作りをしている。振ると小さく転がる音がする所から鑑みて、中身はきっとチョコレートかクッキーか、きっとその辺りだろう。
「……おれは、何も考えずにこれを受け取ってしまったんだ」
「別に問題なかろう。顔見知りのあの人が実はジャムで、この中には毒が入っているというなら話は別だが」
 ブッカーが顎をひねっていぶかしむ。一体それがどうした、と続けようとした時、桂城があっと叫んだ。
「まさか大尉!」
「そのまさかなんだ!! おれは本当に馬鹿だった!!」
 零が床を叩いて絶叫する。

「雪風の前でおれは、他の女からプレゼントを受け取ってしまったんだ……!!」

「なんて馬鹿なことを……」
 桂城が吐き捨てる。
「気付いた時にはもう遅かった! 雪風は一切の信号を拒絶してキャノピすら開けてくれない! おれは……おれは雪風に見捨てられてしまったんだ……!」
「自業自得ですよ……! なんてことだ」
「ああああああ雪風! すまない雪風ェェェェ―――!!」

 同じ心理コードを持つだけあって、何故か心情をすっかり理解している桂城。
 理解できなくて、いつの間にか付いていきそこねたブッカー。
 こいつらアホだと一人冷静なエディス。

 ブリーフィングルームに、零の嗚咽と絶叫が交互に響き渡る。


「ところで少佐、庶務課へ行かなくてよろしいのですか?」
「ああっ!!」

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