Dear Mr.BLACK

(最終話)



「…護! 護じゃない!」
 真理亜が見たサングラスが外れた少年の素顔、それは紛れも無く神宮寺護だったのだ。
「あ、あんたなんで…」
「詳しい話は後だ! とにかく今は逃げろ!」
「でも…」
「いいから! オレのことは心配するな! 早く逃げろ!」
「う…、うん」
 真理亜は拾ったサングラスを握り締める。
「…これは預かってるからね! 必ず取りに来るのよ!」
「わかってるって!」
 そして真理亜は後ろを見ずに一目散に走り出した。
    *
 兎にも角にも近くの公園まで逃げ出した真理亜は、水のみ場で喉の渇きを癒すと傍にあ
ったベンチに座り込んだ。
「…ここまで来れば大丈夫よね…」
 この辺は周りに住宅が多いし、人通りも多い場所だから何かあってもここならば大丈夫、
真理亜はそう思った。

「…それにしても…」
 真理亜は手の中のサングラスを見る。
「…まさか…、アイツがあの人だったなんて…」
 そう、あの日…、初めて真理亜が何者かに襲われた時に現れて自分を助けてくれ、それ
からは事あるごとに自分を助けてくれたあのサングラスの男が、護だったとは…。

 護と言ったら普段はクラスの他の男子とともに真理亜が聞きたくもないエッチな話で盛
り上がっている男である。その護とあのサングラスの男が同一人物とはにわかに信じられ
なかった。
 しかし、あのサングラスが外れたときの素顔は紛れも無く護だった…。
「…そういえば…」
 真理亜はあることに気がついた。
「…あれだけ馴れ馴れしいのに、あたし、アイツについては何一つ知らなかったんだ…」
 そう、転校してきて自分の席の隣に座り、何かと言うと自分へのセクハラとも思える言
動を取って来た男だというのに、真理亜は神宮寺護と言う男について何一つ知らなかった
事を思い出した。
 どこに住んでいるのか、家族構成はどうなのか、両親の仕事の都合でアメリカに住んで
いたと言うが、どのくらい居て一体どんな生活を送っていたのか…。転校して間もなくの
頃、真理亜は何度も護に聞いてみたのだが、いつも護からは曖昧な答しか返ってこなかっ
たこともあって結局聞くのをやめてしまったが、真理亜は護に関しては全くと言っていい
ほど何も知らなかったのだ。
「…アイツに関して何一つ知らなかったなんて…。一体アイツって何者なんだろ…?」
    *
 不意にガサッ、と物音がした。
「…誰?」
 真理亜は物音のしたほうを見ると、そこには護が立っていた。
 唇の端から一筋の血が流れ、左の二の腕を押さえている。
「…護!」
「…約束どおり、サングラス取りに来たぜ」
 そういいながら護が真理亜に近寄る。
 よく見ると身体のあちこちにも傷を負っているようだ。
「…ちょっといいか?」
 そう言いながら護はベンチに腰掛けた。
「…あ、あんた…」
「はは…、ちょっと暴れすぎちまったぜ」
「…あいつらは?」
「心配するな。暫く立てねえくらい痛めつけておいたぜ。…うっ!」
 護がうめき声を上げる。
「大丈夫?」
 真理亜が声をかける。
「…あんた、それ!」
 そう、護の左の二の腕からは血がにじみ出ていたのだ。
「…こ、これくらい大丈夫だ」
「大丈夫、じゃないわよ!」
 そう言いながら真理亜はブレザーやスカートのポケットを探り、ハンカチを取り出した。
 そしてそれを護の左腕に結わえ付ける。
「…痛い?」
「だ、大丈夫だ。…それにしても、お前も優しいところあるんだな」
「怪我人をほっとけるわけないでしょ! それにしても…」
「それにしても、どうした?」
「…あんたがあのサングラスの男だったなんて…」
「まあ、色々あってね。でも、最後まで知らずにいたほうがお前にとってもよかったかも
しれないけどな。でも、バレちまったもんは仕方ねえな」
「…でも、あんたなんで…」
「おいおい、お前、オレがおまえのパンツにしか興味がねえスケベ男に見えるのか?」
「うん」
 それを聞いた護は思わずずっこけてしまう。
「…おいおい、そりゃあんまりだぜ。…そりゃあオレだって女に興味がない、って言った
ら嘘になるけどよ、それだけのために日本に帰ってきたんじゃねえんだぜ」
「…どういうこと?」
「おまえの親父さんに関係してるんだよ」
「…お父さんに?」
「ああ。…そういえば、オレの事、お前に話したことなかったんだよな」
「そうよね。こっちが聞いても上手い具合にはぐらかしていたし」
「しかたねーだろ。こっちにもこっちの都合、ってのがあるんだ。…実はな、オレの親父
とお前の親父さん、ちょっとした関係があるんだぜ」
「ちょっとした関係?」
「…親父から聞いたけど、お前の母親って親父のことに関して何も教えなかったらしいな」
「…あたしが産まれて間もなく死んだ、って言ってたからね。あたしもそれをずっと信じ
てたし…。あんたがあの時――初めてあたしを助けてくれた時にお父さんが生きてる、っ
て言われた時には本当に驚いたわ」
「…まあ、そうだろうな。オレもお前と同じ立場だったら驚くだろうし。…それはとにか
く、お前はオレがアメリカに住んでたのは知ってるだろ?」
「うん。でもそれ以上のことは教えてくれなかったじゃない」
「まあな。実はな、オレ、アメリカで生まれたんだぜ」
「…本当?」
「ああ。まだオレが生まれる1年位前から親父は仕事の都合でアメリカに住んでたらしい
んだ。聞いた話なんだけど、オレの親父ってのは若い時、格闘技の方でかなり有名だった
らしいんだ。それで、弟子に頼まれたとかでアメリカで道場作る、ってことになってお袋
と一緒に渡米したらしいんだ。で、そこで生まれたのがオレ、ってわけ。そういう親父だ
ったからよ、オレも小さい頃からいろんな格闘技の格闘術を叩き込まれてたんだぜ」
 それだけの英才教育を受けた結果があの格闘術に繋がった、と言うのだろうか?
「…で、そのあんたのお父さんとあたしのお父さんがどういう関係があるの?」
「オレの親父ってのがお前の親父さん――倉沢義幸とどうも前からの知り合いらしかった
んだ。で、丁度オレが生まれて間もない頃に、その倉沢義幸がアメリカの研究チームに招
かれて渡米してきたらしいんだ。丁度その頃にオレの親父が、その倉沢義幸と再会して、
頼まれて倉沢義幸のボディガードやってたんだよな」
「ボディガード?」
「ああ、オレはそっちのほうはよくわからないんだけど、お前の親父さんのいる研究チー
ムがやってる研究ってのはあれだろ? TVでもやってたけど遺伝子にある種の捜査を加
えることによりこれまで治りにくかった病気や怪我の治癒を促進するってヤツだろ?」
「…うん、あたしもそれが気になっていろいろと調べてみたんだけど、どうもそういうこ
とらしいわね」
「…そこまでわかってれば話は早いな。結局それって技術を応用すれば、ドーピングなん
かと一緒で超人的な力や治癒力が発揮できるだろ? これを軍事産業に応用してみりゃど
んな兵器にやられたって死なないような兵士が出来るじゃないか」
「確かにそんなことになったら…」
「そう、世界の軍事バランスが崩れてしまう恐れがあるからな。当然のことながら、その
研究成果を狙っているヤツだっている。お前の事を狙っていた奴らだって、その中のメン
バーだからな。だが、お前の親父さんがいる研究チームはあくまでも平和利用を目的とし
て研究を続けてるんだ。そんなことに使われてしまったら一大事だからな。だから、研究
チーム一人ひとりの信用の置ける人間のボディーガードが付くことになってオレの親父が、
その倉沢義幸のボディーガードになって、って訳だ」
 護本人の口から次々と語られる話に真理亜は驚くばかりだった。

「…でも、何でお父さんは自分が死んだことにしてたんだろう? それに、なんであんた
があたしを守ることになったか、だってわからないし…」
「ああ、それか。…そりゃ周りに迷惑がかかるのを恐れてたんだろう。その、死んだお前
のお袋さんはあくまでも一般人だからな。でも、親父が言うのは倉沢義幸はああいう形を
取ってまで自分の存在を秘密にしていたんだが、日本にいる家族――つまり、お前とお前
の母親だ――のことは気にかけていたらしいな」
「…じゃあ、お母さんが死んだのも…」
「…知ってたようだぜ」
「そう…」
「で、当然のことながら、お前の親父さんのように研究チームの中には家族がいる研究員
だっているからな。その家族を守るためのボディガードって結構いるんだぜ」
「…どういうこと?」
「ん? こういった話ってお前の周りだけのことじゃないんだぜ」
「えーっ!」
 その話を聞いて思わず真理亜は驚いてしまった。
「じつはな、こういった似たような出来事が世界各地で起こってるんだぜ」
「世界各地で?」
「ああ。それで調べてみるとどうも事件に巻き込まれているのが、その研究チームの家族
や知人らしい、って言うことがわかったんだ」
「でもどうして?」
「よくある話だろ? 周りを攻め落としていって、その本命に揺さぶりをかける、って言
う事が。お前もその中の一人だった、と言うわけだ」
「…一体誰がそんな事を?」
「詳しい事はまだわからねえんだが、それでもいくつかはわかったことがあるんだ。どう
やら裏にある組織が絡んでいる、ってこともな。お前もあの中で話を聞いただろう? あ
の連中のボス、と言うヤツはもともと研究チームの一人だったんだが、他の研究員との意
見が対立してチームを離れる事を余儀なくさせられたんだ。でもやっぱり誘惑には勝てな
かったんだろうな。どうやらある別の――どうやらその組織が関係しているらしいんだが
――研究グループに拾われたらしいんだ」
「…それで、なんで研究を…」
「いや、その辺はまだちょっとわからないらしいんだが、どうやら、そのお前の親父さん
たちがやっていた研究をどうやら軍事産業とかそっちの方に転用しようとしていたらしい
んだな。そのためにもその研究データが必要だった、ってことになるわけだ」
「…」
「それで、その、倉沢義幸の娘が日本にいる、って言うのがわかってな。オレの親父が倉
沢義幸のボディガードやっている、と言う関係もあって、オレの親父に『お前が日本で娘
のボディガードやってくれ』って頼まれてよ。オレが日本にやってきてお前のボディガー
ドをしていた、って訳だよ。お前にバレちゃいけない、って思ってサングラスしてたんだ
けど、まあ、いつかはバレるとは思ってたけどな」
「…そうだったの…」
「一応オレだって格闘技の経験はあるし、小さい頃から親父のこと見て育ってたからさ、
いつかはこういうことやるんじゃないか、と思ってたけど、これがこんなに早く来るなん
てな」
「…ねえ、護。ひとつ聞いていい?」
「なんだ?」
「…どうしてお父さん、研究のことについて黙っていたかったのにお母さんに資料の一部
を渡したんだろう?」
「さあな。オレは研究チームの一員じゃないから、詳しいことはわからねーさ。…でも、
想像だけはできるな」
「想像だけは?」
「何らかの形で研究資料が盗まれたり、紛失したりした場合に備えて預けておいたのかも
しれないし、あるいは何らかの形で自分が死んでしまったりしたら、自分がこういう研究を
していた、って言う事を残しておきたかったのかもしれないな。ま、結局はそれがお前が
狙われる事になる結果となっちまったけどな」
「結果?」
「ああ。結局連中は研究チームから資料を手に入れることが出来なかったんだろうな。そ
れで結局お前を狙うことにした…」
「どうしてあたしを?」
「さっきも言っただろ? こういう場合は不測の事態に備えてコピーを2〜3部作っとい
て別々のところに預けるのが常套手段だからな。だから連中も倉沢義幸が身内に預けた、
と考えるのは当然のことだからな」
「…じゃあ、さっき言った世界中で似たような事件が起こっている、って言うのも…」
「その通り。連中がその研究チームの身内を狙ってる、ってことなんだ。それに対抗する
べく、オレのようなボディガードが活躍してる、ってことなんだ。実はオレたちも連絡を
取り合ってるし、研究チームも上層部の方はこの事を知ってるらしいぜ。ま、お前の親父
がこの事を知っているかどうかはわからないけどな」
「…」
 真理亜は黙ったままだった。
 確かに護の口から語られることはどこまでが事実なのかどうかわからない。でも、自分
の身の周りで起こっている事を振り返ってみると護の言っている事も嘘だとは思えないの
である。

 そんなときだった。
「…あ、いた。真理亜!」
 そう言いながら裕美子が二人の座っていたベンチに駆けつけてきた。
「あ、裕美子!」
「大丈夫? 怪我はない?」
「う、うん、大丈夫。裕美子、ゴメン。心配かけて…」
「いいって、気にしてないから」
 そういいながら裕美子は隣に座っている護に気がついた。
「…神宮寺君、それ…」
「心配すんな。ちょっとやり過ぎただけだ」
「やり過ぎ、って…。無理するんじゃないわよ。あんた自分がやってることわかってんの? 
一歩間違えたら真理亜を助けるどころか、自分も危ないっていうのに…」
「…そりゃわかってるよ。でも仕方ねえだろ。真理亜を守るためなんだからな」

(あれ…?)
 真理亜は護と裕美子の会話に引っかかるものを感じていた。
 何で裕美子は護の姿に不自然さを感じないのか、それどころか、何故か護が真理亜を守
るためにサングラスの男となって現れてたのを知ってるかのような口ぶりである。
(…もしかして…)
「…ねえ、裕美子」
「…どうしたの、真理亜?」
「裕美子、もしかして、…」
「…言いたいことはわかるわよ。ゴメン、実は知ってたのよ。神宮寺君が真理亜のボディ
ガードとして日本に来ていたって事」
「本当?」
「うん。あたしも初めて聞いたときは驚いたけどね。いつかあんたと話していた時に神宮
寺君が割ってはいってきた事があったけど、その時にあとでおまえだけに話したい事があ
るから屋上に来い、ってメモ貰って、それで彼の口から聞いたのよ。自分が何者か、何で
この学校に転校して来たのか、ってね」
「ああ。いくらオレでも四六時中お前を見ていることが出来ないからな。こういうときは
一人仲間を作っていた方がいい、って思ってな。丁度、おまえと堀が親友だってわかった
から堀に頼んで、おまえの行動を聞いていたんだ」
「最初聞いたときはびっくりしたけどね。でも神宮寺君が真理亜の身に危険が迫っている
事を教えてくれて、どうしても内緒にしてくれ、って言うから、あたしも一肌脱ぐことに
したのよ」
「裕美子…」
「ゴメン。別に意地悪をしていた、とかそういうわけじゃなかったのよ。神宮寺君が真理
亜を守っていたのと同じで、あたしも出来る限り真理亜を守りたかったからさ」
「…でもさ、なんとなくお前を守ってて楽しかったぜ」
「楽しかった?」
「お前みたいな女だったからこっちも守り甲斐があったし、これからも守っていけそうな
気がしたからな」
「…これから、って?」
 真理亜が聞くと護は、
「…おいおい、お前みたいな女、危なっかしくて目が離せるかよ」
「じゃあ…」
「もう暫くお前についてやらねえと、どうなるか解ったものじゃねえぜ」
 どうやら護はこれからも真理亜のボディガードを続けていく、と言うことらしい。

 そんな様子を何も言わずに裕美子は見ているだけだった。
      *
 そして2週間ほどが経った。
 護が倒した男達が逮捕され、色々と今回の事件に関して情報が流れてきているようだが、
まだまだ事件の全容は明らかになっていない。
 まあ、事件に関しては始まったばかりといってもいいだろうし、研究についてもあれか
らは新しいニュースも聞かない。
 そして真理亜たちにもいつもの平穏な日々が戻ってきた。
 裕美子はあれからも親友として、真理亜と変わらない付き合いをしているし、護は、と
いうと相変わらずクラスの男子生徒とともにエッチな話で盛り上がっており、サングラス
姿で颯爽と現れ、真理亜を守っていたことが今では嘘のように思える。
 しかし、である。あの日から真理亜本人にとって何かが変わった様に思えた。
 死んだと思っていた父親が実は生きていたことがわかったからかもしれない。
 あの、一歩間違えていたら命を落としたかもしれない経験があったからかもしれない。
 いずれにせよ、真理亜の中で何かが変わったことだけは事実だった。

 そんなある日、真理亜は久しぶりに学校の屋上にひとりで上がっていた。
 目の前に広がる光景はいつもと変わらない光景である。
 しかし、その光景の更に向こう、海を超えたところに自分の父親がいる、と思うとなん
となく毎日が充実している気がするのだ。
(…あの事件であたしも少し大人になったのかな…)
 そう思うと自然と笑みが浮かんでくる。

(…お父さん、いつかお父さんのところに行くから、そのときまで待っててね)

(終わり)


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