アユの種類         鮎の話へ

香魚  アユの種類は、友釣愛好家の立場で、
海アユ、琵琶湖アユ、人工産アユの3種に
便宜的に分けたものです。
 
1.海アユ
2.琵琶湖のアユ
3.人工産アユ
4.海産、琵琶湖産、人工産の見分けかた。
 

2003/1/29 作成
2003/2/9 回遊魚説明 追加
2003/10/03 どこまでアユは遡るか 追加
2003/12/17 3.人工産アユ(2)に加筆
2016/6/27 1.海アユに追記
DNA分析で分かった海アユ6つのグループ



1.海アユ
 釣り人が天然遡上と呼んでいるのが海アユである。
海アユは、北海道から九州まで広く生息しており、その北限は冬季の海水温度が3℃以下にならないところと一致しており、日本海側では天塩川てしおがわ、太平洋側では遊楽部川ゆうらっぷがわあるいは勇払川ゆうふつがわといわれている。
 (H15年8月:鵡川河川水辺の国勢調査で、「鵡川でアユ初確認が報道されました。このURL行方不明



 アユは、淡水性両側回遊型の回遊魚で、ふ化した仔魚しぎょが海まで下り、幼魚になるまで海で生活し、春になると川に遡って成魚まで成長し成熟して川の下流部で産卵する生活史をもつ。(参照:アユの一生)
(アユの生活史については、「神奈川県水産 水産技術センター 内水面試験場」のホームページの【天然アユをもっと知る】でも分かり易く説明されています。)

 海産アユの遡上時期
遡上 秋に孵化して海に降り、そこで成長した稚アユは、春先に河口の水温が上がってくると沿岸域から河口部に接近し、河川水温が10℃くらいになると群れで遡河を開始する。
川の水温が海の水温とほぼ等しくなるころ、川の水温が13〜16℃のときが稚アユ遡上の最盛期になるといわれている。
遡上を促進する要因として、流量の増加があげられ、特に増水後に活発に遡上することが多い。
一日のなかでは、気温と水温が上昇する14〜15時ころにもっとも多い。
 早期に川に入ったものは中・上流部にまで遡上するが、関東以南の河川では5月以降に遡上したのものは下流部にとどまる傾向がある。(一般に最も早く海から遡上する、いわゆる一番仔はサイズが大きく、以後二番仔三番仔と徐々に小さくなっていくといわれている。)

 稚アユの遡上は桜前線の北上とほぼ同じ時期に始まり、太平洋側は日本海側より早く始る。
太平洋側の河川では、四国の四万十川、吉野川、那賀川(一月下旬〜六月上旬)、長良川(二月下旬〜七月下旬)、天竜川(三月〜六月)、狩野川(三月下旬〜五月下旬)であり、

日本海側では、九州の松浦川(三月中旬〜五月下旬)、京都の宇川(四月上旬〜六月下旬)、信濃川(五月上旬〜六月下旬)、米代川(五月上旬〜六月下旬)で西の方で早く始る。
遡上する速度は、長良川では50kmを20−30日、狩野川では30kmを7−10日で移動したという調査記録がある。
アユの遡上前線(国交省河川局)ここで今年の遡上日、解禁日一覧が確認出来ます。>

(琵琶湖へ注ぐ川へ遡上してきた稚アユを捕まえて放流していた頃の調査では、上、中流部に放流された湖産アユが4kmを遡上するのに3−5日かかるといわれ、遡上するのは最大でも20kmが限度だといわれた。最近の蓄養湖産はほとんど遡上しない。)

 どこまでアユは遡るか
 三十年ほど前に、天竜川筋の老人からダムが無い頃はアユは諏訪湖まで遡り尺以上になったと聞いたことがある。人の手がほとんど加えられていない自然河川ではどこまでアユは遡るのだろうか。
 秋道智彌が飛騨地方の地誌『斐太後風土記』ひだのちふどき(明治六年(1874)富田礼彦編纂)に記載されている村ごとのさまざまな産物のなかから淡水魚の種類をしらべ、村の位置と魚の種類をコンピュータ画像にして水平分布と垂直分布を解析し、「アユはどこまでさかのぼるか」についても地図と文献をもちいて一般化したものを紹介する。

 アユの分布は五次河川にかぎられ、
 豊年の場合にのみ、四次河川、三次河川にも遡上する
ことをあきらかにした。
河川次数
  河川次数を示す概念図
(数字は、それぞれの河川における次数を表す) 「アユと日本人」秋道智彌(1992)より
(⇒;説明のため追加

 アユの垂直分布(海抜高度)をしらべると、飛騨国の四河川では大きく異なり、庄川では海抜800m、高原川では400m、宮川では650m、益田川ではせいぜい300mまでで、アユの遡上は標高とは直接関係がない

 川は最上流部からいくつかの支流や谷があつまってより大きな支流をつくる。こうした支流があつまり、やがて本流となって海や湖にそそぐ。
 一つの水系を左図のように支流を次数であらわす。最上流部の河川を一次河川、別の一次河川が合流して二次河川をつくる。さらに二次河川と二次河川が合流して三次河川をつくる。ただし、二次河川に一次河川が合流してもその合流点より下流部は依然として二次河川であるものとする。

 飛騨地方の五万分の一の地形図をもとに、すべての河川の次数をしらべアユの産する村の河川次数を集計して『斐太後風土記』の記載と照合した。その結果、アユの分布と5次河川とが密接に関係していることが分かった。

『斐太後風土記』 の一部
 大野郡白川郷の項「・・・されど豊年ならでは、上白川まで上がらず。豊凶に係わらず、中切・大郷等、下白川にては魚梁にてとるとぞ」(上白川=四次河川、下白川=五次河川)
 
吉城郡小島郷大無雁村の項「魚梁 宮川へ年魚の登ることは、年によりて多少有、豊年には最數多登て、高山町の橋々より上までも登ることあれど、其は稀なることにて、押竝ては下切村の歩危の下なる淵まで登すめり・・・」(高山=三次河川)
 
大川、益田川に関する項「・・・年魚、二釜瀧まで上流には稀也」


***
 ダムが作られると、それ以前にくらべアユの遡上が減り形も小さくなる事が経験的に知られている。
 この秋道智彌の解析結果と照らし合わせて考えると、ダムが作られるとそこで川の次数は0になるわけであるから、ダム下流の河川次数が減り遡上が悪くなるのは当然のこととなる。
例えば、図の⇒の位置にダムを作ったとすると、その下流の本流筋は4次から3次に減り、最下流は5次河川であったのが4次河川になってしまう。図の最下流部ではダムが出来る前は平年でもアユが遡上していたのが、ダムが出きたあとは豊年でなければユアは遡上しなくなってしまうことが充分予想される。

漁協関係者や釣り人はこの関連を充分考慮する必要がある。 鮎師は脱ダムに協力しよう!

    
 回遊魚は川と海を往来する、遡河回遊、両側回遊りょうそくかいゆう、降河回遊の3種類に分けられている。

    

***かつてない広域的大規模サンプルのDNA分析でわかったアユの地域差***
 これまでにアユの遺伝分析は数多く行われてきましたが、「琵琶湖産アユ以外の日本列島のアユには,遺伝的な地域差は見いだせない」といわれてきました。

 日本近海のアユは大規模な遺伝子解析の結果から、地域ごとに六つのグループに分類できることを、総合地球環境学研究所の武島弘彦助教ら のグループが突き止め、分子生態学分野のトップジャーナルであるMolecular Ecology誌(インパクトファクター:6.49)に2016年6月9日にオンライン公開されました。


その地域とは,北海道,北日本海/三陸,関東/中部,南日本海,四国/紀伊半島,九州の6地域です.亜種リュウキュウアユと日本列島のアユの遺伝的地域差の程度を100とすると,琵琶湖のアユとその他の日本列島のアユでは10程度,日本列島のアユと朝鮮半島のアユでは1程度,日本列島内部の地域差は1以下の小さいものと考えられます.

総合地球環境学研究所>かつてない広域的大規模サンプルのDNA分析でわかったアユの地域差
2016年6月6日

***リュウキュウアユ***
 奄美大島と沖縄本島にもアユは生息するが、リュウキュウアユという別亜種である。
 *リュウキュウアユについて/沖縄県 *リュウキュウアユの復元pd
  *リュウキュウアユの遡上生態 *リュウキュウアユ遡上固体の出現状況


2.琵琶湖のアユ
(1)琵琶湖のアユは海アユが陸封されてできた 
 琵琶湖のアユは、春に川を遡上して石の藻を食べ大きくなる“大アユ”と、夏の間も湖に留まり秋になって川にのぼり産卵する“コアユ”とがいる。
 大アユとコアユはどのようにして出来たのかは、川那部浩哉の研究では、以下のように説明されている。
もとは、海とつながっていたのが琵琶湖となり、そこにアユが陸封されたのは10万年〜30万年程前といわれている。その後最終氷期といわれるヴュルムの主氷期では、琵琶湖とその周囲の河川の水温がそれ以前の暖かい時期より7〜9度も下がり今の北海道の北東部の温度よりも低くなったといわれ、琵琶湖のアユは、日本にいたアユのなかで最も寒い環境で生き延びることになった。琵琶湖のアユは、従って氷期には、ナワバリをもっとも強く守らねばならなかった。琵琶湖のアユが、他のアユ=海アユにくらべて、ナワバリを強くもつ性質はこの時代に獲得され、現在に受け継がれている。
 ひどく寒くなった琵琶湖周辺の川で、僅かな藻を食べてやっていくのは、大変な試練であったから、春になっても川に遡らずに湖の中で夏を過ごすものが出てきた。見かけ上は、まるでキュウリウオ科の御先祖に戻ったかのような、産卵直前まで止水域に住み、ずっとミジンコなどの浮遊動物を食うといったものが、琵琶湖の中で氷期に成立した。幼期以降は藻を食べて大きく成長する方向に進化してしまったアユは、湖の中の浮遊動物だけ食べていたのでは大きく成長することはできず、幼生のままで生殖期に達して秋に川を遡り産卵する、いわゆる琵琶湖のコアユができたと考えた。
〔近年の遺伝子解析によると、琵琶湖のアユが海アユから別れたのは、約1万7千年前だという。〕

(2)琵琶湖には四つのタイプのアユがいる
 琵琶湖のアユについて東幹夫(長崎大)がさらに調査研究(1973)した結果、琵琶湖にはA,B,C,Dの四つのタイプのアユがいると報告された。
 これらA〜Dのグループは、産卵期のズレによる生殖的隔離により、ごく初期の段階ではあるが、種分化の過程にあると考えた。

Aグループ 春早く周りの川へ上がって大きくなるもの。湖産アユでは一番遅くに産卵する(9〜10月)。
琵琶湖ではオオアユといわれる。(低温適応性)
Bグループ 川へ遅く遡り(5〜7月に上る)大きくならないもの。
Cグループの後に産卵するが、Aグループよりは産卵が早い(9月)。
Cグループ 夏中ずっと湖で過ごし、食物はミジンコなどで、春以降ほとんど成長しない。
秋になり産卵直前に川に遡り一番早く産卵する(8〜9月)。
琵琶湖ではコアユといわれる。(高温適応性)
Dグループ 夏も湖にいるが岩礁地帯に住み、岩に付いた付着藻類を食べかなり大きくなるもの。
素性不明。

(この調査で琵琶湖には形態の異なるアユがいることを明らかにしたが、A〜Dの各グループの孵化時期を耳石で日齢を確認するということが行われなかったために、各グループの孵化時期と産卵時期との間に混同が生じた。そのために、産卵期のズレによる生殖的隔離によってごく初期の段階ではあるが、種分化の過程にあると考えてしまった。)  (東による、島根江川におけるBグループ放流試験では、Bグループはあまり成長せず、成長もゆっくりしていた。C、Dグループの放流試験は行われなかった。)
  *びわ湖における陸封型アユの変異性に関する研究

(3)琵琶湖のオオアユ、コアユは、早く生まれたか遅く生まれたかによって決まる
 塚本勝巳(行動生態研究室教授/東大海洋研究所)は、
琵琶湖のオオアユ、コアユは、早く生まれたか遅く生まれたかによって決まると発表した。
(塚本ほか(石田,中,梶原)1987. Switching of size and migratory pattern in successive generations of the land-locked ayu.)
(アユの回遊メカニズムと行動特性1988塚本、「現代の魚類学」100〜133頁・朝倉書店)

これは、琵琶湖アユの輪廻転生のような興味ある研究報告である。
(この報告では上記東のAグループを春遡河群、Bグループを夏遡河群、Cグループを残留群(秋遡河群)と呼んでいる。)

 魚の内耳には耳石と呼ばれる石灰化した硬組織があり、顕微鏡で見ると木の年輪のような成長輪が認められ、これを1本ずつ計数すれば,日齢を査定することができる。
採取した仔アユの日齢が分かると、逆算で孵化した日が分かるし、何日で何センチまで育ったのかが分かる。
これを調べた結果、次のことが分かった。
  1.早生まれほど、若齢で早期に遡河する。
  2.成長の良いものほど、小サイズで早期に遡河する。

琵琶湖アユ回遊 孵化時期と遡河時期の関係をまとめると、次のようになる。
夏の終わりから初秋に孵化した早生まれの仔魚は成長がよく,若齢・小サイズで,早期にヒウヲ漁場(琵琶湖沖合い)に加入する。これらの魚はやはり早期にヒウヲ漁場を去り,春先より若齢・小サイズで溯上を始め,春遡河群となる。
 一方,遅生まれのものは成長が悪く,長い時間かかって高齢・大サイズとなり,遅れてヒウヲ漁場に加入する。これらは6月以降に高齢・大サイズとなって遡上する夏遡河群と,そのまま秋まで湖中にとどまる残留群とに別れていく。
 残留群 (コアユ) の産卵期 (8〜9月) は春遡河群 (オオアユ) のそれ (9〜11月) よりも1ヶ月以上早い。したがって,小サイズで成熟する残留群 (コアユ) は早期に産卵するので,その子は当然,早生まれとなる。早生まれのものは早く遡上して春遡河群 (オオアユ)になる。
 一方,春遡河群 (オオアユ) の産卵期は残留群 (コアユ) よりも遅いのでその子は遅生まれとなり、湖中にとどまって残留群 (コアユ) になる。

オオアユとコアユオオアユの子は次にはコアユになり、コアユの子は次にはオオアユになる。
このように、毎年毎年、世代が代わるごとにオオアユとコアユが交代している。
「各群のふ化時期とその産卵期の対応を考えるとオオアユの世代時間は1年以上,コアユのそれは1年以下となり,親・子・孫と世代が移るのにつれて,寿命の長短が繰り返されます.以上のことから,ふ化日が回遊型を決定し,回遊型の差がオオアユ・コアユという外見上の大きな差を生んだと結論することができます.」と報告されている。

(塚本ら(石田,中,梶原)1987.は Switching of size and migratory pattern in successive generations of the land-locked ayu. で、琵琶湖のアユは遺伝的に一つの集団であり、孵化時期成長率の違いによって回遊型や外見上の形態に大きな差を生じたにすぎない、と発表している。)

 海アユの遡河についても、稚アユの耳石を取って日齢査定をした結果、早生まれほど、また成長の良いものほど、早く遡河することがわかった。太平洋(天竜川)、有明海(矢部川)、および日本海(信濃川)などの海域や年度によらず早く生まれたアユほど早く遡河する傾向が認められた。⇒参照;仔・稚アユの生態(その2)、(3)稚アユの遡上

***
耳石耳石は魚の頭部に3対ある平衡感覚器官の一部で、形は米粒状、主成分は炭酸カルシウムです。耳石には面白い性質があり、昼と夜でカルシウムの沈着率が違うため、木の年輪のような一日一本の輪(日周輪)が形成されます。ですから捕れたアユの耳石の日周輪の数を数えると、捕れた日から逆算して誕生日が分かります。
また、耳石の中心からのストロンチウム分布を測定することで湖産、海産、人工産の正確な区別ができる。

***
ヒウオ=氷魚;琵琶湖に産する小鮎の子で、孵化後一、二ヵ月を経た稚魚を冬に漁獲する。長さ五、六分(約一・五センチ)、無色透明で氷のようなのでこの名がある。
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 琵琶湖産のアユと海産のアユは、遺伝子レベルでは異なった遺伝的集団(別種のアユ)であることがわかった。
琵琶湖産のアユは、孵化後に海へ下っても海で生存出来ないので、海に注ぐ河川では再生産に寄与しないといわれる。
湖産アユが海で生き残れない理由として、塩分に弱いといわれていたが、むしろ湖産アユの産卵時期が早く、流下時期の海水温度が高いために高温度に負けて死んでしまう可能性の方が高いとも言われている。湖産の孵化したばかりの仔魚は水温20〜23℃以上では死ぬらしい。
***
 三重県海山町の銚子川に、川に上らずに河口の汽水域で夏も過すシオアユとよばれるアユがいるそうです。姿はアユですが、海の魚のように生臭い匂いがして味も良くないそうです。このアユも秋になると琵琶湖のコアユと同じように川に上り、産卵するのだろうか?
和歌山にもシオクイアユとよばれる、河口の汽水域で夏も過す、アユがいるそうです。
 最近の釣り雑誌でも、夏に岸近くの岩礁地帯で、大きくなったアユがいることが報告されていました(場所は忘れました)。皆さんの近所にもシオアユのようなアユがいるかもしれません。子供の頃のように、近所の海辺でシオアユ探しをしてはいかがですか。見つけたらお知らせ下さい。
***
 琵琶湖以外にも池田湖(鹿児島県)などの湖で生殖を繰り返しているアユが知られている。
また、湖産アユをダム上流の川へ放流した場所で、アユが産卵、遡上、成長している例が多く報告されている。ただし、冬季に水温が5℃以下に下がらず、仔アユの餌となるプランクトンが充分発生するダムに限られている。4℃以下の水温ではアユの仔稚魚は生きていけないようです。
 琵琶湖以外の陸封アユが生存している湖とダム
 天然湖;池田湖(鹿児島)、御池(宮崎)、本栖湖(山梨)
 人工湖;鶴田ダム湖(鹿児島)、阿武川ダム(山口)、満濃池(香川)、野村ダム湖(愛媛)、阿木川ダム(岐阜)、神流湖(群馬) など
 *阿武川ダム、野村ダム湖の陸封アユは海産系であることが確認されています。
  山口県水産研究だより「ないかい 11号2001年3月」


3.人工産アユ
 人工産アユとは、卵から孵化、稚魚の飼育、親魚の飼育までアユの一生を人が育てたものである。人工産アユには、海産アユを親にするもの、琵琶湖産を親にするもの、海産と琵琶湖産と交配させたもの、がある。
(養殖アユとは、稚アユを海、川、湖で採捕して、それを池で飼料を与え育てたもの。)
 アユの養殖については、「アユの養殖知ってますか?」をご覧下さい。

(1)人工産アユのはじまり
 大正11年から14年にかけ、台湾総督府・水産試験場の小林彦四郎氏が台湾の淡水渓でアユの卵をとり、これを育て、数尾ながら親になるまで飼育した。これが人工産アユの始まりで、アユ養殖のきっかけとなった。
 その後、昭和8〜10年にかけ、大阪ガス社長の片岡直方氏が自費で研究し、大阪湾のプランクトンを集めるなどの苦労の末、アユを育てるのに成功した。これに刺激され各県の水産試験場で研究されたが、成功を見ないまま戦争で中断した。
 戦後、各県が研究を再開したが、大量生産は困難であった。それは、孵化して最初の餌に何が良いか見つからなかったからである。

(2)人工産アユ大量生産の成功
ツボワムシ 卵から孵ったシラスアユ(孵化仔魚)のエサとして、ツボワムシというウナギの養殖池に大量発生するプランクトンが良いエサとなることが伊藤隆(三重大、水産学部)により昭和37年(1962)発見された。また、伊藤氏はツボワムシの培養池とアユ仔魚の飼育池を別々にする異槽式飼育方式を考案した。
ツボワムシの大量培養の技術が確立されたことにより、人工産アユの大量生産が可能となった。
ようやく昭和45(1970)年頃から、岐阜、山口、熊本などの県の種苗センターなどで100万尾以上の稚アユを生産できるようになった。
 その後、海アユは本来海に住むものだというわけで、岡山水試の星野氏が、シオミズツボワムシ、ブラインシュリンプなどを餌にして、海水で養殖することを始めた。
これ以降、孵化した仔魚は濃度の低い海水で飼育されるようになった。
 参照ワムシ講座(栽培漁業センター)

人工産アユ種苗の大量生産は、ダムや河口堰の補償放流対策として計画された
 アユ人工種苗の大量生産は、利根川や長良川の河口堰とか、優秀なアユ河川でのダム建設などに対して、大量の稚アユを補償放流しなければならかったが、環境悪化などにより湖産稚アユはその量が年々減ってきて、既に各地の漁協からの需要には答えられないほどになっていた。同様に、海産アユも減少していた。
したがって、この補償放流のための種苗(稚アユ)は人工生産で賄わなければならず、アユ人工種苗の大量生産が計画されたのである。
 各県の水産試験場や種苗センターで、種苗(稚アユ)の大量生産が行われるようになり、仔稚アユから成魚への大量養殖技術が完成したのは30年ほど前のことであった。
大量生産を始めた初期には、鰭、鰓、背骨の異常、寸詰り顔、口唇不整合などの奇形が高頻度で発生し、よく管理して飼育した場合でも100%に奇形が発生したりし問題になった。これらの奇形は、初期の飼料の影響が大きいことがわかり、初期にクロレラで培養したワムシを与え、生餌を与える期間を調整したり配合飼料の改良などが行われた。餌や飼育条件の改善で、それも次第に解決されて現在ではほぼ問題の無い状況にまできたようである。
 そして現在は、市場に出荷されるアユの大半は養殖アユと人工産アユになったし、河川に放流される稚アユの半数以上が人工産の稚アユとなっている。
オトリ屋でのオトリ鮎もほとんどが養殖アユ、人工産アユに代わった。

(3)人工産アユの親は?
 人工産アユの親は、大きく分けると、海アユ、琵琶湖産アユ、海アユと琵琶湖産アユを交配したアユの3種類があります。
この3種類の中でもそれぞれ、その年に遡上した親鮎を採捕したものと、何代も人の手で育てられたもの(継代飼育)とがあります。その年に遡上した親と継代飼育した親とを交配することも行われています。

  *マイクロサテライトDNA分析によるアユ継代種苗の遺伝的変異性と継代数の関係


4.海産、琵琶湖産、人工産の見分けかた。
 人工産のアユが出てくる以前、静岡県西部の天竜川や近辺の川でアユ釣りをしていた頃は、海産は体型がスマートで背鰭が短く、湖産は背鰭が長く背鰭の黒縞模様がはっきりしてるなどと言っていたように思う。また、友釣のベテランはこれは天竜のアユ、これは安倍川のアユ、これは狩野川のアユなどと言い当てるほどにその川ごとに特徴を持っていた。
 最近は、アユが変わったのか、川の環境がおかしくなったのか、どうも区別が付かなくなって来たように思う。いろいろな川へアユ釣りに行くが、自分が釣ったアユが天然遡上なのか、海産放流なのか、湖産放流なのか、はたまた人工産の放流ものなのか、かいもく判らないというのが実情である。いまや人工産稚アユの放流が全放流量の約半分にまで増えているのだが、人工産は鱗が粗く硬いと云われたりするが、どうも私には良く判らない。

(しかし、人工産が出てくる前には見たことの無い、顔が寸づまりとか、口がねじれたように変形したものとか、背骨が妙に曲がったアユを何度か釣ったことはあるが、その鱗が粗かったかと言われると、判らなかった(良く見ていなかった)と云うより他ない。→これからは、ウロコの数や乱れを気をつけて見るようにしよう。)

外観で湖産、海産、人工産の見分ける方法
アユ見分けかた
(1)背鰭大1棘と側線の間に並ぶ鱗の枚数(上図矢印部)による見分け方
  湖産:25〜28枚(仔アユを採捕養成すると枚数が少なくなり、20以下もある。)
  海産:18〜23枚
  人工:15〜20枚
  これだけでは、釣り人が見分ける決め手にはなりにくい。
天然遡上のものは鱗の枚数が多いことは確かである。
(神奈川水試では、背鰭第5棘のところで数える方が、枚数を数え易いと云っております。その場合、鱗枚数は上記の値よりも4〜5枚少ない数になります。)

(2)群馬水産試験場が示している見分け方
アユの全体の姿と、上図の○印の背鰭後ろ部分の鱗の並び方を上側から見る。
  琵琶湖産:頭は小さい。体高があり、頭は扁平する。
      ○印の部分;背中央は黒色に近い。
        鱗は細かく、配列は規則正しい。
  海産、河川産:頭は中くらいの大きさ。胴は比較的細い。
      ○印の部分;背中央は黒から褐色。
       鱗の大きさは湖産と人工産の中間。配列は規則正しい。
  人工産:頭が大きい。胴が細く丸い傾向がある。
      ○印の部分;背中央は黄から褐色。
       鱗は比較的粗く、大きさは一定しない固体もある。

 人工産アユの欠点(特徴?)とし、鱗の大きさを上げる人がいるが、初期の段階で塩分濃度の低い海水で飼育するためか、琵琶湖産アユと比較すると、見た目は肌がざらついている感触がある。しかし、琵琶湖産どうしの交配でも人工的に飼育すれば、鱗が粗くなることが知られている。
現在、海産アユと人工産アユを鱗の大きさから判別するには、よほど注意して見ないと分からないものもある。

以上のことからすると、良く管理され育成された稚アユの場合には、人工産かそうでないかを外観から区別するのは、かなり難しいということになるようです。が、いつも鮎を見ている人は区別がつくようです。

(詳しくは、神奈川、群馬の水産試験場ホームページで確認して下さい。)
参照;新潟水試「鱗計数によるアユの種苗由来判定

(3)下顎側線孔数での見分け方

天然アユでは海産も湖産も下顎側線孔が4対きれいにならんでいるが、人工産ではこの孔の数が少なく位置関係も不揃いになっている。
「下顎側線孔数が4対あるか、無いか」これなら釣人が川で見分けられる。

くわしくはこちらで
 アユの種苗由来判別法(福井県内水面総合センター)
 岡山水試:水試だより(平成14年11月15日第279号)

左写真は「水試だより」のものです。
下側は孔が4個ありますが、上側は3個しかありません。
孔の並び方が人工産では乱れているものが多いそうです。

*****
DNA分析と耳石のストロンチューム分布測定をすれば正確な区別が可能だそうです。

  *マイクロサテライトDNAマーカーによる釣獲されたアユの由来判別と種苗放流効果の評価

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