ハットリズム 2-(2)


 「――ただいま」
 玄関から落ち着いた声が響く。
 
「あっ、お父さんだ……」 
「何? なんだ、もう帰ってきたのか、早いな」
 デコトラ忍者にあっけに取られて二の句が出ないぼくをヨソに、じいちゃんはさっさと台所を離れて隣接したリビングのテレビの前に避難し、愛は黙って食事を再開しはじめた。
 そうか父さんが帰ってきたから母さんは席を立ったのか、と思う間もなく、台所ののれんがさらりと上がって父さんが顔を出した。

「……今帰った」
 誰に言うとでもなくつぶやいて、持っていたカバンをテーブル脇の床にドサリと落とす。
 父さんが大きく息を吐き、ネクタイを緩めて、かけていたメガネを外してテーブルに置いた。母さんはそそくさと父さん用の食事の準備に取り掛かる。
 ……ここん所いつもだけど、なんだか父さんは機嫌が悪そうだ。
「…………」
 そう思ったのはぼくだけじゃないみたいで、さっきまでにぎやかだった台所は急に静かになってしまった。
 じいちゃんが付けたテレビの音だけが空間に響く。タレントの声が空々しい。
 とりあえず自分の部屋にでも逃げようかと思ったけれど、足を一歩動かしたら父さんが口を開いた。
「翔太」
 名前を呼ばれる。
「まだ食事の途中だろう。どこへ行く気だ」
「……もういらないから」
「バカを言うな。まだ少し残ってる。全部食べなさい」
 まだまだ食べきらない愛が、目で『自分だけ逃げるなんてずるい』と訴えていたけど、それでもぼくは続ける。
「もう、お腹いっぱいだし……」
 父さんとまっすぐ目を合わせられなくて、自然と上目遣いになってしまう。
 じいちゃんはそんなぼくたちに知らんぷりをしてテレビを見ている。

 ――ふうっと大きく、父さんが息を吐いた。
 目がすごく険しい。
 眉根を寄せて、それを指先でほぐすような素振りをして、ネクタイをもう一度緩めて、さっきまでじいちゃんが座っていた席にどかりと腰を下ろした。
「翔太」
 再度、名前を呼ばれる。


「父さんのお膝に乗りなさい」


「やだよ! 父さんまたソレ言う!」
「うるさい。ご近所に聞こえるからシッ。ご飯終わったんならいいだろう、早くここに来なさい」
 父さんが早く早くとペシペシ自分の膝をたたいてぼくを呼ぶ。
「やだったら! ぼくもう小さい子じゃないんだよ! 愛を乗っければいいだろ!」
「愛もだ。でもまだ食べてるから先に翔太来い。いーから早く来い」
「やだよ恥ずかしい!」
「んもー何ふたりとも騒いでるの? ご飯食べるところであんまりうるさくしちゃ駄目っていつも言ってるでしょ」
 母さんが父さん用の食事を持ってやって来た。
「母さん、翔太が父さんの唯一の楽しみを拒否してくる」
「翔ちゃんってば、それくらいしたげなさいよ。お父さん今お仕事すっごく大変みたいで疲れてるんだから」
「疲れてるのに膝に乗せるっておかしいよ! 余計疲れるじゃん! て言うか何ソレなんで父さんだけおかずが多いの?!」
「それはお父さんだからに決まってるでしょ」
「よし翔太分かった、コレやるから早く来い」
 父さんがさらに膝を叩いてぼくを誘う。目が真剣なのが怖い。
 じいちゃんはニヤニヤしながら面白そうにこっちを見ている。
 愛は、同じ要求を恥ずかしいからイヤと最初は頑なに拒んでいたが、結局は嬉しそうに既に父さんの膝に乗っかっている。

 ……敗北だ。

 ぼくも、しぶしぶながらも父さんの膝に乗った。
 愛は右でぼくは左。いつもの定位置だ。


「……癒しだ……」
 ぼくと愛とをぎゅーっと抱えながら父さんがつぶやいた。報酬の父さん用おかず(酢だこ)を二人してつまみながら、ぼくと愛はされるがままになっている。
「父さん、ぼくもう4年生だよ、やだよもう」
「愛は2年生〜」
「バカを言うんじゃない、いくつになっても子供は子供だ。父さんはな、お前らをいつまでも抱っこするぞ。風呂にも入るぞ。いいからホラもっと食べなさい」
 愛の口にご飯を運びながら父さんが言う。機嫌はどうやら回復したようで、表情はちょっと精彩がなかったけど、口調は帰って来たときよりも明るくなっていた。

「お父さん、お母さんとおじいちゃんは抱っこしたげないの?」
 愛が問う。
「母さんは重いからダメだ。お義父さん……おじいちゃんは、抱っこしようとすると年寄り扱いするなって言って逃げるからな」
「おう壮介、気が済んだらこっち来い。お前たまにはじじいと酒飲んでテレビでも見ろ。働きすぎだ」
 会話の内容が聞こえたのか聞こえてないのか、じいちゃんが父さんを呼ぶ。
 母さんがもーどうしてそんな事言うのーとか何とか笑顔で言いながらビールを運んでくる。
 じいちゃんに軽く手を上げて応えた父さんは、帰宅直後のしかめっ面はどこへやら、もうデレデレの表情だ。

 この後にぜったい、一緒にお風呂入るぞって言うなと思って、ぼくはこっそりため息をついた。



「そう言えばお隣、ヘンなトラックが停まってたな。何だアレは」
 父さんがビールに口を付けながらつぶやいた。
「トラックの柄もさる事ながら、あんな狭い道にトラック停める奴の気が知れん。父さんはアレのせいで道通れなくって遠回りをする羽目になったぞ! て言うか何なんだあのケンカ売ってるような柄は」
「でもね、あれに乗ってたお兄さんはすごーくいい人だっておじいちゃんが言ってたよ」
「お義父さんッ! 最近の若者はいつ何が原因でキレるか分かんないんだから無闇に近づかないようにッ!」
 大声出して父さんがじいちゃんに叫ぶ。じいちゃんはテレビに夢中で返事が無い。
 代わりにぼくが口を開く。
「でも父さん、その人にぼくも今日会ったんだけど、ホントにすごくいい人っぽかったよ。……乗ってるトラックはおかしいけど」
 その言葉に父さんが渋そうな顔をした。
「……一言二言会話しただけだけど、それっぽい人にはさっき父さんも会った。でもな翔太、いくらいい人でもこんな時間に引越しやってるっておかしいだろう。そこが既にヘンな人だ。あんまりお近づきにならないようにしなさい。愛は女の子だから特にだ」

 疲れてるのに遠回りさせられたのがよっぽど悔しかったのか、それともデコトラ忍者が仕事帰りのささくれ立った神経に触ったのか、父さんはやたらプンスカしている。
 遅い時間に引越し作業やってるのは昼間に迷子になってたからだよと言っても、聞く耳持たないカンジだ。

「それにな」
 父さんが続ける。
「お隣はファミリー向け物件のはずなのに、男が一人で入居なんて不思議な話だ。家族があとで来るならともかく、それにしては荷物が少ない。トラックの中が見えたがほとんど空っぽで、引越しなのに大型家具がひとつも無かった。……他にも腑に落ちないことが多すぎる。あとトラックが変すぎ。昔セーラー○ーンのデコトラを目撃した事があったが、アレと同じくらいちょっとどうかと思う」
 そこまで言ってビールをあおった。
 セー○ームーンのは、確かにあれはすごいインパクトだった。本体横はセーラ○ムーンとマーズなのに、運転席横のドアガラスには何故かき○ぎょ注意報のわぴこが描かれていたのも、妙なインパクトを増強していた。(※実話。作者談)

「……まあ、世の中いろいろ事情がある人もいるだろうけどな。でもとにかくお父さんの野生のカンがダメって言ってるから、あんまりお知り合いにはならないように。分かったら挙手」
「きょしゅってなに?」
「ハーイてする事。服部愛さん、お返事は?」
「はーい」
「おい愛、お前は本当に可愛いなあ!」
「……父さん、ソレぼくだから」
 ビールがいい感じに回ってきた父さんは、愛を可愛いと口では言っているくせに、ぼくに頬擦りしてきている。
 分かってボケてる(多分)とは思うんだけど、礼儀だと思ってぼくは一応突っ込んでおいた。
 ……よく考えたら、この家にはぼくしかツッコミ役がいない。それってちょっとどうなんだろう。


(お近づきにならないように、か……)
 父さんにいいように弄られる中、ぼくは窓の外に視線を向ける。
 そこには、さっきと変わらないデコトラ忍者。真っ暗な中にもド派手に目立つ、中村好みの模様のトラック。
 昼間のお兄さんらしい人影がケータイ電話片手にちょこちょこ動いているのも少し見えた。
(何だかんだいっても父さんのカンは当たるからなあ)
 宝くじは一回も当てたことが無いのに競馬はミョーに得意なウチの父さん。(パドックで総てが決まるとか何とか本人は言っていたけど、壮介のアレは結局カンでしかないぞあんなのを予想とは到底言えんわ!とじいちゃんに断言されている)
 結局、何でそんなにお兄さんを嫌がるのか理由はいまいちピンと来ないけれど、わかんないうちは父さんのカンに従ってみてもいいかもしれない。

 父さんの膝の上で愛と一緒に羽交い絞めにされながら、ぼくはぼんやりそう思ったりした。


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