甲州 石班沢
これは葛飾北斎の富岳三十六景甲州石班沢の図で、岩場から漁師が網を打ち、童が捕れた魚を魚籠にいれている。
甲州石班沢は、甲州の南、笛吹川・荒川・釜無川が合流して富士川となる辺にあり、現在の鰍沢町の辺りである。
かって富士の大鮎は、他の川の鮎十匹分にあたるといわれた。その頃の川の様子を窺える図としてこれを選んでみた。
富士川は吉原宿と蒲原宿のほぼ中間になるためか、保栄堂版(広重38歳)「蒲原」は【夜の雪】で富士川の絵は無い。
後に描いた、行書版(広重46歳)の「蒲原」は【岩淵よりふじ川を見る圖】、隷書版(広重53歳)の「蒲原」は【富士川渡舟】と富士川を題材にしている。
行書版「蒲原」 【岩淵よりふじ川を見る圖】 | 隷書版「蒲原」 【富士川渡舟】 |
富士川は東海道中で随一の早瀬(急流)として知られていた。その上、瀬の変動が激しかったので舟は常に瀬向きの良い場所を探して渡らなければならなかったといわれる。 【富士川渡舟】に描かれているのは高瀬舟である。 【岩淵】は現在の東海道本線が渡るあたりの地名で、現在の富士川駅は当初は岩淵駅とし開業し翌年に改名したものである。 桜井均は随筆・懐旧のなかで「昭和十七、八年頃の富士川は天然アユのそ上が濃く豊漁で、大天狗、小天狗が下流の岩淵あたりに集まり、鉄橋ぎわの「そばや」という旅館はいつも一杯だった。」と書いており、友釣愛好家達の人気の場所であったようだ。 |