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1.

あれは、ヒューゴと出会ってから数日後。
エイはヒューゴにこのビュッテヒュッケ城の中を案内すると城内をあちこち連れまわされていた。
始め、遠目に見た時はそんなに広い城だとは思わなかったが、実際に歩いて見ると中々広く散歩には都合がいいと考えていたのであった。
城内の敷地には鍛冶屋や道具屋など各種施設が整っており一回りするだけでも大変だった。最も、その途中で馴染みの紋章師に出会ったときなどは自分の正体がバレてしまうのでは無いかとも考えたがそれよりも、以前二度であった時と全く変わっていない事に少なからず動揺したが、何も言わなかったことを見ると黙っていてくれるのであろう。その場を後にして、城内を一周したあと、昔のあの湖の城が脳裏に浮かんだ。全く赴きの違うものだが、そこに漂う雰囲気はその頃の事を思い出させた。
ヒューゴはあちこちを案内してくれたが、その時の城の住民たちの様子から皆この少年を慕っているのが伺えた。もっとも、ゼクセンの連中の中には一部例外もあったものの。そして、最後に『えれべーた』という機械を紹介されたとき、エイはその前に立つ人影を見て思わず大声をあげた。

「ビッキー!?」

突然大声を出したエイにヒューゴも驚いた。

「エイさん、知り合いなんですか?」
「あ、ああ・・・」

エイは昔会ったことがあるんだ、とヒューゴに説明する。
今はまだ、自分が『トランの英雄』であるエイ・マクドールとして行動するのではなく只のエイとしてここにいる必要があった。それは27の真の紋章の一つである、『生と死の紋章(ソウルイーター)』の所有者であることが発覚すれば望む望まぬに関わらず、この紋章は利用されるのは確かであり、行動も制限される。それに、今回は真なる火の紋章だけでなく他にも真の紋章の気配がある。これ以上真の紋章が存在すれば城内は混乱し、炎の英雄…いやヒューゴの元に集った者達の、そして一時的とはいえグラスランドとゼクセンの間にあるこの状況を崩したくは無かった。
だが、その理由が目の前のこの少女に伝わるかと言えばそうではなくて…エイは自分の正体がバレずに、尚且つこの状況をどう説明したらいいのか頭を悩ませていた。
ビッキーがこっちをじーっと見つめている。そして、エイの顔をまじまじと見た後口を開き出てきた言葉は。

「うん、私はビッキーだよ。あれ?あれ?…貴方、誰だっけ?」

その一言はエイだけでなく、ヒューゴも力が抜けてしまった。以前より更に度を越した彼女の反応に何だか色々考えていたのが馬鹿らしくなった。ビッキーの方はまだ真面目に考え込んでいるようだったので、エイは簡単に自分の名前を名乗ったがどうやら、まだ思い出せないようである。いつまでもそこに居る訳にもいかず、二人がその場を立ち去ろうとしたその時、階段の上から声が聞こえてきた。

「どうした?」
「あ、ビッキーちゃん。あのね、あのね、この人知ってる?」

声の方に振り返ったエイは驚愕の余り、その場で固まってしまった。ヒューゴは最早慣れてしまっていたが、誰でも最初に見たときは、今のエイのような反応を返していたのだから仕方がないと感じていた。
エイの視線にあったのはビッキーと呼ばれた少女。もしかすると目の前のビッキーが子供だったらこんな感じだろうというのが誰の目からも明らかであった。その少女は下で固まっていたエイの方をちらりと一瞥すると、軽く溜め息をついて階段を降りてきた。
小さなビッキーは階段を降りてくると、もう一度エイの方をちらりと見た。

「お主、エイだろう」
「あ、ああ」

まだ、状況が把握できていないエイに対して周囲はもう慣れっことでも言おうか実に冷静な対応だった。小さなビッキーはエイの側に立ち口端を僅かに緩ませる。

「ねえねえ、ビッキーちゃん。この人知ってるの?」
「何を言っておる。エイ・マクドールを忘れたのか?トラン・・・」
「わぁああああああ」

小さなビッキーの声を掻き消すかのように、エイが突然大声を上げ、小さい方のビッキーの口を塞いだ。今ここで、自分がトランのエイ・マクドールであることをこの城の連中に悟られる訳にはいかないのだ。隠し通せないことも、いずれは何処からか漏れるだろうが今はまだその時期ではない。それに自由にも動けなくなることも確実だった。

「どうしたの?」

不思議そうにこっちに視線を向けるビッキーやヒューゴに対して、エイは解放軍時代に習得したリーダースマイルを向け、いかにも慌てていない風を装う。

「ト、トランプ勝負して負けたことがあったんだよ」

いかにも苦しい言い訳であったが、それを聞くとビッキーは安心したかのように、「そうなんだー」と感心していた。この時ほど、エイは彼女の天然さに感謝したことは無かったという。

「あのー…」

ヒューゴがこちらを見ておずおずと声を掛ける。ビッキーは大丈夫だがヒューゴは誤魔化せなかったのか?表情と対称的に内心は焦りで一杯だった。

「どうしたんだい?」
「小ビッキー、顔真っ青なんだけど…大丈夫なんですか?」
「あああああっ!!」

エイに口を塞がれていた小さいビッキーは最早窒息死しそうになっていた。



その後、エイとビッキーは用事があると言ってその場から去って行った。後に残されたのはその後息を吹き返した小さなビッキーとエイの二人だった。

「お主は…私を殺す気か」
「ごめん…」

とりあえず、人気の無いところを探し、ビッキー二人が生活している部屋に行くことにした。勧められて椅子に座るエイとビッキー。

「茶でも飲むか?」
「いや…」
「歯切れが悪いな、先程の威勢は何処に行ったのだ」

先程とは勿論ビッキー窒息殺人未遂のことである。

「先程は・・・すまなかった」
「いや、別に構わぬ……このぐらい………」

その後に続けられた言葉をエイは聞くことが出来なかった。聞き返そうとしたが、何故かこれ以上聞いてはいけないことを体が実感していたからだ。エイはその話題から話をそらそうとして口を開こうとしたその瞬間だった。

「安心しろ、お主がトランの英雄だということは、他の誰にも喋らぬ故」
「理由は、聞かないのかい?」

ビッキーは目を閉じて首を振る。

「お主には、私にも『理由』はある、勿論…『あやつ』にも。だから私はお主に何も聞くつもりはない」
「知っているん……だな」

ビッキーは何も言わず窓の方に向かうと、ゆっくりと開ける。眩しい日差しが部屋に差し込んだ。

「いい天気だのう…」
「ああ」

余りに日差しが眩しすぎて、目がくらみそうだった。日差しと共に風が部屋のカーテンを揺らしていた。

「ただ……」

ぽつりとビッキーが呟くように言葉を零す。

「私はともかく、ビッキーはわからぬがな」
「そうだな」

エイの脳裏にビッキーの姿が思い起こされる。彼女は初めて出会った15年前と変わらぬ姿で、そしてその天然っぷりは会うたびに強くなっていく。いつかは彼女の口から正体が明かされるかもしれないが、自分のことすら忘れていたのだ。彼女との出会いは計算外ではあったものの。その出会いを嬉しく思っていたのもまた事実であるのは確かで。

「今の時間なら、ビッキーは『石版の地』におるぞ。気分転換がてらに行ってこぬか?」

自分の考えなど、目の前にいる年下の少女にはお見通しなのだろう。

「石版の地?」
「以前、お主らも見たことがあろう『約束の石版』のある場所のことだ」

そういえば先日ヒューゴからその話を聞いていたことを思い出す。一度は行かなければならないと思っていたが、中々行くことの出来ない場所だった。

「判った、行かせてもらうよ」
「そうか…」

エイは立ち上がり、その場を後にした。エイがその場を立ち去った後もビッキーは

彼の出て行ったドアをじっと見ていた。

「辛い……のぅ」


門番のセシルから道のりを聞いて、エイは一人で約束の地に向かった。道すがら、道を教えてくれた元気な門番と五匹の犬を思い出す。その場所は、案外近くにあった。
大きな石が見える、多分あれが『約束の石版』だとエイは確信していた。
そして、その前には杖を持って佇む一人の少女の姿も…

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