岡崎 矢矧之橋
岡崎宿は、日本橋より八十一里(約三百十八キロ)・徒歩約七十九時間半にあり、三十八番目の宿。
岡崎城の南側は矢矧川の支流乙川(おとがわ)に面していて、御用土場(船着場)があり、ここと三河湾の平坂湊との間に舟運が開かれていた。それで、「五万石でも岡崎さまは、お城下まで舟がつく」と唄われた。岡崎宿は、岡崎城の城下町として栄え多くの旅人と商人でにぎわった。
岡崎城は、徳川家康が生誕した場所で、なんといっても家康の天下取りの足がかりとなった拠城であったから、江戸時代になってからも岡崎は特別な扱いを受けた。それはこの地には譜代大名を代々配置していたことでもうかがい知れる。
城下は、二十七曲がりと呼ばれたジグザグの道が特徴で、八丁味噌の本場でもある。
広重は、大名行列が当時の東海道中最大の架橋で、長さは二百八間(約三百七十四メートル)の矢矧橋を渡って岡崎城下へ入って行く様子を描いている。川辺の葦原や空の様子からすると、秋の夕暮れ間近を思わせる。
(表紙ページの図柄は、広重の前に描かれた「五十三次名所図會」である。これは川原から橋のむこうにそびえる岡崎城を望む構図で、橋の上を大名行列が渡っている夕刻である。これを俯瞰的になおすと上の広重の絵になるような気がする。
「五十三次名所図會」と広重の「矢矧之橋」では、橋のつくりがずいぶん違っている。)
またも鮎釣りの話になるが、矢作川も鮎の好釣場で、矢作のフリコ抜きの釣技法が知られている。