オーランガーバード石窟 とエレファンタ島石窟 |
AURANGABAD and ELEPHANTA Cave Temples |
マハーラーシュトラ州 MAHARASHTRA |
この両遺跡を訪ねたのは個人の旅行ではなく 旅行社主催のツアーであったため、アジャンタ とエローラを訪問する道すがらに立ち寄った程 度の時間しか取れなかった。 限られた範囲での見聞であり、内容には不十 分な部分が多いが、インドにおける仏教やヒン ドゥー教の石窟寺院の神秘的な美しさが少しで もお伝え出来れば、と念じている。 上の写真は、ムンバイ湾(ボンベイ)沖に浮 かぶエレファンタ島の、石窟シヴァ寺院(第1 窟)の列柱ホールである。 |
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オーランガバード石窟寺院 第2窟 |
アジャンタとエローラ探訪の拠点となるオー ランガバードの町の北方3キロの山裾に、1~ 7世紀に造営された仏教石窟寺院が残されてい る。荒涼とした岩山の中腹に、崩壊した窟も含 めて12の石窟寺院が掘られている。 規模は小さいが、エローラ仏教窟の雰囲気に 似ているような気がした。 西側の5窟(第1窟~第5窟)は、東側の5 窟(第6窟~第10窟)からはやや離れている ので、石段を登って往復することになる。 第2窟は、6~7世紀に造営されたヴィハー ラ(僧院)窟で、写真は正面の仏堂に祀られた 本尊の仏陀倚坐像である。蓮華座に足を載せ、 説法印を結んでいる。品格のある落ち着いた像 容で、仏陀の造形は日本人の感覚に近いかもし れない。 前室の奥の広間に仏堂が設けられているが、 ここオーランガバード石窟では仏堂の周囲を巡 ることが出来る。他所の石窟と違い、仏堂が後 ろの壁から離れている、というのが種明かしで ある。主尊仏をより象徴的に見せる、という意 図があったのかもしれない。 仏堂の入口左右には、守護神としての巨大な 菩薩像が彫られていた。 金剛手菩薩と考えられる。 左右の壁には、様々な仏像が壁龕または半肉 彫りのレリーフのように彫られており、仏堂を 荘厳してとても美しい。 |
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オーランガバード石窟寺院 第3窟 |
次掲の第4窟以外の窟は全て6~7世紀に掘 られたものだが、その中では最も古い6世紀前 半の造営と思われる。 アジャンタのヴィハーラ窟に似た構造だ。 仏堂前に林立する柱や柱頭は、細密な花模様 や図像で埋め尽くされている。円の中心には、 ヒンドゥー的なミトゥナ男女神像も見られる。 主尊の仏陀像の両側には、払子を持った両脇 侍が立っており、飛天がこれを祝福している。 写真は、仏堂の壁面に彫られた“仏陀に向か って手を合わせる人々”の群像である。 弟子なのか信徒達なのか、6世紀の彫刻とは 思えぬ程リアルな表情が素晴らしい。 |
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オーランガバード石窟寺院 第4窟 |
この石窟だけが1世紀頃の造営で、唯一のチ ャイティヤ(祠堂)窟である。 正面の列柱や前室が崩落のために失われてい るので、開口部からいきなりストゥーパを祀っ た祠堂になっている。 ストゥーパの基壇はやや高く、湯飲みを伏せ たような形の覆鉢は、下部がやや細まったチュ ーリップ形をしている。形状は、アジャンタの ストゥーパ群では、後期(5世紀)のものに似 ていると言えるかもしれない。 アーチ状の天井は、木造寺院の梁や垂木に似 せて、岩盤を彫りぬいたもので、当時定着して いた木造寺院の様式が想像される。 馬蹄形のアーチ列柱は、近年コンクリートで 補強されたものだが、その上の長押部分には、 盲アーケードやアーチ窓(チャイティヤ窓)の 装飾が見られる。 アジャンタと共に、1世紀前後には既にこの 地に仏教文化の華が開いていた事を証明する貴 重な遺構であろう。 |
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オーランガバード石窟寺院 第7窟 |
東窟を代表する石窟で、6~7世紀に開窟さ れたヴィハーラ窟である。 正面のアーチ列柱を入ると、細長いベランダ 前室がある。更に三か所の入口を入ると、従来 はその中が広間となっており、正面最奥に仏堂 が設けられるのが通例だが、ここでは第2窟同 様に、広間の中央に仏堂を置き周囲を巡れるよ うな構造になっている。 本尊は仏陀倚坐像で、金剛手菩薩を両脇侍と し、様々な飛天に荘厳されている。仏堂の左壁 には、踊る女神を中心とした奏楽舞踊群像が彫 られている。ヒンドゥーや密教の色合いが濃い 官能的な像で、余り好きにはなれない。 この石窟は素晴らしい彫刻で埋め尽くされて いるのだが、最も感動したのが写真の観音菩薩 立像である。右手は施無印、左手に蓮華を持っ た豊満だが気品に溢れた魅力的な像である。 観音像の両側に「八難救済」の場面が彫られ ている。八難には諸説があるが、左上から火難 ・剣(王)難・枷鎖・水難(難船)、右上から 獅子・毒蛇・象・悪鬼(病難)の場面であるら しい。 肝心の僧房は、中心に仏堂を据えた広間の左 右壁面に三か所づつと、最奥壁に二か所の小間 が設けられていた。 |
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オーランガバード石窟寺院 第9窟 |
東窟の第7窟から石段を登った所に設けられ たヴィハーラ窟である。 第7窟と同様に、6~7世紀に開窟されたも のである。 細長い前室の壁面には、多様な仏像が彫られ ており、興味深い像も多い。 左壁の涅槃像や、結跏趺坐し転法輪を結ぶ仏 陀坐像、金剛手菩薩像などが仏教石窟らしい表 現なのだが、気になるのが写真の様なヒンドゥ ー教的な要素の強い女尊像だろう。 ターラー(多羅)菩薩と呼ばれ、観音菩薩の 瞳(涙)から生まれた化身とされている。 妖艶な姿態や豊満な胸の表現は、禁欲的な日 本の仏教に馴染んだ我々には、正直違和感と同 時に気恥ずかしさすら感じられてしまう。 インドでは、ヒンドゥー的な感性としての、 溢れるような生命力、躍動する力強さ、官能性 などに満ちた造形が、一般的には成されてきた のだろう。 釈尊が生まれ育ったインドの地に、何故仏教 が根付かなかったのだろうか、という疑問をず っと抱いているのだが、余りに禁欲的だった仏 教はこの風土には適さなかった、ということな のかもしれない。 |
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エレファンタ島石窟寺院 |
第1窟(リンガ祠堂) |
エレファンタ島には6つのヒンドゥー教石窟 があるが、見るべきはこの第1窟のシヴァ寺院 が抜群だ。 他は大半が崩壊、又は未完成であるそうだ。 創建時期は明確でないが、6世紀頃との事だ。 北側のテラス状入口から入ると、角柱の林立 する広大な広間になっており、東側の一画にこ のリンガ祠堂が設けられている。 四方に開口部があり、それぞれに守護神像が 彫られている。 祠堂にはリンガが据えられている。生命の根 源の象徴としての男根がシンボル化されて祀ら れており、シヴァ神を象徴してもいるのだ。 |
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エレファンタ島石窟寺院 |
第1窟(南壁) |
北側のテラスから入った広間の奥正面の南壁 には、周囲の空気を震え上がらせるほどの説得 力を示す諸像が並んでいる。 中でも、中央に彫られた写真の胸像は、ヒン ドゥー最高神であるシヴァ神像である。高さは 6m以上あるだろう。 シヴァ神について、一般的には「創造と破壊 の神」と言われるのだが、その深遠な教理につ いては、ほとんど無知なので何ともコメントし ようが無い。かと言って、どこかのサイトに書 いてあったようなことを掲載しても意味が無い ので、感じたままを書くことにする。 第一印象で直ぐに連想をしたのは、仏像にお ける多面観音菩薩像や阿修羅像だった。 様々な顔や性格を持つ神像の表現として、多 面は解り易い造形と言えるだろう。 左の憤怒面は破壊を、右の女性面は創造を表 わし、そして中央の面は穏やかな瞑想を表現し ている、と考えるのは短絡すぎるだろうか。 この美しいシヴァ像を観ながらここでも感じ るのは、ヒンドゥー教彫刻でも仏教彫刻でも、 東南アジア各国や中国で見た諸像と比べると、 インドの造形が日本人の美意識に最も近いので はないだろうか、ということだった。 その他南壁は、脇侍の神像や、両性を備えた シヴァ神の像などによって、所狭しと埋め尽く されている。 |
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エレファンタ島石窟寺院 |
第1窟(西翼) |
リンガ祠堂の裏側(西側)にも小さなテラス の空間が設けられており、様々な小石窟が連な っている。 写真は、本石窟の西南部分の壁面に彫られた 魅力的な彫像である。エローラでも同様のモチ ーフが見られたが、シヴァ神と神妃パールヴァ ティが結婚するシーンなのである。 インドの石窟寺院の彫刻を見て誰しもが感じ る事の第一は、神像の肢体表現が余りにも官能 的なことだろう。仏教でもキリスト教でも、神 仏は人間を超越した姿で描かれるのが常識とさ れていただけに、インドにおいては6~9世紀 という時代にかくも大らかで奔放な表現が成さ れていた事実は、抑制の美徳を持つ我が国との 国民性の違いなのだろうか。 下半身が崩壊しているのは残念だが、官能的 でありながら品位が感じられる素晴らしい彫刻 だと思う。 背景には、シヴァと共にヒンドゥーの三大神 とされるブラフマー神やヴィシュヌ神の姿も確 認出来た。 シヴァ神は密教の経典にも「自在天」として 取り込まれており、インドならではの土俗的寛 大さがそうさせたのだろう。ちなみに、神妃パ ールヴァティは「烏摩妃」と表現されている。 |
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エレファンタ島石窟寺院 |
第1窟(東翼) |
北側の正面テラスから堂内へ入ると、左手東 側にかなり広い中庭のような空間が設けられて いることに気が付く。 東のテラスと本尊でもあるリンガ祠堂とを結 ぶ線が、石窟の中央を横断しているので、見方 によっては、従前は東側が正門だったのではな いか、と思えたのだった。 写真は西側部分の壁面に彫られた彫像群で、 シヴァ神の座すカイラーサ山を魔神ラーヴァナ が持ち上げようとする場面である。 ラーヴァナの名はインド叙事詩「ラーマーヤ ナ」をジャワ島の影絵ワヤンクリで見た時に耳 にした覚えがある。まあ、その程度の認識しか ない、とも言えるのだが。 インド屈指の魔王であったラーヴァナは、大 胆にもシヴァの居るカイラーサ山を揺るがし、 シヴァの怒りに触れる。 最後は、ヴィシュヌ神が転生したラーマ王子 によって討たれた、ということである。 浅学菲才の身には、だからどうした、という 程度の印象しか受けないが、ヒンドゥーの世界 では深遠な哲学が秘められているに相違ない。 私たちに出来ることは、このヒンドゥーの教 義が凝縮された石窟の彫像群の中から、美を通 じて感じられるものを見つめることだけしかな いのだろう。 |
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