雪中二花取
(せっちゅうにかどり) (4)


 
 萩生
(はぎう)の屋敷は同じ里内(さとうち)には在るものの、葛木家からは少々離れている。その道々に深く積もった雪は長く続いた猛吹雪の所為で除雪出来ておらず、柔らかく積もりあがったままだ。
 民家の周りは最低限の手入れはされている為それでもまだマシだが、雪に歩みを妨げられる事に変わりはない。
 余所様の屋敷で塀が造ってある所はその上を征き、無い所は幼い頃から叩き込まれた雪上歩法を駆使し、それでも時々溝にハマったり転んだりしながら小太郎は里を駆け抜ける。
 何しろ下手したら新年一発目の出兵が、親戚同士の泥沼になってしまう危機だ。ただでさえ菊達が心配なのに、輪をかけて不味い事態である。
 何だ何だと家々の軒先から顔を出す里人達には目もくれず、久々の晴天の下を小太郎はひたすら駆けた。

 その甲斐もあってか、
「開門! 願います!」
 萩生の屋敷には、問題なく無事着いた。

 ――……だがやはり、着いてからこそが問題だったのだ。


「うーんそうか、それは大変だったなあ、お疲れ様だ」
「なので、早々に菊様方をお連れして戻りたいんです」
「うんうんそうだね、あ、それでお前さん食事はもう済んだのかね? うちの下人達のまかないで良ければ食べていきなさい」
「いや、ですから早く戻らないと、戦になるんで」
「うん、御頭様はそんな短慮なお方ではないから、そこは大丈夫じゃないかなあ?」
「いやいやあれは御頭様が洒落にならない怒り方してる時の一歩手前って言うか、藤様が悪戯して蔵燃やした時が本気だとしたら今回のはあと一押しで本当に危なくなるって言うか」
「あーあれは凄かったね。そう言えばお前さん、その蔵にいたのによく無事だったね、あっお茶淹れようか、良かったらそこへ座って詳しく教えておくれでないかい」
「いや! ですから! 当方急ぎでございますって申し上げておりますけども!」

 萩生家は葛木家と同じくらい由緒があり、大きく、そして豊かな家だ。使っている人間も多く、久方ぶりに吹雪が止んだとあってか雪かきや屋根上の雪下ろし、出入りの者たちで、萩生家玄関脇の土間は常になく賑々しい。菊達を迎えに行った小太郎も、そこへ通されていた。
 小太郎の相手をしているのは、萩生家の中間頭
(ちゅうげんがしら/屋敷の雑務取りまとめ)である多聞(たもん)だ。なんとも人の好さそうな見た目の初老の男で、髪は半分ほど白くなってしまっているが背筋はすっと真っすぐに伸び、話し方も穏やかに知的で優しく、普段ならば小太郎も多聞との会話を厭ったりは決してしない。
(……でもこれは絶対に何か企んでる……!)
 明らかな引き延ばしに、小太郎の背を冷たい汗が伝う。

「親戚同士なら、一回腹を割って話し合うのも良いかと私は思うよ」
「話し合うていうか、戦になっちゃうんで、今回はホントに」
「戦かあ、そうか、萩生さま対葛木さまになっちゃうのかねえ。小競り合いだけど大きな御家同士だから総力戦かな? そしたらきっと耄碌しかけの爺様もしゃしゃり出てくるだろうね」
 ずっと温和だった多聞の声音が、ふっと深く低くなる。

「――…………毘沙門の息の根止めてやる良い機会じゃねえか、楽しみだよ」

 余談だが、この多聞も若い頃は戦場で血の雨を降らした、一ヶ谷衆きっての戦忍である。
 直接の主であった元吉翁が戦場から下がった際、共に武器を置いてはいるが、老いてなお萩生に鬼多聞在りと謳
(うた)われる逸材だ。
 葛木家包丁頭の毘沙門とは何から何まで気が合わず、若い時分から今の今まで仲が悪い。

「すいません多聞さん私怨に御家事情を利用するのはちょっと抑えてもらえると」
「いやだねえ私怨だなんて。ああそうそう、こんな所で立ち話も何だから」
 小太郎の両の手首をがしりと掴み、老いた細腕とは全く思えない力強さで、多聞が小太郎をどこかへと連れ去ろうと動き出す。
「多聞さん!」
「年を取るとね、細かい事は割とどうでも良くなってくるんだよ……後顧の憂いを亡くしてからあの世に行けるなら本望だね」
「多聞さん?!」
 周囲に人は多いが皆忙しそうに立ち働いていて、誰一人として小太郎の味方をする者はいない。小太郎が葛木家の者だという事も、何をしに来ているのかも、多聞の私怨も皆分かっているので尚更という面もある。見て見ぬ振りだ。
「あ――ッ! すみませーん! あ――ッどなたかうちの菊様と藤千代様をお呼びいただけますかー!」
 土間を引きずられ、かかとと脚を踏ん張って多聞に抗いつつも、屋敷の奥に向かって小太郎が叫ぶ。
 何事かと屋敷の使用人たちの幾人かが慌てて顔を出すが、菊と藤千代の姿はそこには無い。
 早くしないと本当に葛木家の面々が攻め込んで来るという懸念もあるが、晴天だった筈の空の片隅、ごくごく薄くまた雲が出始めているのが小太郎には気にかかって仕方がない。
 広い屋敷の奥まで届けと、小太郎は声を張り上げる。
「菊――ッ! 藤様ーッ! き……っ」
「何がうちのじゃ、黙れよ小僧」
 だが菊達は一向に姿を見せず、代わりに屋敷奥から現れたのは元吉翁だった。
 小汚いゴミ虫が雪から這い出てきたとでも言いたげな目線が、立ったままの小太郎を鋭く射貫く。
「春まで預かると再々言うておるに、わざわざの迎えご苦労な事よな。ま、嫡男が手元に居らんのが不安なのは分かる故、藤千代殿はお返しするとしようかの」
 だがそう言いつつも元吉翁が動く様子は無いし、周囲の下人たちが藤千代を連れて来る様子もない。周囲の下人達が知らぬふりをしながら忙しそうに立ち働いて、別の事でざわめいているだけだ。
 屋敷内とはいえ玄関の冷たく凍えた土間に膝をつき、貴人への礼として面
(おもて)を伏せたままの小太郎だったが、いくらか待っても何も変わらない様子に焦れて顔を上げる。
「……あの……?」
「あ? ……何じゃ貴様、まだおったのか」
 顔を上げた小太郎が見たものは、元吉翁がそのまま屋敷の奥へ戻って行く背中だった。

(……これは確かにクソジジイ……!)
 だがここで引き下がる訳には到底いかない。
 必殺技を喰らえと、小太郎は懐から九郎に渡された書状を取り出し、高く掲げる。
「菊様と藤千代様の御二人を、今! お返しいただきたく、葛木家当主より命じられて罷
(まか)り越してございます。どうぞ此方を」
「後で見るゆえ多聞に渡せ」
 元吉翁の言葉は冷たい。小太郎をろくに見ようともせず、肩越しにちらりと目線を寄越しただけだ。すぐにそのまま去って行こうとするのを見、小太郎は今までで一番大きな声を張り上げた。
「御頭様から直々の書状です、御目通しを!」
「だから何じゃ」
 食い下がった甲斐あって、元吉翁の歩みは止まり、身体も小太郎の方を向いた。
「……下忍風情が本家の名代気取りか。つけ上がるなよ」
 きんと冷えた石造りの土間が更に冷え切る非情の声音で、元吉翁が呟く。
 血を分けた身内であっても駒扱いのこの老爺にとって、小太郎のような身分低く、年若い者はもはや人という認識ですらない。虫の羽音が煩いと鬱陶しげに向けてくる視線は殺意含みで、容赦が無い。
 主
(あるじ)の意向を汲んでか、未だ膝をついたままの小太郎の背後に音も無く多聞がまわる。殺れという一声があれば、すぐにでも行動に移すつもりなのだろう。
 しかしそれでも小太郎は、喉元に刃を突き付けられるような感覚を真っ向から無視し、元吉翁を睨みつけるように口を開いた。
「受け取っていただく事適わぬなら、その場で読み上げよと言われております」
「ほう」
 元吉の目線が命令の意をもって多聞に向く。
 この場で殺すか、場所を変えるか。――元吉の意向を読むべく、多聞も目線を交わす。
 主の不興を買いはしたが、菊と藤千代のお気に入りをここで殺しては後々に響くのではないか。気絶でもさせて後でゆっくり始末するか。束の間、逡巡する。
 小太郎の事は泣き虫だった幼い頃から知っている。――その侮りと情けと、そしてやはり老いが、鬼と呼ばれた多聞の動きを鈍らせた。小太郎が何かしら動いたなら多聞は即座に反応して行動を起こしただろうが、小太郎は冷たい床に膝をついて書状を高く掲げた姿のまま、微動だにしなかった。

 身動きは全くせず多聞に背を向けたまま、元吉翁を強く見据えたまま、大きく息を吸って轟くような大声を再度張り上げたのだ。

「尾州
(びしゅう)角光家、吉桐屋、豊白屋!」 (※尾州=今の尾張地方)
「ぬ?」
「参州
(さんしゅう)羽黒屋、濃州(のうしゅう)藪屋!」 (※参州・濃州=三河・美濃)
「ちょっ」
「えーとあとは飛州
(ひしゅう)尾白家!」 (※飛州=飛騨)
「待たんかこのクソガキ! お前それをどこで!」

 去りかけていた元吉翁が大慌てで小太郎の元まですっ飛んで来る。
 ギャーギャー騒ぎながらすっ飛んで来て、未だ小太郎が掲げたままだった書状をひったくって急ぎ中を改めた。
「……これっ、は」
「御頭様よりお預りしたものです。ちなみにいつでも大声で叫べるように道中で暗記しとけとも命じられてきました!」
 書状の中身は、単なる地名と屋号が羅列されただけの簡潔なものだった。序文として、早く子供達を帰せ的な文がほんの一行書かれていた他は、たった今小太郎が読み上げたものと何一つ違わない。
 何らかの地名と屋号が確実に九郎の字で書き連ねられ、一ヶ谷衆頭目として正式な書状に使う花押
(かおう)が、かなり強い殺意と共に記されている。
「お、御頭は……他に何か言っていたか」
「ですから俺が一刻経っても戻らなかったら御頭様が分家の組頭様達とここへ攻め入ってくるってさっきから」
「儂はそんなん聞いとらんし!」
 先程までの怜悧さをかなぐり捨てて、元吉翁が叫ぶ。
「ハッ! いやでもしかし今ここには本家の後継ぎが二人も居る訳で、人質としてはこれ以上の者は無いぞ?! 良し!」
「何が良しだ」
 叫んだ後でまた黒い事を言い出したが、その企ては涼やかな声が両断した。
 騒がしかった周囲が急にしんと静まり返り、皆の視線が一斉に、声の持ち主へと注がれる。


「小太郎、雪中出迎えご苦労。大儀である」
「あっこたろー来た! 小太郎ー!」
 冷えた空気の中に凛と響いた声が、幼い響きの愛らしい声が、双方嬉しそうに小太郎の名を呼ぶ。

 声の出所を確認し、駆け寄って抱きつきたいのを何とか堪えて、その声に小太郎はゆっくりと頷き返した。






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