『未熟者二人』 (3)



 ――何となく目が覚めると、布団のとなりに菊がいた。
 肘をついて寝っころがって、足をブラブラさせて。
 菊はいつもは行儀がいいから、こんなのはめずらしいなーと思ってぼんやり見てたら、菊が俺が起きたことに気がついてこっちを見た。
「小太郎、起きたか? どうだ大丈夫か?」
 返事をしようとしたけど、なんだかまだ半分眠ってるみたいな感じで声がでない。
 何とか顔を動かしてこっくりとうなずくと、菊はすっごくうれしそうな顔で、
「そうか」
 と言ってにっこり笑った。

「あのな小太郎」
 うれしそうな菊が、寝っころがったままで顔をよせてきた。
 頭をなでてくれて、ほっぺたをなでてくれて、そんで、いつもは俺がしてるみたいにべったりとくっついてくる。

 ……でも、のぞきこんできた菊の顔は、俺の目が今よく見えてないからかもしれないけど、何ていうか……

「カタキ、討っといたから」
 ……目の下にでっかいアザがあったり、あっちこっち妙にケガしてるような……

「まあくわしくは後でな。とりあえずお前は寝ろ、養生しとけ」

 そういって菊がうれしそうに笑うから、俺はうんとだけ言って目をつぶった。
 菊はどっか行っちゃうかなあと思ってたけど、そのまま一緒に寝てくれるみたいで、でっかいあくびをひとつだけして俺の布団にもぐりこんできた。

 ……どうしたのか聞こうと思ったけど、そのまえに菊はもうすやすや寝てたから。
 俺もそのまま寝ちゃう事にした。



******


 そして今、菊は屋敷の離れにある土蔵へひとり閉じ込められている。

 多勢に無勢すぎてどうにも手加減できず、人相が変わるどころか心配して様子を見に来た弥平が仰天して腰を抜かすくらいにボコボコにされた鉄馬が親に告げ口したため、隠密行動だったにもかかわらず早々に高次の耳に入ってしまい――
 結果、菊はこうして仕置きを喰らっている訳である。

 小太郎の隣で寝こけていた菊を連れに来た高次の顔は、案の定と言うか予想の範疇だったとでも言いたげに複雑で苦々しかったが、ため息と共に、
「……菊様には、手加減というものも学ばせるべきでした」
 と呟いた顔には、ほんの少しだけ笑みも混じっていた。

 やる時は一太刀で殺れといつも言っているのは高次だろうとの屁理屈には、ゲンコツで返されてしまったが。


 母屋から離れた場所にぽつんと建っている土蔵の内は、当たり前であるが外からの光はほとんど遮断されており真っ暗だ。
 仕置きであるために灯りなどはもちろん渡されていないし食料も無い。締め切られた蔵内は充分な広さがあるものの、門扉や小窓の隙間隙間からほんのりと漏れ差す夕日で透かし見る限り収納物が雑然と壁周囲に積まれているだけで、何の面白味もない。
 今はまだかろうじて夕方であるから少々の光も入るが、あと半時もしないうちにその儚い光すら無くなるだろう。

「別にそんなのはいいんだがな……」
 菊は忍事の修行に慣れた身だ。
 闇の中でもある程度見えるし、暗闇が怖い訳では決して無い。
 無いが……
「……なんで誰もいないはずなのに二階からガタガタ音がするんだろう……」

 土蔵の二階には、確か三代前の頭目の時代に、持主が気狂いを起こして家中を惨殺したという曰くつきの禍刀が納められている。
 次期当主として菊もその話はよく聞いている。――あの刀には触るなと。
 その刀が納められている二階近辺より、菊がこの土蔵に入った頃くらいから何やらガタガタと音がするのだ。
 もちろん聞き間違いなどでは無い。土蔵の周囲に人が来るような事は滅多に無い。
「くそ、高次め……地味に効いてくる仕置きだな……」
 暗闇を特に恐れない自分に与えられる罰としてはぬるいものだと笑っていた菊だったが、想定外の事象にちょっと背筋が寒くなってきた。
 ガタガタ、カタカタと小刻みに不規則に、しかし間違いなく聴こえてくる怪奇音を真っ暗闇の中で無視しつつ、菊は固く施錠された門扉の内側に背をつけて座り込む。


 鉄馬たちは鉄馬たちで、自分の父親からこっぴどく絞られて現在菊同様かそれ以上のきつい罰を喰らっている最中らしい。
 どんな罰かは知らないが、自分の息子が菊にボロ負けした事を知った鉄馬の父は、きっとかなり過酷な責め苦を今日だけではなく明日以降も鉄馬に負わせるに違いない。
 ザマ見ろと思って菊は笑む。

 とは言え菊もそれなりに深手を負った。
 結果としては何とか勝ったものの、それはこの人数相手でちょっとでも加減すれば、その瞬間に力負けるであろう事が最初から目に見えていたからだ。
 初太刀から全力で『勝ち』ではなく『潰し』にかかり、その結果としてようやく勝てたようなものである。

 我慢できずに報復に走ったのも。
 見つかってバレて、仕置きを受ける羽目になっているのも。
 ――結局、総てにおいて自分はまだ未熟者という事なのだろうか。


 暗闇の中、幾度めかのため息をついたと同時、外から足音が聞こえてきた。
 通常時でも体重をかけないで足早に歩くこの歩調からして、多分高次だろう。お役御免の釈放にしては早すぎると菊が首を傾げると同時、土蔵の門の戒めを解く鈍い音が伝わってきた。

 そして門が開かれ――

「うわああああああ暗い! 師匠っ、ここ暗い! すっごい暗い!!」
「当たり前だ、さっさと入れ!」

 見慣れた小さな影が襟首を掴まれて放り込まれてきた。
 そして間髪入れずに門が閉じられる。

「うわああああああああん」
「……何やってんだ小太郎……」
「うわー! 菊いた――!!」

 真っ暗な中、声だけで誰何と方向を見事に判別したのは普段日がな一日べったりとくっついている賜物だろう。
 声をかけた途端に過たず駆け寄って抱きついてきた小太郎を受け止め、菊は更に息を吐く。
「出してもらえるのかと思ったら、お前まで来たのか……」
「し、師匠がっ、自分の主が罰を受けてるんだからお前も行けって言ってっ」
「あーそれは高次らしいな……って、小太郎、何か今潰れたぞ?」
 未だ傷薬の匂いをプンプンさせている小太郎の胸元と菊の間で、何かが潰れた音がする。
 うわっと叫び、小太郎が鼻をすすり上げながら懐からなにやら包みを取り出した。
 先程一瞬だけ差し込んだ光に少々目が眩んでいたが、じっと目を凝らすとそれはどうやら握り飯をいくつか包んだもののようである事が判別できた。
「なんだ小太郎。お前、弁当持参で閉じ込められに来たのか」
 量から見て二人分だろう。あまりの用意の良さに菊が吹き出すと、小太郎はきょとんとした声で違うと言って首を振る。
「師匠が持って行けって言って、くれた」
「高次が?」
 ――あれほど簡単に小太郎を見捨てるような事を言っておいて、今更何を。
 憮然としつつもその包みを解き、半ば手探りながらも小太郎の手にひとつ握り飯を乗せてやって、菊は荒く息を吐く。
「……しかし今回だけは高次を見損なった。あいつ、お前がやられた時に仕返しするなって言ったんだ。薄情にも程がある……!」
 だが、怒りながら握り飯をかじる菊に対し、小太郎は菊をじっと見つめながら黙ったままだ。
「……何だ」
「うん……、俺が怪我してたのを見つけて運んでくれたの、師匠なんだ」
 小太郎は続ける。
「いっつも師匠は怖いけど、俺を見つけた時……あんまり覚えてないけど、大丈夫だからなって言って、急いで薬師さまのとこに連れてってくれて……。俺、さっき菊には言えなかったけど、師匠には怪我の原因のこと、一番に話したんだ。そしたら」

 暗闇ゆえに小太郎の表情は分からない。
 しかしその声が真摯なのは、見えないその分よく伝わってきた。

「そしたら……お前は何も間違ってないって。よくやったって、師匠、褒めてくれた」

 自分にも周囲にも厳しい高次は、普段滅多に褒める事をしない。
 物言いも厳しく、表情も揺るがず。幼い頃から傍にいるのでなければ、菊とて進んで近くに行きたいとは思わないような人間である。
 しかしその実、強制された訳では無いのに里の子供たちの育成を一手に引き受け、側役として忙しい身でありながらも、里にいる間は小まめに道場へと足を運ぶ高次の情が薄い訳は……決して無いのだ。

「だから菊、俺、うまく言えないけど、師匠は薄情なんかじゃないと思う」


 自分の言葉にうんうんと頷き、握り飯を一口かじった小太郎は更に続ける。
「…………どっちにしろ負ける奴が悪いって、未熟者って言って、ちょっと怒られたけど」
「ぶはッ」
 菊が思わず吹き出した。
「なんだ、結局怒られたのか」
「うん。……明日から毎日の鍛錬すっげー増やすって」
「イヤか?」
「ヤじゃないよ。……俺はもう、負けたくない」

 しかし口では勇ましい事を言いつつも、菊の隣に腰掛けた小太郎はそのままべったりと菊にくっついてきた。
 いつもなら暑いだの邪魔だの甘えるなだの言う所だったが、今日はそんな気にはなれず、菊はそのまま小太郎を抱き寄せた。
「小太郎はいい子だな」
 額をくっつけて褒めてやると、小太郎はくすぐったそうな声を上げる。
 そして暗闇でも分かる笑顔で大きく笑い、菊に向かって腕を伸ばした。

「菊、俺、菊大好き」
「そうだな、私もお前が大好きだぞ」

 土蔵の冷たい暗闇の中で、二人は顔を見合わせ、再度明るく笑いあった。



「……ところで菊、さっきから二階がやかましいんだけど、あれって何?」
「いや……お前は知らないほうがいいと思う」





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