雪中二花取
(せっちゅうにかどり) (8)



「すまねえな若様。こういう時は邪魔しない方がいいとは分かってるんだが、そろそろ攻め手を出すかどうか御頭様が決めなさるための斥候で来たもんだから」

 そう言って白い雪道に濃紺の忍装束で佇むのは、一番隊所属の男で、名を玄笹
(くろささ)と言う。
 何も持たない水呑み百姓の息子だった所から、己の腕一本で身を立てて、忍軍一ヶ谷衆で最も誉れ高い一番隊へと昇り詰めた男だ。一ヶ谷衆頭目である九郎が出陣する時は毎回連れて行く程の手練れであり、玄笹というその通り名も九郎が直々に与えている。それもあって菊もこの男の事は幼い頃からよく知っているし、玄笹も菊とは間近く接している。

 菊をよく知る屋敷の者達の一部は、女でありながら嫡男の扱いを受ける菊を親しみ込めて姫若と呼ぶが、この玄笹だけは完全に男扱いして『若』と呼ぶ。
 このお人は姫なんて可愛いものじゃねえから、と言うのが本人曰くの理由らしいが、それを当時まだ幼かった菊に面と向かって真顔で言った辺りの人柄を、父同様に菊も気に入っていた。


 が、今だけは別である。

「お前、玄笹、いつから」
「結構前からですかね。道の真ん中でベタベタしてるから、遠くからでもよく見えて」
「見え……っ」
「見……まあそりゃそうか……」
 乾いた響きの玄笹の言葉に絶句する菊とは違い、小太郎は案外動じていない。
「しかし坊主お前、よりによって御頭様の御息女に、しかも道端ですげえ事しやがるな」
「それは! 玄笹さんなら黙っててくれると信じてるので!」
「いい笑顔で言うんじゃねえ」
 一言で制し、玄笹は続ける。
「そりゃ黙っといてやるが、御頭様に訊かれるような事があれば答えるぞ。そこの所は勘違いするなよ」

 玄笹は強面で普段から眉一つ動かさない仏頂面だが、その声音や言っている内容自体は案外気安い。
 忍軍を統べる頭目とその手下と言う身分の違いこそあるが、九郎と玄笹は歳も近く、酒飲み仲間で気も良く合うらしい。主人の子供である菊や藤千代、菊の幼馴染の小太郎は、玄笹からしてみれば我が子の次くらいには近しい子供だ。
 それらのよしみだからと一先ずの黙んまりを請け負ってやって、しかし玄笹は重ねて述べる。
「若様よ、葛木のお屋敷では今、萩生
(はぎう)の屋敷を攻める手筈が着々と整っておりますが、菊様と藤千代様、御二方とも御身ご無事でお戻りという事で宜しいか」
 先程までの気安げな雰囲気を一変させ、雪道に膝をついて菊を――つい先日まで正統な次期当主として敬っていた少女を見上げながら、玄笹が問うた。
 その礼に対し、小太郎に抱え上げられたままながらも背筋を伸ばしてコホンと一つ咳払いをして、菊は構わんと一言返す。
「往来でのんびり話が出来る程度の危機しか無かったし、小太郎のおかげで問題無く屋敷を出て来たよ。……だが、こうやってお前のようなお気に入りを斥候に出したという事は、父上は本気で萩生を攻めるつもりだったのか? 半分冗談の脅しだと思っていた」
「……あのお人も、子の親だという事ですよ」
 菊の疑問にそう笑う玄笹の顔は、今までと打って変わって柔らかい。
「過去に弥三郎様の事があったから、御頭様もだいぶ気を揉んでいらした。それにお方様が大変に御心配なさってらっしゃる、早く戻って差し上げた方がいい。……小若様も、おっ母さまが恋しかろう」
 なあ? と玄笹が藤千代に優しげな声をかける。
「藤千代はさっきからずっと寝て――……」
「お話おわったぁ? もうかえれる? まだ?」
「うわっ起きてる!」
「嘘だろ! 俺子供がいる前で色々やっちゃったんですけど!」
「小太郎も姉上もさっきからずーっとうるさい……」
 大人たちの長話にすっかりふてくされた藤千代が、小太郎の肩に小さい頭を預けたまま口を開いた。

 いつから起きてたのかと俄かに慌て出した年長二人を眺め、寝て起きてもまだ家ではなかった事にすっかり機嫌を悪くした藤千代を眺め。
 日に灼けた頬を大きく緩めて、玄笹はこの日初めて声を上げて笑ったのだった。



「……さてよ、それじゃあさっさとお屋敷へ戻ろう。雪がまた降りそうな空になってきたし、無駄な出兵しなくていいんならそれに越した事はねえ」
 優しい笑顔をすっかり引っ込め、普段の無愛想に戻って玄笹が言う。
 綺麗に青かった筈の空は、気付けば目に見える総てが重い鉛色になりつつある。早く戻ろうと促し、玄笹は小太郎が背負った荷籠に目をやった。外からもはみ出した中身が見えるほど、中には野菜やら何某かがぎっしり詰まっている。
 ざっと見えるだけでも、葉付きの大きな大根が二本、長さを整えられた太いゴボウの束、竹皮にくるまれた餅らしき包みがいくつか、細い藁繩で繋いだ立派な干し柿も見えるし、更には菓子らしき高価そうな箱包みも潰れないよう一番上にそっと乗せられていて、何とも豪華な土産物の山だった。
 ただ、その分しっかりと重みがある。
「またえらく重たそうなもんを……。俺が荷物だけでも運んでやろうか」
 小太郎の肩にずっしりと沈み込んだそれが無ければ、もっと早く屋敷に帰り着くはずだ。代わりに担いでやるべく玄笹は小太郎の背後に回る。
 その荷籠の背負い部分を外してやろうとふと中身を覗き込み、籠の最奥の何かに気付いて片眉を怪訝そうに跳ね上げ――……そして玄笹は不思議そうに呟いた。


「坊主、お前、何で漬物石なんか一緒に背負ってんだ?」


********************


 人目が多い雪道を、両腕に花を抱いて小太郎は走る。
 その少し離れた所を影のように、荷籠を代わりに担いだ玄笹が付いて走る。

 無駄に背負わされていた漬物石
(と書いて嫌がらせと読む)が無くなり、汗だくで疲れ果ててはいたものの小太郎の足取りと進みは格段に速くなった。
 藤千代はしっかり目を覚まし、菊も毅然と背筋を伸ばしている。先程までとは打って変わってすっかり抱えやすくなった二人を両腕に抱いて、小太郎は雪道をひた走った。
 葛木の屋敷が近付くにつれ人の姿が再び増え始め、それに併せて道々から雪が消えて周辺に高く積み上げられ、雪かきの精度が上がっていく。走りやすくなっていく。
 本当に出兵の準備をしていたようで、走る小太郎を指差す人々の中には、戦支度の忍装束姿で雪かきする者がちらほら見受けられる。

 そして葛木屋敷の屋根が見え始めた時、曇天の下に轟砲の如き大声が響き渡った。
「――……菊様! 藤千代様! ご無事か!」
 何だあれは、と菊が思わず呟いたのも致し方ない。
 未だかなり距離がある筈の屋敷門前から気遣いを高らかに吠え上げたのは高次だったが、下忍達に混じって己も出陣準備として雪かきをしていたらしきその姿は、この厳寒の中にも関わらず諸肌脱いで、鍛え上げた胸板から濛々
(もうもう)と湯気すら立てた、仁王像も斯くやの威圧重圧並々ならぬものだったからだ。

「小太郎!」
 丈夫な竹と杉板を組み合わせて作ったかなり大振りの雪かき道具を手にしたまま、白雪を蹴散らし、鬼のような形相で高次が駆け寄って来る。
 別に悪い事は何もしてないはずなのに思わず逃げたくなるのは何故だろう……いやさっき菊に悪さしたからだな……と疲れ果てた頭で考え、荒い呼吸を整える暇もないまま、小太郎は猛然と駆け寄り来る高次と対峙する。
「ただいま……戻りました……」
「今帰ったぞ」
「たかつぐただいまー」
 三者三様の帰還報告に、仁王像――……否、高次はほんの少しだけ目元を柔らかく緩ませて、そして力強く頷いた。
「皆、無事で何より。……小太郎、よくやった。すぐ御頭様の所へ向かえ」
「は、はい」
「何だその気の抜けた声は! 走れ!」
「うわぁハイッ」
 高次の叱責に応じて小太郎が一目散に駆け出す。二人を担いだまま、疲れ切っていたはずなのに相当な速さで過ぎ去っていったその若い背を見送り、高次は再度口を開いた。
「――……で、どうだった」
「萩生からの追手は別段かかっておりません。……追手は、ですがね」
 まるで足元の影から抜け出て来たかのように、いつの間にか玄笹がその場に膝をついて控えている。その横には萩生からの土産物と嫌がらせ物が入った荷籠が添えてあった。
「若様から伺ったお話から察するに、あの坊主が上手く収めて来たのではないかと思われます。聞いた限り萩生に戦意や害意は無いようでしたが、まあ嫌がらせと言うか、悪意は少々」
「……その程度で済んだのなら御の字だろう」
 土産物の中に仕込まれた漬物石を渋い顔で見やり、萩生元吉の小憎たらしい顔を重い出し、曇天の雪中だと言うのに未だ諸肌脱いだままの高次が険しい顔で眉間を揉み解す。
「我々も屋敷内へ戻るぞ。出兵は取り止めだろうが、御頭様のご裁断を仰ぐ」
「御意」
 膝をついたままの玄笹が深く頭を下げたが、その頬が不意にふっと緩んで、目線は高次を向いた。
「ほんの数か月前まではどうなる事かと思うておりましたが、なかなか良い男に育ちましたな」
「何の話だ」
「いいえ別に」
 荷籠を背に立ち上がった玄笹が、剥き出しのままの高次の背をばしばし叩く。
「もっと褒めてやりゃあ良いのに、親父様よ」
「……訳の分からん事を」
 気安い友人同士の顔で肩を揺らして笑う玄笹に対し、高次はむっすりと不機嫌だ。

 小太郎達が駆けて行った先で、三人の帰還を喜ぶ里人達の歓声が空を揺らして聞こえ始めた。
 束の間の晴れ間を惜しんで外で遊んでいたらしい子供達もきゃあきゃあ騒ぎながら集まり始め、正月がもう一度来たかのような賑わいを見せ始めている。
 自分も急ぐからと、頭目の元へ駆けて行った玄笹の背を先程同様見送り、高次は小さく息を吐いた。
「――……親父……」
 脱いだままだった着物を汗ばんだ肌に羽織り直し、顎髭を撫でて独り呟いてみる。

 高次のその顔が笑んでいるのか不機嫌なのか、見る者は誰もいない。






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