美しき獲物たち
〜御神楽時人対小暮十三郎〜




第5章 事件の核心

(その1)

 翌日の朝早くのこと、御神楽探偵事務所に一本の電話がかかってきた。
「はい、御神楽探偵事務所。…あ、はい。御神楽時人は僕ですが。…はい…はい。…はい、
承知しました。それでは9時に事務所の前で」

 そして朝9時を少し回った頃。
 一人の男が事務所の目に来た。小暮十三郎である。
「…お待ちしておりました」
「いえいえ、こちらこそ。森南さんもよろしく伝えておいてくれ、と言ってましたよ」
「そうですか」
「…それで、向こうはなんと言ってきてるんですか?」
「迎えが来るとか行ってるんですけどねえ…」

 そう言っているうちに守山ビルの前に一台の車が停車する音が聞こえた。
「あ、来たようですよ」
 そして二人は階段を降りていった。

「…失礼ですが、御神楽時人先生ですね?」
 一人の軍人が車から降りて時人を出迎えていた。
「…はい」
「どうぞお乗りください。…そちらの方もどうぞ」
「あ、失礼します」
 そして小暮が車に乗り込んだ。
 それに続いて時人が乗り込もうとした時、「守山美術」の看板が目に入った。
 美和が行方不明になって以来店は閉めており、「都合により、暫くの間休業いたします」
という張り紙が貼ってある。
「…先生、どうしました?」
 運転席の軍人が時人に聞いた。
「あ、いえ、何でもありません」
 そう言いながら時人が車に乗り込むと、車はゆっくりと走り出した。
    *
 陸軍省の建物に入った時人たちは、受付を済ませると、別の軍人の案内である部屋に通
された。
「こちらです」
 そういいながら案内した軍人がドアを開ける。
 中では一人の軍人がソファに座っていた。
「…あ、これは御神楽先生!」
 時人に気づいたその軍人が立ち上がると、二人に近づいてくる。
「…誰かと思ったら加世田少尉じゃないですか」
 そう、その人物こそかつて時人が関わった事件で何度か世話になった帝国陸軍の加世田
少尉だったのだ。
「…いや、まさか面会を求めてきたのが先生だったとは思いませんでしたよ」
「僕もまさか加世田少尉にここで会うとは思いませんでしたよ」
「ところで、そちらの方は?」
 加世田少尉が小暮に気づいたか、時人に聞いた。
「ああ、この方ですか。この方は小暮十三郎君といって僕と同じ私立探偵ですよ。いま、
僕が関わっているある事件でお手伝いをしてもらってる方なんですが…」
「ある事件、というと姫のことですか?」
「姫?」
 思わず時人が聞き返した。
「…あ、『ティーゲル』のエリスのことです。自分達は彼女のこと『姫』って呼んでいるん
で」
「じゃあ、今回の事件のことも…」
「ええ、何でも姫が何者かに誘拐された、って言う話を小耳に挟んだもので…。聞くとこ
ろによると、先生の所の助手も誘拐されたそうですね」
「…ええ、今回はそのことでお伺いしたいことがあるんですが…」
「…あ、そうでしたね、それじゃこちらへ」
 そして加世田少尉は時人たちを応接セットへと招いた。

「…それで先生、私に聞きたいことというのは?」
 ソファに座って、改めて加世田少尉が時人に聞いた。ソファに座っていても背筋をピン
と伸ばしているのはやはり軍人という感じがする。
「ああ…、ちょっと今回の事件のことで気になることがあって」
「気になること?」
「…ああ、でも加世田少尉、というか軍の方は今回の事件に関してはちょっとまだわから
ないところがありましたね」
「ええ、一応は聞いているんですが詳しいところまでは…」
 それを聞いた時人はこれまで自分達が調べてきた事を加世田少尉にかいつまんで話した。
「…ということなんですよ」
「うーん…」
 そういうと加世田少尉は黙り込んでしまった。
「…となると犯人の目的はなんなんでしょうね」
「目的、というと?」
「…なんで犯人は姫や、その、久御山子爵のお嬢さんを誘拐したりしたんでしょうか?」
「…というか被害者が――エリスさんや久御山君もそうですが――いずれも10代から2
0代の女性で、しかも近所でも評判の美しい女性だと言うことなんですよ」
「…それで、気になる事というのは?」
「…加世田少尉には気を悪くなさらないで欲しいのですが、…僕も小暮君も、今回の事件
は軍に関係者がいるんじゃないかと思うんですよ」
「軍に…、ですか?」
「ええ。実は今回の事件調べて言ったらある共通点があったのですよ」
「共通点?」
「ええ。美園邸の事件、ご存知でしょうか?」
「え、ええ。なんでも美園良蔵氏の知り合いが陸軍にも何人かいるので、あの日も何人か
美園邸にお邪魔してましたよ」
 すると今度は小暮が、
「ええ。実は僕のパトロンも美園氏と旧知の仲でしてね。たまたまそのパトロンが一時帰
国していて、味噌にしに会うために出かける、というので僕も用心棒として同行したんで
すよ。…結果的にそれが、ここにいる御神楽さんと知り合うきっかけとなったんですがね」
「そうですか。…そういえばあの時、確か予告状が届けられた、とかで御園氏が個人的に
軍に協力を要請したんですよね」
「個人的に?」
「ええ、御園氏は軍にも顔が利く人物でね。われわれも御園氏の頼み、という事で何人か
が警備に当たってたんですよ」
「そういうことですか。…実は久御山君にも同じように犯人から予告状が届けられまして
ね。父親である多聞氏が個人的に軍に協力をお願いしたんですよ」
「…でもだからと言って軍に関係者がいる、となるというのは…」
「いえ、まだまだありますよ。ご存知の通り、『ティーゲル』は軍の常連客が多いし、美和
さんの時だって…」
「美和さん?」
「あ、僕の事務所が入っているビルの持ち主で、下で美術商やっている女性ですよ」
「…彼女も誘拐された、ということですか?」
「ええ。実は彼女が誘拐される前日に佐伯善一郎なる軍医が店を訪ねた、というんですよ」
「佐伯先生が…、ですか?」
 それを聞いた加世田少尉が意外、という顔をした。
「ご存知なんですか?」
「ええ。何度か診察してもらったことがありますから。でも佐伯先生に絵画や骨董の趣味
があったなんて聞いたことないですねえ」
 それを聞いた時人と小暮が顔を見合わせる。その様子を見た加世田少尉が、
「…先生、その佐伯先生がどうかしたんですか?」
「…いえ、ちょっと気になる事があって…」
「そうですか…。いや、実は我々も佐伯先生について気になることがあって」
「気になること?」
 時人が聞き返した。
「…まあ、御神楽先生なら隠しても仕方ないんですがね。最近、どうも佐伯先生の様子が
何かおかしくて…」
「様子がおかしい? どういうことですか?」
「いえ、見た目は普段とは変わらないんですがね。なんというんですか、近寄りがたい雰
囲気があって…」
「近寄りがたい?」
「ええ、何かに憑かれてる、というかそんな感じがするんですよ。…いや、勿論自分はそ
ういった霊とかそういったものの仕業だとは思いませんけど…」
「…その、佐伯医師からそういった感じを受けるようになったのはいつ頃からですか?」
「…それほど前、というわけではないんですがね」
「…つい最近、というわけですね」
「ええ。それに佐伯先生に関してはちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「ええ。自分や他の者が時々佐伯先生に診察してもらいに行くとなにやら佐伯先生が隠れ
て何かをやっているのを見かけることがあるんですよ」
「何かを…、ってなんですか?」
「いや、何かはわからないんですけどね。これは自分が見てことなんですが、なにやら論
文のようなものを書いていたんですよ。まあ、外国語だったので自分にはそれが何を意味
するのかさっぱりわかりませんでしたが」
「論文をねえ。…そういうことはよくあることだと思うんですが」
「自分もそう思うのですが、何でそれをこそこそとやったりしているのかがよくわからな
いんですが」
「うーん…」
 そう言うと時人は黙ってしまった。

「…ところで御神楽先生、自分からもひとつ聞きたいことがあるんですが」
「いいですよ。僕に答えられる範囲であるなら」
「…その、連続誘拐事件というのはいつ頃始まったんでしょうか?」
「うーん、あまり詳しいことはいえないのですが…、確かアレは2ヶ月ほど前でしたかね
え…。ある華族のお嬢さんが誘拐された、という事で僕が依頼を受けたんですよね。それ
から、美園さんのお嬢さんが誘拐されるまでの間に5件起こって、その美園さんのお嬢さ
ん、エリスさん、美和さん、森南さんのお嬢さんに久御山くん、と都合10人の女性が誘
拐されてるんですよ。手口も全て同じ予告状を送りつけてから誘拐してるし…」
「…成程、2ヶ月前ですか…。だとしたら…」
「だとしたら?」
「いえ、気のせいかも知れませんけど、そのときに軍で2つほど気になることが起きたん
ですよ」
「気になる事?」
「ええ。ひとつはその事件が起きる数日前に突然、軍でも有望なひとりの兵士が突然除隊
を申し出たんですよ」
「除隊を?」
「ええ、理由を聞いたんですけど『どうしても辞めたい』との一点張りで。有望な兵士だ
ったんで、何度も引きとめはしたんですけどね」
「で、その兵士はどうしました?」
「まあ、結局は辞めちゃいまして。それから何の連絡もよこさないから気にはなっている
んですよね」
「まあ、個人的な事情もあるでしょうし…」
「それで、この話には続きがあるんですが…」
「続き? なんですか、それは?」
「ええ、その佐伯先生とその兵士が一緒に行動しているのを見た、と言う兵士がいるんで
すよ」
「一緒に?」
「ええ。何でも軍にいた頃には親友だったんで話しかけたそうだったんですが、向こうは
何も言ってこなかったと言ってましたがね」
「それがどうして気になるんですか?」
「いえ、その兵士というのが軍をやめる少し前から頻繁に佐伯先生のところに行っていた
ようなんですよ」
「何か病気でも?」
「いえ、全くと言っていいほど病気とは縁がないですよ。大体もし持病でもあったら軍の
ほうでもとっくに除隊してもらってますよ。それが本人のためにもなる事だし」
「うーん…」
 そういうと時人は黙り込んでしまった。
「…とにかく、その佐伯医師に話を聞いてみないといけないでしょうね」
 考え込んでしまった時人にかわって小暮が言った。
「…えーっと、確か加世田少尉でしたっけ? …、その佐伯医師は今、何してます?」
「それが…、昨日から連絡が取れないんですよ」
「連絡が取れない? どういうことですか?」
「いえ、何でも軍のほうに『数日休む』という連絡があったんですが、それ以来、全く連
絡が取れなくて…。佐伯医師が住んでいる下宿に行ってみたのですが、そこにもいなかっ
たというし…」
「お菓子イですね、急にいなくなるなんて」
「…とにかく気になりますね。わかりました。とにかく軍の方から佐伯医師の捜索願を出
してください。僕のほうも調べてみます。ありがとうございました、加世田少尉」
 そう言うと時人が立ち上がった。
 そう言うと時人は立ち上がった。
「…小暮さん、今から行ってみましょう」
「行ってみる…、どこへですか?」
「高柳医師のところです」
「高柳医師、って昨日の?」
「ええ。高柳医師なら何か知っているかもしれません」
 そして時人が出て行こうとしたときだった。
「先生!」
 加世田少尉が時人を呼び止めた。
「…どうしました?」
「いえ、自分も行きます!」
「どうしてですか?」
「…いえ、もしこれが軍も関係があったとなると放ってはおけないし…」
 それを聞いた時人は数秒間立ち止まっていたが、
「…いいでしょう。何かあっても兵隊さんがいれば心強いですからね。さあ、早く!」
 そして3人は部屋を出て行った。


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