ハットリズム5 〜風雲ハロウィン編〜 (2)


 今年のハロウィン当日は日曜日だ。
 父さんは急な仕事が入ったとかで朝起きたらもういなかったけれど、母さんはしっかり昨日の約束を覚えていてくれていた。
「せっかくだからカボチャシリーズで攻めてみてるの」
 カボチャのパイにカボチャプディング、あと、名前はよくわかんないけどお皿に入れて焼いたヤツとかクッキーとか、台所はカボチャのお菓子と甘い匂いでいっぱいだ。
「母さんすごいねー! はりきったね」
「だってお父さんやおじいちゃんに負けてらんないでしょ。そうそう、いっぱい作ったから中村くんとか東さんにも持ってってあげてね」
 その傍らで、愛がかわいい袋にクッキーを詰めていた。誰かにあげるの? と聞いたけど、顔を真っ赤にして首を振るだけで教えてくれない。
「愛ちゃんね、好きな子にあげるみたいよ」
 横から母さんがこっそり教えてくれた。……なんか、兄としては少しフクザツな気分がする。

 ――と、その時。
 突然玄関のインターホンが鳴った。……連打で。

「えっやだ何? こわれちゃった?」
 母さんが心配そうな顔つきでつぶやいたけど、ピコピコピコピコ落ち着きなく繰り返されるそれにぼくは思いっきり心当たりがある。

 あいつが、来た。

「鳴らしすぎだバカ村ぁ――!!」
「よっハットリ、オマエ朝から元気だな!」
「お前が言うなお前が――!!」
 玄関の引き戸がぶっ壊れるんじゃないかというくらいズパーンと開けて同時にぼくは叫んだが、バカ村は一向に動じない。それよりも、とせわしなくジタバタして庭を指差す。
「なーなーなー所でアレすげくねえ? もうお前んち、さすが忍者なだけあるぜ! 夏美んちで見たジャックはおっちゃんが不器用だからちょっとしょぼかったけど、ハットリんちのジャックは本格的だな! 感動した!」
「総理かお前は。て言うかジャックって誰だよ」
 アレアレと中村が指差す先には、昨日じいちゃんたちが作ってくれたでっかいカボチャのちょうちんが、庭先の軒下でブラブラと存在をアピールしていた。
 そんな中村の話によると、どうやらカボチャのちょうちんのことを外国じゃあ『ジャック』と言うらしい。何でジャックなのかは中村もよく知らないらしいけど。

「ウチの母ちゃんがさー、この時期になるとジャックが憎いジャックが憎いってブツブツ言いながら仕事行くようになるんだ。会社で毎日イヤになるほどジャックを作らされるらしくてよ」
「お前のおばさん、何してる人なんだっけ? えーとパティ……?」
「パティシエール! えーとな、お菓子職人?」
「なんでお前が疑問形なんだよ」
 ぼくも最近東に教えられて知ったことだけど、中村のおばさんは結構有名なレストランでお菓子を作っているらしい。シンシンキエイの女性パティシエ、だなんて言って、雑誌に載ったこともあるそうだ。
「――で? そんで何の用だよこんな日曜の午前中から」
「おうそうそう、そのパティシエールからコレ、ハットリんちにって。いつもオレが超迷惑かけてるだろうからってー」
 そう言って中村が自転車の前ハンドルに引っ掛けた紙袋を持ってくる。
「あのな、本場のハロウィンじゃーリンゴのお菓子を作るもんなんだってよ。だからコレ、よかったらみんなで食ってくれ」
 紙袋の中にはおばさんがつとめてるお店のものっぽいケーキ箱(特大)が入ってて、開けてみたらその中にはぎっしりとアップルパイが入っていた。それもお店にそのまま並んでいてもおかしくないような、すごくキレイな作りのものばかり。思わずぼくが歓声をあげると、その声を聞いて母さんも台所から顔を出した。
「わーステキ、本格的だね。コレ全部中村くんのお母さんが作ったの?」
「そう! 秋から店に出す新作がよーやっと完成したーつって、試食とハロウィンとを兼ねてーつって」
 と、突然中村の表情が曇った。
「………そう、ここんところ毎日、オレんちはこんな、リンゴ系ばっかで……」
「中村、しっかりしろ。どこ見てんだよ、目がなんかうつろだぞ?」
「新作開発にそうとう苦労したみたいで、家の台所は試作品の山であふれかえってて……母ちゃん、栄養は給食で取れとかとうとう言い出して……オレ、もうここんところずっとリンゴで……!」
 いつもバカみたいに明るい中村の声が震えている。
「もうリンゴはやだっつったら、息子なら親の仕事に協力しろって言って母ちゃんがキレて、全部食うまでコレは返さないとか言ってオレの秘蔵の忍者大全集DVD全8巻を人質に……!」
「も、もういい分かった、よくがんばったな、中村」
「ハットリ……!」
 中村の目が潤んでいる。――正直、ぼくもなんかもう泣きたい。何なんだよ忍者大全集DVD全8巻が人質って。どんな家庭だ中村家。

「じゃ、中村くんのおかあさんの会心作、ウチで全部しっかり責任持って食べさせてもらうから。中村くんはなんか違うもの食べようね。お昼、何がいい?」
「おばさん、オレ……米が食いたいです……!」
「中村……お前の食生活はそんな最低ラインから始まるんだな……」
 熱血パティシエールを母に(そしてまだ見ぬ忍者を父に)持った中村がさすがに哀れに思えてきて、ぼくもしみじみしたその時だった。
 玄関脇から明るい声がした。

「あっやっぱり中村くんだ。声がしてたからそうかなーとは思ってたんだけど」

 ひょっこりとお隣のハンゾウさんが顔を出した。ジーンズ姿にサンダルをひっかけたラフな格好でニコニコと笑い、おはようございますと挨拶しながらぼくたちの所へやってくる。
「あら半蔵くん、おはようございま」
「うおおおおオレのオアシス――!!!」
 ウチの母さんが挨拶し終わらないうちに中村がハンゾウさんに飛びついた。
 思いっきり驚いて一歩後ずさったハンゾウさんに何一つ構うことなく、中村はその胸板にくっついて背に腕を回し、頭をぐりぐりとこすり付けている。……犬のようだ。
「ハンゾウ兄ちゃん会いたかったー! 忍者――!!」
「えっ何?! 何、どうかしたの? なんかあったの?!」
「うわーハンゾウ兄ちゃん、オレもう生の忍者じゃないと癒しきれないリミットギリギリのところまでイッちまったよ兄ちゃ――ん!」
「いやすみませんハンゾウさん、すっごく申し訳ないんですけど、ちょっとだけ中村の言うことを聞いてやってください……」
 何が起きたのか全然理解できないといった風のハンゾウさんにフォローを入れて、ぼくは頭を下げた。

「て、何でぼくが謝んなきゃいけないんだよ!」
「まあまあ、細かい事は気にしない気にしない。あっそうだ、半蔵くんもよかったらお茶していかない? 今アップルパイをたくさん頂いたし、ウチで作ったカボチャ系お菓子もたくさんあるのよー」
「えっ? あっ? じゃあ、あの、いただき……ます……」
 冗談抜きでワケが分からなさそうなハンゾウさんと、ハンゾウさんにガッチリくっついた中村とを残し、じゃあ早速と母さんが台所へ入っていった。
 それを見送って、おいバカ村、いい加減はなれろよ、ハンゾウさん迷惑してるだろ、と言いながらぼくは二人に振り返る。


 ――迷惑そうでは、なかった。

 ギャーギャーとわめきながら抱きついてくる中村を、ハンゾウさんはいつもより穏やかな、でもどこか遠い眼差しでじっと見つめている。
 中村の頭を小さい子にするみたいにゆっくりなでて、両腕でそっと抱きかかえて、目を細めて何かを少しつぶやいた。
 唇が、小さく動く。

「――……」

 それは、ひょっとしたらハンゾウさんにくっついてた中村にさえ聞き取れないほど、小さな言葉だったのかもしれない。
 意味の無いような、口がただ動いただけのような、そんな言葉だったのかもしれない。
 でも離れていたぼくには唇の動きが見えた。
 だからだろうか、かすかな声さえも、聞こえた気がした。

 シャオ。

 ……そうつぶやいたハンゾウさんは、中村ではなく、どこか違うところを優しく見ていた。



「あっ、ハンゾウお兄さん……! お、おはようございますっ」
 と、そこへ妹の愛がこれまたひょっこりやってきた。
 玄関先で何故か中村を抱きかかえているハンゾウさんにびっくりしたみたいだけど、ちょこちょこっと走り寄ってきてぺこりと頭を下げる。
「愛ちゃんおはよう。自転車、上手く乗れるようになった?」
「うん、こないだも一緒にてつだってもらったから……!」
 そう言いながらも愛は、ぼくの背中に張り付いてその陰から会話している。
「愛、自転車の練習、ハンゾウさんに手伝ってもらってたの?」
「うん、あのね、実はそうなの」
 照れくさそうに微笑んでぼくの背中に張り付く愛に、ぼくはなんだかイヤな予感がした。
「………愛?」
「あ、あのねハンゾウお兄さん!」
 そしておもむろにぼくの背中から離れると、未だ中村を抱えたままのハンゾウさんに向かって小さな袋を差し出した。
 それは、さっき見たあのかわいい袋。
 クッキーを詰めて、好きな子にあげると言っていた、アレだ。

「これ! よかったら食べてください!」
「あ、愛っ?! まさかお前!」
「くれるの? わーありがとー」
「愛っ!?」

 驚愕の事実発覚に、ぼくは開いた口が塞がらない。
 そりゃハンゾウさんは優しくていい人だけど、それでもだってこの人は!

「おっ、さすがハットリの妹。忍者に惚れるたぁー男を見る目があるなオイ!」
「やだあ中村くんてば、そんなこといわないでよもー!」
「あっはっはっは、愛ちゃんありがとう。コレ、後でちゃんと食べるね」


 “自称”忍者……!


「お茶ー、入りましたよー。みなさん中にどうぞー」
 のんびりとした母さんの呼び声が響き、和気あいあいなほのぼのした空気が流れる中、ぼくだけが口をパクパクさせていた。
「中村くん、おにぎりの具は何がスキ?」
「えっとねー梅ー!」
「はいオッケー、ちょっと待っててね。半蔵くんはお菓子をどうぞー。あ、甘いもの大丈夫?」
「大好きです。じゃあすみません、遠慮なくごちそうになります」
「あっハイハイ! 愛がお茶いれたげるー!」
「おっ、なんだなんだ? 今日は朝から千客万来だな……祭りでもあんのか?」
「うあー! ハットリじいちゃんだ――!!」
「もーなあに、今頃起きてきて。今日はハロウィンだって言ってたの、お父さんでしょー」



 ハロウィン。
 トリックオアトリート、お菓子くれなきゃ悪戯するぞ。いいから早く何かよこせオラァ。



 ――ぼくのうちには、オバケじゃなくて忍者が来た。



 
―― 次章に続く ――


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