2.

その少女は何をする訳でもなく、ただじっと黙って石版を見つめていた。


エイはその後姿を視界に入れると、ゆっくりと石版と少女の方に近づいていった。少女が振り向く。その顔は15年…いやそれ以前の、そう初めて出会ったときと変わらないその顔、その姿。

「こんにちは、私ビッキー。貴方はさっきビッキーちゃんと一緒に居た人ですよね」
「ああ、俺はエイ。よろしくな」
「エイさん?……あれ、あれれ?何処かで聞いたことのあるような、凄く懐かしいですね。もしかして、前何処かであってます?」

前回、といっても15年前に出会ったときも彼女は同じ事を言っている。そして、しばらくたってからエイの事を思い出しているのであった。まして、今回は15年だ。最早起こる気も悲しむ気もない。彼女は時間移動をしてきたといった、多分そのせいで何処か記憶がずれているのだろうと今も変わらぬ姿の、いやますます妖艶さを増していくあの紋章師はエイにそういっていた。自分のことを忘れているとは言え、彼女の変わらぬ姿はエイにとって、安堵出来るものだ。自分もあの頃のまま、変わっていないかのような錯覚さえ覚える。

「ところで、ビッキーはどうしてここに?」
「あのね、ここに居ればくるんじゃないかなって思ったの」
「来る…誰を?」

ビッキーが表情をかげらせ、少し、寂しげに呟いた。

「ルックくん」


いくら彼女もと言えどもルックが炎の英雄・・・【炎の運び手】と対立していることは知っているはずだ。だけど、彼女は、ビッキーはいつもここに来ている。ここに来て、彼を待っているのだと言った。

「ねえ、エイさんルックくんって知ってる?」
「ああ」

それを聞いてビッキーの表情が喜びに変わる、それは話相手を見つけた子供のように。無理も無い、15年前にルックと一緒に戦った話など城の大部分の人間が知るはずも無いのだから、彼の話など今の【炎の運び手】内ですることなど出来るはずもないのだから。

「ねえ、私たちね、ルック君と戦っているんだって。知ってた?」
「・・・・・・・」

余りにも真っ直ぐに尋ねてくるビッキーにエイは何と言っていいか判らず沈黙を通す。それでもビッキーは気にしないのか話を続ける。

「前ね、ルック君がいつも石版の前に立っているから聞いてみたんだ。『寂しくないの?』って。そうしたらね、ルック君驚いた顔したんだ、そして言ったの『…違う』って」

エイの脳裏に解放軍時代のルックの姿が鮮明に思い起こされる。城の皆が騒いでもいつも皮肉ばかり言っていて、余り他人と関わろうとしなかった。一見冷めているというよりはまるで全てを諦めているかのような瞳でこちらを見ていた。
だけど、今自分がこの紋章を親友から受け継いでようやく彼の行動の意味を考えようとすることが出来るようになった。紋章の呪いともいえるこの体はある程度を超えると成長を止めてしまい、死ににくい肉体となる。そうした中で他人と関わってもいずれは別離が訪れる。それを知ってしまったからこそ、彼はなるべく他人と関わらない道を選んだのではないのだろうかと。あくまで、それは想像の範囲内にすぎないが…

「ルック君は、違うって言ったけど本当は寂しかったんじゃないかと思う。だから、戦うことになったのかな・・・」

素直に自分の思いを口に出すビッキーにエイは唇をギュッとかみ締めるだけで、返事が出来なかった。ビッキーが石版の側に寄っていく。

「ここに、同じ石版があるんだよ。これがあればルック君はいつかここに帰って来るよね。そうしたら、私『おかえり』って言ってあげるんだ」

石版の四方の風景を手をかざしてみながら、誰かいないか注意してみているビッキー。胸が締め付けられそうになって、言葉を失ったかのように口が重かった。

その後、夕方になりビッキーとエイは二人でビュッテヒュッケ城に戻ってきた。二人一緒に戻ってきたのであれこれ詮索されるのだろうかと思っていたが、相手がビッキーなだけに、その心配は無かったようである。



-夜-


昼間のことがいつまでも頭の中をよぎる。
そのせいか、目が覚めてエイは部屋から抜け出して城の外に向かった。夜だけあって、広場の店も皆も閉まっており、起きているのは酔っ払いと警護の兵士ぐらいだろう。抜け出すのは簡単だった。そうしてエイがたどり着いたのは石版の地だった。

辺りは静寂に包まれていた。
昼間の彼女の、ビッキーの声が囁きかける。

「ねえ、私たちね、ルック君と戦っているんだって。知ってた?」

ああ、知っているさ

「ルック君は、違うって言ったけど本当は寂しかったんじゃないかと思う。だから、戦うことになったのかな・・・」

そうかも知れない。彼は…あの孤独を知っていたから、それを繰り返したくなかったのだろうね。

「わたし、嫌だな」

それは俺だって同じだ。誰が、かつて共に戦った人間と争うことを望む人間がいるんだ。

「もう、止められないのかな」

一度始まった戦いを止めるのは、動き出した歴史の流れを止めようとするのは愚かなのかもしれない。けど…まだ止められるかもしれない。

彼女が、無意識の内に発する言葉の一つ一つがエイの心を迷わせていく。皆が、彼女のように彼を心配して、彼に近づいていけば今の様な事態にはならなかったようのではないか。
仲間だ、仲間だと言っておきながら俺ら…いや真の紋章を継承した俺もアイツの事を見て無かったのかもしれない。それが…

エイが大きく首を振った

何を考えている。過ぎた過去のことを後悔してどうする、自分がここに来たのは何の為だ?
自問自答を繰り返す。もう一人の自分が自分に檄を飛ばす。

『大事な人との約束の為だろう?・・・オマエハイッタイナニヲシテイルンダ?』

内なる自分が語りかける。この城に来て揺るぎかけた決意を取り戻す為に。
「俺がここに来たのは・・・彼の『願い』を見届ける為

『お前はこのままでいいのかい?』

もう一人の自分が馬鹿にしたかのように自分を見ている。

「ちくしょう!」

言葉が、言葉の形を借りた怒りが拳を石版に叩きつけさせる。

「ちくしょう!ちくしょう!!ちくしょう!!!!」

叩き付けた石版は何も変わりなく、その代わりにエイの拳から血が滲んでいた。それでも痛みを感じないのかエイは何度も何度も叫び、拳を石版に叩きつける。行き場所の無い怒りがエイを行動に走らせていた。
大事な友人を『また』何も出来ないまま失ってしまうのか?紋章を持っていても、あの頃より力も方法も知っているのに、それでも今の自分にも何も出来ない無力さが彼を襲っていた。

ここに来たのは・・・何の為だ?

悲痛な叫びが、夜の闇にこだましていた。

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