美しき獲物たち
〜御神楽時人対小暮十三郎〜



第1章 夜会の出来事

(その1)

 大正7(1918)年7月のある日。

 一台の自動車がある邸宅の前に静かに停まった。
 そして音もなくドアが開いた。
 中から3人の少女が降りてきた。
 車から降りてきた3人の人物を見ると、誰もが不思議な感じに思うであろう。
 一人は寒色のドレスに身を包み、長い髪を紫のリボンで留めているいかにも令嬢、と言
った感じの少女なのだが、一人は両方でまとめた髪を三つ編みで編み、眼鏡をかけている
和服の少女であり、もう一人はピンクのリボンを胸に着けたかざりっけのないブラウスに
フレアスカート、頭を後ろで胸と同じピンクのリボンでポニーテールでまとめている少女
だったのだ。

「…ここが、その、美園さんの家ね」
 ポニーテールの少女が言う。
「そうですわ」
 長い髪の少女が言った。
「…一体私達に相談したいこと、ってなんでしょうか?」
 眼鏡の少女が言った。
「とにかく、中に入って見ればわかることですわ」
 長い髪の少女が言うと、ポニーテールの少女が、
「そうだね。とにかく行ってみようよ!」

「すみませーん!」
 ポニーテールの少女が玄関のドアをノックした。
 程なく一人の初老の男性が玄関をあけて出てきた。
「…どちら様でしょうか?」
「私達、御神楽探偵事務所の者ですが」
「…ああ、旦那様からお話は伺っております。さ、こちらへ」
 そして執事は少女達を中に招き入れた。
 一体このアンバランスな組み合わせに見える少女達は何者なのか?

 彼女達の正体を聞いたら誰もが一度は驚くであろう。
 彼女達は帝都・東京一の名探偵と言われている御神楽時人の助手なのである。
 御神楽時人と彼女達が協力して解決してきた事件は数知れずあり、その名声は政財界に
まで及んでいる、と言われ、今回もある資産家の依頼を受け、やってきたというわけであ
る。

「…旦那様。御神楽探偵事務所の方がお見えになられました」
 執事が部屋のドアをノックして部屋の中に呼びかけた。
「…開いてるぞ、入れ」
「…どうぞ」
 執事がドアを開け、3人の少女を部屋の中に入れる。
「…失礼致します」
 ポニーテールの少女――鹿瀬巴がそう言って部屋の中に入った時、
「あ…」
 思わず巴は絶句してしまった。
 依頼主である美園良蔵の座っている応接セットのすぐ隣に一人の、巴たちと同じくらい
の年齢の少女が座っていたのだ。
 その少女の容姿たるや、同じ女である巴ですらはっとするほどの美少女だったのだ。
「…どうしたのかね?」
 そんな巴を不審に思ったか、良蔵が巴に話しかける。
「…い、いえ。何でもありません」
「そうか。まあ、楽にしてくれ給え」
 そう言うと良蔵は3人に椅子を勧めた。
 そして3人が良蔵に向かい合わせになるように座る。

「…それで良蔵様。わたくし達に相談したいことと言うのは?」
 巴の左隣に座っていた長い髪の少女――久御山滋乃が聞いた。
 この久御山滋乃、華族である久御山多聞子爵の令嬢でありながら御神楽探偵事務所で助
手として働いている、という変わった経歴の持ち主で、華族や財閥と言ったところの人物
との付き合いが多いせいか、その方面からの事件解決の依頼も結構来るのだ。
 今回の依頼主である美園良蔵という人物も会社社長として辣腕を振るっている男で、滋
乃を通して今回の依頼をしてきたのだ。
「…実は、この娘の綾のことなんだが…」
「…綾さんの?」
 滋乃は良蔵の隣の少女を見て言った。
「…実は今朝、郵便受けにこのような手紙が投げ込まれていてね」
 そう言うと良蔵は封筒を取り出した。
「…拝見します」
 そう言うと巴は封筒の中に入っていた紙を広げる。

「明晩、貴殿の一人娘である美園綾孃を戴きに參ります」

 とだけ書かれていた。
「…これは?」
「…犯行予告、でしょうか…?」
 巴の右隣に座っていた眼鏡の少女――桧垣千鶴が言う。
「…どうもそうらしいんだ。…ところで」
「なんですか?」
 巴が聞く。
「聞いた話なんだが…、ここの所こういった誘拐事件が相次いでいるようだね?」
「え、ええ…。これまで似たような事件が5件起こってるんですが…。被害者がいずれも
十代から二十代の女性で、いずれも未だに被害者は見つかっていないんです」
「…今回の事件、いくつかの共通点がありますわ」
 滋乃が言う。
「共通点だって?」
「ええ。まず被害者がいずれも女性だと言うこと。そして誘拐された女性の家に前もって
犯罪の予告状が届けられていること、そしておかしなことに、いずれの場合も被害者が誘
拐された後、家族に身代金を要求する手紙と言ったものが届けられていない…」
「…じゃあ、犯人は一体何が目的なのかね?」
 良蔵が聞く。と千鶴が、
「…先生はもしかしたら、犯人の目的は女性そのものではないか、と」
「女性そのもの、だと?」
「はい。ただ、先生は何故犯人はそんなことをするのかがよくわからない、と言ってまし
たが…」
「わからない?」
「はい。先生のところにも相談が持ち込まれているんですが、これまで犯人に直結するよ
うな手懸りが得られていないんですよ。ですから先生もどう手を打っていいのかわからな
いようで…」
「…そうですか…」
「…それで、わたくしたちに何をお願いしたいんですの?」
 わかりきっていることなのだが、念の為に滋乃が聞いた。
「うん。君たちに娘を守って欲しいのだ。一応警察の方にも話しておいて、明日警備をす
ることを約束してくれたのだが、どうも不安でね。幸いにも久御山子爵のお嬢さんが探偵
事務所で働いていると聞いたので、君達にも綾の友達、ということにして綾のことをそれ
となく、という形で守って欲しいのだ」
 いわば3人で娘のボディーガードをして欲しい、ということなのであろう。
「…わかりました。その依頼、お受けいたします」
 巴が言う。
    *
 そして翌日の夕方。
 一台の車が昨日と同じように美園邸の前に到着した。
 中から例によって巴たち3人が降りてきた。
 梅雨真っ只中のこの時期にしては珍しく昨日は晴れていたのだが、今日は夕方まで雨が
降っていて、夜になって雨がやんだとは言え、中々湿気が取れなかった
 そのせいか、一歩外へ出ると、むっとした、この時期独特の湿った空気が体を包み込む。
 車から降りた巴たち3人も何となく不快な気分になる夜であった。

 正門を通った時、
「…おいおい、誰かと思ったらお嬢ちゃんたちかよ」
 聞きなれた声がした。
「あ、諸星警部」
 そう、その人物は誰あろう、諸星大二郎警部だったのだ。
「…そんな格好してるから誰かと思ったじゃねえかよ」
 そう、巴たち3人は「夜会に呼ばれた客」を装うためにわざわざ正装をしてやってきた
のだ。滋乃はとにかく、巴と千鶴はそんな服を持っていないから滋乃からの借り物だが。
「似合うでしょ?」
「ああ。馬子にも衣装とはよく言ったもんだ」
「失礼ね! …それより警部たちが何でここにいるの? まさか、警備?」
「ああ、ここの所に多様な事件が起こっているからな。美園家から依頼があって、警備し
てるって訳だよ。でもよ、今回のことは知らない客も多いだろうから、ってことでよ、余
り表立った警備も出来ねえんだけどな」
「そうだったの…」
「…そうだ、栗山が裏口の方にいるから後で話をしておけよ」
「わかったわ」
 その時だった。
「諸星君!」
 諸星警部と同じくらいか、やや年上に見える男が諸星警部の元にやってきた。
「あ、これは浦出さん」
「屋敷の方は配置が終わったぞ」
「わかりました。有難うございます」
「あの、警部。…この人、誰なんですか?」
 諸星警部のことを「諸星君」と君付けで呼んでいる男を見て、千鶴が聞いた。
「ああ、ついでだ。紹介しておこう。オレと同じ警視庁捜査一課に勤められている浦出忠
蔵警部だ。今回の件について浦出警部の係にも協力をお願いしてるんだ。…浦出さん、話
くらいは聞いたことがあるでしょう。御神楽先生のところの助手のお嬢ちゃんたちです」
「ああ、あの御神楽探偵事務所の…。君達の話は聞いてるよ。よろしく頼むぞ」
「はい」
「じゃ、浦出さん。屋敷の方はお願いします」
「わかった」
 そして浦出警部は屋敷の中に入って行った。
   *
 諸星警部から話が行っていたのだろうか、巴たちは警備をしていた警官に簡単なチェッ
クを受けただけですんなりと屋敷の中に入ることが出来た。
 屋敷の中に入ると既に大勢の客がいた。
 客の中に帝国議会の議員や軍服姿の人物がいるのは図らずも美園良蔵と言う男の顔の広
さを物語っているのだろうか。
 そして客の中には久御山子爵の娘、ということを知ってるのか、滋乃に話しかけてくる
人物もいる。
 その中に美園良蔵とその妻である茂子、そして娘の綾の姿を巴たちは見つけた。
「…久御山さん」
 話しかけてくる客の応対に追われている滋乃に巴が小声で話しかけてくる。
「なんですの?」
「…私達、彼女の所に行ってるね」
「…わかりましたわ。わたくしもさりげなく見張っておきますわ」
 そして巴と千鶴の二人が綾のそばに近付く。
    *
「お久し振りです、美園さん」
 美園良蔵に一人の紳士が近づいてきた。
「…これはこれは、森南さん」
 美園良蔵は親しげにそういうと紳士と握手を交わす。
「…いつ、こちらに来られたんですか?」
「つい3日ほど前ですよ。日本のある会社と商談がありましてね。それのためですよ」
「…長旅お疲れだったでしょう」
「いえいえ、それほどでも。…礼乃、いらっしゃい」
 森南、と呼ばれた男は一人の13〜4歳くらいの少女を呼んだ。
「…なんでしょうか、お父様」
 部屋の端の方で23〜4歳くらいの青年と話をしていた少女が近付いてきた。
「…覚えているかい? ほら、美園さんだよ」
「ああ、あの美園さんですわね」
 礼乃、と呼ばれた少女が言うと美園は、
「…というと、こちらのお嬢さんがもしかして礼乃さんですか? いやあ、大きくなられ
まして…。この前会った時はこんなに小さかったのに…」
「もう8年も会ってませんでしたからね」

「…あら、意外な方が来られましたわね」
 自分に寄って来た来客の応対を適当な所で切り上げ、巴たちの所にやってきた滋乃がそ
れを見てて呟いた。
「…久御山さん、誰なの、あの人?」
 巴が聞く。
「…あの方は森南進造さん、という方でして若い頃に米国に渡られて、一代で巨万の富を
築かれた大事業家なんですわ」
「…凄い人なんだね…」
 流石に上流階級のことは滋乃がよく知っている。
「…久御山さんはあの方をご存知なんですか?」
 千鶴が聞いた。
「2、3度しか会った事ありませんけどね。なんでもお父様が以前――と言ってもわたく
しやお兄様がまだ小さい頃のことですけど――、外遊された時にあの方に米国でお世話に
なったと言う話ですわ。それにしても…」
「なんですか?」
「あの女性は森南さんの一人娘の礼乃さんなのはわかるんですが、あの、森南さんと一緒
におられる男性は誰なんでしょうか?」
 そう、先ほどまで礼乃となにやら話していた青年がいつの間にか森南の傍らに立ってい
たのだ。
「息子さん…、でしょうか?」
「いえ、森南さんのお子さんは礼乃さんだけで、息子さんがおられる、という話は聞いた
ことがありませんが…」
 とは言え、森南進造や礼乃と親しげに話す姿はかなりの関係であろう、ということは十
分想像できるが…。
    *
「いらっしゃい、滋乃さん、皆さん」
 3人の元に美園綾が近付いてきた。
「お邪魔しておりますわ、綾さん。…それより大丈夫ですの? 綾さん」
 滋乃が聞く。
「え、ええ。これだけ皆さんが警備していらっしゃるし、滋乃さんたちもいらっしゃいま
すし…」
 綾も気丈に振舞ってはいるようだが、やはり自分が標的にされている、と知っているか
らか、何処となく落ち着かない表情だった。
「ま、とにかくわたくし達で必ず守って見せますわ」
「…あてにしております」
「綾、綾。こっちへいらっしゃい!」
「あ、お母様。今参りますわ。それじゃ」
 そう言うと綾は茂子の元に向かった。
「…何もないといいんだけれど…」
    *
 その時だった。
 不意に部屋の中が暗くなった。
「なんだなんだ!」
 その場が混乱に陥る。
「…停電?」
 巴が言う。と、滋乃が、
「…外の電気は点いていますわよ!」
「じゃあ、誰かが電源を…」
 千鶴がそう言った時だった。
「きゃああああ!」
 絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。
「…なに?」
「巴さん、あれ!」
 千鶴が暗闇の中で窓の方を指差す。
「…!」
 それを見て思わず絶句する巴。
 暗闇で、しかも外の街灯が点いていることから逆光になっていてよくわからなかったの
だが、どうやら黒づくめの服を着た人物が一人の少女を抱え、窓枠に立っていたのだ。
「…綾さん!」
 そう、その人物が抱えているのは誰であろう、美園綾だったのだ。
 巴は暗闇の中でフレアスカートの中に手を入れ、太腿に装着してあるホルスターから海
中鉄砲を引き抜き、窓枠の人物に向ける。
「…綾さんを放しなさい!」
「……」
「…聞こえないの? 綾さんを放しなさい!」
 しかしその人物は微動だにしない。
「く…」
 巴は堪忍袋の緒を切ったか、その人物に向かって発砲した。
 しかし、弾丸は金属音を立ててその人物から跳ね返った。
「…うそ…」
「…そうした、もう弾切れか?」
 その人物が初めて喋った。どうやら声の様子から男のようだった。
「…う…」
 巴が奥歯をかみ締める。そう、巴が持っている懐中鉄砲は「デリンジャー」と呼ばれる
拳銃で女性でも扱いが簡単な替わりに1度に2発しか撃てない拳銃なのだ。
「…可愛そうだがお前から地獄へ送ってやるか」
 そう言うとその男は巴に近付く。
 逃げればいいことはわかってるのだが、その男に気おされたのか、巴は一歩も動けなか
った。
「鹿瀬さん!」
「巴さん!」
 男はゆっくりと巴に近付いてくる。

 その時だった。
「お嬢ちゃん、あぶない!」
 一人の男が巴を突き飛ばした。
 派手な音を立てて巴がすっ転んだ。
「ここはオレに任せろ!」
 一瞬巴は何が起こったかわからなかったが、男の姿を見ると、
「あ…、は…はい」
 そして滋乃と千鶴とともに後ろに下がった。
 巴を突き飛ばした男は胸のホルスターから拳銃を引き抜き、黒づくめの男に向かってそ
れを向ける。
「モーゼルミリタリー…」
 男が構えた拳銃を見て巴が呟いた。
 時人からは「そういう拳銃がある」ということだけは聞いていたが実物を見るのは初め
てだった。
 男は立て続けにモーゼルを発砲するが巴の時と同様に全く黒づくめの男には効果がない
ようだった。
「く…」
 もはや成す術がないのか男が唇ををかみ締めたその時だった。
「動くな!」
 諸星警部の声がした。
 見ると警官隊が拳銃を構えて外にいたのだった。
「無駄な抵抗はやめて、お嬢さんを放せ!」
「…おっと、長居をしすぎてしまったようだな。とにかく彼女はもらっていくぞ」
 そう言うとその男は女性一人を抱えているとは思えないほど鮮やかな身のこなしで外へ
と出て行った。
「…撃て! 撃て!」
「バカモン! 綾さんに当たるぞ!」
 警官隊も相当混乱しているようだった。

…そして衆人環視の中で美園良蔵の一人娘、美園綾は連れ去られてしまったのだった。


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