東方ビザンチン美術紀行 (2) |
ギリシャ (中央部・北部) のビザンチン教会 |
ギリシャ北部の地方区分(中心都市) 1 Thraki (Alexandropolis) 2 Makedonia (Thessaloniki) 3 Thessalia (Larissa) 4 Ipiros (Ioanina) 5 中央ギリシャ (Athina) |
オリエント的な美意識が深く反映されたキリ スト教芸術、とも言えるビザンチン美術は、5 ~6世紀にはギリシャにおいても第一期の黄金 時代を迎えた。 ユスティニアーヌス帝の世紀と呼ばれ、テッ サロニキやフィリピに微かな痕跡が残されてい る。 以後16世紀に至るまでに構築された、各地 の主要なビザンチン教会を巡る旅に出発したい と思う。 |
メテオラの僧院 Monastíri Varlaám Metéora / Thessalia |
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アテネ/小ミトロポリス教会 Athína/Mikrí Mitrópoli |
5 中央ギリシャ/アッティカ県 (Attiki) |
アクロポリスの東北、アテネの旧市街にある ミトロポリス広場に面して、ギリシャ正教のミ トロポリス大聖堂が堂々と建っている。 大聖堂は19世紀の建築だが、その隣に建つ この小さな教会は12世紀に建てられた美しい ビザンチン建築である。 聖堂のプランはギリシャ十字形で、交差部に 鐘塔の円蓋を設ける様式は当時のビザンチン聖 堂の基本形であったようだ。 写真は西側正面のファサードのもので、西日 が強かったために重要なレリーフがはっきりと 写っていないのが残念である。 外壁のレリーフは、どこにあったものかは不 明だが、古い浅彫彫刻を再利用して嵌め込んだ ものである。 扉口上のまぐさ石には、十字架を挟んで向か い合う二頭のライオン、右側中央のレリーフに は、葡萄を食べるグリフィン(有翼の獅子)や 蛇を食べる孔雀(何を表すのだろうか)などが 描かれている。 ガイドブックには9世紀頃の彫刻、と記され ているのがこれらのレリーフなのだろう。 その他聖堂の四方の壁面に、様々な幾何学模 様や動植物を彫ったレリーフが見られた。 三方の扉口は全て閉じていて、聖堂の内部に は入れなかった。 |
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アテネ/カプニカレア教会 Athína/Kapnikaréa |
5 中央ギリシャ/アッティカ県 (Attiki) |
ミトロポリス広場の北側、シンタグマ広場へ と通じるエルム Ermou 通りの中程、通りに 接するようにしてこの教会が残されている。 珍しいのは、写真で見るように、平面がギリ シャ十字の二つの教会が結ばれて一体化してい ることだろう。 写真は裏手の後陣を写したもので、右側後陣 が11世紀、左側が13世紀の建築であるとい う。左後陣の三つの小礼拝堂の窓が魅力的で、 奥の右後陣の素朴な窓も捨てがたい。良く見る と小さな柱頭にアカンサス葉が彫られていた。 ロマネスクを見慣れた目には、影響を与えた のか受けたのか、いずれにせよロマネスクやア ラブやオリエントなど様々な影響の見てとれる このビザンチンの魅力は格別である。 |
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アテネ/聖アポストリ教会 Athína/Ágii Apóstoli |
5 中央ギリシャ/アッティカ県 (Attiki) |
パルテノンより古いとされるテーセイオン神 殿の丘の東側は、かつては政府庁舎や神殿、商 店やストア(柱廊)の並ぶ Arhéa Agorá アゴ ラと呼ばれるアテネの中心地であった。 現在は全くの廃墟となってはいるが、そこに 10世紀末に建てられたこのビザンチン教会が 残されている。 写真の後方は、アクロポリスの丘である。 ギリシャ十字の聖堂はかなり修復の手が入っ てはいるのだが、構造的には当初の面影や雰囲 気を保持しているように感じられる。 円蓋のキリスト像や、ドーム周辺の聖人像な どのフレスコ画は後世の作品にせよ、いかにも ビザンチンらしい空間を創出していて魅力的だ った。 |
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アテネ/ケサリアニ修道院 Athína/Monastíri Kessarianí |
5 中央ギリシャ/アッティカ県 (Attiki) |
アテネの中心街から離れ、車で東へ10キロ 走ると、そこはもう松や糸杉が深く生い茂るイ ミトス山である。 この山へと登って行く道を3キロ程登ると、 アテネとは思えぬほどの静寂に囲まれたこの修 道院が見えてくる。 修道院の創建は11世紀と伝えられ、当時は 学問や知性の中心的な存在となっていた。 写真は、カトリコンと呼ばれる修道院付属教 会の正面からのもので、平面プランはギリシャ 十字形であり、十字の交差部分に八角の鐘塔が 建っている。 交差部分には太い四本の柱が組まれ、井桁状 の素朴な構造となっている。 祭室の円天井は聖母子像、鐘塔の円蓋はキリ スト像や聖人像など、美しいフレスコ画で飾ら れているのだが、全て18世紀に描かれたもの だそうだ。しかし、なかなかの古式であること に驚かされたが、イコン画などの伝統的な図像 が受け継がれたものなのだろう。 玄関間の鐘塔や、右側の鐘楼などは17世紀 に後補された建築である。 |
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アテネ/アステリオス修道院 Athína/Monastíri Astériou |
5 中央ギリシャ/アッティカ県 (Attiki) |
前述のケサリアニ修道院から、松林の中を抜 けて更にイミトス山頂へと向けて車で登って行 く。3キロほどでこの修道院の横に出たが、残 念なことに門扉が閉ざされており、内部へ入る ことが出来なかった。 仕方なく塀の周囲を横手に回り込むと、岩の 上から中を覗ける場所を発見した。 写真はそこから撮影したもので、11世紀の 建築らしい素朴なギリシャ十字の聖堂である。 手前が後陣であり、八角形の鐘塔はいかにも ビザンチンらしい様式である。 ロマネスクにも共通する建築的な美意識が感 じられ、次第にビザンチンに惹かれている自分 に、実は気が付いていたのである。 |
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ダフニオン/ダフニ修道院 Dafnion/Monastíri Dafní |
5 中央ギリシャ/アッティカ県 (Attiki) |
アテネから西方の Peloponnisos ペロポニ ソス半島へと通じる、アテネ~コリントス道路 に面して5世紀に起源を持つこの修道院が建っ ている。 11世紀にビザンチン聖堂として再建され、 13世紀には十字軍の支配となってフランスの シトー会修道院ともなった歴史がある。 残念なことに建築全体が修理中のため、近づ くことすら出来なかった。 写真は聖堂の東側から撮ったもので、巨大な クーポラがとても印象的だった。 糸杉の繁る中庭、13世紀に建造された二重 のナルテックス、そして内陣を飾る11世紀の モザイクは必見だっただけに、近い将来での再 訪を誓ったのだった。 |
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オシオス・ルカス/ オシオス・ルカス修道院 Óssios Loukás/ Monastíri Óssios Loukás |
5 中央ギリシャ/ヴィオティア県 (Viotia) |
テサロニキへと続くE75号線を Thiva テ ーヴェで降り、デルフィ Delfi 遺蹟に向かう 国道をしばらく走る。 オリーブの繁る丘が連なる山地を進み、ディ ストモン Distomon という村へと通じる山道 へと折れねばならない。 10世紀に隠修士聖ルカスによって建てられ た修道院で、ここでも13世紀にはシトー会に よって運営されるようになった。 聖堂は基本的にギリシャ十字形で、前面にナ ルテックス(玄関廊)を持ち、中央交差部に大 クーポラが設けられている。ナルテックスには 卓越した完成度を示す、見事なモザイクが飾ら れている。 写真は、上部は交差部の大クーポラで、その 向こうが後陣部の支壁内に設けられた小さな十 字形祭室である。ここにも見事なモザイクが施 されている。 後陣の半ドームには玉座の聖母子像、その手 前の小クーポラにはペンテコステ(聖霊降臨) の図がモザイクで描かれている。 この修道院教会の北側に隣接して、テオトコ ス Theotókos と呼ばれる聖母教会が建ってい る。 装飾の少ないシトー会の教会らしく、質素で 愛らしい建築である。 |
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テッサロニキ/ 聖イヨルイヨス教会 Thessaloníki/Rotonda |
2 マケドニア/テッサロニキ県 (Thessaloníki) |
町の中にはローマ皇帝ガレリウスの勝利を讃 えた凱旋門が建っているが、この円形の建築は 皇帝の霊廟として4世紀に建てられたものであ る。 5世紀になってから、コンスタンティヌス帝 やテオドシウス大帝の指示によって写真の後陣 が設けられたりし、内陣も宮廷付属教会として 改築されていったという。 建築の構造体はレンガ造りで、内部の梁は木 造である。 天井ドームのモザイクは創建当時のものと思 われるが、祭室を飾るフレスコ画は9世紀の作 品だそうだ。 この教会は世界遺産に指定された、この町屈 指の遺構なのである。 テッサロニキは聖パウロが旅の途中に立ち寄 って伝道を行い、多くの使徒書簡を捧げた場所 である。直接繋がりは無いものの、この町最古 の教会で聖パウロの業績に想いを馳せてみるの も悪くないだろう。 |
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テッサロニキ/ 聖ディミトリオス教会 Thessaloníki/Ágios Dimitríos |
2 マケドニア/テッサロニキ県 (Thessaloníki) |
二列の側廊を持つギリシャ最大の教会で、5 世紀の町の守護聖人ディミトリオスの殉教した 場所に建てられた7世紀のバシリカ聖堂にその 起源がある。 現在の建築は、火災で喪失した聖堂を20世 紀前期になって再建したものである。 地下聖堂に聖ディミトリオスの墓から流出し たとされる聖油伝説があるのだが、ここではさ らりと聞き流し、主祭壇入口の両側の石柱に飾 られたモザイクを見なければならない。 写真は左手の石柱に飾られたもので、二人の 子供に挟まれた聖ディミトリオスの像である。 7世紀の作品で、鮮やかな色が残った繊細で美 しい図像である。洗練された色使いとデッサン が、壁面を飾った往時の聖堂の見事さを象徴し ているようである。 右側の柱には、聖ディミトリオスがすっくと 立った像のモザイクがあり、これも7世紀とは 思えぬ程鮮烈な色を呈している。 事情があったため、テッサロニキでは2泊し か出来ず、フィリピの遺蹟にも行ったために十 分な時間が取れなかった。アトス山 Áthos も 含め、見なければならない教会がいっぱい残っ ているので、何とか早急に再訪したい場所の最 右翼となってしまった。 |
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フィリピの廃墟/ 石柱バジリカ聖堂 Fílipi/Direkler |
2 マケドニア/カヴァラ県 (Kavala) |
この遺蹟は、古代ローマの植民地として繁栄 し、聖パウロが福音伝道し幽閉された場所とし て知られる。聖パウロによって発せられた「フ ィリピの信徒への手紙」は「テサロニケの信徒 への手紙」と共に、新約聖書の重要な部分を占 めている。 ビザンチン時代の城壁を、ネアポリス門から 入り、戦車の轍が残る旧ヴィア・エグナティア 街道を歩く。左手に発掘中の初期キリスト教時 代のバジリカ遺蹟があり、その先のフォーラム (公共広場)の向こうに写真の柱とアーチが見 えてきた。 ディレクトールと呼ばれるもので、6世紀に 着工されたが未完成に終わったことから、現在 では「石柱バジリカ聖堂」と呼ばれている。 礎石からは三つの身廊を持つ壮大な規模の聖 堂であったことが想起されるのだが、現在は写 真に見える側面のアーケードとナルテックスの 仕切りだけが残されている。 身廊の横幅が目測で30mはありそうに見え る程で、その上部に屋根やクーポラを載せるこ とに失敗したことが未完の原因となったのでは ないか、と考えられる。 古代ローマ時代の石材が利用された円柱が特 に美しく、柱頭はアカンサス葉の精緻な彫刻で 飾られている。 身廊の中央に立って、完成された聖堂を想像 したのだが、膨大過ぎて絵にならなかった。 |
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カストリア/ パナイア・クベリディキ教会 Kastoriá/Panagía Koubelídiki |
2 マケドニア/カストリア県 (Kastoriá) |
カストリア湖 Límni Kastoriiá 畔に開けた この町は、50もの素晴らしいビザンチン教会 が密集していることで知られている。しかし、 日本ではほとんど語られることは無く、ツアー などが立ち寄ることもまず無いので、ここは未 知の町の教会群として、今回の旅の大きな目的 の一つだった。 旧市街のクセニア・ホテル (Xenia Hotel) に 隣接するビザンチン博物館を見学してから、徒 歩で五つの教会を巡拝した。 博物館から真南に200m下った所に広場が あり、教会はその中央に唐突に建っていた。 写真は後陣と鐘塔で、三方向に設けられた半 円形の祭室と、妙に細長い円筒形のクーポラに 特徴がある。クーポラの付いた教会は、カスト リアではここだけだった。 9世紀の建築だそうだが、煉瓦と白い石を漆 喰で塗り固めたような構造で、よくもまあ千年 以上も持ちこたえてきたものだと感心した。 扉口の上に、13世紀のフレスコ画があるの だが、一部の人物や建物以外は判然としない。 内部の壁面フレスコ画も大半が13世紀のも のであり、「三位一体図」等興味深いものが多 い。後陣のフレスコは17世紀に描かれたらし い。ナルテックス内部の扉口上部に描かれた、 ビザンチン特有の図像である「聖母昇天」がと ても印象的だった。 |
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カストリア/聖ニコラオス・ カスニジ教会 Kastoriá/Ágíos Nikólaos Kasnídzi |
2 マケドニア/カストリア県 (Kastoriá) |
さらに南へと歩くと、すぐに Omonia オモ ニア広場へと出る。 教会は広場に面して建つ12世紀のチャーミ ングな聖堂である。 ナルテックス(玄関廊)の付いた単身廊のバ ジリカで、聖堂の壁面全てが12世紀のフレス コ画で覆われていた。 ナルテックスのフレスコの主題は、大半が聖 ニコラオス・カスニジとその妻アンナのエピソ ードである。 身廊には、聖戦の場面や聖人像などが描がか れている。 写真はここでも扉口内部上壁に描かれた「聖 母マリアの昇天」である。現在は赤黒く変色し てしまったが、大胆な構図と豊かな色彩感覚で 描かれたものであったことが想像できる。 |
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カストリア/タクシアルヒス・ ミトロポレオス教会 Kastoriá/Taxiárhis Mitropóleos |
2 マケドニア/カストリア県 (Kastoriá) |
さらに150m程湖岸へと近づいた辺りに、 9世紀に創建されたと伝えられるこの古い教会 が建っている。 大天使ミカエルとガブリエルに奉献された教 会で、その名は天使の軍勢を意味するらしい。 基本プランは三廊式のバジリカで、後に南北 の壁に沿って柱廊や礼拝堂が追補された。 写真は、身廊中央から後陣方向を撮ったもの で、聖堂内全体がフレスコ画で覆われているこ とが良く判る。 右側に素朴な柱頭を持った円柱が写っている が、側廊を仕切るアーケードを構成している。 円柱は左右に二本づつ立てられており、フレ スコ画の演出もあって、いかにも東方教会らし い独特の雰囲気を演出している。 フレスコ画は創建当初9世紀のものと、14 世紀に補修されてしまったものとが混在してい るらしく、素人の目には“いかにも古そう”と いったレヴェルの判定しか出来なかった。 写真ではおぼろげだが、後陣のドームに描か れた、二人の大天使に挟まれて両手を掲げる聖 母マリアの像がとても感動的だった。 |
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カストリア/聖アイイ・ アナルイリ・ヴァルラアム教会 Kastoriá/Ágií Anárgiri Varlaám |
2 マケドニア/カストリア県 (Kastoriá) |
この教会は博物館からは別方向で、北東に当 たる丘の斜面に建っている。湖の方へ向かって 開けたテラスからは、抜群の景観を我が物にす ることが出来る。 建築は三廊式バジリカ聖堂で、今回巡拝した カストリアの教会の中では最大のものだった。 10世紀の創建と伝えられており、正面扉口 のファサードには、色褪せてはいるがいかにも 古色な風格のフレスコ画が飾られている。奉献 された聖人たちが描かれているらしい。 ここも内陣の壁面は全てフレスコ画に覆い尽 くされており、さながら万華鏡の中に飛び込ん だような気分だった。 写真は、身廊から後陣の祭壇方向を眺めたも ので、天井の高い壮麗な聖堂である事が判る。 フレスコ画の大半は11~12世紀の作品と のことだが、中には明らかにかなり近世の手が 入っているものも見受けられた。 後陣正面には、聖母子像や受胎告知などが描 かれ、左のアーチ間の壁には、上にキリストの 埋葬が、そして下に武装した聖イヨルイヨスと 聖ディミトリオスの像を見ることが出来る。 アーチ内部の聖人像では、一層下の漆喰塗り が発見され、10世紀のものと思われる図像が 出てきていて興味深い。 |
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カストリア/聖ステファノス教会 Kastoriá/Ágios Stéfanos |
2 マケドニア/カストリア県 (Kastoriá) |
前述のヴァルラアム教会から、坂道を150 m程登った東斜面にこの教会が建っている。 基本となるプランは三廊式バシリカ様式で、 9世紀の建築であり、それ以外の聖堂の両側に 張り出した部分は近年のものである。 残念ながら扉口が閉鎖されていて、聖堂内部 には入れなかったので、後陣の見える背後へと 登って撮ったのがこの写真である。 古風な外陣の張り出しと、背の高い身廊の屋 根が特徴である。巾の割りに高さが強調された 窓の無い身廊がどんな雰囲気なのかを見たかっ たのでちょっと残念だった。 さらに、ナルテックスや身廊には9世紀創建 当初のフレスコ画の痕跡が残っているそうであ り、また身廊南壁には12世紀のフレスコを見 ることが出来ただけに、後ろ髪を引かれる思い を抱きつつカストリアを後にしたのである。 |
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メテオラ/ヴァルラアム修道院 Metéora/Monastíri Varlaám |
3 テッサリア/トリカラ県 (Trikala) |
カランバカ Kalambáka の町に滞在し、メ テオラの修道院群を巡拝した。 いずれもが、俗世から完全に隔絶された山奥 の岩の上に、神との交信を求めて奇跡的に創建 された修道院なのである。その余りにも奇怪な 光景には思わず息を飲んでしまう。 (このサイトの表紙写真参照) この聖堂に登るには崖に架かった橋を渡り、 石段を伝わって登っていかねばならない。 創建は15世紀前期で、ここは修道士ヴァル ラアムの隠遁所があった場所だという。 修道院には様々な建物が建てられているが、 鐘塔のある教会は万聖人教会 Ágii Pándes と 呼ばれている。 写真はその教会の中央ドームであり、周囲を 飾る16世紀半ばのフレスコ画が格別の光彩を 放っている。 ドームの円蓋部分にはキリストが描かれ、西 側の壁の聖母マリアの昇天やナルテックスの最 後の審判などと共に、この教会の傑作とされて いる。 素晴らしかったし、主題がビザンチン的で嬉 しかったのだが、ルネサンス後期的な西欧写実 主義の影響が感じられて、やや違った世界へ迷 い込んでしまった感があった。 |
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メテオラ/メタモルフォシス (大メテオラ)修道院 Metéora/ Monastíri Metamórfossis |
3 テッサリア/トリカラ県 (Trikala) |
14世紀にその起源を持つメテオラ最大の修 道院で、やはり切り立った断崖の上に建てられ ている。アトス山から来た修道士達の手で、創 建されたものだそうだ。 巻き上げ機や吊り籠などといった当時の設備 が、今でも崖上の塔の中に保存されている。創 建当初は石段など無かったわけで、そもそもど うやって建造したのかが見当もつかない。 建築では写真の後陣や、翼廊に張り出した円 形の祭室などは、アトス山の修道院建築様式が 継承されたものだそうだ。 後陣や祭室部分以外は、大半が16世紀に修 復改築されているという。 翼廊の西壁に飾られた、修道院の創設者であ るアトス山から来た聖アタナスティオスと聖ヨ アサフの二聖人像などのフレスコ画は、15世 紀半ばに描かれたものだという。 |
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メテオラ/聖ステファノス修道院 Metéora/Monastíri Ágios Stéphanos |
3 テッサリア/トリカラ県 (Trikala) |
カランバカの町並みが見下ろせる絶景の断崖 の上に、この15世紀創建の尼僧修道院が建っ ている。谷を隔てた岩山なので、橋を渡って向 こう側へ行かなければならない。 写真は修道院内の教会で、中央にドームを持 つビザンチン様式である。 びっしりとフレスコ画で覆われていて美しい のだが、大半が16世紀以降のものなので、当 時のイコン画と同じ様に図像が画一化されつつ あった時代の作品らしい。 ナルテックスの外側にあるアーケードには、 花が咲き乱れていていかにも尼僧院らしい優し い雰囲気に満ちていた。 他に18世紀建造の教会があり、ここには小 アジアで殉教した聖シャラランボスの首が聖遺 物として祭られている。 メテオラの修道院群には、他に16世紀に建 てられた聖ニコラオス修道院や、細長い岩の上 に載った様な小さな修道院ルサヌなどが在る。 |
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アルタ/パリゴリティサ大教会 Árta/Panagía Parigorítissa |
4 イピロス/アルタ県 (Árta) |
町の中のスクファ広場 Skoufa の近くに建 つ難しい名前の教会で、慰め主である聖母マリ ア”という意味だそうだ。 基本的には井桁に組まれた正方形の平面プラ ンで、前面に三つと中央と後方の二つを併せて 六本のドームが立っている。 煉瓦と石が組み合わされた13世紀末の建築 であり、量感に溢れていて教会とは思えぬほど の堂々たる佇まいである。 中央ドーム部分は、二つの柱頭がある八本の 三層円柱によって支えられており、中二階はト リビューンの様にもなっている見事な構造体で ある。 全能者キリストや聖人像を描いたモザイクは 創建時の作品である。 |
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