美しき獲物たち
〜御神楽時人対小暮十三郎〜



第3章 新たなる標的(ターゲット)

(その1)

 御神楽時人が事務所を開いているのは銀座にある「守山ビル」の2階だが、その下、す
なわち1階はこのビルの持ち主である女性・守山美和が「守山美術」なる絵画や骨董品を
販売している店を営んでいる。
 さて、ある日の午後のこと。
「…失礼します」
 一人の男が守山美術にやって来た。
「あ、いらっしゃいませ」
 そう言いながら店の奥から美和が出てきた。
「…ちょっと絵を見せていただけないだろうか?」
「ええ、構いませんよ」

「お待たせいたしました」
 この守山美術に使用人として勤めている藤堂弥八郎にお茶を運ばせ、店番を藤堂に頼む
と美和は店の奥にあるテエブルに腰掛けた。
 これから商談に入るのである。
 一応守山美術も美術品には価格を決めてはいるのだが、はっきり言って価格と言うのは
あってないようなものだから、ここである程度の交渉に取り掛かるのである。

「…そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私、こういうものです」
 そういって男が名刺を取り出した。「帝國陸軍軍醫 佐伯善一カ」と書いてある。
「…軍医、ですか…」
 美和が言う。
「はい。そういえば、高柳とは知り合いだそうで」
 佐伯と名乗った男は美和の掛かりつけの医師の名前を出した。
「ええ、高柳さんとは古くからの付き合いなんですよ」
「そうですか。いや、実は私は高柳と同期なんですよ。それでこの間彼から聞いてみたん
ですが、この店がなかなか良心的な商売をしている、と言うから来てみたんですよ。実は
小さい頃からこういった美術品とかが好きでしてね」
「それは光栄ですわ」

「…あ、お客さんですか」
 いきなり守山美術に一人の眼鏡をかけた少女が入ってきた。
「いえ、構いませんわよ、桧垣さん。何の用ですか?」
「いえ、ちょっと調査に出かけてくるので…」
「わかりました、気をつけて」
 そして「桧垣さん」と呼ばれた少女が店を出て行った。
「…誰ですか?」
 佐伯医師が聞く。
「あ、いえ。この二階で探偵事務所を開いてらっしゃる御神楽時人さんの助手で桧垣千鶴
さん、と言う子なんです」
「御神楽…、って御神楽探偵ですか?」
「ご存知なんですか?」
「え、ええ。名前は聞いたことがありますが」

「守山さーん!」
 一人の男性が守山美術の前に来た。
「…あ、お世話になっております」
 藤堂がその男の前に出てきた。
 どうやらその男性は美和の知り合いのようである。
「…守山さんは?」
「今、商談の途中なんですよ」
「…これはこれは。いつもお世話になっております」
 そう言いながら美和が店の奥から出てきた。
「いいんですか、商談の方は?」
「一寸待ってもらったんですよ。それより何の用ですか?」
「明日の会合のことなんですけど…」
「ああ。そうでしたね。遠峰の御前のご都合はよろしいんですか?」
「ええ、楽しみにしている、と仰ってましたよ」
「そうですか。私も楽しみにしている、と遠峰の御前に伝えておいてください」
「わかりました、それじゃ」
 そしてその男は店を去っていった。

 美和が商談の続きをするために戻ると、佐伯医師がじっと外の方を眺めたままだった。
「…どうなさいました?」
 美和が聞く。
「あ、い、いえ。何でもありません」
 そして二人は商談に戻っていった。

「ありがとうございました。またいらして下さい」
 商談が成立して、美和がその佐伯医師を送り出す。
    *
 美術商を営んでいることもあり、美和は「竹林会」という美術商で組織する親睦団体に
所属している。
 そしてその竹林会、こうして月に1度は会合を開き、情報交換を行っている。もっとも
参加者のほとんどはそういった情報交換のための会合よりもその後で行われる飲み会が目
的なのだが。
 とはいえ、なかなか有益な情報を掴むことが出来るため、美和本人も出来る限り時間を
作ってその会合に参加しているのだ。今来た男もその竹林会の会員の一人であり、こうし
て美和に連絡をしてきた、と言うわけである。
    *
 翌日の午後6時近く。
「時人さん」
 事務所の扉が開いて美和が顔を出した。
「あ、美和さん」
「それじゃ行って来ますので。後はお願いします」
「あ、はい。気を付けて」
 そして美和が事務所を出て行った。
「…美和さん、どこかへお出かけですか?」
 蘭丸が時人に聞く。
「ええ、なんでも竹林会の集まりがあるそうで」
「あ、そうなんですか…。通りで美和さん、今日は藤堂さんにお店を任せてたわけですね」
 蘭丸は美和の下で「守山美術」で働いている男・藤堂弥八郎の事を思い浮かべながら言
った。
     *
 とある料亭。
 今回の「竹林会」の会合の会場はその場所だった。
 美和がその料亭の扉を開け中に入ったときだった。
「あの。守山様、でしょうか?」
 店員が美和に近づいてきた。
「ええ、そうですが」
 美和がそう言うと、
「よかった…。ある方から守山という女性が店に来たら、これを渡してくれ、と言われた
ので」
 と一枚の封筒を差し出した。
「…何かしら?」
 そして美和は封筒を開くと中の紙を取り出した。
「…これは…!」
「…? どうなさいました?」
「い、いえ、何でもありませんわ」
 そういうと美和はそそくさと和服の袖の中にその手紙を入れてしまった。
 そして美和は会場の方へと足早に去ってしまった。
    *
 夜9時を少し回った頃だった。
 相変わらず誘拐事件のほうは進展を見せず、探偵事務所の面々も討議を重ねたがこれと
いった結論が出なかったため、とりあえず今日はもう帰ろうということで巴たちが帰り支
度をしていたときだった。
「…時人さん、ちょっとよろしいかしら?」
 美和が事務所にやってきた。
「あ、お帰りなさい」
「お帰りなさい、美和さん」
 ちょうど帰り支度をしていた巴達も出迎える。
「? …どうしたんですか、美和さん」
 何かを気にしているのか、時人は美和の様子がおかしいのに気がついた。
「…竹林会で何かがあったんですか?」
「いえ、何かと言うわけではないんですが…。これを見て欲しいんです」
 そう言って美和が時人に紙を差し出した。
 時人は美和からその紙を受け取る。
 何事か、と思い帰り支度を中断して巴たちも時人の周りに集まった。
「…これは…」
 中を見た時人の顔が変わった。

「守山美和樣 近日中に貴女を頂きに參ります」

 とだけ書かれていたのだ。
「…犯行予告じゃない…」
 周りから時人の紙を見ていた巴が言う。
「…エリスさんに続いて今度は美和さんを標的に選んだんでしょうか?」
 千鶴が言うと滋乃が、
「…そういうことになりますわね」
「それにしても…」
「先生、どうしたんですか?」
「いえ、彼女に直接渡すとは大胆な犯人ですよ。これはもう、僕らに対する挑戦とみても
いいですよ」
「挑戦…ですか?」
「ええ。…とにかく美和さん、これで次の犯人の標的は美和さんとわかったんです。くれ
ぐれも気をつけてください」
「わかりました」

 そして時人たちは話し合って昼の間は巴・滋乃・千鶴の3人で、夜は蘭丸と時人の二人で
交代して美和を見張ることになった。
    *
 翌日の朝早く。
 時人は警視庁に行き、諸星警部にコトの次第を話すと、二人で美和の言っていた料亭に
向かった。

「…失礼ですが」
 料亭の近くにいた店員に諸星警部が話しかける。
「…どちらさまですか」
 そういうと諸星警部は警察手帳を店員に見せた。
「警察、ですか? ウチは別に警察のご厄介になるようなことはしてませんが」
「いや、そうじゃなくてな。昨日、ここで竹林会の会合があっただろ? それで聞きたい
ことがあるんだが」
「あ、そのことですか…」
「ここに昨日、守山美和と言う美術商が来たのは知ってるな」
「ええ」
「聞いた話なんだが、その時彼女に手紙が来てたそうだな。その人物の特徴とわかるか?」
「…何かあったんですか?」
「いや、ちょっとな…」
「そうですか…、いえ、店に男が来て『今夜、守山美和と言う女性がここに来るからこれ
を渡しておいてくれ』と言って封筒を差し出したんですが…」
「その男の特徴とかわからないか?」
「いえ、そこまでは…」
「そうか、ありがとう」

「…どう思う、先生?」
 諸星警部が時人に話しかけた。
「…うーん。少なくともその、美和さんに予告状を送りつけた人物と言うのはその日の夜
に竹林会の集まりがある事を知ってたことになりますよね」
「問題はそいつがどこで知ったか、だな…」
「ええ」
「…とにかく、オレはこのことについてもう少し調べてみるから、先生は彼女の方、頼ん
だぞ」
「わかりました」
    *
 さらにその翌日のこと。
「ごめんください」
 一人の男が探偵事務所にやってきた。
「はーい!」
 蘭丸がドアを開けると郵便局の制服を着た男が立っていた。
「御神楽時人さんに小包が届いておりますよ」
 そして蘭丸に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
 そして蘭丸は受領証に捺印をした。
    *
「巴さん、いますか?」
 千鶴が守山美術に顔を出した。
「何? 千鶴ちゃん」
「先生がお茶にしよう、って」
「わかった。美和さんと一緒に今行くわ」
    *
 そして巴たち二人が二階に上がるともう事務所の来客用のソファには所員たちが用意を
して座っていた。

「…どうしたんですか、このお菓子?」
 巴が聞く。
「ええ。なんでも先日事件を解決してお世話になった、という方からお礼で頂いたそうで
す」
「ふーん」

そして楽しいひと時が過ぎたそのときだった。
「…う…、ううん…」
 急に千鶴が頭を抱えた。
「…どうしたの、千鶴ちゃん?」
 巴が聞く。
「…なんだか、急に眠くなって」
「桧垣さんも…、ですの?」
 滋乃が言う。
「久御山さんも…、ですか?」

「…ちょ…ちょ…っと…、ちづ…る…ちゃん…」
 巴も眠気が襲ってきてその場に横になってしまった。
    *
「…鹿瀬君、鹿瀬君!」
 時人の声がする。
「あ…、先生…」
 巴が気がついたようだ。
「…やられました!」
 そういうと時人は苦虫を噛み潰したような表情をする。
「やられた、って…、どうしたんですか、先生?」
「美和さんを…、連れ去られてしまいました」
「何ですって!」
「おそらくあのお菓子に睡眠薬が仕込まれてたんですよ。我々はそうと知らずに食べてし
まって…。そして寝ている間に美和さんが連れ去られてしまったんです」

 程なく、
「先生、大丈夫か!」
 諸星警部が事務所になだれ込んできた。
「あ、警部」
「いや、電話で聞いただけだからよくわからねえんだが…。守山美和がさらわれたそうだ
な」
「すみません。我々も最大の注意を払っていたつもりなんですが」
「起こってしまったもんは仕方ねえだろう。とにかく状況を詳しく教えてくれねえか?」
「それがですね…」
 そして時人は事件のあらましを諸星警部に話す。
「…その菓子、ってのは?」
「ここに残りがあります」
 そういうと時人は箱を差し出した。
「…とにかくこれを持ち帰って分析してみるぜ」
「御願いします」
     *
 既に夜8時を過ぎたというのに誰一人帰らずに5人の所員は探偵事務所の中に残ってい
た。
 そんな時だった。事務所の電話のベルが鳴った。
「はい、御神楽探偵事務所。あ、警部。…そうですか、解りました。すみませんでした」
 そして時人は電話を切った。
「…警部はなんて言ってたんですか?」
「我々の想像していた通りです。あのお菓子の中から睡眠薬が検出されたそうです」
「じゃあ、美和さんは…」
「ええ、何者かの手によって誘拐されてしまったんですよ」
 そう言う時人の握っている拳に力が入っていくのが巴たちにもわかった。
 おそらく自分がいながら犯人の手によって美和が誘拐されてしまったことに対する無念
さや自分の力が至らなかったことに対する怒りと言ったさまざまな感情を必死になって抑
えているのであろう。

「…美和さん…。何とか無事でいてください…」


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