ハットリズム7  〜 Sings with Wolves 〜 シング・ウィズ・ウルブス (2)



 いつもはランにも馴染みの従業員数名が忙しく立ち働く店内も、今日ばかりは臨時休業の名に相応しく閑散としている。
 だが、そんな中でも店内には数名。
 店主であるシヲ、役立たずだった防刃ベストを脱ぎ捨てて手当てを受けているウー。店の片隅でそのウーの手当てを淡々としてやっているのは、本当にたまたま店に来ていたらしい『猿』のイエンハオ。そしてランと、見知らぬ客人らしき女。
 さして大きくもない店内で、大の大人が神妙な顔つきであちこちにバラバラと座っている姿は、なんとも言えず珍妙である。
 その中心、気の無さそうな顔のランが、事態の説明を受けて珍しく表情を変えた。

「――――は?」
「は? じゃない! 大体お前が計画性も無く付けもしないで好き放題するからこんな」
「ウー、アンタは黙ってな」
 懲りずに始まりそうになる喧嘩を制してシヲが言う。
「だから。この人はアンタの子供を連れて来たって言って、昼間からずっと待ってたんだよ」
「……子供?」
 単語の意味を頭の中で整理しつつ、ランはテーブルの向こうに座るその人物を見やる。

 ――歳は二十代半ばほど。しかし旅行カバンと共に座るその女の顔に見覚えは無い。膝と腕で小さな子供を抱いている。
 大人たちの騒ぎを他所にその子はどうやら眠っているらしく、自分を連れてきた女の胸にしっかりとくっついて熟睡中のため、ランの位置からでは顔までは窺い知れなかった。
 ため息と同時、シヲがランを半眼で睨む。
「ラン。この子、三歳だって。一応訊くけどアンタ身に覚えは?」
「結構あるけど」
「あんのかい! いくつの時にヤったんだよこの色ガキ!」

 とにかく、いきなり子供がどうこう言われても、情報の正誤も分からない状態では実感が無さすぎて、感慨も驚きも何も無いというのがランの正直な気持ちだ。
 買って寝るだけなら今までもそれなりにしていたが、せいぜい一晩か数時間だけの付き合いの女が圧倒的だ。それがこの店に自分が居る事を知っているのも不思議な話だと、冷え冷えとした普段通りの頭で考えつつ、ランはその人物が口を開くのを待つ。
「……あたしは、この子を連れてきただけで……別に、母親って訳じゃ……」
 先程の大騒動やウーが刺された所を目の当たりにした所為か、女の顔には不審と怯えの色が濃い。ランの鋭い視線を受けて一瞬竦んだような表情を見せたが、シヲが軽く促すと口火を切って話し出した。


 話の内容は簡潔。
 数ヶ月前、 同じ娼館にいた友人が……リーファが、事故で死んだと。


「しばらくはお店のメンバーでこの子の面倒みてたんだけど、マネージャーが、男の子供なんていつまでも置いておけないって言い出して……。親戚がいないんなら施設に預けるか、最悪、売れるところに売るみたいな話も出てて……」
 そこで一旦切り、息を吸って、そして続ける。
「あたし、リーファとはちょっと仲良かったから。この子の事、どれだけリーファが可愛がってたか知ってるし、この子の父親だっていう人の話も聞いたことあったから、それで」
 ――子供をここに連れて来たのだと。視線を泳がせつつ、早口にまくし立てて女は言った。
「……よくここの住所を知ってたね。その、何だっけ、死んじゃった子は」
 細いタバコをくゆらせながらシヲが息を吐いた。
「……リーファの遺品の中に、書きかけの手紙がいくつか入ってて。それの宛先が全部ここの住所だったから」
 子供を膝に抱いたまま、その女が傍らに置いた荷物を見遣る。残された遺品も引き取り手が無いから仕方なくここに全部持ってきたのだと独り言のようにつぶやくが、その視線はウロウロと落ち着かず、しきりに時計を気にしているようだ。
「それで全部? なんだい、全部にしちゃえらく少ないねえ」
「お金になりそうなものは……店側とかが全部持ってったんで」
「へえなるほど。――だから、金に替えるには手間がかかって、でも捨てるに捨てられないようなモノだけを、ここに持ってきたっていうわけだ」
「そんな悠長な話をしてる場合かよ……!」
 子供を見やって少々の皮肉を込めたシヲを遮り、ウーが耐えかねたように叫ぶ。
「あんたもその死んだ女も娼婦なんだろう、だったら誰の子供だか分かったもんじゃねえ! 手紙の宛先と宛名がたまたまこの店とランだったってだけで、あいつがホントに父親かどうかなんて確証は無いだろうが!」
 先程確かに刺されたはずなのに、ウーはむやみに血気盛んだ。
「ウー、動くな。今から縫合する」
「イエンハオは黙っててくれ! つーかランは中身はまだてんでガキなんだ、そうやって騙そうとしたって、イテ、った、痛ッ痛痛痛い! ギャー!」
「痛いかもしれんが安心しろ、麻酔を使うほど酷い怪我じゃない」
「ハラ縫うなら使えよ!!!」

 イエンハオの大柄な身体に合わせたような大きな手がザクザクと動き、軽く穴の開いたウーの腹を縫っていく。
 一針ごとに響く悲痛な叫びはきれいに無視して、シヲが口を開いた。
「……その辺に関してはあたしもウーと同意見だね。別に職業差別するつもりは無いけど、おたくさんたちはそういう仕事だろ? そのリーファって子と寝た事のある客なら、父親の可能性なんて誰にだってある。別にこのクソガキを庇うわけじゃないけど、その子が遺した手紙の宛先だったってだけでランにお鉢が回ってくるのは、ちょっとどうかと思うし」
 シヲの眼は冷たい。

「第一、その子は何でランに言わなかった? ――言えない理由があったからじゃないの?」


「――リーファという名には聞き覚えがある。今までに何度か、ここにラン宛で手紙が来ていたな。……ラン、手紙のやりとりの中で子供の話は?」
 シヲの言葉に声を失った女を横目に、手際よく縫合を済ませたイエンハオが問う。
「……無かった」
「そうか。言う機会はあっても、言っては無かった訳だな。……まあ俺には関係無いことだし、そんな事はどうでもいいんだが」
 それだけ言ってイエンハオは興味の無さそうな顔で女を見やる。
 女は、今や完全に狼狽していた。
「困るよそんなの……! あたし、店のみんなに父親の所に連れて行けって言われたからここに来ただけで、マネージャーに見つかんないうちに早く戻んないといけないのに!」
「じゃあさっさと連れて帰んなよ」
「連れて帰ったら売られるかもしれないんだよ?! 男で子供で使い物にならないから、中身だけ売られるかもって!」
「残念だが、ここに残っても似たようなものだ」
 シヲの声もイエンハオの声も淡々としている。
「あたし知ってるよ、このランって人、すごくたくさんリーファにお金かけた人でしょ?! だったらリーファのことがちょっとでも好きだったってんじゃないの? そのリーファが死んじゃったんだよ?!」
「……ランにそんな人並みの感情があるとは知らなかったな」
「文通ごっこは長い事してたみたいだけどねえ。ま、結局のところあたし達には関係ない話だし? あとはランに決めさせようよ、面倒だから」
 リーファの元にランが通っていた頻度と内容を知っていたらしいその女は、きっともっと簡単に子供を押し付けることが出来るだろうと踏んでいたようだ。
 これ以上事が長引いて、娼館のマネージャーにでも不在がバレれば、ペナルティとして確実に年季明けが遠くなる。
 リーファとちょっと仲がよかったからというだけで店の姐さんたちから面倒事を押し付けられたのだ。昼過ぎからこんな夜まで延々とこんな危険そうな人間に囲まれて怖い思いをたくさんして、それだけでも十分に貧乏クジなのに、挙句にこのまま再び子供を連れて帰ることになってしまったら店で何を言われるか分からない……!

「ああもうほら起きなよランガン! ママがいつも写真見せてたでしょ、この人がパパだよ」
 シヲやイエンハオ、ウー、当の本人であるランまでがぎょっとした中、構わずに女は膝に乗せた子供の名を叫ぶ。
 焦燥感に駆られ、女は自分の胸でぐっすり眠る子供を乱暴にゆすり上げて、その背中を叩き始めた。その行いの乱暴さに、縫合が終わったばかりで心底無気力そうだったウーが眉をしかめる。
「……おい、お前」
「ランガン!」
 不機嫌そうなウーの声を物ともせず、女はランガンと呼んだその子供を無理矢理立たせる。そして慌しい動きで傍らの大荷物を探り、何やら紙切れを乱暴に取り出した。
「さあ起きて、ほらパパがあそこに居るよ、写真とおんなじよ、見てごらん!」
 自分本位な理由で成された起こし方は子供に対するものとは思えないくらいに至極乱暴で、案の定その子供はぐずり出し、抱き下ろされた床に座り込んでしまった。
 寝起きで元気のない泣き声が、店の中でべそべそと響き始める。
「ほら!」
 だがそんな事に構っていられない女は、荷物から取り出した写真らしきものを小さな手に押し付け、さっきから突っ立ったままのランを勢いよく指さした。


「――ランガン! あれがあんたのパパよ!」


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