Dear Mr.BLACK

(第5話)



 裕美子は廊下を見回した。
「…あ、いた! 神宮寺君!」
 そう言いながら裕美子は護に向かって廊下を走っていった。
 護の方も裕美子に気が付いたようで、
「…どうした、堀?」
 護は真理亜の事はなれなれしく名前で呼んでいるのに、彼女の親友である裕美子の事は
何故か苗字の方で呼んでいた。
「真理亜のことなんだけど…」
「…ちょっと来い!」
 そういうと護は裕美子を非常階段の踊り場へと連れて行った。

「…真理亜が行方不明だ?」
「うん。昨夜ちょっと用があって真理亜の家に電話したのよ。そうしたらいつまで経って
も出てこないし、携帯は繋がらないし…。心配になって今朝、真理亜の家に行ってみたら
誰もいなくて…」
「それで?」
「…隣の家のおばさんに聞いてみたら、昨夜から帰ってきてない、って。…そのおばさん、
真理亜があたしの家に泊まりにでも行ってたとでも思ったらしくて、凄く驚いてたわ」
「…泊まり?」
「うん。ほら、真理亜って一人暮らしだから、時々あたしが真理亜の家に泊まりに行った
り、真理亜があたしの家に泊まりに来てたりしてたから…」
「…そのおばさんもいつもの事だと思ってたわけか」
「…うん。でも、ああいうことが起こってからお互いに泊まりに行ったり来たりするのは
控えて、その代わりに連絡は取り合ってたんだけど…」
「となると…」
 そう言うと護は何かを考えているようだ。
「…わかった、堀。ありがとう。ま、お前は心配しないでいいから。ひょっとしたら真理
亜から連絡が来るかもしれないから待ってろ」
「わかったわ」
 そして護が裕美子の元を離れようとした時、
「…神宮寺君!」
 裕美子が呼び止めた。
「…どうした?」
 護が裕美子の方を振り返る。
「…ん? いや、なんでもない」
「…そうか」
     *
 その家は郊外のあるところにあった。
 その家のある一室に真理亜が閉じ込められていた。
 あの後、気が付くと真理亜はこの部屋に閉じ込められていたのだ。おまけに手は後ろ手
に、足首は揃えてがっちりと縛られ、口はガムテープで塞がれている。

(…どの位経ったんだろう…)
 どのくらい経ったか確かめようにも、余計な事を知られてはまずい、とでも思ったのか
この部屋には時計がないのでわからない。
 おまけにここまで1滴の水も飲まされていないので、喉の渇きと空腹で彼女の体力も限
界に達しようとしていた。
(…あたし、どうなっちゃうんだろう…)
 少しずつ頭の回転も鈍くなっていく中、そんな事を考えていた。

…と、そのときだった。
(…?)
 真理亜は何か物音を聞いた気がしたのだ。
 そして全神経を耳に集中させるかのように聞き耳を立てる。
 なにやら隣の部屋から話し声が聞こえてきた。
(…何を話してるんだろう?)
 真理亜は縛られたまま残った力を振り絞り、体を引きずると話し声を聴こうと壁際に体
を寄せた。
 そしてドアにもたれかかると右耳を壁にあて、全神経を集中させる。
「…で、あの娘、どうするんだ?」
 どうやら思ったほどドアは厚くないようで声が聞こえてくる。
「…なあに、ちょっとオレ達が預かっているだけだよ」
「預かっている?」
「ああ、ボスの命令だからな。倉沢義幸の娘を見つけたら捕まえて監禁しておけ、とな」

(…倉沢義幸…、ってお父さんじゃない!)
 真理亜はまさかこの場でその名前を聞くとは思わなかった。
 そして、あのサングラスの少年や、これまで真理亜に襲いかかった男達が言うように、
父親は死んではいなく、やはり生きていることになるのだろうか?
(でも…、ボス、ってどういうこと? 彼らは単なる下っ端だって言うの?)
 そう思いながら真理亜は再び聞き耳を立てる。

「…しかし、なんだってそこまであの娘にこだわるんですか?」
「…ボスにとってはどうしてもヤツの研究が必要らしいんだ」
「研究が必要?」
「ああ。…知ってるだろう? あの研究チームは日米合同で研究してるんだが、オレ達の
ボスも昔はあの研究チームの一員だったそうだ」
「一員だった?」
「ああ。だが、研究を進めているうちにあの娘の親父達のチームの考えとボスの考えが合
わなくなってきたらしいんだ」
「…どういうことですか?」
「この間のニュース見ただろ? 研究チームはこれまで難病と言われている数々の病気の
治療法を発展させるために研究してるんだが、ボスはそれを別のところに応用しようとし
ていたらしいんだ」
「別のところ、というと?」
「…軍隊だよ」
「軍隊?」
「ああ。考えてみろ、あの研究は遺伝子の操作と薬品を使う事で、治癒力を高める研究だ
ろ? もしそれをもっと発展させてみたらどうなると思う?」
「どうなる、って…」
「もし相手が細菌兵器なんかを使ったとしても、その細菌に汚染されてもすぐに元通りに
戻すことができるじゃないか」
「…そうか! となると、もっと発展させればあらかじめそういった耐性をつけることも
できますね」
「それだけじゃない。これを他にも利用すればちょっとした怪我でもすぐ治ってしまう、
いや怪我をしにくくすることだってできるだろう?」
「…そうか、そういった人間が出来るとなると通常兵器ではダメージを与えることができ
なくなることもできるんですね」
「…そういうことになる。それでボスはそっちの方面で研究を続けていたんだが、結局は
それが元で意見の食い違いが起こって研究チームを去ることになってしまったんだ。でも
結局研究を諦め切れなかったんだろうな。それで今の組織に拾われて研究を続けることに
なったんだ」

(…今の組織、ですって!)
 隣の部屋。真理亜は今までの話を聞いて驚いてしまった。
(…じゃ、じゃあ、あたしを付け狙ってた連中、ってのは…)
 まさか本当にそういった「裏組織」があるとは思わなかった。
 そして、彼らは軍需産業にその技術を応用しようとしている…。

「…でもなんで、ボスはその、元いた研究チームのデータを奪おうと…」
「確かに研究は続けられたが、ボス一人の研究だけじゃ限界が来たんだろうな。かといっ
て新しく研究を始めるとなるとそれだけで莫大な予算になっちまう。ボスだって潤沢な予
算を与えられたわけじゃない。それにデータを集める事に対にもかなりの時間と金がかか
ってしまうんだよ。…それで、ボスが研究チームを追い出されたとき、研究データはその
ままあの研究室に残っていたらしいんだ。知ってるだろう? 研究データというのは門外
不出のもので勝手に持ち出す事は出来ない、というのは」
「…となると、その、元いた研究チームのデータを使えばそれだけ早く研究が進むという
ことになるんですね」
「そういうことだな。もっともあれは共同研究だからな。いろんな人物のデータが必要に
なったんだ。そして、そのボスの研究にどうしても必要だったデータが、その、倉沢義幸
という男のデータだったんだ」

(…なんですって?)
 隣の部屋で盗み聞きしていた真理亜は次々と聞こえてくる衝撃の事実に驚くばかりだっ
た。
(…お父さんがそんな重大な研究をしていた科学者だったなんて…)
…となると、彼はなぜ表向き自分が死んだ事にしていたのだろう?

「…勿論、いくら元研究員だからと言って、そう簡単に門外不出のデータを渡すわけ庭井
かないからな。…それでボスがオレ達に命じて色々と調べてみたところ、ヤツの女房らし
き人物にそのデータのコピーを渡していたことが解ったらしいんだ。…しかし、倉沢義幸
の妻である人物は半年前に死んでいた。それで残されたのが一人娘だった、というわけだ」
「それがあの娘、というわけですね」
「ああ。あの娘はどうやら最初は自分の父親が死んだと思い込んでたらしい。しかしオレ
達も迂闊だったが、あの時家を荒らしたのがまずかったか、いつの間にか、あの娘がその
研究データが書かれた論文を見つけちまったんだ。しかもあの娘は思ってたより頭がよか
ったようで一度は何も書いてない封筒を渡しやがった」
「…でも、今度はその論文を手に入れ子とが出来たんでしょう?」
「まあな。でも、まだ、あれだけじゃまだ不十分だ。だからこういった非常手段を使って
でもボスは完全なデータを手に入れようとしてるんだ。ただ、ああいう邪魔が入ったのは
計算違いだったがな」
 おそっらく、あのサングラスの少年の事を言っているのだろう。
「…一体何者なんですか、アイツは?」
「…わからねえ! アイツがどうやらオレ達やボスがやろうとしている事を邪魔している
ヤツなのは確かなんだが、アイツが何者なのか、ボスですらわからねえんだよ」
「…いずれにせよ、このままだとまずいですね」
「ああ、オレ達には時間がねえんだ。とにかく急がないとな」
「急ぐと言っても…」
「心配するな。方法は考えてある」
 そういうと部屋の向こう側の男が立ち上がったようだ。
 そしてこちらに向かって歩く音が聞こえてくる。
(…え?)
 不意にドアが開き、真理亜は背中から転がり出てしまった。
 その真理亜を何人もの男が見下ろしている。
「この女、オレたちの話を聞いていやがったな!」
「まだガキだと思って生かしておいたが、もう許せねえ!」
 そして男達が真理亜に近づいたときだった。
「…まあ、待て!」
 おそらく男の中でリーダー格なのであろう、一人の男が言った。
「待て、って…」
「まあいいじゃないか。いずれこの小娘にも話すことだったんだ。コイツだって本当の事
知りたいはずだろう?」
「…しかし…」
「大体さっきから解ってたんだぜ、お嬢ちゃん。あんたがオレ達の話を聞いていたのをよ」
「う…」
 ガムテープで塞がれた口で真理亜がうめき声を上げた。彼らにはやはり彼女がとった行
動はすべてお見通しだったのだろうか?
「…どうします、この小娘。いっそ一思いに…」
「まあ、待て。折角捕まえたんだ、有効利用してやろうじゃないか」
「有効利用? なんです?」
「…なあに、娘のヌード写真を見せりゃ、いくらなんでもヤツも考え直すだろ」
「ヌード写真、ですか?」
「お、それはいいですね」
(ヌ、ヌード写真、って…)
 いくら真理亜でも彼らが自分をどうしようか、としていることくらいのことはわかる。
(…やだ。裸撮られるなんていや!)
「…おい、カメラ持って来い!」
 そして一人の男がデジタルカメラを持ってきた。
 どうやら男達は本気らしい。
「…お嬢ちゃん、確か真理亜とか言ったな…。悪く思うなよ。お前の親父さんが悪いんだ
からな」
 そして、男はナイフを片手に真理亜に近づいてきた。
(…お願い、誰か助けて!)

 そのときだった。
「ぐえっ!」
 庭の方で声が聞こえた。
 その声に何があったかと入り口の方を男達が一斉に振り向いた。
「残念だが、お楽しみはそこまでだ!」
 そしてドアが開くと、あの黒サングラスの少年が立っていた。
「な、なんだ、てめえは!」
「その子を助けに来た白馬の王子様、って所かな?」
「な、何カッコつけてやがるんだ!」
 そういうと一人の男がその少年に飛び掛ってきた。
 しかし男が襲い掛かるより早く、その少年の膝蹴りが男の腹に食いこんでいた。
「ぐへっ!」
 情けない叫び声をあげて男が倒れる。
「この野郎、ただじゃすまねえぞ!」
 そういうと男達が一斉に掛かってきた。
「それはこっちの台詞だ!」
 そういうとその少年は次々と飛び掛ってくる男達を倒していった。
 そして、奥にいる真理亜を見つけると、
「真理亜、大丈夫か!」
 そして、その男は手早く真理亜の縄を解くと、口をふさいでいたガムテープを剥がした。
 ガムテープを剥がすビリッ、という大きな音が響いた。
「い、痛っ! レディなんだからもう少し優しく扱ってよ!」
「それだけの口が聞けりゃ大丈夫なようだな。…とにかく早く逃げろ!」
「う、うん!」
 そして真理亜が立ち上がったその時だった。
 男達の中でリーダー格だった大男が二人に襲い掛かってきた。
「危ない、後っ!」
 真理亜が叫ぶと、その少年は後ろを振り向く。
 と、大男のパンチが顔をかすめ、サングラスが吹っ飛んだ。
「キャーッ!」
 真理亜が叫ぶ。
「…ちょ、ちょっと効いたようだな」
 そう言うと少年は左目を覆い、片膝を着いてしまった。
 それを見た大男が続けて2発目を打とうとした。
 しかし、それよりも一瞬早く、少年のパンチが鳩尾に大男に食い込んでいた。
「う…」
 うめき声を上げると、あっさりと大男は伸びた。

「だ、大丈夫?」
 真理亜は居ても立ってもいられず、自分の足元に転がっているサングラスを拾うと、そ
の少年に近づいた。
 そして、少年の顔を間近で見る。
「…あ、あんた…」
 そう、サングラスが外れた少年の素顔を見た真理亜は絶句してしまった。


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