ハットリズム6 〜その男、忍につき〜 (4)


 旅行明けの長い出張を終え、壮介は家族の待つ地元へと数日前に帰還した。

 ――散々だった。
 特Bの発令に加え、百地が意味有り気に「お前じゃないと」などと云々ぬかすので、理愛と万が一が起こった場合の事を相談してまで決死の覚悟で向かったというのに、結局はありがちな捜査補助任務だったのだ。

 民間の裏業者に発注をかけなければいけない内容とは到底思えないぬるさの任務。
 こういった任務時につきものの張り詰めた独特の緊張感は無く、発注先との合流初日では資料配布と簡単なミーティングしか行われなかったほどだ。
 任務を請け負ったという事で来ている筈なのに特に下される命令も無く、今回の依頼者である公安チームのバックアップに回ろうにも肝心のチームメンバー自体がどうやら行動しておらず。
 かと思えばろくな仕事も無いのに契約した期間ギリギリいっぱいまで拘束はされた。
 あまりにもする事が無かったので、普段の内勤で培った事務処理能力を遺憾なく発揮してファイリングの鬼となり、発注先の事務部長から「うちへ事務員として来てくれないか?」と直々にヘッドハンティングされた事が今回の特記事項だろうか。

 ただ、帰還後、百地にその事を苛立ち混じりに伝えた際に呟かれた「――まさか」の一言と、彼が珍しく表に出した驚愕の表情が、気がかりと言えば気がかりだったが。


 そんなこんなで壮介は普段通りの内勤に戻った。
 久々に自分の職場に戻ってみれば仕事は山積みで、外勤の出張から戻ったばかりだと言うのにここ数日は夜遅くまで残業が続いている。当然子供たちともロクに顔を合わせていない。
 ニアミス程度に家内で姿を見かけたりはしているが、抱き上げようと近づくと兄にも妹にもダッシュで逃げられるので、スキンシップは未だ為されていない。
 背後から無言で腕を広げて近づいてくる父親に本能的な恐れを感じての行動だと気づいていない辺り既に末期なのだが、今晩あたり子供達と何かしらのスキンシップを図らなければストレスが発散できずに明日から不機嫌が顔に出てしまいそうだ。

 しかし今日は久々に残業も無く、いつもより早い時間に帰宅出来る。子供達や義父、妻とゆっくり話す時間が持てると思うと自然に顔がほころぶ。
 もう夕食は始まっている時間だが、多分間に合うだろう。食後に皆でお茶する事も出来るかもしれない。なら駅前で土産でも買ってくればよかった、甘いもので釣れば翔太の反抗期も攻略可能……などと一人戦略を呟きながら、壮介は夜道を自宅へと向かう。


 静かな夕暮れだった。
 宵闇に沈む住宅地に人影は無い。皆、家の中で思い思いの時間を過ごしているのだろう。壮介にとって、塀越しに道路に漏れる各家庭の灯りはとても明るく優しいものに感じられる。
 ――自分の家の灯りが、そういうものであるから。

 家に向かい、足早に進む。
 自宅まで駅からは少し歩く。仕事上での有事に備えて常日頃から鍛えている自分の身体が汗ばむ程度の距離だ。残業続きで疲れている身体には少々こたえるが、家族で過ごす時間の為に足は自然速くなる。

 自宅周辺までたどり着いた。
 あのマンションの角を曲がればもう我が家が見える。
 さあ、帰ったらまず何をしようか。食卓にはまだ人がいるだろうか。夕食は終わって、愛か翔太が母親に教わりながら宿題を台所で始めている頃かもしれない。
 些細な事を思い浮かべ、それでも心が弾む。
 軽い足取りで角を曲がる。


 ―――――― そして、見た。


「なんだこれは……」
 息だけで呟いて見上げたそこには、暗闇にも鮮やかな朱色。
 雷光と火炎を模して描かれたそれは、我が家へと続く道を封鎖して鎮座しているトラックの模様。
 皆のいる家の玄関まで本当にあと少し、ほんの数十メートル。だが、狭い道路にきっちりと停められたトラックの所為で、どうしても辿りつけない。
 運転席側にまで派手派手しくペイントされたそれに眉をひそめて不快もあらわに舌打ちし、通り抜けられないかと横に周ろうとした壮介の目に、さらに不快なモノが映り込む。

「―――ケンカ売ってんのか……!!」

 覗き込んだトラックの側面。そこには、躍る火炎と巻物をくわえた黒尽くめの男。右手に掲げられたそれは手裏剣。
 ――世間一般で言うところの、忍者像。
「……忍がみんな黒尽くめで巻物くわえてニンニン言うとか思ったら大間違いだぞこの野郎……」
 壮介の周りの空気が静かに冷えていく。
 翔太が以前に言っていた事を思い出す。名字の所為でクラスメイトにニンジャ呼ばわりされてすごくイヤだと。
 父親の職業について何も知らない子供達の手前、どうしても言い出せなかったが壮介は言いたかった。

 あのな翔太、正しくは「ニンジャ」じゃなくて「シノビ」だぞ、と。


 とにもかくにも不快指数MAX数値樹立である。
 ただでさえ疲れているというのに、ただでさえ自宅が恋しくてもどかしいというのに、ただでさえ空想の『忍者』と現実の『忍』の世間一般的見解の相違について常々「なんか違うんだよな畜生」と思って悶々としているというのに。

 この、ありとあらゆる要素でもって神経を逆撫でするトラックは。

「――クソ」
 一瞬、持ち主を捕まえて文句の一つでも言ってやろうかと思案したが、お隣に位置するファミリー向け物件の前に駐車していると言う事は、きっと家族でここに引越ししてきたという事なのだろう。
 誰が引っ越してきたとしても、今後お隣と多く顔を合わせるのは昼間家にいることの多い理愛だ。今ここで壮介がこの迷惑者に文句を言ったとして、気まずい思いをするのは理愛である。
 そこまで考えて、壮介は長々と息を吐いた。
 文句を言うのは諦め、抜け道を探す。幸いにもそのアパートの前には、壮介が乗った所でどうという事は無さそうなブロック製の塀がある。周辺に人影が無い事を確かめ、鞄を小脇に抱えたスーツ姿のまま、壮介はその塀の上に一息で駆け上がった。

 そのトラックを、見下ろす。
 持ち主の姿は見当たらない。

 アパートの中に入っているのだろうか。どっちにしろ塀に登ってる所など見られたくは無いので好都合だ。玄関に向かって塀の上をさっさと歩き出す。
 派手派手しいそのトラックの後部扉は開けっ放しになっている。
 塀を行く途中、見るつもりは無かったが中部が見えた。物は、もう運び込んだ後なのか、ほとんど入っていなかった。
 しかしそんな事にさしたる感慨などは無い。近隣住民に見つかる前にさっさと帰るだけだ。

 そしてさらに一歩踏み出そうとした、その時だった。

「――――――――」

 声がした。
 引っ越してきた人だろうか、アパートのエントランス部分からこちらへ向かう足音と共に話声がする。
 足音は一人分。察するところ、独り言で無い限りは携帯電話を使用中のようだ。
 道路はトラックの車体で塞がれているので、塀から降りようにも隙間が無い。残りの距離を一気に駆け抜けるか、もしくは気配を消しつつその場でやり過ごすか。
 逡巡する。
 だが、その思索も一瞬だった。壮介が動く前、思いのほか早々とエントランス部分から男が一人姿を現したのだ。
 トラックに歩み寄ったその男は、耳に馴染みの無い言葉を使っている。ふいに耳に入ってきたその言語に、壮介は思わず動くのを止めてその場に立ち尽くす。

「―――因只是我、因持着也不使用、个以上家具不需要」
(僕だけなんだし、家具はこれ以上要らないよ)

 その響きは歌うかのように流麗で、どうやら日本語でも英語でも無いらしい。少し聞き耳を立て、響きからして中国語――それも多分大陸で使う方――のようだと見当をつける。仕事の関係上、最近は華僑系との小競り合いも多い。多少なら意味も分かる。
 ファミリー向けの広い物件に男一人家具無しで入るのもおかしな話だなと心中で呟くが、それ以上の感慨は持たない。現代の一般社会に於いて、身近に外国人が居るという事は別に珍しくも何とも無い事だ。早く行ってくれと、その男の頭上に近い位置で気配を消しながら壮介は待つ。
 男はトラック後部のドアに手をかけてそのまま話を続けている。気配を絶ち、微動だにせずに過ごす壮介に気が付いてる様子は無い。
 無論、気が付かせるつもりも毛頭無かったが。

 そして、それからほんの一二分。
 男は話を切り上げて携帯をポケットにしまいこんだ。ようやく降りられると壮介も内心胸を撫で下ろす。
 会話が終わるまでついその場で佇んでいたが、これならば別に身動きしても問題なかったかもしれない。別にさっさと立ち去っていた所で、一般人が忍としての訓練を充分に受けている壮介の動きに気づく筈も無いのだ。
 依然気配を絶ちながら、壮介は男を見やる。

 若い男だ。
 夜の闇の中に溶け込む黒髪、黒い瞳。細身の身体がしっかりとした軸を持って立っている。
 この若さなら留学生か何かか。それとも――

「――さて」
 突如その男が振り返った。
 未だ塀上の壮介をしっかり見上げて視線を交わし……そしてゆっくりと、笑う。
「お待たせしました。さあどうぞ」

 その酷薄な笑みで、壮介の存在になど最初から気が付いていたのだと、知れた。
 発した言葉は綺麗な発音の流暢な日本語。微笑んだ表情は柔らかい。
 柔らかいのだが。
 
 ……目は、決して笑っていない。


 夜空を雲が往く。両者は地上と空間で向き合ったまま、動かない。
 男が笑んだまま踵を返して建物の中に立ち去るまで、壮介は男を睨んでいた。




 ――余談だが、自分以外の家族全員がこの正体不明の自称忍者と仲良くなっている事実を、彼は現在も知らない。



 
―― 次章に続く ――

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