川崎 六郷渡舟
日本橋より四里(約一六キロ)・徒歩約三時間で六郷の渡しに着く。東海道最初の川越が品川から川崎へ向かう途中の六郷川(現在の多摩川)で、常水時で69間(約124m)あったという。
六郷川は慶長5年 (1600年) に徳川家康によって六郷橋がかけられ、瀬田、矢作、吉田とともに東海道の四大橋のひとつだった。度重なる洪水で補修やかけ直しが行われたが、元禄元年
(1688) の大洪水で橋が流出して以来、ここには橋は架けられず渡しが置かれることになった。
川の中ほどまで進んだ渡し舟には、男女の客がのんびりとくつろぐ様子が描かれているが、続東海道中膝栗毛の挿絵の盗作との説もある。後摺りのものは、対岸の筏の男は描かれていない。東海道五十三次の絵は、その版によってかなり図柄のちがうものがある。
川向こうに見える川崎宿は、謡にもあるように万年屋、亀屋の奈良茶飯、米まんじゅうが名物である。
多摩川は、かつて昭和20年頃までは川辺に川魚料理の料亭があり鮎の川として知られていた。その後、高度成長と共に川水の汚染が進み鮎の姿は消えてしまった。久しく鮎の姿が見られなかった多摩川に、近年大量の鮎が見られるようになり、この鮎は何処から来たのか話題になった。調査の結果、久し振りに現れたこの鮎は、利根川から荒川を通って流下した仔アユが多摩川に遡ったものであることが分かった。海での生息域は、若者に人気の“お台場”の近辺という。