Dear Mr.BLACK

(第4話)



 真理亜が再び男たちに襲われてから数日が過ぎた。
 あれ以来、真理亜は自分の行動にも気をつけるようになり、買い物などは人通りの多い
時間帯や道を選び、さらには念のために、と防犯ブザーも買い求め、学校の行き帰りにも
それを持ち歩く事にした。
 更に夜間の外出を控えることにもした。
 その間何をやってたか、と言うと「何か少しは手がかりが欲しい」と思ったか、例の書
類を何度も目を通すようになった。
 何度も目を通すうちに、これは何かの研究結果を示した資料なのではないか、と言う事
がおぼろげながらわかってきた。さすがに、全容は未だによくわからないが、「DNA」と
か「遺伝子」といった自分も知っている単語が出てくるところから考えるに、何らかの生
物に関する研究をまとめたものではないか、と思うようになった。
 しかし、それ以上のこととなると――彼女が学校の選択授業で生物を選択していなかっ
た事もあるだろうが――、とてもじゃないがよくわからなかった。
「…仕方ない。もう少し調べてみようか」
    *
 昼休み、東南高校の図書室。
「…? 何やってるの、真理亜?」
 なにやら机に向かって何事かをしている真理亜に裕美子が話しかける。
「な…、なんでもないわよ」
「ふーん…」
 そういいながら裕美子は机の上に乗っている本を見る。
 それもこれも生物関連の本だった。
「どうしたの、あんた急に。あんた生物選択してなかったでしょうに」
「ま、まあ、その、ちょっと調べたい事があってね」
「ふーん、珍しい事もあるものね。何を調べたいの?」
「いや、ちょっとね…」
「…それにしても、あんた最近何か変よ」
「どこが?」
「なんかこそこそやってるわね。何やってるの?」
「だから何もやってない、って」
 さすがに親友の前では本当の事を言えたものではない。実際、裕美子にもこれまでのこ
とは適当にぼかして話しているのだから。
「ふーん…。でもさ、あんたが何やってるか知らないけど、前に何者かに襲われたんでし
ょ? 仮にあんたに身に覚えがないことでも、向こうには見に覚えがある事だってあるん
だから、気をつけたほうがいいわよ」
「わかってるわよ」
     *
 それからまた暫くの間、真理亜は例の論文の内容を何とかして解ろうと思い、図書室や
町内の図書館通いを続ける事になり、一週間ほど日が過ぎた。
 そのためか、真理亜自身に、それまで全くと言っていいほどなかった生物や遺伝子の知
識がだいぶ付いたのは思わぬ副産物だったが。

 この一週間でわかったことといえば、なにやらこの論文は何かしらの医療のための研究
に使われていた事、そしてそれが人間の遺伝子に何らかのアプローチで操作を施し、さら
にはある種の薬品を投与する事によって病気に対する抵抗力をつけて(残念ながらそれら
の遺伝子に施す操作のやり方や薬品に関しては真理亜自身がよくわからない部分が多かっ
たため、全部はわからなかったが)、やがてはその病気を治癒させる事にある、と言う事な
どがわかった。
 但し、この論文が書かれた1990年の時点ではそういった治療を施すための設備や施
設、あるいは治療や投薬には莫大な資金がかかる事、また、遺伝子の働きに関してもまだ
まだ未知の部分が多いため、あくまでも机上の論理では可能だが、まだまだ実現となると
研究を重ねなければならない、と言う事も書かれてあった。
 あれから15年経ち、医学の方も進歩したのだから、ようやくその論文に書かれている
ことに現実が追いついてきた、と言う事だろうか?
     *
「…それにしても…」
 その夜。真理亜は書類を机の上に置いてつぶやいた。
「…これが何かの研究論文であることはわかったんだけど…。もしかして、これって他に
も論文があるのかな…?」
 真理亜は論文を置いてつぶやいた。
 そう、なぜだか知らないが話が唐突に始まり、唐突に終わる上、ある程度の知識を持っ
た者でなくてはわからないような文章ばかりなのだ。
 いくらあれから少しは知識が着いたとはいえ、にわか勉強の真理亜である。やはりにわ
か勉強では理解できない部分の方が多い。
 それにいくつか話が繋がらない部分が出てくるし…。
 もしかしたら既に誰かによって論文の部分が抜き取られたと言うのか? しかし、あの
貸金庫に行った際、真理亜は身分証の提示(結果生徒手帳に貼ってある写真を見せたのだ
が)を求められている。いくら銀行でも身元の明らかでないものにそう易々と貸金庫の中
にあるものを見せたりはしないだろう。それに真理亜自身、最近までその存在を知らなか
ったのだ。
 となると最初からこの論文は所々抜けていた、と言う事なのだろうか? だとしたら…。
「ふうっ…」
 真理亜はため息をついた。
 とにかく、このことに関してはわからないことだらけである。
「…お風呂入ってこよ…」
 そう言うと真理亜は立ち上がった。
     *
 風呂から上がり、パジャマに着替えた真理亜は何の気なしにテレビをつけた。
 いくらひとり暮らしに慣れたとはいえ、所詮はまだまだ少女。寝るまでの間、こうして
テレビを見るのが習慣になっていたのだった。
 丁度、テレビではニュース番組をやっていた。
「…それでは次のニュースです。日本時間で今朝早く、アメリカ・マサチューセッツ州に
ある遺伝子研究所のアメリカと日本の合同研究チームが、これまで難病とされていた病気
に対する画期的な医療方法を見つけ出したと発表しました」
「ふーん…」
 いずれにせよ真理亜にとってはそれほど興味のない話題だと思っていた。
 他に番組をやってないか、と思って真理亜がテレビのリモコンを取り出したその時だっ
た。
「…この研究は20年ほど前から日米の合同研究チームが進めていた研究であり、研究グ
ループによりますと、この治療法は人間の体内の遺伝子にある操作を加えることにより、
これまで治療法が確立されていなかった数々の病気に対しての治療に役立つであろうと発
表しています」
「え…?」
 不意に真理亜の手が止まった。
「遺伝子に…ある操作?」
 真理亜はテレビをじっと見つめる。
「…研究チームはこの方法の人体への影響などまだ研究の余地があるとし、これから更に
研究を重ね、実験を続けていく事を表明していますが、この実験の結果次第によっては、
早ければ来年にも実用化に向けて動き出すものと見られます。それでは次です」
 真理亜は次のニュースも耳に入らなかった。
「…遺伝子、ってどこかで聞いたような気がするんだけど…」
 そう、真理亜は今の話をどこかで聞いたような気がしたのだ。
 いったいどこで聞いたのか? つい最近のはずだが…。

「…あの書類!」
 そう、真理亜が読んでいた論文に似たような記述があったのを思い出したのだ。
 真理亜は立ち上がると自分の部屋から例の論文が入った書類を持ってきた。
 そして封筒の中からそれを取り出すと、改めて読み返した。
 相変わらず詳しい内容はわからないのだが、よくよく見てみると「癌」や「AIDS」
といった真理亜でもよく知っている病名が出てくるし、何かの実験結果、と思われるグラ
フ(それが手書きだったり、一昔前のCGだったりしたのがそれらしいが)が出てきたり
する。
 それによくよく見ると「…この実験結果によって、これまで難病とされていた数々の病
気に対し有効な治療法が確立されると思われる」という表現もあった。
「…これは…」

 真理亜はつぶやいた。
 もしかしたら、今テレビでやっていたその、「日米合同の研究チーム」が行なっていた、
と言う「遺伝子操作による病気治療」と何か関係があるのだろうか?
 もしそうだとしたら、この研究は20年以上前からやっていて、既にその5年後には理
論自体は確立されていたのだが更に研究を続けていた、と言う事だろうか?
 そして、もし、その研究チームに真理亜の父親がいたとしたら…。
「…お父さん、もしかしたら何かの研究チームにいてこの論文は共同で研究していた中の
ひとつなのかしら?」
 もしかしたらそうかもしれない。というのもこういった大掛かりな研究と言うのはひと
りでできるものではなく、研究チームを組んでやるのが普通だし、チームが共同で論文を
発表していたとしてもおかしくはないからだ。
「…でも、これって人類のためにとっても役立つ事よね? それなのになんで今までこの
事を黙っていたのかしら? …それに、何でお母さんもあたしに『お父さんは生まれる前
に死んでいた』なんて嘘をついてたのかしら…?」
 それに、なんで真理亜の母親である良子がこの論文を持っていた事や、なぜ自分が死ぬ
まで真理亜に父親の本当の事を話さなかったのだろうか?
「…考えれば考えるほどわからなくなってくるわ…」
    *
 それから2〜3日はこれといった事もなく、ごく平穏な日々が続いた。
「じゃあね、裕美子」
「じゃあね。気をつけなさいよ」
「わかってるわよ」
 その日も学校が終わったあと、真理亜は図書館へ行こうと思い、正門前で裕美子と別れ
ると図書館のある方向へと向かった。

「…それにしても、読めば読むほどわからなくなってくるわ…」
 真理亜はあれからも幾度となく論文を見返してはいるのだが、相変わらずわからないこ
とだらけである。
 ただ、その中で一つわかったことといえば、この「遺伝子にある操作を加え、更に薬品
を投与する事により、病気の早期治癒を促す」と言うやり方が何かに似ているのではない
か、と言うことだった。
 そう、「ドーピング」である。
 あれは知っての通り、スポーツで好成績を挙げるために薬物を投与して筋肉を増強させ
たりする行為だが、丁度真理亜が生まれる少し前の1980年代にはオリンピックなどで
のドーピングが社会問題としてクローズアップされ始めた時期である。
 あの論文に書かれているのはあくまでも「病気の治療の促進のため」と言う目的がある
のだが、もしそれを悪用したのだとしたら…。
 ドーピングは確かに一時的に、とはいえ筋肉を増強させる、と言う効果があるのだが、
それと引き換えに健康を害し、場合によっては死に到る、と言う話をよく聞くが、この場
合はいくら治療目的とはいえ、結局はやる事に変わりはないのではなかろうか?

「…だとしたら…」
 真理亜の頭の中にある一つの考えが思い浮かんだ。
「…もし、これを病気の治療目的以外で使ったのだとしたら…」

 そのときだった。
「…?」
 真理亜は自分の後ろを何者かが尾行しているのに気がついた。
「…まさか…」
 ここ暫く用心に用心を重ねていたが、また動き出したと言うのだろうか?
 自然と真理亜は早足になった。
 図書館はそんなに遠くないから、ここまで早足で言って何とか逃げ込もうと思ったのだ。

 真理亜が図書館へと続く曲がり角を曲がった時だった。
「…!」
 そこには道を塞ぐかのように一台の車が止まっていたのだ。
 そしてその前に男が何人か立っていた。
 真理亜はとっさに身の危険を感じると、後ろを振り返る。
「あ…!」
 そう、後ろからも男が何人か近づいてきて、真理亜は挟み撃ちにされてしまった。
「な…何よ、あんたたち」
「…中の物を渡してもらおうか?」
「中のもの?」
「調べはついてんだよ。おとなしくその鞄の中に入っている書類を渡せ」
 真理亜はとっさに彼らの目的が「例の書類」だと言う事がわかった。
「そんなもの、もってないわよ!」
「嘘付け! お前がここ暫くなにやら書類を持って歩いているのはわかってるんだ。さあ、
渡してもらおうか」
「…いい加減にしなさいよ、人を呼ぶわよ!」
「呼べるもんなら呼んでみろ! お前が叫んだってこのあたりは誰もいねえよ」
 確かに図書館の周辺は公園とかホールが立っており、近くに民家らしきものはほとんど
なかった。
「…と、とにかく変なことしたら承知しないわよ!」
「…全く、強情なお嬢ちゃんだな。…仕方ない。来てもらおうか!」
 そういうと一人の男が真理亜の右手を掴んだ。
「何するの、放しなさいよ!」
 そう叫ぶと真理亜は持っていた鞄で思い切り男の顔を張り飛ばした。
「く、このアマ!」
 そう言うと脇から二人の男が真理亜を抱え込んだ。
「何するの、やめなさいよ!」
 真理亜は必死に抵抗した。
 しかし、16歳の少女1人の力ではどうしようもないくらい、男たちの力は強かった。
「…あまりこういうことは女にはしたくねえんだけどな。お嬢ちゃんが悪いんだからな!」
 そういうと真理亜の正面に立っていた男が真理亜の鳩尾に拳をぶち込んだ。
「…うっ…」
 とたんに真理亜は力を失い、崩れ落ちる。
「おねが…い…、誰…か…たす…け…て…」

 男たちは道に倒れている真理亜を見下ろしていた。
「…やったのか?」
「…心配するな。気絶しいてるだけだ」
「とにかく、早く連れて行け」
 そして男たちは真理亜を車の後部座席に放り込むとあっという間に走り去っていってし
まった。
 その様子を見ていたのは誰もいなかった。


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