1.湖産アユ放流の始まり | |
2.稚アユ放流の名目はアユ増殖のため | |
3.稚アユ放流の実際 | |
(1)友釣の普及に貢献した湖産アユ | |
(2)湖産稚アユさえ放流すれば・・・ | |
(3)友釣の漁期を長くする・・・海産、河川産アユの放流 | |
(4)人工産アユの放流 | |
4.最近の湖産、海産、人工産の放流割合と漁獲量の推移 | |
5.川における稚アユの生存率 | |
6.稚アユ放流のメリットとデメリット | |
2003/1/29 | 作成 |
2003/3/7 | 「アユ研究のきっかけ」を追記 |
2003/7/30 | 3.(2)の脱線に「リリ禁ネット」追加 |
2003/9/17 | 「内水面漁業管理委員会」追記 |
2004/2/1 | 「4.最近の湖産、海産、人工産の放流割合」に H9〜H15の種苗別放流量グラフ、表を挿入 |
2005/04/10 | 種苗別放流量グラフにH16年度を追加。 |
2007/02/23 | 6.(2)稚アユ放流のデメリットに リンク「アユの生活を遺伝子で追跡する」を追加 |
2009/10/26 | アユ種苗別放流量、推移グラフに H20年データを追加 |
2010/07/12 | アユ漁獲量推移グラフ、S31〜H20に変更 |
1.湖産アユ放流の始まり
琵琶湖の鮎は湖で一生を終える陸封型で、体長6〜10cmと小さく、海から川を遡上する鮎とは別種といわれていた。
明治43年、東京帝国大学農学部水産学科の初代教授、石川千代松博士(1861-1935年)が、琵琶湖のコアユと(琵琶湖へ流入する)河川の大アユは同じアユであると発表したが、他の研究者や漁業者はあまり信じなかった。
石川博士は、コアユが小さいのは食料不足が原因だから適当な環境の川へ移せば大きくなる、と考えた。
その後、いろいろな角度から研究され、コアユが河川のアユと同じであることを証明しようと、大正二年ドイツから新式の活魚輸送機を輸入し、300匹のコアユを26時間かけて米原から青梅まで運び、堰ができてアユがのぼらなくなった多摩川の大柳河原に放流した。その年約30cmを超す尺アユを釣ったという証人も現れたが、これも信用されなかった。
その後、大正十二年滋賀県水産試験場が石川先生のすすめで、琵琶湖に注ぐ天野川(あまのがわ)の上流の滝の上にコアユを放流したところ、秋に大型のアユがたくさんとれ、これが決定的証拠となり、新聞紙上に報道され注目を集めた。
翌年から、琵琶湖産稚鮎が北は岩手県から、南は熊本県までトラックや汽車で運ばれて放流された。
(青梅市の万年橋下流左岸に石川先生アユ放流の顕彰碑がある。)
(大正時代に放流されたアユは、「アユの起源、琵琶湖のアユ」のAグループのアユで、早春に川に遡るものを採捕されたものと考えられている。)
昭和に入ると、貧しい山村の農民の生活を助けるためとして、山間の川へも琵琶湖の稚アユが多数放流されたという。昭和20年代までは、稚アユの放流は、もっぱら漁業者のために行われた。
石川先生が明治末に発表した「琵琶湖のコアユと河川(琵琶湖へ注ぐ)の大アユは同じアユである」という説の正しかった事が、ようやく昭和62年(1987)に塚本勝巳教授等(Ishida,Naka,Kajihara)の研究によって証明された(参照:アユの種類2.琵琶湖のアユ(3)。)
2.稚アユ放流の名目はアユ増殖のため
建前上は、現在の稚アユの放流は以下に示す漁業法に定められた、「水産動植物の増殖」=“アユの増殖”をするために行っている。各県が各漁協に定めている「義務放流量(魚種別増殖方法及び目標数量)」は、法が定めたアユ増殖のためなのである。(アユ以外の魚にも義務放流量等が決められている。)
昭和24年に漁業法が改定され、河川湖沼のみが対象となる内水面漁業としては、第2種区画漁業権(主にコイとマスの養殖業)と第5種共同漁業権(遊漁を含む河川湖沼漁業)の免許が定められた。河川湖沼の漁業協同組合は第5種共同漁業の免許を受けたもので、次に定められているように水産動植物の増殖をしなければ免許を受けられないことになっている。
???
国土交通省や県が勝手に川をいじくり回すから仕方が無いといい、魚の休み場の淵や淀みの無いノッペラボウの川にしたり、アユの産卵に適した砂礫が無くなったり、堰や頭首工に魚道が無かったり、あっても魚が行き来できなかったり、壊れていたりしているのに、それらを放置し傍観している漁協がいくつもあります。
そんな漁協の内水面は「水産動植物の増殖に適しており」、且つ、「水産動植物の増殖」をしていることになっているのでしょうか?
また、下流をダムや堰で遮られている川の漁協が、アユ増殖のために稚アユを放流しているなんて不思議なことです。
漁協関係者が河川管理者である国土交通省や県と漁場の保全について交渉し、魚や虫の住み易い川に戻したという事例はほとんど釣り人達の耳には聞こえてこないのです。
また、県の内水面漁場管理委員会とは、いったい何をする委員会なのでしょうか?
内水面漁場管理委員会 漁業法 第130条 都道府県に内水面漁場管理委員会を置く。 第131条 委員の定員は10人。 委員は、 当該都道府県の区域内に存する内水面において漁業を営む者を代表すると認められる者、 当該内水面において水産動植物の採捕をする者を代表すると認められる者(遊漁者の代表) 及び 学識経験がある者 の中から都道府県知事が選任した者をもつて充てる。 委員会の会議は公開とし、議事録を作成し、これを縦覧に供しなければならない。 (議事録;都道府県庁の内水面漁場管理委員会事務局(水産担当課)に出向いて縦覧(閲覧)することができます。無料です。) 委員会は都道府県内の内水面(河川・湖沼)における水産動植物の採捕及び増殖に関する事項を取り扱い、 主な具体的活動内容は、 漁場計画の作成、漁業権の免許、その他漁業権に関する知事からの諮問について審議及び公聴会を開催し、知事に対して答申を行う。 漁場計画を樹立すべきことや委員会指示に従うべき旨の命令を出すこと等の意見を知事に対して積極的に建議する。 水産動植物の繁殖保護に必要な制限、禁止等の指示や、内水面の水産動植物の増殖に関する知事への意見を決定する(第5種共同漁業権魚種別増殖方法及び目標数量を定め公示する。 |
漁場計画とは、漁業種類、漁場の位置、区域などを定めること。 都道府県知事は漁業権を免許するにあたってあらかじめ漁場計画を樹立(決定して公示すること)し、 それに対して漁業権者から申請を受けて、申請者のうちあらかじめ定められた優先順位に従って免許します。 漁場計画は、漁業権の存続期間(共同漁業権の場合は10年、その他の漁業権は5年)が終了する前には必ず立てられます。 漁場計画は、漁業生産力がマイナスになる場合には立てられません。 |
アユの本格的な調査・研究が始ったのは、漁業法の改定に盛り込まれた「水産動植物の増殖」をどうすれば良いのか調べることがきっかけであった。
上記の漁業法が改定された際に、”湖や川で自然に増えた川魚を、特定の人たちに独占させるのは不都合なことだから、漁業権には魚族を保護し増殖する義務を伴わせるべき”という占領軍(当時はまだ米軍占領下にあった)の考え方が盛り込まれ、その指導にあたるために、各都道府県に漁業者、学識経験者、遊漁者の代表からなる内水面漁場管理委員会がおかれることとなった。ところが、この委員会が仕事を始めたとき、漁業権を免許された漁業協同組合に示すべき増殖の義務の内容や数量が、誰にもわからなかった。
そこで、水産庁とその管理下にある淡水区水産研究所が、いくつかの都府県の水産課長を集め、アユの放流効果試験(1950年/昭和25年)を行うことにしたが、梅雨時の増水などで放流したアユが流されて天然溯上のアユと混ざってしまうなどでうまくいかなかった。
1951年度から調査を始めた京都府は、「川へ放流するアユ苗の密度の基準」を決めるための研究を京都大学に委託することにした。この委託研究を受けたのが、理学部動物学教室の宮路伝三郎博士で、後に「アユの話」を著した。その研究グループでこの研究にたずさわり「アユの自然史」をまとめたのが当時大学院生であった川那部浩哉博士で、「アユの博物誌」の著者としても知られる。
この研究から、アユのなわばりは約1メートル四方であり
放流尾数=平均川幅m×川の延長m×(7/10) の式ができた。
(京都・宇川では、水域の55%が瀬で、ここでは1uに1尾ナワバリアユが住みつくと考える。残り45%のトロと淵では、藻の生産量がすくないので、1u当り0.4尾が生息できる。したがって、宇川全体としては1u当り0.7尾が生息できるとした。)
これ以降、「アユのなわばりの広さは約1メートル四方である」というのが広く知られるようになった。
この研究で得られた、アユの放流基準は現在もその標準として使われている。
3.稚アユ放流の実際
前記の漁業法が改定された昭和24年当時は釣り愛好家によるアユ釣りはドブ釣り(沈め釣り、加賀釣り(石川釣り)、蚊頭釣り、などと云われていた)が一般的で、天然遡上した若アユを淵やトロで釣っていた。浅瀬でのチンチン釣りなども行われたが、これも稚アユ、若アユを釣るものだった。普通の人は、友釣を知らなかったり、知っていても漁師の釣りと思っていた。
毛鈎によるドブ釣りが主流の間は、漁協は遊漁者のためではなく、もっぱら漁業者のために稚アユ放流を行っていた。したがって、天然遡上のある川では、かろうじて「義務放流量」だけが放流されるという河川(漁協)がほとんどであった。
友竿の変遷でも述べたように、昭和30年代後半になり安価なグラス友竿が売り出されてから友釣を始める人が増えだした。昭和40年代になると友釣り愛好家は急増し、その遊漁料が漁協収入の大きな部分になってきて、稚アユの放流は遊漁者を呼ぶために行われるようになっていった。というのが稚アユ放流の実態である。
(1)友釣の普及に貢献した湖産アユ
水温が低くても成長が良く、なわばりの性質が強く、しかも長年にわたる放流実績のある湖産の稚アユは全国の河川に放流され、特にダムや堰で天然遡上が無くなった川では湖産の稚アユは無くてはならないものとなった。
天然遡上の海アユは7月頃にならなければ友釣で釣れるほどには育たなかったのに対し、放流された湖産アユは6月上旬の解禁日から友釣で釣れるほどに成長したし、追いが良いことから初心者にも容易に友釣でアユを釣ることが出来たのである。
天然遡上の豊富な川でさえも、釣り愛好家からの遊漁料収入が主たる収入となってきた漁協は、湖産アユをこぞって放流したのである。
湖産稚アユの放流は、友釣人口を増やし、友釣をアユ釣りの主流にする原動力になったことは紛れも無い事実である。
しばらくの間(少なくとも昭和50年代まで)は、アユの放流といえば湖産稚アユの放流を意味した。
この頃までの湖産稚アユは、琵琶湖に流入する川に遡上してきたものや、河口、湖岸に集まってきたものを採捕して、出荷されたものであった。つまり、琵琶湖のアユ四つのグループの中のAグループ(春遡河群)が放流されていたのである。
(2)湖産稚アユさえ放流すれば・・・
川への稚アユ放流と共に、アユの養殖(湖、海、河川で捕った稚アユを池で餌を与えそだてたもの)も盛んになり、稚アユの需要は膨大なものへと増加していった。
湖産稚アユの出荷量は、最も多かった年には、1000トン(放流用アユ苗は700トン強)を超えたと聞く。
確かに昭和の時代は、湖産アユを放流した川の解禁日の混雑は大変なもので、初心者でも10や20は釣れたし、ベテラン達は何十尾も釣りお祭りのような賑やかさであった。
琵琶湖とそれに注ぐ川の汚染と環境破壊、渇水、ブラックバスやブルーギルなどの魚食魚による食害なども加わり、年々稚アユの捕れる量が減少してきた。
昭和50年代に入ると、あれほど豊富だった天然遡上が激減する河川が各地に出てきた。
たぶん、長年にわたる河川での砂利採取、防災・治水の名の下に建設されたダムや堰、ほとんど意味の無い砂防ダム(ダムや堰に石や砂が堆積して川や海に砂礫が供給されなくなる。)、河川改修の名の下に行われた河川環境破壊(コンクリートで排水溝のようにかため、淵も瀬もセセラギもなくしてしまった。)、開発と称して行われた水源地帯や上流部での林道建設などによる土砂の沢や川への投棄などが大きく影響していると思う。
それに加え、合成界面活性剤LASの水中濃度がわずか10ppbでもアユが忌避行動をとるということから、合成洗剤による河川水汚染によって、稚アユが河口に近寄らないということも、今は充分に疑われるのである。
したがって、天然遡上の激減でそれまで放流など必要のなかった中・下流部でも稚アユを放流しなければならない河川が増えてきたのである。
天然遡上と湖産アユ資源の減少と反比例して、友釣人口が急増し、漁協のほとんどは遊漁者確保のために湖産稚アユを求めたので、価格は上がり必要量を確保するのが困難なところも出だした。
昭和50年代からその対策として採られたのが、琵琶湖沿岸や沖で捕ったシラスアユや仔アユを池で蓄養し大きくしたものを湖産稚アユとして出荷することであった。
これは蓄養湖産あるいは養成種苗(仕立てアユ)と云われており、釣り人の立場から見るととんでもない事なのだが、今現在もこれが続けられている。
これを、内水面漁協関係者の立場から、公表されているものを見てみよう。
また一方では、昭和48年琵琶湖総合開発が始まった時、水位を4mも下げてしまうと湖へ流入している河川120本のほとんどの水が伏流してしまい湖に通じなくなる、即ちアユが産卵する所がなくなるとして反対がでた。
そのために、琵琶湖における仔稚アユの生産量を増やす目的で、琵琶湖の姉川と安曇川に人工河川(琵琶湖の水をポンプで汲み上げて流す。)が造られ、昭和56 年から運営されている。
姉川人工河川 ;流路幅3〜6m、延長193m、砂礫層5〜25cm、産卵床面積900u、流量0.4〜0.6t、流速60cm/秒
安曇川人工河川;流路幅7.3m、延長653m、砂礫層5〜25cm、産卵床面積5,600u、流量0.8〜1t、流速50〜65cm/秒
ビワズ通信 / No.32(琵琶湖のアユ資源を守る、産卵用人工河川) / 2002年 / 冬号
(現在は県の委託を受け(財)滋賀県水産振興協会が運営している。)
(;Adobe Reader(=Acrobat Reader)が必要です。無償ダウンロードはこちらでできます。)
この人工河川の役割として、次の2つが公表されている。
1つめは、
天然アユの産卵場の確保である。アユの産卵時期に琵琶湖の水位低下が起こった場合、人工河川に天然アユを呼び寄せ、産卵を行わせる。
(ここでいう天然アユとは、琵琶湖のアユ4グループのうち、夏の間は湖に留まっていて秋になって川に遡上し産卵するCグループ(秋遡河群)のこと。)
2つめは、
親アユの養成である。4月〜6月に琵琶湖のエリ漁ややな漁でとれた4〜5cm
ぐらいの仔魚を春先から飼育池で養成し、15cm 程の親アユになる8月まで養成する。電照飼育で産卵時期を天然アユより1ヶ月早くした親アユを人工河川に放流し、産卵させる。孵化仔魚は琵琶湖に流下させ、早期の琵琶湖のアユ生産量を上げる。
水産普及だよりNo.67 “びわ湖の浜から”
滋賀県農政水産部水産課>水産増殖施設>アユの保護
湖産の稚アユが全国で歓迎されたのは、琵琶湖へ流入する川へ遡上したものや、川口に集まってきた稚アユを採捕したものを放流していたからなのである。この遡上稚アユは、放流された川の中・上流域でも遡上し最大では20kmも遡ったという記録があり、なわばり性質も強いものであった。
養成種苗(仕立てアユ)は、昭和50年代以前の遡上稚アユとは似て非なるものである。
ほとんどの漁協は、“湖産アユさえ放流しておけば釣り客はどんどん来る”、と無批判に養成種苗(仕立てアユ)を湖産アユだからという理由だけで放流し続けた。
この裏には、全国内水面漁業協同組合連合会がすすめる湖産種苗配布事業があり、これに一漁協が逆らう事が出来なかったという全内漁連、県内漁連の権益体質があったであろうことは充分推察がつくところである。
漁協は、養成種苗(仕立てアユ)の何たるかを確認も研究もせず、とにかく湖産アユだからというだけで養成種苗(仕立てアユ)に群がった、といわれても仕方がないのである。
湖産のアユが“何かへんだ”と釣り人達に言われだしたのは、沖捕りシラスアユの蓄養による仕立てアユの出荷に符合する、昭和50年代の終わり頃からのことである。
また近年は全国各地の河川で冷水病の被害が続出しているが、これも養成種苗(仕立てアユ)を無批判、無責任に放流し続けた結果でもある。
《長く友釣をしている方は、“へんな湖産アユ”を経験的に実感しておられると思いますが、何年ごろから“湖産のアユがへんだ”と思うようになりましたか。》
(3)友釣の漁期を長くする・・・海産、河川産アユの放流
海で採捕したものを海産、海から川へ遡上してきたものを採捕したものを河川産という。
友釣愛好家の増加にともない、遊漁者の多い河川では義務放流量をはるかに超える稚アユの放流が行われるようになっていったのは前述の通りである。しかし天然遡上の無い川では、(昭和の時代は)琵琶湖産は追いが良いために解禁1ヶ月もすると、ほとんどのアユが釣り尽くされて8月にはアユはいなくなってしまうという状態であった。
1951、52年の調査データでは、シーズン中に漁獲された総尾数を100とすると、早く放流された湖産アユは7月下旬までには80%以上が漁獲され八月上旬以降は漁獲が激減した。それに対し、海産、河川産では7月下旬までに30%しか漁獲されなかったのに、九月に25−50%の漁獲があったとされる。
遊漁料が収入の大きな部分となっていた漁協は、その対策として盛夏になってから追いが良くなる海産、河川産の稚アユを放流すれば釣期が長くなり8月以降も釣り人に来てもらえるとして、海産、河川産を補助的に放流するようになったのである。
平成に入り、湖産のアユがおかしい、湖産のアユが冷水病の原因だ等々云われ出して海産、河川産の需要は増えているのだが、ダム建設や河川の人工的構造物への改悪、河川環境の悪化、流水量の減少などによって、昭和の初・中期にはアユが掃いて捨てるほどいたという川でさえも、海産、河川産アユがどんどん減ってしまい、その需要に応えられないでいるのが現状である。
(4)人工産アユの放流
アユ人工種苗の大量生産は、アユの種類でも述べたが、高度経済成長政策の副産物として計画されたことはあまり知られていない。利根川や長良川の河口堰とか、優秀なアユ河川でのダム建設などに対して、大量の稚アユを補償放流しなければならない切実な事情が国や県にあったのである。
なぜなら、それらの建設計画を立てたころには琵琶湖やそこに注ぐ川の環境汚染、破壊や魚食魚の違法放流による食害などによって、湖産稚アユはその供給量が年々減ってきて、既に各地の漁協からの需要には応えられないほどになっていたからである。
一方、不要不急のダム・堰建設や河川の三面張り排水溝のような人工的構造物への改悪、河川環境の悪化、水の汚染・汚濁などによって、海産アユも激減するところが多く、稚アユの採捕出荷などする余裕すらない河川が増えてきたのである。
だから、この補償放流のための種苗(稚アユ)は人工生産で賄わなければならず、アユ人工種苗の大量生産が計画されたのである。
アユ人工種苗の大量生産の技術が確立されるまでの研究費と設備費はダム建設を推進していた建設省(現在:国土交通省)がその大半を出しており、生産技術の確立後にその事業は県などに移管されていった。
各県の水産試験場や種苗センターで、種苗(稚アユ)の大量生産が行われるようになり、仔稚アユから成魚への大量養殖技術が完成したのは昭和40年代半ばのことであった。
アユ人工種苗の大量生産が始った当初は、背骨異常、寸詰り顔、口唇不整合などの奇形が高率に発生し重大な問題となった。それらも、初期の飼料や養育方の改善等により次第に解決されていった。
当初は大量生産すること(=ダムや堰建設のための補償放流の数を確保する)が命題であったから、孵化から稚アユまで育てる歩留まりを上げ、奇形を減らすことに注力されたので、放流後の遡河性とか、なわばり性質の強弱などは二の次であったと推定される。
したがって、当然といえば当然なのだが、大量生産の初期に放流された人工産のアユは、オトリを追わない群れてばかりいる、すぐ下ってしまう等、釣り人にも漁協にも評判が良くなかった。
1979年の「放流時における人工種苗アユの分散U、塚本克己、益田信之、森田基彦、梶原武」の報告では『人工産は、走流性が弱く、放流直後に流れにのって群れとなって降下することが確認された。したがって、人工産を放流する場合には、放流場所の最上流部へ放流する必要がある』と述べている。
最近になって、放流用種苗生産においては、走流性、遡河性、なわばり性質について重視されるようになり、改善、改良が図られるようになってはきたが、人工産アユは一部を除き未だに釣り人に評判が良くないのである。
平成に入って、釣り人から注目されているのは、群馬県水産試験場産の人工産アユである。
“かっての琵琶湖産”のようになわばり意識が強く、群馬県産アユを放流したどこの河川でも“追いが良い”“よく釣れる”と評判である。
「放流アユの対象は釣り人が主体になる」との先見の明があったのか、初期の開発担当者が友釣り大好き人間だったのか知る由も無いが、放流用種苗の開発ではナワバリ意識の強いアユを作ることに主力が置かれていたように推察される。群馬県産人工アユは、琵琶湖産と海産を交配し、昭和45年以来継代されている親魚より採卵育成されている。(詳しくは群馬水産試験場ホームページを参照下さい。)
群馬県水産試験場が生産した放流用種苗は群馬県内のみに放流され、門外不出とされていた。
県外へ出されるようになったのは、最近になり仔アユの中間育成を業者に委託することになってから以降のことである。群馬県以外でも、愛知県豊川、岐阜県庄川、栃木県余笹川や下記の吉田川で、群馬県産アユ種苗が友釣の対象として「かっての琵琶湖産」と同等に優秀であることが実証されたのである。
H14の事例;長良川河口堰の稼動以来不況を続けていた吉田川で、平成14年に群馬県産人工稚アユを放流した結果、解禁以来7月まで連日釣れ続いたが、7月後半には、釣果は激減した(釣られて数が減ったため)。8月頃には放流された鮎はほとんどが釣り上げられたという、うれしい悲鳴が伝わった。
群馬県産ならばどれでも良い、というようなことを考えると湖産の二の舞になるは必定である。群馬県外で高評価を得ているのは、「群馬県水産試験場が生産した0.5gサイズのアユ仔魚」を特定のアユ中間育成業者(群馬県渋川市石坂庫平氏)が育てた群馬県産アユ種苗であることを憶えておく必要がある。
また、アユ資源再生産の問題も忘れることなく、考慮しておく必要がある。
(群馬水試H.P「神流湖の陸封アユ」より;・・・神流川の神流湖よりも上流の漁場には琵琶湖産アユ稚魚と水試産アユ稚魚が放流されている。・・・1993年9〜10月、産卵場から産着卵を採取し、水槽でふ化させたところ、大型のふ化仔魚と小型のふ化仔魚が確認され、それぞれ水試産アユと琵琶湖産アユ由来のふ化仔魚であると推定された。・・・神流湖から遡上した稚アユは、92年、94年とも琵琶湖産アユ由来であると判定された。 群馬水試産のふ化仔魚は神流湖では生きられなかったということである。)
{自分で確認したわけではないが訊くところによると、“追いが良い”“よく釣れる”と評判の群馬県産人工アユもその味はイマイチとのことである。}
***育種によりアユのなわばり形成能力を高める(群馬県水産試験場) ***
***アユ新規種苗のとびはねとなわばり(群馬県水産試験場) ***
4.最近の湖産、海産、人工産の放流割合
稚アユ放流の経過と、稚アユの種別について述べてきたが、最近漁協によって川に放流されている稚アユの種類とその割合はどのようになっているだろうか。
琵琶湖産はかっては全国放流量の7割以上を占めていたが、近年になり冷水病の深刻な実態が解ってからはその量と割合が急激に減っており、それに代わって人工産の放流が急増し全放流量の半分以上を占めるまでになっている。
アユ種苗別放流量 (単位:トン) | |||||
年 | 琵琶湖産 | 人工産 | 海・河川産 | 不明 | 合計放流量 |
H9 | 660.27 (57.9%) |
368.45 (32.4%) |
110.76 (32.4%) |
1,139.48 | |
H10 | 608.68 | 462.10 | 72.15 | 1,142.93 | |
H11 | 550.68 | 532.56 | 131.52 | 1,214.76 | |
H12 | 537.44 (42.2%) |
568.67 (44.7%) |
166.56 (13.1%) |
1,272.67 | |
H13 | 451.88 | 565.21 | 155.67 | 1,172.76 | |
H14 | 316.67 (27.2%) |
608.44 (52.3%) |
192.92 (16.6%) |
45.98 (4.0%) |
1,164.01 |
H15 | 320.10 (26.7%) |
683.15 (57.1%) |
145.47 (12.2%) |
48.38 (4.0%) |
1,197.10 |
H16 | 300.84 | 644.20 | 154.25 | 48.00 | 1,147.29 |
H17 | 240.79 | 610.60 | 189.29 | 45.00 | 1,085.68 |
H18 | 235.05 | 629.61 | 137.59 | 46.63 | 1,048.88 |
H19 | 223.46 (22.1%) |
601.60 (59.5%) |
125.87 (12.5%) |
59.42 (5.9%) |
1,010.35 |
H20 | 241.39 (23.6%) |
669.05 (65.5%) |
111.53 (10.9%) |
1,021.98 |
平成9年度の種苗別放流アユ量の人工産の割合は全放流量の1/3を占めるまで増加した。
平成12年度の種苗別放流アユ量の人工産の割合が湖産を超えた。
平成12年度の静岡県の種苗別放流アユ量と割合は24河川漁協が合計52.02トンを放流したが、湖産は僅か1%強だった。
琵琶湖産 1.19%
海産・河川産 71.7%
人工産 27.1%
なんと平成20年には人工産種苗が65%にもなったのは冷水病の猛威に起因するのか?
平成13年度の種苗別放流アユ量では、青森、岩手、山形、千葉、山口と九州の6県で湖産の放流量が 0 でした。
平成14年度の種苗別放流アユ量の人工産の割合が、全放流量の半分以上になりました。
平成15年度の種苗別放流アユ量と割合
全国の河川漁協のアユ放流量は1,197.10トン。(放流尾数=1億8,533万尾 11次漁業センサス)
琵琶湖産 320.10d(26.7%)
海産・河川産 145.47d(12.2%)
人工産 683.15d(57.1%)
人工産の放流量はH15年の683トンをピークに漸減傾向にあります。
平成19年度の種苗別放流アユ量と割合
全国の河川漁協のアユ放流量は1010.35トン。
琵琶湖産 223.46d(22.1%)
海産・河川産 125.87d(12.5%)
人工産 601.60d(59.5%)
平成20年度の種苗別放流アユ量と割合
全国の河川漁協のアユ放流量は1021.98トン。(放流尾数=1億4,957万尾 12次漁業センサス:前回比19.3%減)
琵琶湖産 241.39d(23.6%)
海産・河川産 111.53d(10.9%)
人工産 669.05d(65.5%)
(湖産放流もここまで減ったら、シラスアユからの養成種苗(仕立てアユ)など止めて、昔のように天然遡上物だけ捕らえて出荷したらどうでしょうかね。)
近年のアユ放流量の推移を見ると、琵琶湖産が減った分人工産が増えていることがわかる。
全国合計の放流重量は、H12年の1,273トンをピークに漸減傾向で、昨年H19年度は1,010トンまで減った。
放流される稚魚の重量は、冷水病が蔓延する以前は1尾3〜4グラムだったものが、最近は冷水病対策として1尾6〜10グラムの大型が放流されている。従って、放流尾数で考えれば昔の半分以下に減少していると推定される。
しかも冷水病や河川環境の悪化で解禁までの稚アユ生存率も減少しているから、放流河川ではアユの数が減っているのが最近の実態である。
放流量を1,100トンとし、平成初期までの放流稚アユを1尾3g、最近の放流稚アユを1尾6gとして、計算してみると、
平成初期までの稚アユ放流尾数 = 1,100,000,000g/3g = 3億6666万尾
最近の稚アユ放流尾数 = 1,100,000,000g/6g = 1億8333万尾
(H18年度の全国内水面漁連の集計でも放流尾数は1億8千万尾と出ていた。)
全国で、昔(冷水病発生以前)に比べ放流尾数が1億8千万尾ほど減っていると推定しても大きな間違いではないと思う。
2008年漁業センサスによれば放流尾数は1億4千957万尾で、前回2003年漁業センサスでの放流尾数1億8千533万尾より19.3%減っている
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現実は、すでにH14年以降は人工産稚アユの放流が半数(重量で50%)を超えています。
各県の水産試験場や種苗センターで走流性、遡河性やなわばり特性の強い人工産アユを沢山育ててほしいものです。
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それぞれの漁協によって放流する種苗の割合は異なるので、シーズン前に各漁協に放流予定を確認して下さい。
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内水面漁業漁獲量・収穫量
アユはさけ・ます類に次いで漁獲量の多い魚です。養殖も多いです。
参考に河川での漁獲量と養殖量を下表に示します。
H18年の河川でのあゆ漁獲量は前年の半分以下に激減しています。
5年前に比べると28%しか獲れなくなっています。
これでは釣れないはずです。
内水面漁業漁獲量(単位トン) (湖・河川で獲れた魚介類です) | ||||||||||
シジミ | さけ・ます | あゆ | こい | ふな | わかさぎ | うぐい | その他 | 全魚種 合 計 |
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遡河性 | 陸封性 | |||||||||
H13年 | 17,295 | 10,072 | 2,288 | 11,148 | 3,558 | 2,948 | 1,648 | 2,104 | 10,439 | 61,500 |
H15年 | 16,940 | 14,803 | 2,119 | 8,420 | 2,883 | 2,534 | 1,991 | 1,678 | 8,583 | 69,951 |
H17年 | 13,579 | 17,153 | 1,690 | 7,141 | 1,490 | 2,029 | 2,014 | 1,262 | 9,556 | 53,900 |
H18年 | 13,412 | 16,118 | 3,014 | 579 | 1,079 | 1,129 | 733 | 5,730 | 41,846 | |
H19年 | 10,942 | 14,892 | 3,229 | 528 | 1 006 | 1,194 | 690 | 6,507 | 38 988 | |
内水面養殖業収穫量(単位トン) (養殖して出荷された魚介類です) | ||||||||||
うなぎ | ます類 | こい | あゆ | その他 | 全魚種 合 計 |
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H13年 | 23,123 | 14,504 | 9,949 | 8,127 | 136 | 55,839 | ||||
H15年 | 21,742 | 13,341 | 8,060 | 6,962 | 171 | 50,276 | ||||
H17年 | 19,744 | 11,676 | 3,845 | 6,438 | 1 | 41,704 | ||||
H18年 | 20,733 | 11,000 | 3,306 | 6,270 | 86 | 41,395 | ||||
H19年 | 22,643 | 11,125 | 2,623 | 5,807 | 148 | 42,345 | ||||
あゆ養殖上位8県(単位トン) | ||||||||||
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 全国 | ||
H13年 | 徳島 2,014 |
和歌山 1,711 |
滋賀 806 |
宮崎 759 |
愛知 651 |
静岡 498 |
栃木 317 |
岐阜 305 |
8,172 | |
H15年 | 徳島 1,689 |
和歌山 1,161 |
滋賀 744 |
愛知 699 |
宮崎 692 |
静岡 409 |
栃木 299 |
岐阜 245 |
6,962 | |
H17年 | 和歌山 1,274 |
徳島 899 |
愛知 852 |
滋賀 629 |
宮崎 586 |
岐阜 459 |
栃木 388 |
静岡 355 |
6,438 | |
H18年 | 和歌山 1,143 |
徳島 827 |
愛知 824 |
宮崎 560 |
岐阜 534 |
滋賀 532 |
栃木 432 |
静岡 404 |
6,266 | |
H19年 | 和歌山 1,038 |
愛知 860 |
徳島 763 |
滋賀 551 |
岐阜 505 |
宮崎 474 |
栃木 375 |
静岡 350 |
5,807 | |
農林水産省 漁業・養殖業生産統計年報より | ||||||||||
年々アユの漁獲量も養殖収穫量も減っています。 その主な原因は冷水病といわれています。 川鵜の増加や河川の荒廃も関係しています。 |
最近 アユの漁獲量が激減
昭和31年(195
6年)から平成20年(2008年)までのアユの漁獲量推移をグラフにしてみました。
昭和の時代に漁協関係者の間では「稚アユ放流は10倍になってかえってくる」と言われ、稚鮎の放流量を増すことが漁獲量を増加させる結果となっていました。しかし河川で冷水病の発生が始まったH3年以降は稚鮎の放流量を増やしても漁獲量は増えるどころか、グラフに示されるように、H5年より急激に減少し続け、H15年(2003年)からは激減しています。
かつてアユの漁獲量が多かった頃は、岐阜県(長良川など)だけで(1年に)三千数百トンの漁獲量があったのです。今は全国でそれ以下の三千トンそこそこしか獲れていません。
人工産稚アユの放流割合が増えたH10〜H14年頃に漁獲量の減少に歯止めがかかったかと思われました。しかし、H15年から再び激減しております。ここ数年の減少は目を覆うばかりの惨状です。
川鵜やブラックバスなどの外来魚による食害だけでなく、
堰、ダムによって、 稚魚が遡上できない、孵化した仔魚が海へ流下できない、
河川環境の悪化(排水路のような河川改修、 ダムや堰などに岩・石・砂礫などが堆積し下流に供給されない)、
アユ産卵場の荒廃(川床の固化、藻・泥による被覆、ダム・堰での砂礫の堆積)等々や
大量の合成洗剤使用などによる遡上忌避も漁獲量減少に輪をかけているものと思われます。
また、地球温暖化の影響か、秋・冬の沿岸海水温が高くて早生まれの一番子が海で死んでしまうことが疑われてもいます。一番子は早く遡上を開始し最も上流まで上り大きくなる、といわれていました。
楽しみでアユ釣りをしている我々はどうすれば良いでしょうか。
せめて
タイツ・タビ、網、舟、囮缶などの釣り道具の消毒をして冷水病を広げないように気を付けたり
合成洗剤を止めて石けんを使うようにしたり
川鵜や外来魚の駆除を手伝ったり
網、コロガシなどでの落ちアユ漁は控えたり
してみようではありませんか。
5.川における稚アユの生存率
川に遡上したアユや、放流されたアユが、アユ漁が解禁されるまでにどの位生き残っているのだろうか。データは古いが、目安として憶えておく方が良いだろうと思い、載せた。
これは、冷水病はもちろん、他の病気もほとんど無かったころの生存率データである。
現在では、遡上したり放流された稚アユの何パーセントが解禁日まで生き残っているのか不安を覚える。
解禁までの生存率
アユ漁は五〜七月に解禁となるが、遡上したアユの解禁までの間の生き残り率は、その年の川の状況や稚アユの遡上量等によって変わるが、30−60%といわれる。
1960年頃、宇川(京都)では30−50%、吉野川では60−66%、長良川では30−50%であったという。
放流アユについても、鵜や魚食魚が居なければ、放流前の稚アユの管理が良い場合には、生存率は天然遡上のアユと同程度といわれていましたが、平成に入り冷水病が全国河川に蔓延してからは非常に悪い状況になっているようです。
《最近の、アユの河川における生存率データをお持ちの方は、お知らせ下さい。》
6.稚アユ放流のメリットとデメリット
以下に述べるメリットとデメリットは、あくまでも一友釣愛好者の立場からのものである。
いずれにしても21世紀の今日、稚アユの放流無くしては、大勢の人が友釣を楽しむことは不可能に近いことは間違いない。
余計なおっせっかいかもしれないが、釣り人はそのメリットとデメリットを考えておくことが必要だと思う。
放流とは直接関係はないが、海産も湖産も早く生まれ早く育った仔アユが早期に遡上して、しかも上流域まで遡って大きくなるが、遅く遡上したものは下流部にとどまり早く遡上したもののように大きくなれないといわれている。
アユ資源の再生産という観点からからすれば、早期に産卵するアユを保護することが翌年の鮎漁を良くすることになる。漁協は、産卵期のアユ禁漁について時期と場所を投網・コロガシなどの漁法も含めて真剣に考えてほしいものである。
(1)稚アユ放流のメリット