カナダからの同志に会えた
                     上之山町3丁目 岡田 みどり

 12月11日でついにゴンドラ差し止め訴訟も公判を1年維持しました。皆様のご支持
ご支援のたまものです。ありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
 ゴンドラ第7支柱建設は博覧会協会にとっても紆余曲折であったはずです。工事半
ばにして砂防・森林法違反工事が発覚してしまい2ヶ月工事中止となりました。工事
遅延は協会にとって不本意であったでしょうが、当町にとっても必要でもないのに保
安林機能永遠喪失のパーセンテージを上げられてしまいました。例によって協会は説
明もしない不誠実さでありますが、私はふとこの日本ケーブルは信頼できる会社なの
か?と思うようになりました。かねてから裁判のかかっている場所です。曲がりなり
にも「環境博」の重要な施設のひとつなのです。申請図面は工事開始時には、とっく
に出来上がっていました。それなのに「業者が図面通りいたしませんで」(輸送グルー
プリーダー談)。そのあとさらに軽油無届露天設置も発覚し、少なくともドラム缶3
本もの軽油をヘリで吊って運んだのか?と驚くに及んで私の目は日本ケーブル社にも
向けられるようになりました。

 そんな時、「ヤイユーカラの森」や「先住民族10年の市民連絡会」の方々が「カナダ
で、現地の先住民の同意なしで彼らの伝統的領土と文化圏を破壊するリゾート開発を
する日本ケーブルと闘っている方々」を日本にお招きすることを知り、カンパも底を
つき、その日は13:20よりゴンドラ事業許可取消控訴審の判決があるにも関わらず、
東京行きを即決。

 東京駅すぐのアイヌ文化交流センターに着いたのは日暮れも近い午後5時。カナダ
の5人の方々は彼らの運動に関するビデオを見ておられました。疲れてしかも日程も
詰まっているようでしたが、集会の前の10分ほど(夕食中)をおじゃまして万博ゴン
ドラの説明をすることができました。

 「オオクボ イズ マイフレンド」長老のアイリーンがまず言いました。更に「彼は私
を4回刑務所に入れた。私はプラカードで抗議しただけ。彼は私の言うことを聞きま
せん。」「彼は私たちの文化を尊重していないようだ。」そして何回も出てきた単語
は「ジェノサイド」。アイリーンは73歳ですが、今後も子どもたちのため運動は続け
るとの事。まさに「飼いならされない」尊敬すべき方々でした。

 名古屋に戻るため集会も途中で帰るしかない私を、ひとりのカナダの方が追ってき
ました。そして私に手作りの小物と鮭の燻製をくれたのです。何かが私の中ではじけ
ました。私たちは抱き合い泣きました。「オオクボ ゴー ホーム」のプラカードを
持っただけで刑務所に入れられる彼ら。そして何もしていないのにみんなで作った「
ゴンドラ反対」の看板を何者かによって何度も壊され続けるこの町。私たちが何をやっ
たというのか?自分の家を自分で守っているだけなのに。しかも、人種差別に基づく
と思われるこの人々の苦難は私たちのそれより早く始まり、しかもエンドレスなので
す。

 その上、2010年冬季オリンピックが彼らの居留地のそばで行われることが決定して、
更なる環境破壊が予想されているのです。「この人たちのためにもやらなかん」とい
う思いがふつふつと沸いてきました。「この町のことはこの町のものが決める」これ
は世界中の誰もが願うささやかなしかし最低の権利ではないのか?

 これからも万博協会関係者にとって「がんこでタフな相手」であり続けたい上之山
であります。

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