小田原 酒匂川

   小田原 酒匂川さかわがわ
 小田原は9番目の宿で、日本橋より二十里半(約82キロ)・徒歩二十時間である。小田原宿は江戸を出て初めての城下町である。また東海道最大の難所、箱根峠越えを前にして、多くの旅人が江戸を出て二日目に宿泊する場所でもあり、宿泊客が多く、東海道有数の大きな宿場として栄えた。
 広重は、小田原の手前の酒匂川から箱根の峯々を望み、その手前に小田原城と小田原の宿を描いている。酒匂川では蓮台渡し、水切り人足に先導された十数人で担ぐ大名駕籠をのせた大高欄蓮台、槍持ちの肩車などの川越の様子を描いている。
 小田原の名物は、ういろう、かまぼこ、梅干で、江戸期は「ういろう」のほうが有名だった。“おさるのかごや”に謡われている「小田原提灯」も小田原が発祥の地である。これは折り畳み式の道中用のあかりで、携行に便利なこともあって広く普及した。
 酒匂川は、明治の文豪幸田露伴がドブ釣りで松田地区やぶ下あたりに足しげく訪れた川として知られている。露伴のドブ釣りの腕は相当のものであったことが知られており、純金のオモリを使って慎重・微妙に毛鈎操作をしていたと伝えられる。
 現在は、頭首工、堰がいくつも作られ好ドブ釣り場の淵もほとんど土砂で埋まり往時の面影は無い。しかし、首都圏の友釣の川として多くの友釣愛好家が今も訪れる。
 酒匂川の名の由来:新相模國風土記稿には、“「海道記」には汐のさす時、上さまに流るる故さかはと云う”と記されている。
次 鰍沢 戻る 川崎へ