たつきが天使になるまで(1)

母子手帳より

妊娠期間  38週
分娩日時  平成12年12月21日 午後4時51分
分娩の経過 頭位  麻酔分娩
分娩所要時間  10時間53分
性別    男  体重 1908g  身長 41.0cm
          胸囲 24.1cm  頭位 30.2cm


お空の天使になるまでの概略

平成12年5月上旬(記録していませんでした)病院にて妊娠確認
  ☆この時、妊娠6週であったが、胎嚢しか確認できず、
   「もしかすると、成長していないかもしれないので、一週間後に受診するように」
  ☆一週間後、胎児確認。予定日は12月29日
  ☆妊娠中期より、検診のたびに羊水が多いことを指摘される。

平成12年11月14日(33週)
  ☆「どうしても羊水が多いので、大学病院で検査をしてください」
    「羊水が多いのは、あまり良くないのですよ、消化器に問題がある場合があるので、
    小児外科のあるところで、お産もした方が安心です。」

  11月21日(34週)大学病院へ 「すぐに入院するように」

  11月22日入院 AM:羊水検査(染色体検査の為)・羊水を1リットル抜く。
             PM:臍帯穿刺(染色体検査の為、胎児血を採る。羊水検査よりも結果
                が早くわかる)★心拍が140位⇒60位 (検査中止) 
                緊急帝王切開の準備を始めるが、10分ほどで、心拍は元に戻る。
                帝王切開はおこなわず、そのままウテメリン(張り止め)の
                点滴を始める。(5日間続く)
  11月29日(35週) 退院 (羊水を1.5リットル抜いてから)

  12月 6日(36週) 検診で18トリソミーであることを告げられる。
  12月13日(37週) 夫婦で受診「自然分娩にすることを」を確認。
            ☆「誘発は12月25日くらいを考えている」と言われる。
  12月20日(38週) 
          ☆検診で心音と内診結果、予定を早めそのまま入院することになる。
            夜、おしるしのような出血が少しある。

  12月21日 朝6時より誘発の為、錠剤を1時間おきに飲む。
          8時〜9時頃、陣痛室へ。破水させた後、麻酔の処置と促進剤の点滴開始。
          昼前頃、心音が確認できなくなる。
          4時半ごろ分娩室へ。たつき生まれる
  12月22日 退院。
  12月24日 火葬(私・主人・長男・私の母と兄が付き添う)

妊娠から検査入院〜一時退院まで

嬉しい妊娠〜不安

たつきを妊娠したのは、長男が4才3ヶ月の時。いろいろな事情で二人目は4年は間を
あけようと考えていました。長男は、まさかの妊娠で、そのまま、トラブルもなく出産。
だから私はすぐに赤ちゃんができるって思い込んでいました。
ところが、さあ久しぶりに二人目が欲しいなあと思ったら、なかなかできませんでした。
年齢のこともあるし、基礎体温をつけて医者に診てもらおうかな・・・と思っていた矢先
検査薬で妊娠がわかりました。嬉しくて涙が出ました。

ところが、病院に行くと「もう胎児が見える時期なのに胎嚢しか見えない」とのこと。
流産なのかと落ち込み、つわりに耐えながらの辛い一週間でした。
ところが、一週間後の検診では可愛い胎児をエコーで見ることができました。
もう大丈夫!早く生まれて来い!!とっても楽しみでした。
6ヶ月になった時、エコーでちょうどお尻の方が見えました。
股間になにやら見えました。「先生男の子ですか??」と尋ねると、
「まだはっきりは言えないですが、何か見えましたね〜」と先生。
ああ〜また男の子か!(たつきごめんね)ちょっとがっかり。
主人に電話をすると、私以上にがっかりしていて、「そこまでがっかりするか・・」という程でした。

赤ちゃんが小さめだともいわれていましたが、長男もそのように言われ続けていたので
あまり気にしていませんでした。「ちょっと胴回りが細いかな?」と言われたこともありました。
「足が短いみたい・・・」と言われた時は、家へ帰ってから「パパに似てるんじゃないの〜」
と笑っていました。

中期に入ってから検診のたびに指摘されるようになった羊水過多。
自分でもエコーを見て「変だなあ・・」と感じました。不安で、本や雑誌をあれこれみるように
なりました。エコーで見ると、9ヶ月に入っても、たつきは羊水にどっぷり囲まれていて、
足をぐーっと伸ばしても子宮の壁にぶつかっておらず、それを胎動と感じなかったのです。
(普段の胎動はありましたが)

31週の時、「まだ、気にしなくていいです」と言われましたが、祈るような毎日になりました。
33週の時、翌週に大学病院へ行くようにいわれました。「消化器に問題がある場合がある」
と言われたので、産まれたばかりの小さな赤ちゃんに手術?と思うと泣けてきて、
泣きながら病院を出ました。まさか、生きて産まれてこないなんて・・・
この時は想像もつきませんでした。

検査のため入院する

34週で大学病院に行くと、即入院と言われましたが、長男の事があり翌日にさせてもらい
ました。この時、「羊水が多い場合、二割から三割の赤ちゃんに異常があるので、
赤ちゃんの血を少しとって染色体を調べたりします」といわれました。
家に帰って長男の幼稚園のママ達に話すと、この胎児血検査を受けたことがある方がいて
「麻酔をしてくれて、臍のうから採るけど、目をふさいでいる間にすぐ終わったから、
大丈夫だよ」と言ってくれたので、「赤ちゃんに刺すんじゃないんだ」と少し安心しました。

入院の日、病院へ行くと、主治医ではなく二人の若い女性医師から説明がありました。
「羊水が多いですからまず羊水を抜きます。心臓とか食道とか脳などに異常が無いか調べ
ます。それから羊水と、臍のうから胎児血もとって染色体も調べたいのです。」とのこと。
(胎児血を採ると3日程で結果が出るが、羊水からだと3週間くらいかかる)
染色体は聞いていたけど、(といっても、その意味は良くわかっていなかった)
何で脳とか心臓なんか調べるのかな?
消化器がおかしいから羊水が増えるんじゃないかな?と思いました。

染色体については、「羊水が多いと染色体に異常がある場合があるのですが、
染色体の異常はいろいろな種類があって、検査をするとどんなタイプかわかります。
お腹の中でも育つことができず流産してしまう場合もありますが、
お腹の中では生きていられるのに、お腹の外に出ると生きられないタイプもあるのです。
この場合は、お産の時に弱ってしまうことがあり、事前に調べてわかっていれば、
通常赤ちゃんよりも母体を優先して帝王切開をしないで、自然分娩になるのです。
もちろん、ちゃんと社会生活を営めるタイプもありますから。」と説明されました。
「お腹の中でしか生きられない」なんていわれても、自分の子がそうであるなんて
その時は夢にも思わず、「へーっそんな子がいるんだ・・・」という程度の認識でした。

胎児血を採る検査(臍帯穿刺)について、主人が「赤ちゃんは大丈夫なのか」と聞くと、
「稀に(確か確立をおっしゃったのですが、忘れてしまいました)
赤ちゃんの具合が悪くなってしまうことがあり、緊急帝王切開になる場合があります。
でも、もう1600グラムから1800グラム位ありますので、お腹から出ても十分大丈夫ですよ」
と言われました。友人の話もあったので、大丈夫だろうと思いました。
その後、看護婦さんから入院生活についての詳しい説明を受けました。
私の場合は、ただ検査の為の入院なので、検査の時に病室にいればよく、
そうでない時は自由に売店などに行って良い等と言われました。

まず羊水を抜く

麻酔をして、まず染色体検査用の羊水を注射器で少量抜いた後、細いチューブを入れ、
その先にパックをぶら下げます。1リットル抜くのに一時間くらいかかります。
麻酔をしても途中でお腹が張ったような痛みが出てきます。
この時、先ほど話をした今日の担当の看護婦さんに、いろいろ教えてもらいました。

一番気になっていた染色体異常のことを質問してみました。看護婦さんは
「大学病院だからだと思うけれど、染色体の異常はとても多いの、どうしてかしら」
「染色体の異常がわかると、大変なの。赤ちゃんの顔を見れないっていうお母さんもいるし。
逆に、10ヶ月もお腹で育てたのだから、一緒に家に連れて帰りたいとお母さんが言っても
ご主人やおばあちゃん達の反対で、お家に帰れないお子さんもいるの」
などと話してくれました。そんなに・・・見れないような顔をしているのかな?
お家に帰れないってどういうことなのかな?その時は意味がわかりませんでした。
「もし、異常があることがわかったら、おばあちゃん達も集まってもらって家族会議を
やってもらうから」とか「あんまり言うと不安になっちゃうから、これ以上は、
もしそうだったらお話してあげるね」と言われました。それ以上の話を、もっと看護婦さんから
聞きたかったです。結局私は入院中に結果が出ず、それから約一ヶ月も過ぎた
お産の前日まで、看護婦さんとそれ以上の相談ができなかったのですから。

また、この時「今日の午後の臍帯穿刺だけど、大変なの。羊水みたいに簡単にいかないの。
臍のうは羊水の中にふわふわと浮かんでいるから、うまく針をさすのが難しい・・・・・
他の日にやり直しになることも多いし。○○さん(私)の場合、ちょっとやりたくないな〜、
少しお腹が張ってるしね。2割くらい危険だと思う。帝王切開になっちゃうかもしれないから、
ご主人にすぐに連絡がつくようにしておいてね。」と言われ、ちょっと驚きました。すると
「私、はっきり言っちゃうんだよね〜。10割危ないなと思う人にも、そのまま言っちゃうから」
なんて言うのです。あれ?さっき医師は「稀に(かなり稀な確立だった)」って言ってたのに。
でも、この時、「2割くらい危険」と言ってもらっておいて、良かったです。
そうでなければ、もっともっとびっくりしたと思います。

抜き終わると、お腹がかなり小さくなって、赤ちゃんが小さいことがわかったけれど
とっても呼吸も動きも楽になって、「ああ!入院して良かった!」なんて思いました。

臍帯穿刺(胎児血検査)

夕方検査の時間になると女医さんが訪れ「今度はちょっと大変だから、心の準備は大丈夫?」
と言うようなことを言いました。私は「2割くらい危険」と言われていてもまだ実感がなく、
「は?」っという顔をしてしまいました。「さっきも言ったけど、そういうこともあるからね」
と言われました。看護婦さんが迎えに来たので、部屋から出ると、
「あれ、腕時計してるね〜」と言うので、「取ったほうが良いですか?」と聞くと、
「でも・・・○○さん(私)なら大丈夫!大丈夫だよ!」と、私とご自身にも言い聞かせるよう
な感じで言われました。ちょっと嫌な予感がしました。

検査は、陣痛室でおこなわれます。まず、先ほどの女医さんではなく、主治医の男性医師が
午前中にとったエコーの写真を見て、「食道閉鎖かな〜」と小さな声で言いました。
次に頭の写真を見ながら、ある場所を指して「△△△(わからない)がある」と若い医師たちに
言っていました。ものすごく不安になりました。なんで頭に?ただ黒いだけじゃないの?

そして、主治医が「うまく取れないこともあるので、取れない時は○曜日にやり直しますね」
と言いました。先ほどと同じように、消毒と麻酔をしてお腹に針をさします。
私はエコーの画面を見ながら、「赤ちゃんに刺さないで〜」と祈るような気持ち。
主治医の指示で女医さんが針を刺すと、主治医が「ほら、そこでぐっと押して、
早くしないと××(?)になる」とか、「はい、抜いて」と指示を出します。
女医さんが「あれ〜羊水!」と言っている。なんどかやっても、うまく臍のうに刺さら
ないようで、注射器に入るのは羊水。途中で確か主治医が交代してやっていた
と思うのですが、注射器をぐいぐいと押すので、ちょっと痛いなあ〜と思いました。
この時までは、特に緊迫感はなくむしろ、和やかに進んでいたと思います。
すると、急に誰かの「ブラッドブラッド」と言う声が聞こえました。

「血がどうかしたのかな?」と思っているうちに、突然
パカッと酸素マスクをつけられ、分娩監視装置がお腹に巻かれたのです。
心音が、さっきまでドク・ドク・ドク・ドク・・と元気が良かったのに、
ドックン・・・ドックン・・・ドックン・・・とすごく遅い!(60くらい)
私は、びっくりしました。赤ちゃんが死んじゃうんじゃないかと思ったのです。
大学病院に検査のために赤ちゃんを殺される!と思って急に逃げ出したくなった。
さっきまで、あんなに元気だったのに。何てこと!!
主治医が「赤ちゃん週数にくらべてちょっとまだ小さくて、今苦しくなっていますので、
酸素を吸ってくださいね。このまま戻らないと帝王切開になります。」と落ち着いた声で言う。
私は無言で、「赤ちゃん頑張れ!赤ちゃん頑張れ!」と念じながら酸素を吸い続けました。
苦しいとか、具合が悪くなるって言うことが、心臓の動きが半分になることだったなんて、
そんなこと、それまで考えても見ませんでした。今思えば、あたりまえなのですが・・・。

6〜8分くらい経った時だったと思いますが、心拍がもどったようで安堵の気配がありました。
でも、私の心拍がかぶっていたためとわかり、再び緊迫感が・・・気づくとたくさんの
医師・看護婦に囲まれていました。めがねと腕時計をはずされ、昼食やトイレの確認を
していました。手術室の手配を始めていて、剃毛もしました。

結局、10分ほどで心拍が元にもどり、みんなでエコーなどを確認している状態になりました。
私もエコーで、臍のうから羊水の中へ血がサーっと出ている様子がわかりました。
そのままウテメリン(張り止め)の点滴が始まりました。
(お腹が張ることで、破水の危険があったのかもしれないし、
お腹が張ること自体が赤ちゃんに良くない状態だったからだと思います)
結局胎児血は取れなかった。でも、この検査、またやるの???
やったら、またこうなるじゃないの?今度は死んじゃうかも・・・。そのことで頭がいっぱい。

だんだん、私を取り囲んでいる方々が減っていき、暫くすると、私の横には初めてお会い
する看護婦さんが一人だけになりました。私が看護婦さんに「この検査で、こんな感じに
なって、帝王切開して、それでも赤ちゃんが死んじゃったりすることってあるんですか?」
と聞くと「そういう場合はね、そういう子だったっていうことなんですよ」と、ゆっくり考え
ながら答えてくれました。再び現われた女医さんに「もう、この検査やりたくないです。」
と言うと、「わかった。A先生(主治医)に伝えておくね」と言われました。

このときから24時間点滴につながれたまま5日間程過ごすことになりました。
私が歩いてよいのは病室内の洗面台とトイレまでで、部屋から出る時は車椅子。
心臓はバクバクするし、息も「ハアハア」してしまう。突然重病人になった気がしました。
薬の副作用だそう。さっきまで、ただ羊水が多いだけで、とても元気な妊婦だったのに。
午前中には「検査が無い時は自由に売店に行ってよい」と言われたはずなのに・・・・。

その夜、主人と相談して、もうこの検査はおこなわないことにしてもらいました。
私も、検査で赤ちゃんの具合が悪くなってしまったことで、
何らかの重い問題を抱えていることは認めざるをえませんでした。
女医さんは、『10分で戻ったのだから心配無い』となだめてくれましたが・・・。

★参考★「出生前診断」 鈴森 薫著 診断と治療社出版・・・・・という本に、
胎児血の検査についてとても詳しく書かれています。
安全性については、胎児水腫など高度な胎児貧血などがある場合は、
採血後亡くなることもあるようです。(日帰りでも可能な検査のようです)

一週間の入院生活について

毎日、分娩監視装置をつけたり、エコーをしたりの不安な毎日。エコーでは毎回
頭と消化器の写真をたくさん撮っていました。「よく動くから、なかなかよく撮れないのよ。
赤ちゃんとっても元気ですよ。」と何度か言われました。
本当にゴロンゴロンと動いてしまって(羊水が多い為もある)、嬉しかった。
たつきは臍帯穿刺の後、ちょっと動きが悪かったような気もしたけれど、
すぐに元気になり、元気にお腹を蹴っていました。

入院する時は、赤ちゃんのために頑張らなくちゃ!と気合を入れていたのですが、
臍帯穿刺のことと、続いて始まった24時間のウテメリンの点滴の煩わしさとその副作用、
また長男も自宅で高熱と咳で大変だと聞き、不安でたまらなくなっていました。
レントゲンや心電図も、「どうして??」と思ってしまい、医師に尋ねました。
「麻酔分娩の予定があるから、レントゲンと心電図は皆やるんですよ、○○さん(私)
が普通と違うのは、この週数ではウテメリンは普通やらない・・・・・それだけですよ」
と、言われました。

ウテメリンを早くやめたくて、何度か看護婦さんに聞いてみました。急にやめるとお腹が
張ってしまうそう。様子を見ながら少しずつ量を減らしていくのですが、実際に
点滴をはずした時は、10分〜数十分おきに軽いお腹の痛み(張り)があり、
心配だったので申し出て、少しの間錠剤をもらいました。

一度、担当ではない男性医師が診てくれたときに、エコーの写真をくれました。
他の患者さん達が部屋で嬉しそうにエコーの写真を見ていたのに、
私はもらったことが無かったからとっても嬉しくて・・・・・!
この写真は今でも宝物です。足の裏と、横顔が可愛いく撮れています。

食道は見えたり、よく見えなかったりしたらしく、どうやら「閉鎖」ではないとのとこでした。

障害のある子が生まれたら?

同室に入院していた保母さんの方と仲良くなり、いろいろなお話をしました。
その方は、障害児の施設に勤める友人が何人かいるとのことで、
「みんな一人だったら受け入れられるって言っているよ。でも、二人だったら大変だろう
な〜って話しているよ。一人なんだから受け入れられるよ、
受け入れなくちゃいけないよ」と話してくれました。

そうだよな〜障害のある子を育てるのは大変かもしれないけれど、
だから、不幸になったとかではなくて、普通に笑ったりしながら育てることだってできるはず。
私の母と兄は、仕事で障害のあるお子さんに携わったことがあったので
「ああ・・・私は、自分で育てることになったんだな。」と思いました。

うちの子、染色体の異常なの?

入院中に、染色体についての記述がある医学書のコピーを主人に持ってきてもらい
読みました。「おなかの中でしか生きられない子」って13トリソミーとか18トリソミー
って言うのか〜と他人事のように思いました。口唇列などは無いから13じゃないし、
男の子だから18じゃないなあ〜。などと今思えば随分いい加減なことを考えていました。
「約5000人に一人の染色体異常」・「女子に多い」という記述から
勝手にそう思い込んでしまったのです。
また、どうやら消化器と脳に異常があるとわかっても、染色体異常の18トリソミーなどでは
ないだろうと勝手に考えていたのは、心臓に大きな異常が無いように感じていたからです。
医師は脳と消化器は毎日よく診ていました。心臓はそれほど診ていないように感じたのです。

一時退院

そうこうしているうちに一週間が過ぎ、退院の日が来ました。「もう増えないで」と祈った
羊水も、残念ながらまた増えてしまい、とても苦しくなっていました。午前中に
羊水1.5リットルを抜いてもらい、その後で説明を受けました。赤ちゃんが小さい、
どうやら脳に何かあるらしい、他の臓器については産まれてからでないとわからない、
胴回りが細めで頭がちょっと大きいとも。
「水頭症ですか?」と聞いたのですが、「まだ、はっきりとはわからないので」との答え。
「一週間ごとに、外来で羊水を抜きながらお産までもっていきましょう」と言うことでした。

「左側(確か)を下にして寝ると赤ちゃんが大きくなる」と女医さんに言われていたので、
退院してからは、「早く大きくなあれ〜」と思いながら、なるべく横になっていました。
生まれたらすぐに手術なんてこともあるかもしれないから、
出来るだけ大きくなって欲しいとひたすら願っていました。

それにしても、お腹は針を刺したあとがいっぱい。入院中に合計2.5リットルの羊水を
抜いてもらっていたので、楽ではあったけれど・・・・・。

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