(1)


「――だれか、小太郎を見なかったか?」

 山里の昼下がり。
 真夏の太陽が厳しくあたりを照らす中、真っ黒な髪を耳のあたりで切りそろえた少女が庭に向かって大声を張り上げる。
 その声に、庭で薪割りをしていた下男たちが一斉に振り返った。振り返り、汗をぬぐい、大声の主を認めて微笑む。
「ああ……菊様、こんな所まで来て人探しですか?」
 笑みながら言われた台詞にこくりと頷き、少女――菊は、庭で作業中の下男たちにむくれた顔で走りよった。
「小太郎を探している。……剣術の稽古に付き合えと言ったら、途端に雲隠れされた」
 竹刀を肩に担ぎ、袖を詰めた道着と、紺の筒袴に脚半という勇ましげな出で立ちで菊が言う。
 十かそこらのまだ幼さの残る年頃なのだが、そんな男の子のような格好をしていても、不思議と粗雑さを感じさせない空気が菊の周りにはあった。

「剣術稽古で叩かれるだけじゃなくて、また投げ打ちの的にでもされると思って逃げてんじゃないですか?」
 そう言って薪を積み上げながら笑いあう下男たちの言葉に、菊の頬がふくれる。
「またとは何だ、人聞きの悪い。あれは的にしたんじゃなくて、手裏剣を投げた所に小太郎が来たんだ。危ないから近寄るなと充分言い含めてあったのに、言う事聞かずに寄って来たあいつが悪い」
 男たちの後ろに積み上げられていく薪の束を視界の端に捉えながら菊が抗議するが、男達はみな笑っている。笑い、自分の子供を慈しむような眼差しを菊に向ける。
 遠くない将来に自分たちの主人になるであろうこの少女の事を、この屋敷のほとんどの者は好いていた。
「菊様は勇ましいですな」
「そうでなくてはやっていけん。私は跡継ぎだからな、私が勇ましくないと将来皆が食べていけなくなる。小太郎は、そのついでに鍛えてやってるんだ」

――しかし、主人と言っても “ここ” は武家屋敷ではない。もちろん商家でもなければ農家でもない。
 武家やその他の家ならば、主人の息女に対して下働きの者が気安く口をきく事など許されない。
 ……武家ならば、女が跡目と名を継ぐなどありえない。戦国乱世ならいざ知らず、この泰平を貪り始めた徳川の御世では、尚更。

 だが、この屋敷では違った。菊は、他に兄弟がいない故とは言え、女ながらに時期頭目として育てられ、本人も屋敷の者もそれを当然と思って生きてきた。

「飛んできた手裏剣一つ避けられずして、忍の子だとは言えぬだろう?」

 忍に、武家の常識など通用しない。


「……まあそんな事はおいといてだな」
 積み上げられた薪をじろりと眺め、菊が言う。
「小太郎はよく泣くし、一つの事に夢中になると周りが見えなくなるし、未だに夜一人で厠に行けないし、男なのに不甲斐なさすぎる。だからもっと鍛えてやろうと言っているのだが、何か? 私は間違った事を言っているか?」
 腕を組み、下男たちには背を向けた形で、薪束の山を菊は見据える。
 そんな様子に下男たちは何やら必死に笑いをこらえているようだ。
「もう一度言うぞ」
 妙に大人びた口調で続ける。

「――小太郎、私の言ってる事は、何か間違っているか……?」

 脅しを含んで低く吐かれたその声音に、薪束の陰で人影が揺れた。……思いっきり。
 下ろした竹刀の先でがしがしと地面を削りながら、菊は、薪束の山からこちらを伺うようにチラチラと頭の先が見え隠れしだしたその人影が出てくるのを待つ。
「…………」
 自分がそこにいる事はバレていないと思っていたのだろう。的確に名を呼ばれた事に対する驚きは手にとるように伝わってくるが、それでも人影はなかなか出てこない。
 やりとりを尻目に作業を続ける下男たちの、押し殺した忍び笑いだけが場に漏れる。

 さらに待つ。
 だが、腹の中でゆっくり五つ数えて、それでも出てくる気配すらないので、菊はとうとう痺れを切らして手にした竹刀を地に打ち鳴らした。
「よし分かった好きにしろこの大バカ! そのかわり、金輪際口もきかんし遊んでもやらんし一緒に寝てもやらないからな!」
 大声で怒鳴られたその内容に、下男たちがたまらず噴き出す。
「なんだ小太郎、テメーまだ菊様に添い寝していただいてるのか」
「もういいかげん観念しとけ。大体おまえが菊様に敵うわけがないんだからよ」
「おいチビ、今謝っとけばまだ間に合うぞ。どうでもいいから早くそこどいてくれ」
 ……二人のケンカは、屋敷の皆にとっては毎度毎度の事らしい。追いかけっこもかくれんぼも、追う者追われる者の攻防劇も、さして珍しくない日常風景のようだ。
 何やら自分まで笑われているような気がして菊が憮然としていると、薪束の陰から消え入りそうな声が聞こえてきた。

「…………って」
「はぁ?」
「だ……だって菊……」
「聞こえないッ!」
「だって」
「『だって』なんだ! 男ならハッキリ物を言えといつも言っているだろう! もうお前なんか知らないからな!!」

 未だ姿を現さない小太郎に、青筋立てて最後通牒を宣告するや否や、菊は母屋に向かって猛然と走り出す。
「菊っ?!」
 同時に小太郎も血相を変えて薪束の陰を出、菊の後を追うべく慌てて駆け出した。
 よく手入れされた庭を全速力で突っ切りながら、子供たちの喚き声(主に小太郎の謝罪の泣き叫び)が遠ざかっていく。

 それを軽く眺め、いつもいつもよく飽きないよとばかりに息を吐くと、下男たちは何事も無かったかのように仕事を再開させた。


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