アユの発生となわばり習性の獲得     「鮎の話」へもどる       



   アユの成り立ち                             BGM

1.キュウリウオの仲間からアユへの進化(「アユの博物誌」川那部浩哉に基づく)
  (海アユの発生)
 今からおよそ1000万年ばかり昔、北太平洋には、沿岸域ないしそのやや沖合いにすんで、そこで成長し、産卵の時期になって水際や河口にやってくるキュウリウオ科に属するキュウリウオ、シシャモ、ワカサギ、チカなどの先祖たちがいた。
この魚たちは海や湖でプランクトンなど浮遊動物を食って成長し、産卵期が近づくと沿岸や川口だけでなく、川をややさかのぼったり、海に近い湖に入ってその沿岸で産卵するものたちが生まれた。キュウリウオ科のものは、成熟するまでの年数がほとんど1年まれに2年で、寿命も1〜2年である。
 そんなキュウリウオ科のなかから、生まれて間もなくして川に上り、しかも石の上に付着する珪藻とか藍藻などの藻類を大量に食って大きくなるという生活をはじめたものが現れた。これがアユである。
(これを海アユと呼ぶことにする。)

 なぜ、藻を食うことを選んだのかアユのご先祖様に聞かなければ分からないのだが、その当時1,000万年ばかり昔のアジアの淡水域にはコイの仲間が至る所にはびこっていて、底生動物を食うもの、浮遊生物を食うもの、エビや小魚を食うものと考えられるほとんどのものを食って大きくなる魚達がいた。草や長く伸びる藻を食うやつもいた。
 幸いというか、それしか残っていなかったというか、石の表面に付着する藻を食うやつはいなかった。そこでアユの先祖は、この石の表面に付着する藻を大量に食って大きくなるという生き方を選んだのである。

 いつの頃にアユが誕生したのか定かではないが、川那部氏の研究によれば300〜100万年ほど前だったとされる。アユが北太平洋のどのあたりで生まれたのかについての証拠はない(アユ発生時の化石や骨などが見付っていない)が、日本かその近辺で生まれたと考えてさしつかえないだろう。

 氷期となわばりの形成
 他の魚が食わない石に付着した藻をたらふく食べて成長する道を選んだアユが生まれたのは、夏の間アユが食うに困らない量の藻が川の石に増えることのできる、温暖な時期であった。
 若いうちに川に上り、石に付いた藻を食えるように唇、歯、顎や舌の形を変えてしまったアユに、数十万年ほどの後に災難が降りかかるのである。それは、寒冷の時期、氷期がきてしまい、藻の増え方も少なくなって充分な餌を確保するのが大変になってしまったのである。生物は一度進化してしまうと後戻りは出来ない宿命をもっている。したがって、藻を食うように進化してしまったアユは、この寒い時期にも海に帰って他のキュウリウオ科の仲間達の生活にもどって生き延びるというわけにはいかず、なんとしても石の藻を食って生き延びなければならなかったのである。
 そんな、寒い逆境のなかで生きのびて子孫を残すために、アユは自分が食べても余るほどの藻を確保する面積−すなわち約1平方メートルの地域−を成長期になわばり(摂食なわばり)として防衛する性質を身に付けた。氷期の後には間氷期すなわち温暖期がやってきたが、なわばりの性質を保ちつづけたアユは、次の氷期が来た時にそうでないアユよりも有利に生き残った。こういう氷期と間氷期の交代はアユが生まれてから今日まで4〜5回におよんだ。そういう試練を経て、アユは“なわばりを持つ”という習性を身に付けた。
  *アユの社会構造の進化史的意義について (日本生態学会誌 June,1972)

そのおかげで、我々は、悪魔の囁きにも似た、抗し難い摩訶不思議な魅力をもつ友釣というものを今日楽しめるという訳である。

2.琵琶湖のアユは海アユが陸封されてできた
 琵琶湖のアユは、春に川を遡上して石の藻を食べ大きくなる“大アユ”と、夏の間も湖に留まり秋になって湖岸や川に遡って産卵する“コアユ”とがいることが古くから知られている。
 大アユとコアユはどのようにして出来たのかについて、川那部浩哉氏は以下のように説明している。
 もとは、海とつながっていたのが琵琶湖となり、そこにアユが陸封されたのは10万年〜30万年程前といわれている。その後最終氷期といわれるヴュルム(ウルム)の主氷期(7〜1万年前:もっとも寒冷だったのは2〜1.8万年前)では、琵琶湖とその周囲の河川の水温がそれ以前の暖かい時期より7〜9度も下がり今の北海道の北東部の温度よりも低くなったといわれ、琵琶湖のアユは、日本にいたアユのなかで最も寒い環境で生き延びることになった。琵琶湖のアユは、従って氷期には、ナワバリをもっとも強く守らねばならなかった。琵琶湖のアユが、他のアユ(海アユ)にくらべて、ナワバリを強くもつ性質はこの時代に獲得され、現在に受け継がれている。
 ひどく寒くなった琵琶湖周辺の川で、僅かな藻を食べてやっていくのは、大変な試練であったから、春になっても川に遡らずに湖の中で夏を過ごすものが出てきた。見かけ上は、まるでキュウリウオ科の御先祖に戻ったかのような、産卵直前まで止水域に住み、ずっとミジンコなどの浮遊動物を食うといったものが、琵琶湖の中で氷期に成立した。
 (幼期以降は藻を食べて大きく成長する方向に進化してしまったアユは、湖の中の浮遊動物だけ食べていたのでは大きく成長することはできず、幼生のままで生殖期に達して秋に川を遡り産卵する、いわゆる琵琶湖のコアユができた。と当時の川那部氏は考えた。)

 (1973年東幹夫は琵琶湖にはA,B,C,Dの四つのタイプのアユがいることを報告した。
  1987年塚本勝巳らは、琵琶湖の大アユ、コアユは早生まれか遅生まれかによって決まると発表した。
  参照⇒アユの種類、琵琶湖アユ

 近年の遺伝子解析によると、琵琶湖のアユが海アユから別れたのは、約1万7千年前だという。

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