愛知県知事 神田 真秋 様

             
市民意見書(2)

                             04年7月9日

                             海上の森を守る会 大薮 勇機

2.ムササビに関する意見
イ.照明や騒音、振動がムササビにどのような影響を与えるか、繁殖や忌避行動との関係を予測・評価すべきです。
 「追跡調査案15年度」はムササビ調査の報告で、とんでもない誤解を与えているようです。オスの1頭に発信器を付けたテレメトリ調査で行動圏を解析したことが、何やら会場と周辺のムササビを調査し尽くしたような感じを持たせたようです。
誤解は更に深まり、今年の6月25日に開かれた万博協会の環境グループと「アセス市民の会」(愛知万博の環境アセスメントに意見する市民の会)の意見交換会で、環境グループのメンバーが「(瀬戸会場の)工事をやっている中へムササビが入り込んで来ている」との認識を示す程になっています。
これらの誤解は2つの報告書に原因があり、誤解の上にムササビが位置づけられています。

ロ.万博協会がムササビを環境要素の対象からはずした理由を明らかにしていないのは、無責任のそしりをまぬがれませんが、おそらくムササビの活動が日の入りの後の30分程から始まるという一般論を根拠にしているのでしょう。
しかし、それでは追跡調査をした意味が半減するではありませんか。調査によって具体的な活動開始時間が分かっているはずです。言うまでもなく、先人たちの研究調査によってムササビの一般的法則的な生態と、個別的具体的な生態が明らかにされてきたのであって、そうだからこそテレメトリ調査を実施して「内部構造」(巣の位置、高頻度利用域、エサ場など)の把握をしてきたはずです。追跡調査の報告書もそう述べています。(P.99)
 この調査によって会場や周辺で確認されたムササビ3頭、連続した生息域に7頭程が居ると推測されたのですから、時季、時季における日の入りの時間と活動開始時間(出巣時間)を発表しなければなりません。
特に夏期の会場公開時間が1時間延長されるのですから。

ハ.これ以降の私の意見は、02年6月から03年8月までのムササビ調査を行った結果に基づいてのべることになりますが、調査結果はすでに次の機関に通知しました。
@万博協会、環境グループ。03年10月10日、「アセス市民の会」との意見交換会にて、ムササビの生息域を簡単な図面にして書き込んだもの。
A環境省、経産省、愛知県、万博協会。03年11月2日、市民意見書と生息域や観察記録、食痕などの資料を添付したもの。
 従って、ムササビについてこれまでの資料との一貫性を維持するため、生息域と発見の順序でA、B、C、D、E、F、Gと略して表記します。

ニ.研究者の報告によれば、出巣時間について季節によるもの繁殖期によるものなど、個体によるバラ付きが1時間半程もあります。
個体差には人間をあまり恐れないムササビも居るようです。実はテレメトリ調査で発信機を背負わされたムササビはこの類に属します。
@4年前、家族でホタルの観賞に出かけた時、懐中電灯を振り回しワイワイガヤガヤ帰って来ると、私達の頭上を巣穴のある方向へ滑空し枝に止まってじっと見ていた。02年6月、巣穴を確認。
A02年12月3日、あるムササビ生息地域での鳴き声調査で、私が寄りかかっていた木の頭上2mに居て、私を観察していた。17分後、樹上の球状巣の近くで私の赤色ライトを浴びながら、8分間も求愛の鳴き声を響かせた。途中「ギィーイ」と1度だけ威嚇された。繁殖期のムササビです。
ムササビにも個性があること、ムササビ調査の前提です。

ホ.出巣時間を知る為には巣の在りかを知っていなければなりませんが、ムササビEで次のような観察結果があります。
樹上巣があるとにらんだ区域で、03年7月15日に調査を行ったところ、日の入りが19時07分であるのに19時03分から頭上の北側で「グルグルグル」と大きな声で鳴き始め(距離が近いということ)、19時14分には小声になりましたが、観察定点に近づいてきました。
また、同7月22日の調査では、上記の鳴き声のした場所の東側10mの観察定点で、19時05分に滑空して行く姿を目撃しました。上記の鳴き声のした区域から北東方向で、その上部にはムササビの食痕が残っている小さなマツの林があります。ムササビEは、日の入り後30分頃から活動すると言う一般論が当てはまりません。
 尚、樹上巣があるとにらんだのは以下の観察の結果です。
 @03年5月29日と6月5日。鳴き声、「巣の区域」の南側30〜50m。
 A同、6月5日。鳴いた後「巣の区域」への移動を目撃。
 B同、7月5日。皮ハギの音(20時26分)「巣の区域」その後、スギの上部10m程に新しい皮ハギ跡が見つかり、序所に皮ハギ跡が広がる。
 C同、7月5日と11日。鳴き声、「巣の区域」と南側5〜10m。
 D同、7月11日と16日。枝の折れるペキッという乾いた音、「巣の区域」の南側と東側。

ヘ.ムササビが必ずしも一般論で解明できないことは別のムササビでも目撃しました。
02年10月12日、13時30分頃。ムササビの巣穴のある木の下に辿り着いた時(その時は単に2つのウロがある木という認識)、突然ムササビがウロから飛び出し、私の頭上30cm程まで降りて来ました。数分後、私がその木から離れるとムササビは駆け登って隣りの木に枝渡りし、姿を消しました。
同10月17日、13時30分頃。4人でムササビBの巣穴の確認に行きました。話をしながら近づくと、ムササビがウロから出て隣りの木に飛びうつり駆け登って行きました。
 尚、ムササビはその後の調査で親子の鳴き交わしをしていること(1/5)、子供のフンが見つかったことで(2/8)、当事は子育て中のメスであることが分かりました。
 子育て中のメスが声(音)や振動に敏感に反応するのですから、他の期の子育て期間である3月〜5月を考える上で重要です。万博開催期間ですから。
 また、会場から離れたムササビの巣で次のことを目撃しました。
03年5月18日、13時10分頃。ムササビの巣穴から20m程離れた場所で十数人が巣穴の観察をしていたところ、ムササビがウロから出て巣穴を一回りし、私達を見ると再びウロの中へ入りました。しばらくの間しっ尾を外にだしていました。繁殖期に入るとムササビの(特にオスの)活動パターンが変化する典型です。

ト.さて、以上のようにムササビの出巣時間を@時期や季節に応じて明らかにすること(食べ物の場所との相関関係があると思われる)A特に繁殖期について明らかにすること、B特殊に子育て中のメスについて明らかにすること、これらの事実が発表されなければなりません。

チ.他の公表されるべき資料や不十分な調査を指摘します。
@テレメトリ調査の対象となったムササビのオスについて
 繁殖期に21ヘクタールを移動しているのは驚くことではありません。この時期のオスは通常3〜4頭のメスの縄張りに出かけますが、メスの縄張りが約7ヘクタールであることが分かっているのですから、ムササビは研究者の報告を実証するものです。会場などのムササビの生息数を確定するために公表しなければならない事項は、何頭のメスの縄張りを繁殖期の行動域にしているのか、どの区域にメスが生息しているのか、と言うことです。(メスが居れば子供も居るということ)何よりも第1に、公表されるべきは、非繁殖期のムササビの生活域です。第2に、「遊歩広場」や「遊歩道」「展望広場」の建設(に伴う樹木の伐採や土地の改変)の過程で、行動パターンがどのように変化したか、です。第3に、工事現場の近くの巣も利用しているとのことですが、それが季節の食べ物の変化によるものか、工事(の場所)の移動によるものか、明らかにすべきです。なにせ、かってムササビの生息地を更地にしておいて、パビリオン等の予定地を滑空するなどの観察は無かった、と報告しているのですから。ただ面白いのはテレメトリ調査の図を見ると、愛工大北西角の万博取付け道路(県道)予定地の、40m巾で山が削られた場所でムササビがUターンしていることです。

A調査されていないムササビE
 日本自然保護協会など環境3団体も指摘してきたムササビEは、生活域を真っ2つに分断されます。万博取付け道路(県道)と南北道路(瀬戸市道)の計画がそれです。最近愛知県は県道巾を4〜5m程にするよう検討していると伝えられていますが、03年10月10日から同県道予定地にチェンソーが入り、現在すでに40m程で400m近くも山が削られ更地になっています。この更地になった帯状の区域の中に、ここではただ1本のスギが生え(愛工大西側の小さな池のほとり)02年10月から、ムササビの皮ハギ跡が広がっていきました。
ムササビを巡る争点の中心であったムササビEについて、「追跡調査案15年度」は分断される片方の地域の大半を、実は調査対象の区域から除外しているのです。踏査ルートにも入っていません。巣箱すら設置されませんでした。
 県道予定地から西方向のゴンドラ中間屈曲装置の予定地までが、ムササビEの半分の(6ヶ月間)の生活域だったのです。しかし今や、ゴンドラ中間屈曲予定地でも巾10mに渡り尾根方向に樹木が伐採されていますが、そこはかつてムササビEのエサ場で、青いマツの実とモンゴリナラのドングリの食痕を採取しています。<一部略>

B調査されていないムササビBと子供F
この地区にムササビが生息していることは、万博協会も確認されたはずです。
しかし、それがメスのムササビであること、従ってテレメトリ調査のムササビと別の個体であることを発表していません。
他に2個体のムササビが生息していることは確認されたようですが、子供Fについても何も発表していません。そもそもテレメトリ調査で何処にメスが居るのかさえ明らかでないのですから、ムササビ調査はズサンです。
正確な生息数を知らず、どうして「監視目標」の評価が出来るのでしょうか。
 私達の観察ではムササビBが子育て中のメスであったことも原因でしょうが、人間に対して相当に敏感であると感じています。例えば(イ)03年1月5日の鳴き声調査で18時33分から始まった親子の鳴き交しが、1時間後の19時30分に「ググウー」という子供への滑空をうながす鳴き声で終わりますが、途中の19時16分にはわざわざ観察者を見に来ています。巣穴の方向から南回りで観察者から20m程はなれた樹木に止まり、駆け登って行ったのです。
(ロ)ですから同1月19日から3晩、動物写真家がムササビBを撮らえようと機材を設置されましたが成功しませんでした。万博協会はムササビBとFをしっかりと調査するべきです。

C調査されていないムササビCと子供G、及びムササビD
ムササビCの生息する地区は、顕著な皮ハギ跡の付いたスギや巣もあります。またムササビCがメスであることも分かっています。
 昨年万博協会はムササビCの生息を確認したようでしたが(03年10月10日の「アセス市民の会」との意見交換会にて)テレメトリ調査のムササビとCは別個体でメスであるとは発表していません。もちろん子供Gについてもそうです。この地区は、ムササビにとって決して食べ物が豊富にある地区ではありません。2月に入ればスギの樹皮の下にある甘皮を食べ生き延び、8月にはまだ実が形成されてもいないマツの実を食べています。その環境下で南北道路(市道)計画が生活域を分断し、田畑と万博造成で囲まれてしまいます。
 ムササビが100m程も滑空して通っていると述べられていますが、成獣のメスや子供にそれが可能なのでしょうか。ムササビの行き帰りのルートを明らかにしてもらいたいものです。
 私達がムササビCの鳴き声と樹木を駆け登る姿と滑空を観察したのは、02年11月23日でした。ムササビCは最初に鳴いた場所から東回りで迂回して、私から20m程離れた木に止まり駆け登りました。私が赤いライトを当てると「ギィーイ」と2度威嚇の鳴き声を発し、沢の奥へ滑空して行きました。11月28日には皮ハギ跡のスギで、2回に渡り皮を剥ぐ音と枝を折る音を確認しました。(20時05分)
 12月3日は、オスのムササビがやって来て求愛の鳴き声を8分間も響かせたことは先に述べました。(19時09分から19時17分)鳴き声は赤色ライトを浴びながら朗々たるもので、文字に表すせば「キウィロィロィロルロル」「ムィロィロィロルロル」としか書けませんが、前半の2分間程は少し金属音に近いものでした。途中、「ジギィー」と聞こえた周波数の高い鳴き声が私の耳の中をジンジンさせました。するとムササビの鳴き声の調子が変わり、とても澄んだ声となり、思わず聞きほれてしまいました。鳴き終わると枝渡りで球状巣の方へ姿を消しました。ところが19時34分、沢の奥から大きく「ブビー」「ギィー」というビブラートのかかった金属音に近い鳴き声が聞こえてきました。
 研究者によるとムササビのメスの交尾日は1日で、複数のオスと交尾すると言います。その為交尾日には何頭ものオスがメスの巣の近くに集まり、交尾をめぐってケンカが起きて、これを「交尾さわぎ」と呼んでいます。12月3日の現象は、まさに「交尾さわぎ」です。1頭のメスと他に2頭以上のオスが集まったのです。この地区のムササビの生息を考える時に、これはとても大切な観察結果です。
 さてその後の観察は、12月6日に沢の入口と奥の2ヶ所で、12月10日は沢の奥で行いましたが「交尾さわぎ」は起きませんでした。3日から6日の間に交尾は成立したと思われます。そうであるなら出産まで74日、生後80日から子供は自分で食べ物を探します。子供がオスなら1年間は親と同居し、メスなら1年半程同居します。テレメトリ調査の期間内ですから観察結果が出ているはずです。
 ところで、この地区にムササビDが居るという確証を持っていませんが、先に述べた12月3日の「交尾さわぎ」には最低2頭のオスが居たことは明らかです。
地区の東側に3つ(又は4つ)のウロを持つ木が見つかったのは03年1月3日でした。近くに3本の皮ハギ跡の付いたスギもありました。(その後、1本はニホンリスのものと判断)8cmから10cmのウロの1つは、明らかに新しく周りが削られ広げられていました。ムササビの巣穴の特徴です。<途中略>このようにムササビDの生息を否定し切れない状況証拠があるのですから、テレメトリ調査で判明したムササビの非繁殖期のルートを明らかにしなければなりません。もとより過重にテレメトリ調査に依存した報告には欠陥があり、鳴き声や目視や食痕やフンの調査記録にフォローされた緻密な報告が必要です。
 追跡調査案の資料からも、この地区のムササビの生息数は確定出来るのではないですか。発表して下さい。

リ.大きな音に弱いムササビ
 あるムササビについては02年10月から03年8月まで調査を行いましたので、ある程度の特質が分かるようになりました。繁殖期の鳴き声からオスであることが分かりましたが、他のムササビと比べると人間に対して対抗的であることが特徴の一つです。
 03年6月5日の鳴き声と行動(20時21分)は、本来メスに発せられる「キュルルル」という強い声を3分間も私に浴びせました。30m程も前から鳴きながら接近すると、私の周りをひと周りして来た方向へ去って行きました。その間、決して赤色ライトに照らされる場所には止まりませんでした。
 滑空を目撃したときは、止まった木を上へ上へと登って行くので赤色ライトを当てました。すると登るのを止め「ギ、ギギ」「ギーイ」と鳴いて大きく東回りで(時々鳴いたので分かった)私の後ろ側の木に来て鳴きました。録音は声が大き過ぎて音割れしていました。この時も赤色ライトに照らされる場所には止まりませんでした。ムササビが私の後ろ側の木で大きく「ギギィ」と鳴いたのは19時21分でした。19時25分には更に10m程まで近づいて「ギ、ギィー」と張りのある声を出しました。19時28分、突然「バァーン」と大きな音がすると、枝葉の揺れる音が聞こえ、その後はムササビの動きが分からなくなりました。ムササビが「滑空して行こうとした先には、小さなマツ林があってムササビの食痕が残されていた場所です。これまでの周辺調査から、ムササビが待つ林へ行き来するルートをほぼ予測することができていたので、22日の観察定点を設定していた訳ですが、その後も爆竹の音がしていたので当分はマツ林へは行かないだろうと考えました。この時期、食べ物は青いマツの実しかありませんから、行き先はかつて鳴き声を聞いた場所だと予測しました。
 7月25日、食痕調査の為に、上記の場所へ行くと、若いマツの木の2ヶ所でマツの実の食痕が見つかりました。マツボックリの青い鱗片が松葉や幹に付いているのは、木の上で食べていたことを物語っています。食痕は鱗片やヘタの青い色、実の芯の薄茶色の変化から、1ヶ所は3〜5日前に食べたもの、もう1ヶ所は前日に食べたものと判断できました。前日に食べたと判断した背の低いマツの下には、数十本の食痕が残され採取物も20本でした。ムササビは花火様の音をきっかけにエサ場を変えたことが分かりました。
 以上のようにこのムササビは大きな音を契機に忌避行動をとり、それが生活域の活動パターンを変えることになりました。
 <途中略>

ヌ.照明に弱いムササビの観察記録
 あるムササビでは照明の状況が明らかに行動に影響を及ぼしていることが観察されています。
 <途中略>

ル.この項の最後に
 万博協会の環境グループは、ことムササビに関して調査を統轄する能力に欠けていると、2つの点でおもいます。
@03年1月13日、万博協会は筑波大の学者を呼んである地区のムササビの現地調査を行いました。それは私たち海上の森を守る会からの生息情報の通知と、モニタリング委員の森山、吉田両委員からのムササビ生息に関する委員会開催の要請を背景にしたものでした。
 現地調査では、たまたま私たちの調査と行き会ったので同行しましたが、学者は皮ハギ跡を眺めリスだ、リスだ、と言うだけのズサンなものでした。調査会社ですら前年の11月と12月に、この地区でムササビの鳴き声と滑空の目撃があったと報告しているのに。
(皮ハギ跡前での笑い話ですが、私が「個体の滑空も鳴き声も皮ハギの音も聞いている」と言うと、「たまたま通過したのだろう」とか、調査会社の社員に「リスも調べておかんといかんだろう」とか八つ当たりしていました)
 その後開かれたモニタリング委員会では、案の定皮ハギ跡は「リスのもの、ムササビが活動している可能性は極めて低い」(朝日、03年2月18日)と報告されました。
 今や結果は明白です。筑波大の学者が中心となって作った報告書は完全に誤りでした。アセス制度がどんなに立派でも、どんなに多くの委員会が開かれようとも、アセス調査がズサンであれば机上の空論です。各委員は誤った結論を出してしまいます。
 万博協会の環境グループは、ムササビ調査に係わる諸能力を欠いていたが故に誤った報告書を作成したのです。権威主義と事なかれ主義と古い20世紀の開発主義の表れでしょう。問題は、この誤りをはっきりと明確に認めてこなかったことです。それが、次の全く異なった誤りを生み出す温床となりました。
A冒頭、環境グループの方の発言を書きました。「工事の中にムササビが入り込んでいる」という認識です。ムササビ調査がズサンで生息の事実さえ知らず、工事にゴーサインを出した、と言うのなら救いがありますが、この笑えないブラックユーモアがどこから生ずるのか根拠をさがしました。
「追跡調査案15年度」のP105からP107。
なるほど図だけを見ると、02年の秋から工事が始まっているのですから、ムササビが会場内外に大進出して来たように見えます。問題はなぜ誤った認識が環境グループ内に生まれたのか、と言うことです。実際テレメトリ調査のムササビを見てみると、会場北側から東回りで半円を描くよう南側まで動いています。これを作られつつある会場の周りにムササビが生息していると受け止めるか、更地にされてしまったのでムササビが北から南へ動けず、大回りして生き延びていると受け止めるかは、天と地の開きがあります。
第1に、公表されたムササビの調査の記録が正確でない。ということが挙げられます。
第2に、市民や市民団体の指摘が彼らの記録(公文書?)に残されていないか、残されていても各種委員会の決定が優位性をもち無視されるか。
第3に、そもそもムササビに関する初歩的な知識が無く、また(ふんぞり返って)知ろうともしていない、と言うことが挙げられます。
 おそらくはその全てでしょう。
 伝聞によれば、ムササビの行動域の保全の為に電柱位の高さの物を立てておけばよい、と乱暴な発言をしている協会の人も居るやに聞いています。
 それはともかく、ただはっきりしてきたことは、ムササビの保全保護対策が「環境万博」の汚点になるという事実です。
                                           以上

*希少種の保護のため、本文中の場所の特定につながる表現は控えたり、略した部分がありますことをご了承ください。

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