サンジェゴ、メキシコ、ティファナ。
{ 写真はすべて私が撮影したプライベート写真です } 河野 善福
9月24日(水)
8時50分パスポートを持って集合。メキシコに向かう。カリフォルニアはスペイン人が発見した所、ザビエルがキリスト教を
布教したころで、メキシコ人が北に行けば何かあるだろうと北上してきた。 インデアン(今はネイテブアメリカンと言わない
と差別用語となる)が住んでいた所で今もインデアンが多く住んでおり、彼らのために10ケ所だけ政府公認のインデアンの
経営するカジノがあるという。昔迫害してきた謝罪ということで特別に認めているのだそうな。町の名前も殆どがスペイン語
である。
カリフォルニア州はイギリスやフランス1国の経済と同じ規模の経済活動圏で、その内、南半分が3分の2を稼いでいる。
人口3000万人の内、ロスに1.000万人、オレンジカウンティ(郡)のアナハイムに500万人住んでいる。日本と米国の経済
の窓口がカリフオルニアで、日本車の大半がここに陸揚げされている。 米国西海岸では車の3台に1台は日本車である。
日本車はトラブルが少ない。中古でも高く売れると評判がいい。セルシオ(トヨタ)、インフエニティ(日産)はベンツを越えて評
価されており600万円くらいする。
米国は完全な車社会で、昨年交通機関のストが3ヶ月もあったが、一般の交通機関には5%の人が乗るだけなので問題
にならなかった。 車の購入時には保険への加入が義務付けられているが、月に100ドルもするので3分の1は1ヶ月で解
約し、自分の車は自費で直している。このあたりの車のNoプレートは INDIANA Californir COLORADO IDAHO が多
かった。
アナハイムはもともと砂漠の町でまだ100年くらいの新しい町、ANAHEIMEDISON FELDは野球場とフットボールの兼用
球場として作った物で、収容人員49.000人。 車の駐車場が20.000台分ある。現在は地元のフットボールチームはなくなっ
たので、地域の人は野球の熱烈なフアンになっている。
1955年ここにデイズニーランドが出来たことと、その年に高速道路が完成してからこの町は大きく発展した。
米国では一口に警察官といっても所属がいろいろで、ハイウエー・パトロールは州警察。 シェリフは市警察。ポリスは町
警察、他にも郵便局警察や学校警察官が居る。 ガードマンにもピストルを持たせている所もある。
米国の最低賃金は$5.75であるが、カリフォルニアは$6.75である。 消費税は州が5%、残りは町がとる。
途中の農場で畑の中にテントを張り集団で働くメキシコ人たちが見えた。彼等の多くが密入国者で安い賃金で働いている。
安いと言ってもメキシコの賃金と比べると高額収入になる。密入国で働いていることは判っているのだけど、これを取り締ま
ると労働原価が上がって農作物の値段が上がる。取締りを緩めると農作物の値段が下がるのだという。 車中から一面にト
マト畑が見える。アメリカの食文化に欠かせないケチャップの原料である。
道の両側にインダストリアルパーク(工業団地)が続く、この辺りは地下水が豊富だったが最近はコロラド山脈とヨセミテ渓
谷から水を取っている。 電力は殆どを火力発電に頼っている。
このあたりにはもともとは日本人の移民が開拓して住んでいた不便な場所が開けたと言うところが多いのであるが、高級
地になったところもあり、今では預金を5万ドル持っていないと住めない地区もここらにはある。
ガソリンは1ガロン(3、8リットル)が2ドル。 ガソリン税は1リットル10円。 この辺りは乾燥地帯なので車がサビない。
車検も要らない。 30〜40年は乗れる。
サン・クレメンテという海岸の美しい町を通った。ここにはサンセットビーチ(ヌーデストクラブ)があったし、ニクソン元大統領
の別荘があった。 この南側一体が沖縄に居る海兵隊の基地で、ここで訓練を行っている。 カリフォルニア州内に原子力発
電所は2箇所しかなく、その一つがここで動いている。
トレーラーパークがあった。 移動の多い職業の人が主に使うらしく、大型のトレーラーを乗り付けられる長い1個建ちの家
が沢山集まっていた。
ゴミを今は燃やせない。 指定地に埋めて跡地を公園やゴルフ場にする。
カリフォルニア米はキロ50円位、すし屋さんなどの使う高級米はキロ100円する。20ポンド(9キロ入り)袋で販売している。
一袋8ドル位。
カリフォルニアの南部はワイヤレスバレーと呼ばれている。 日本と提携して、携帯電話を作っている企業によって発展して
いる町だと言っていた。
アナハイムから約160キロ南下して、美しい港町 San Diegoに立ち寄る。 サンディゴは軍港で軍の訓練場がいっぱいあ
る人口100万都市。 港がとても美しく、緯度が大分県と同じところで気候は良い。 ヨットのアメリカンズカップの会場となる
港だと言っていた。
町外れにあるUCサンジェゴは、100万坪のキャンバスをもつ大学で、卒業生の内ノーベル賞を貰った人が10人いることが
自慢の大学なんだそうな。
San Clemente Cynの看板が見えた。
ホートンプラザのオープンスカイモール
Clairemont Sandiego に12時10分着。「ホートンプラザ」で1時間ほど買い物をした。このショッピングモールは「モール空
間の神様」と言われるジョン・ジャーディさんの設計になるもので、日本では小倉の「リバーウォーク北九州」。川崎の「ラチッ
タデッラ」。大阪の「なんばパークス」。東京の「カレッタ汐留」。「六本木ヒルズ」。ラスベガスの「フリーモント・ストリート・エク
スぺリエンス」などを設計した人だそうな。 建物のすき間や継ぎ目とか坂道を遊歩道に仕立ててあり、周回しながら通り抜
けると意識しないうちに半屋外から屋内に変わり、ビルの店舗なのに何処を歩いても外気を感じるモールになっている(オ
ープンスカイ)。雨が少ないこの地方に一番合っている建築法なのだろうけど、日本人にも歓迎されている建築法らしい。
その後で直ぐ近くのSeaport Villageを訪問。 海の見える公園の中に人形店、ステンドグラス店、土産物店など小さい一戸
建ての店舗が点在していた。 その近くの海の見えるレストランで遅い昼食にハンバーグを食べた。
サンジェゴの街の中
サンジェゴの軍港の近く
Seaport Village の入り口 Seaport Village のレストランで昼食
軍港の入り口にある橋は軍艦が下を通れるように高さを70mもとっている橋で、この橋を通って海岸線を30分位走ってメ
キシコとの国境についた。
アメリカからの出国とメキシコへの入国は1日以内なら手続きがいらない。係官の居ないゲートをくぐり、歩いて入国すると
そこには別世界が待っていた。 おもちゃのようなガラクタを道路まであふれる位並べたり、軒下にぶら下げた土産物店が軒
を連ね、舗装のされていない道路が赤茶けた地面を剥き出しの、ホコリッポイ街に30〜40年前の物と思われる古いバスが
我々を待っていた。
米国に行けばメキシコ人も1日20ドル稼げるが、メキシコでは2ドル位なので米国に密出国をする。彼等を安い労賃で使い
カリフォルニアの農業は成り立っている。 したがって密入国を厳しく取り締まると農産物が高くなる。
この町では車の板金やイスの張替えは待っている間にやってくれるという。
メキシコへの国境のゲート(係官は誰もいない) 米国とメキシコの国境のプレート
アメ横のような路地のある土産物売り場 ティワナの街角
ティワナのみやげ物店で 国境の車の検問所(ゲート)
バスで15分位行った所が観光客を相手の、浅草の仲見世のような町でティワナといった。街は路地に入ると上野のアメ
横のような混沌とした土産物屋が軒を連ねる通りで、通路もいっぱいに土産物の屋台が置いてあった。 売り物は装身具と
衣類、木製品、銀製品が主でいずれも粗悪品ばかり。 通路にいる男達が我々を見ると「田中さん・中曽根さん・お友達・・」
などと声をかけていた。
ここティワナはサンディゴを基地とする兵隊さんが遊びに行く街として発展し、今では安物を売っている観光の街となってい
る。
4時ころ帰途に着いた。 メキシコに入る時と違って、メキシコからの出国と米国への入国は厳しく検査されていた。
2時間チョットでANAHEIMのシェラトンホテルに帰り、荷物を置いて直ぐ夕食のため集合した。
午後7時30分ホテルを出発。
アナハイムの町の夜景が見える丘の上のレストラン「オレンジ ヒルズ」で夕食を取った。
( 自分たちのグループが食べ私が撮影した当日の料理です )
レストラン「オレンジ ヒルズ」での夕食料理
レストラン「オレンジ ヒルズ」での夕食
25日、サンタモニカ、ロスアンゼルス。 へリンク
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