美しき獲物たち
〜御神楽時人対小暮十三郎〜



第1章 夜会の出来事

(その2)

 巴から連絡を受けた時人が美園邸に到着したのは何者かによって美園綾が誘拐されてか
ら1時間ほどしたときだった。

「ありがとうございました」
 迎えの車から時人が降りる。
「あ、先生。諸星警部から話は聞いてます。こちらへ」
 そして警官の案内で美園邸の大広間に入る。
 中では警官や何人かの刑事が来客に事情聴取を行っていたようだ。
 その中に巴たちの姿を見つけた時人は
「鹿瀬君、怪我はありませんか?」
 そう言いながら巴に近寄る。
「え、ええ。大丈夫です」
「そうですか、それはよかった。何者かに襲われた、と聞いて心配してたんですが…。そ
う言えば蘭丸君も心配してましたよ」
「それよりも先生!」
「わかってますよ」
 時人もなぜ自分がここに呼ばれたのか、それは十分にわかっていた。

「…お、先生、来てたか」
 そう言いながら諸星警部が時人の元にやって来た。
「あ、警部」
「すまねえ、先生。こんなことになっちまうなら、最初から先生に来てもらえば良かった
な」
「そんなことよりその、美園綾さんがさらわれた、という状況は?」
「それがな…」
 そして諸星警部と、巴たち3人は自分たちの目の前で起こったことをかわるがわる時人
に話す。
「…すると、その正体不明の男が暗闇にまぎれて夜会に闖入してきて綾さんをさらった、
と…」
「そういうことになるな」
「それにしても…。それだけの警戒を突破して彼女をさらうなんて…」
「…オレの考えだが、ありゃ前々からかなり計画していた、ってことだな」
 諸星警部が言う。
「おそらくそうでしょう。予告状を送りつけたり、その時間に停電を起こしたり、なんて
計画性のある犯行にしか思えません。そして予告通りに誘拐するなんて…」
 そのときだった。
「諸星警部!」
 そういいながら一人の男が近づいてきた。
「どうした、栗山?」
 そう、その刑事は諸星警部の部下の栗山刑事だったのだ。
 栗山刑事は時人に気づくと、
「あ、先生も来てたんですか」
「そんなことより、周辺の聞き込みの方はどうなったんだ?」
「はい。丁度犯行時刻の頃に物音が聞こえた、と言う証言が取れたんですが…。それ以上
詳しいことはわかりませんでした」
「ちょっと待てよ。犯人は女性一人抱えて逃げてるんだぞ」
「それなんですけどね。この辺は辺りが暗いでしょ? そのせいもあると思うんですけど
ね」
「…あるいは…」
「あるいは、って何だよ?」
 時人のつぶやきに諸星警部が聞く。
「いえ…、どこかで車を待たせてそれに乗って逃げたかもしれませんね」
「そうか、そうとも考えられるな。…よし、栗山。おまえはもう少し聞き込みの範囲を広
げてそういった目撃情報が無いか聞いてみろ」
「わかりました!」
 そして栗山刑事が出て行った。
 それと入れ替わるかのように
「こんな所にいたのか、諸星君」
 そう言いながら一人の男が諸星警部の元にやって来た。
「浦出さん、美園さんのほうは?」
「それがなあ…。あれだけの警備を突破して娘を誘拐された、ということで夫人は倒れち
まうし、御園さんからはこってりと油を絞られるしで散々だったよ」
「それは大変でしたね」
…と、その男は時人に気づき、
「…この人は?」
「ああ、紹介がまだでしたな。…浦出警部、この人が御神楽時人先生ですよ」
「ああ、あなたが…。お話は諸星君から聞いてますよ」
「…で、先生。こちらは今回の事件に協力してもらっている浦出忠蔵警部だ」
「初めまして、御神楽時人です」
「こちらこそ」
「…ところで浦出さん。浦出さんの班は屋敷の中を警備してましたよね」
「ああ、そのことか。あの後いろいろと調べてみたんだが…、知っての通りいきなり停電
が起こっただろう。あれで相当こっちも混乱してな。我々が見たときには既に彼女は何者
かによって連れ去られるところだったんだよ」



「うーん…」
 それを聞くと時人は黙り込んでしまった。
「…どうしたんだ、先生?」
「やはりこれは計画的な犯行のようですね。いくつか考えなければならないことはありま
すけど、最初に、その、綾さんが誘拐された状況というのを整理しましょう」
    *
「…すると、その、黒ずくめの服の人物が綾さんをさらった、ということですね?」
「ええ」
 時人の問いに巴が頷く。
「それにしても…」
「それにしても?」
「鹿瀬君の懐中鉄砲はとにかく、モーゼル・ミリタリーで撃たれても平気だったとは…」
「…そういえば…」
 滋乃が何かを思い出したかのように呟いた。
「どうしました?」
「鹿瀬さんが撃ったとき、その人物から何やら金属音のようなものが聞こえましたわ」
「金属音、ですか?」
「はい」
「となると…、もしかしたら、その人物は鎖帷子のようなものを身に着けていたのではな
いでしょうか?」
「鎖帷子?」
「そうとしか考えられません。その、鹿瀬君を助けた男性というのが持っていたモーゼル・
ミリタリーというのは独逸軍で使われている軍用拳銃ですよ。その、黒ずくめの男が鎖帷
子のようなものでも身に着けていた、とでも考えなければ、大型の軍用拳銃の弾丸が貫通
すらしないことに関して説明ができません。しかし…」
「しかし?」
「鎖帷子といったら相当な重さになるはずですよ。それなのに身軽に動けるとは…」
「それだけ慣れてる、ということでしょうね」
 いきなり時人の脇で声がした。
 見ると一人の男が立っていた。
「…この人は…」
 巴がその男の顔を見て気づいた。
「そういえば鹿瀬さんを助けた方ですわね」
 滋乃が言う。
「いや、例には及びません。…あ、そう言えばまだ名前を名乗ってなかったな。…申し遅
れました。僕は小暮、小暮十三郎といいます」
「小暮…十三郎?」
「ええ。そういうあなたは?」
「ええ、御神楽時人といいます」
「御神楽…時人さんね…。ご職業は?」
「…探偵ですが…」
「探偵ね…」
 そういうとその、小暮と名乗った男は黙り込んでしまった。
「…そういうあなたは?」
 時人が聞いた。
「…おそらく、あなたと同じ仕事ですよ」
「まさか…、探偵ですか?」
「今は米国で探偵稼業の勉強をしていますけどね」
 そのときだった。
「…小暮君!」
 一人の男が男に向かって声をかけた。
「今行きますよ、森南さん! それじゃ」
 そう言うと小暮と名乗った男は時人の元を離れた。

 時人は小暮と名乗った男がその部屋を去った後もじっと見続けていた。
「時人様、…時人様!」
 滋乃が呼びかける。それにようやく気づいたか、
「あ、ああ、久御山君」
「ああ、ではありませんわ! いったいどうなさいましたの?」
「い、いえ、何でもありません」
「…それにしても…。あの方も時人様と同じ探偵だったとは…」
「久御山君はあの人を知ってるんですか?」
「いえ、あの方と一緒にいた森南進造という方がお父様のお知り合いなので…」
「そういえば今回の事件も久御山君が僕に依頼を持ってきてくれたんでしたっけ…。それ
はとにかく、美園さんにも話を聞いてみましょう」
 そして時人は美園良蔵の部屋へと向かった。
     *
「…君か。その、御神楽時人と言う男は」
 時人が自己紹介をすると美園良蔵はそう言った。
「このたびはどうもすみませんでした」
「…全くだ! これだけの警備をしておきながら、やすやすと娘を誘拐されてしまうんだ
からな! …おっと、これは君の責任ではないな、失礼した」
 そして美園良蔵は席に着いた。
「…それで美園さん、今回の誘拐の件ですが」
「知っておるよ。似たような事件が5件起こっておるのだろう? 彼女たちから聞いたよ」
「はい。そのいずれもが今回のように事前に予告状を送って…、と言うのも似ているんで
すよ」
「…それで、君に聞きたいんだが、今まで、その誘拐された被害者はどうなっているのか
ね?」
「どうなっている、と言われましても…。僕のほうもいろいろと調べてはいるんですが、
犯人に直結するような手がかりはまったくと言っていいほど掴めていないし、これまでの
被害者もいまだに行方がわからないし。ただ…」
「ただ?」
「ひとつだけ気になる点があって…」
「気になる点?」
「鹿瀬君たちから聞いた話だと、綾さんは夜会の最中に誘拐された、と言いましたよね?」
「それがどうかしたのかね?」
「いや、実はこれまでの誘拐事件、と言うのもそういった夜会とか人が集まっている場で
起きているんですよ」
「何だって?」
「これまでの被害者の家を調べてみたんですが、そういった上流階級の家だとか、名門女
学校の同窓会、と言った場で何かの集まりを催したときに起こってるんです」
「なんだって?」
「はい。ですので今回の事件もどこかで情報を掴んだ犯人が襲ったのではないか、と思う
のですが」
「じゃあ、犯人は今夜ここで夜会が行われることを知っていた人物…」
「そういうことになりますね」
    *
「…どうだった?」
 諸星警部が時人に話しかけた。
「…うーん…。犯人の目的はおそらく誘拐された女性たちそのものだとは思うんですが…」
「オレも同じ考えだな。それに、こういった夜会や何らかの集まりがあったときに誘拐す
る、と言うのを考えても同一人物の仕業だろう」
「手口がまったく似てますからね」
「とはいえ、犯人に狙われるから夜会を差し控えろ、と言ってもな…」
「こういうのは毎晩のようにどこかで行われるものだし、たいていは前日か当日に送られ
ますからね。家の中でやるのならばとにかく、同窓会のようなものは前々から企画してい
ることだし、中止となると損害もかなりのものだし」
「とにかく、今は警備を強化するしかないな」
「そのようですね」
    *
 そして時人はもう一度大広間に戻った。
 いつの間にか室内はがらんとしてしまい、中は警官たちがあちこちで現場検証をしてい
た。
 その様子を巴たちが眺めている。
「…ほかのお客さんは?」
 時人が聞くと、
「ああ。とりあえず、住所と名前を聞いて帰ってもらったよ」
「…じゃあ、あの小暮とか言う人も…」
「小暮?」
「鹿瀬君を助けた人ですよ」
「ああ、そいつか。森南とか言う人と一緒に帰ったな。何でも米国から来ているとかで帝
国ホテルに泊まっている、とか言ってたな。なんでえ、後で鹿瀬のお譲ちゃんが助けられ
た状況でも聞こうと思ってるのか?」
「いえ、なんでもありません」
 時人は敢えて小暮十三郎が自分と同じ探偵である、とは言わなかった。諸星警部のこと
だから何か言ってくるに違いない、と思ったからだ。
 ただ、もしかしたら、その小暮と言う人物にもう一度会うかもしれない、時人はそんな
予感がしていた。


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