『未熟者二人』 (2)



 高次は言った。自分の立場を考えろと。

 後継として周囲に容認されているとは言え菊は紛れも無く少女で、自分の息子を一ヶ谷の後釜に据えたい一部の親戚連中にとっては、本家に付けこむ格好の口実だ。
 従兄弟の中には菊の許婚候補もいる。
 両親も高次もはっきりとは言わないが、要らぬ確執を避けるためにもいずれはその中から夫を選ぶ事になるのだろう。
 一ヶ谷衆を継ぐ故に。
 次代の頭目となる故に。


 だが、菊は思う。

 守りたいものも守れず、仇もとってやれず、泣き寝入りするしかないのなら。
「……クソ喰らえだ……!」
 そんな役に立たない地位などは、犬でも猿にでもくれてやればいい――!



 まずは一軒目だ。
 未だ旅装のまま竹刀を担ぎ、自宅を出てすぐ隣の屋敷へと足早に向かう。
「邪魔をするぞ!」
 一ヶ谷の里の者で菊の顔を知らない者はいない。驚くが止めはしない門番を尻目に、足で門を蹴破る勢いで菊は邸内に侵入する。
 幼い頃から幾度か来ている。邸内の様子も自宅と変わらぬ程度に分かる。
 庭をまっすぐ突きぬけ、目的の人間が居るであろう場所を目指し、菊は突き進む。

「――うわぁ! 菊?!」
「何だその顔は、ひとを化け物のように。……弥平、お前に聞きたいことがある」
 書斎で何やら書き物をしていた最中の人物は、菊の顔を見るや青ざめて腰を浮かした。
 自分よりも六歳年上の従兄を易々と呼び捨てにし、菊は嫣然と笑みながら庭から書斎に入り込む。……手に、脅しの如く竹刀を握ったまま。
「な、菊、おま……っ、しばらく里から出てるって……!」
「ん? 私が居ると何かまずいのか? ……なあ、弥平兄者よ」
 普段滅多に呼ばれないその呼び名に、弥平と呼ばれたその男は一層の恐怖に喉を鳴らす。……菊の従兄弟の中では最年長の弥平であったが、自分よりもかなり年下の少女に対し、今や真剣に恐怖していた。
 殺気すら感じさせる菊の姿にへたり込み、腰でいざって逃げようとするが、しかし部屋の襖にぶつかってそれもままならない。とうとう観念したかのように菊を見上げて首を振る。
「違う! 俺は止めようとしたんだ! な、何もしてない!!」
「そうか、お前なら何か知ってると思ったが正解だったな。よし吐け」
「なっ?!」
「……洗いざらいを全部吐けと言っているんだ。その様子じゃあ何についてかは分かってるんだろう?」
 六つ年上の弥平は先年元服したばかりだったが身体は充分育って背も高く、現頭目実弟の嫡男という比較的良い立場だ。――が、どこか気弱な性格が災いしてか従兄弟内での立位置はすこぶる低い。元服はしたというのに、未だに菊に呼び捨てにされてしまう。
 刀よりは筆を好む性格で、率先して虐めを行うような甲斐性は無いものの、誰かに連れられて必ずその場に居たはずとの菊の見立ては満更ハズレでもなかったようだ。
「――……弥平」
「ひ……っ」
「正直に話すならお前は見逃してやっても良いが、どうだ」
 突きつけた竹刀の先で弥平の顎をついと持ち上げ、菊が笑う。
 そしてその笑顔のまま、青畳に竹刀を叩き込んだ。
「吐け!」
「――――ッ!」

 庭の木立を悲鳴が揺らす。
 



「邪魔するぞ、鉄馬はいるか」

 弥平の家を後にしてしばらく、菊は高次の道場に来ていた。
 ただし高次本人はどこかへ出ているのかここにはいない。
 道場は決められた稽古の無い時は常時自由に開放されている。故に、道場内にいるのは普段ここに通っている子供達が自主的に鍛錬を行いに来ているのみ。
 道場内では通う子供達の貴賎は関係なく――そう高次が掲げているため、身分上下関係無く子供たちはここに集う。
 ……しかしそれは建前だけ。
 大人の見ていない陰では、身分を笠に着た陰湿な嫌がらせが横行している。



「小太郎は、最初、道場の隅で素振りをしてた」
 冷汗交じりに弥平は言った。
「……そこに俺たちが来たから。場所を譲るつもりだったんだろうな、あいつは庭に出た」
 つつけばすぐ泣き、親もいない、小さい体の拾われっ子。
 からかって遊ぶには格好の相手だが、いつもはうるさい菊が側に居て手が出せない。……しかし菊は留守で、しばらく戻ってこないのだ。いつも小うるさい高次もこの場には居ないと来ている。今ならいつもと違う楽しみ方が出来る。
 ……小太郎は、格好の餌食になった。
「一人で素振りばっか稽古してても楽しくないだろって声をかけて……、取組みを……」
 元々小太郎は小柄だ。
 身体の大きい、しかも自分より年上の人間となど、まともな試合になる訳も無い。
 竹刀を構える間もなく足を引っ掛けられ、転ばされ、立ち上がる度に数人がかりで小突かれる。
 悪意混じりであった事も多く影響し、ろくに打ち合う事にもならないまま、試合と言う名の一方的な暴力は耐えかねた小太郎が泣き出すまでしばらく続いた。
「小太郎がいじめられて泣くのはいつもの事だろ。だから俺は、ああまたかって見てて……そしたら、鉄馬が」

――男女に育てられると女男になる訳か。
――あの山猿女はいつもキーキーうるさいが、お前はベソベソ泣いて鬱陶しいな。

 鉄馬は、弥平と同じく現頭目実弟の嫡男である。年は菊と二三程度しか変わらないが文武に秀でて才もあり、目下のところ菊の許婚候補筆頭だ。
 ただし性格は少々計算高い所があり、鉄馬が時折見せるその陰湿さをひどく嫌う菊とは、正に水と油の仲といってもよかった。
 ――その鉄馬が、言ったのだ。



「……なんだ菊、お前もう帰ってきたのか。帰ってこなくても良かったのに」
「あいにく私は千里眼の地獄耳でな、貴様に呼ばれた気がしたから帰ってきたんだ」
 旅支度のままで竹刀を握って道場の入口に仁王立つ菊に、道場内にいた鉄馬以外の数人が事情を察して固まった。
 道場の中には鉄馬の取り巻き連中が数人と、鉄馬本人のみ。
 いつもなら里の子供たちがもっと居てもおかしくないが、今日は珍しく閑散としている。――今回の怪我人は小太郎だったが、今度は自分であってもおかしくない――そう考えた下忍の子達が多かった所為だろう。身分社会の理は絶対で、弱者は強者に何も言えない世の中なのだ。
 菊が口を開く。
「さあ鉄馬、言い訳を聞いてやろうか。それとも何か? この場で土下座して諸々謝り許しを乞うか?」
「……調子に乗んなよ菊。言いがかりをつける気なら、いくらお前でもタダじゃおかねえ」
 静かに怒気を立ち上らせる菊に対し、鉄馬も敵意を隠そうとしない。
「大体生意気なんだよ、お前。急に入ってきたかと思えばいきなり土下座しろってか? さすが、御頭様になるヤツは言う事が違うなァ、菊。ん?」
「菊様と呼べ、下郎」
 澄んだ声でりんと述べられ、一瞬道場内が沈黙する。
「……あァ?!」
「話はすべて知っている。貴様のような奴を下郎と呼んで何が悪い」
 菊の語尾に怒りがこもる。
「貴様が小太郎にしたことを思えば、下郎呼びでも足りんくらいだ……!」



 弥平は言った。
「鉄馬が……ああ怒るなよ菊、俺が言ったんじゃないぞ?! そう、鉄馬がお前の悪口を言ったんだ」

――あの山猿女はいつもキーキーうるさいが、お前はベソベソ泣いて鬱陶しいな。

 それまではしゃくり上げながらでも黙って耐えていた小太郎が、その声で顔を上げた。
 それはほとんど条件反射のようなものだったのだろう。菊への悪口に反応し、小太郎は鉄馬をにらみつけたのだ。
「で、鉄馬が案の定、なんだその目はとか言い出して……。小太郎も黙ってりゃ良かったんだ、なのに余計な事を言うから」

――菊は山猿じゃないし、うるさくない
――……何だお前、誰に向かって口利いてんだよ
――あの不細工女が生意気に調子に乗る癖が伝染ったか 

 鉄馬のその言葉に、周囲にいた取り巻き連中が合わせてどっと笑う。
 しかしその悪意に満ち満ちた空気の中で、小太郎は、涙に濡れてはいたが真剣な瞳で鉄馬たちをにらみつけて昂然と言い放ったのだ。

 菊に謝れ、と。



「お前があのチビを甘やかすからあいつが調子に乗って、俺はそれを正してやっただけだ。……下忍の見習い風情に俺が命令される筋合いは無いからな」
 そう言いながらも鉄馬が竹刀を握る手に力を込めた。
 事を告げた声を聞き、その姿を見、菊も道場内へと一歩を踏み出す。
「……それで不要に痛めつけて、そして道端へ転がしたのか? 正すが聞いて呆れるな。恥を知れ」
 互いの間に見えない火花が飛んで散る。
 両者は道場の真ん中で向かい合い、対峙し、そして悠然と笑み合った。

「面白い。この際だ、女だからって手加減なんざしてやらねえぞ、菊」
「勝手に吠えてろこのクズが。しかし鉄馬よ、貴様は普段私に手加減なぞしていたのか? 愚かしいな。それで負けていては何の意味も無かろうに、なあ?」
「………テメエ」
 怒りに歪んだ鉄馬の声と共に、道場内に居た取り巻き連中も竹刀を構えて菊に向き合う。
 文字通りの、多勢に無勢。
「……ほんとにクズだな鉄馬」
「うるっせえんだよ! 忍に手段は要らねえんだろ、要るのはただ結果のみだ!」
「まあ、その通りだがな」
 じわりと周りを詰められる感覚に、目を閉じて菊はそれでも笑う。


 嬉しかった。
 小太郎がした大怪我は嬉しくなど無いが、怪我を負った理由が。

 あの泣き虫が、泣きながらでも告げた言葉が。


「そうか、私のためか……」
 小さく呟く。
 竹刀は握っていたが、構えもせずに左右に下ろされた菊の腕に鉄馬が叫ぶ。
「余裕かましてんじゃねえぞ! 菊!」
「――愚か者が」
 菊が目を見開いた。
「忍に構えが必要などと思うなよ。四の五の抜かさずかかって来い――下郎ども」

 途端に鉄馬を含んだ周囲から殺気がぎしりと張り詰める。
 だが菊は悠然としたままだ。

 一呼吸の後、薄紅の唇に少女らしからぬ艶笑が浮かんだ。

「今なら負ける気がしない」


 道場内に、荒れた剣戟が響く。




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