吉田 豊川橋
   吉田 豊川橋
 宿は日本橋より七十三里(約289キロ)・徒歩七十二時間にある三十四番目の宿。
「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖が」と唄われたように、戦国時代から東三河第一の城下町として栄えた吉田は現在の豊橋である。
 広重の絵は、城の天守の修理用足場から人足が小手をかざして豊川橋を渡る旅人の様子を眺めているが、今も吉田城本丸跡から望む豊川の風景のなかに、「豊橋」の名の由来となった橋が見える。豊川橋は東海道3大橋の一つで、長さは120間(約216m)あった。
豊川には江戸時代以前から橋が架けられており今橋といったが、江戸初期に吉田橋と名称を変え、それにともない地名も今橋から吉田に変った。明治以後に吉田は豊橋と改名されそれによって吉田橋も豊橋へと変わった。
 豊川の上流部、長篠城で宇連川、寒狭川と名を変えるが、その二つの川の間に「声の仏法僧」で名高い鳳来寺がある。放流河川ではあるが寒狭川も豊川とともに鮎の好釣場である。
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