愛するが故に

(第4話)



夕方5時を回ったころ。
「…それじゃ、お客さんを入れてください」
 武闘館の玄関にいるスタッフに目暮警部が話しかける。
「わかりました」
 そしてスタッフが武闘館の数か所の入り口に散った。
「毛利さん」
 山岸が小五郎を呼ぶ。
「なんですか?」
「…お客さんの入場が終わるまで、こちらに来ていただけませんか?」
 そう言うと山岸は「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた紙が貼ってある部屋に招き入
れる。
 部屋の中には数台のモニターと数名のスタッフ、そして目暮警部がいた。
「すまんな、毛利君。君はあくまでも一般の観客と同じようにふるまってほしい、との事
務所の社長に頼まれてな」
「社長が?」
「まあ、気を悪くしないでくれ。開演時刻の前には席に移っていい、と言っているからそ
れまでの間、ここで館内の様子を見ていてくれないか?」
「…仕方ありませんな」
 そう言うと小五郎は一台のモニターに目を向ける。
会場からまだ10分ほどしか経っていないというのに、すでに半分近い席が埋まっていた。
「…随分と早く入るんだなあ。確か座席は全席指定だろ?」
 小五郎が言う。
「…そうなんですけれど、やはり早く席について落ち着きたいのではないか、と思うので
すが」
 山岸が言う。と室内にかかっている時計を見て、
「…済みません、これから開演前の打ち合わせがありますので」
 そして山岸は出て行った。それを見送った小五郎は、
「…警部、ところで」
「わかっておるよ。不審人物を見かけたらすぐに連絡をよこすように言っておるし、ここ
のスタッフにも協力をお願いしておる。我々としては考えうる限りの手を打っておるよ」
「それは済みませんなあ」

 それから30分ほど過ぎ、武闘館内の座席はほとんど埋まっていた。
「…それじゃ警部、我々も」
「ああ。何かあったらすぐに近くの警官か警備員に連絡するのじゃぞ」
「わかっております。…行くぞ!」
 そう言うと小五郎は蘭とコナンを連れ、部屋を出て行った。

 そして3人はスタッフが用意した座席に着く。
 確かに辺りを見回すと、制服姿の警備員の他に、小五郎も見覚えがある警官が私服姿で
立っていた。
「…それにしても」
 蘭がつぶやく。
「それにしても、どうした?」
「…あたしたちはヨーコさんの命が狙われているのがわかっているからいいけれど、これ
だけ警備員がいると、何も知らないファンが見たら何事か、と思うかもね。ロックコンサ
ートなんかで興奮したファンが将棋倒しになってけが人が出た、なんて話を聞くけど、ヨ
ーコさんは少なくともそんな人じゃないし…」
「まあ、そうかもしれんが、これだけ警備員がいると犯人も迂闊に手が出せねえんじゃね
えのか?」
「じゃあ…」
「ああ。どこにいるかわからねえが、間違いなくヨーコちゃんの命を狙っているヤツはも
う会場に入っているはずさ」

(…確かにオレもそう思うな。ただ…)
 コナンは武闘館内の観客を見回す。
(1万人も来ているからな。これだけの人数がいるとなると、果たして全員に目が行くか
どうかなんだよな…)
 それに開演前、という事でまだ場内は明るいが、確かコンサートが始まると場内は暗く
なってしまうはずだから、よけい目がいかないのではないだろうか?

 と、そんなことを考えていると不意に場内が暗くなり始めた。
(…始まるのか?)
 コナンがそう思った間もなく、ステージ上の電飾が輝きだし、バックバンドが演奏を始
めた。
 ほどなくスポットライトがステージに立ったヨーコにあたる。
 場内から大きな歓声が挙がった。
「ヨーコちゃん、待ってたよ〜!」
 小五郎も歓声を挙げる。
「みなさん、こんばんは〜! 今日は楽しんでいってくださいね〜!」
 ヨーコが場内に向かって呼びかけると、歓声が返ってきた。
 そしてヨーコは1曲目を歌いだした。
 ヨーコの姿はステージの後方に設けられたスクリーンにも映し出され、彼女の歌ってい
る様子が2階席や3階席の観客にもわかるようになっていた。
 その映像を見ながらコナンは、
(…やっぱりちょっと硬い表情をしているな…)
 そう、やはりこのコンサート会場で自分の命を何者かが狙っている、と知っているから
だろうか、どことなく笑顔もぎこちないものになっていたのだった。
 そんなことを気にしながらコナンは、
「ねえ、おじさん」
 と小五郎に話しかけたが、小五郎はすっかりステージの上のヨーコに夢中のようだ。
(…ははは、ダメだ、こりゃ)
 そしてコナンはステージのほうに目を向ける。
    *
 そして何曲か歌い終え、会場内も徐々にヒートアップしたようで、会場内の誰もがヨー
コに注目している時だった。

 男はゆっくりと自分の席をさりげなく、といった感じで離れた。
 そして辺りを見回しながら慎重に廊下を歩いていく。
 そして「使用禁止」と書かれた扉の前に立っていた。
 勿論、彼が事前に貼っておいたものである。
 彼は紙をはがすとそっと扉を開いた。
 当然ながら中には誰もいない。
 彼は懐中電灯の明かりを部屋の中に照らす。
 その部屋の奥、目立たないところに大きな段ボールが所狭しと並べてあった。
 そのダンボールが数多く置いてあれば、いくら警察でも一つ一つは中身を調べないだろ
う、と考えていたし、実際にそのようになったのだった。
 彼はその中の一つに近づくと段ボールを開いた。
 中にはゴルフバッグのようなものがあった。
 そして彼はゴルフバッグを開ける。
 その中には黒光りするライフルが1丁あった。
 懐中電灯の明かりだけを頼りに彼はライフルのセッティングを進めていく。ここに来る
までに何度も練習をしていたし、間違えることもなかった。
 そして男は上着を脱ぐとそれを裏返す。
 そう、その上着はリバーシブルになっていて、全く違う柄の服となったのだった。
 そして体型をごまかすためにか、ゴルフバッグの中に一緒に入れてあったクッションを
服の中に詰める。
 さらに用意してあった帽子を目深にかぶり、サングラスをかける。
 そしてライフルの中に弾丸を込める。

 そして男はあたりを見回しながら、そっと部屋を出て行った。
 そして武闘館内の、ヨーコが見えなくなる位置にあたるためか、閉鎖されている二階席
に向かって歩いて行った。
    *
「…いや〜、本当に今日もいっぱい来ていますね」
 歌が終わり、ヨーコが客席を見回しながらトークを始めた。
 それに合わせてか、小五郎が一休みしようと椅子に座った時だった。
「…ん?」
 一瞬、何か光るものが目に入ったような気がしたのだ。
(…?)
 そして小五郎は客席のほうを見ている。
 武闘館の中はステージの上のヨーコに照明が集中しているからか、客席のほうは非常灯
が点灯しているだけだったが、それども暗闇の中で目が慣れたのか、結構場内を確認する
ことができた。
(…何かの見間違いか?)
 そう思ったが、もう一度、本当に一瞬だけだったが、何か客席から外れたところで何か
が光った感じがしたのだ。
 小五郎はその方向をじっと見る。

「…お父さん、どうしたの?」
 さっきから小五郎がステージから外れた、客席のある一点を見ているのを見て蘭が聞く。
「…あそこに人がいないか?」
「え?」
「ほら、あそこに」
 そう言って小五郎はステージの後ろ側にあたり、誰も観客がいないはずの客席を指さす。
「何かの見間違いじゃない? 誰もあそこには入れるはずがないじゃない」
「いや、確かに何か光るモノを見たんだが…」
 そう言いながら小五郎はもう一度その方向を見る。と、
「やっぱりそうだ、誰かいる!」
「え?」
「ほら、よく見てみろ!」
 そう言いながら小五郎はその方向を指さす。
「どこ?」
 そう言いながら蘭が目を凝らすと、隣のコナンが、
「おじさんの言うとおりだ、誰かいるよ!」
「本当?」
 そして蘭がもう一度目を凝らすと、誰かが動いたように見えた。
「…ほんとだ、誰かいるわ」
 と、小五郎が、
「…アイツ、何持ってんだ?」
「え?」
「ほら、なんか棒みたいなの持っているぞ!」
 そして小五郎はじっとその方向を見る。
「…まさかあの棒が光ったのか? だとしたら…、まさか!」
 そう言うが早いか、小五郎は席を離れ、廊下に向かって駆け出していた。
「ちょ、ちょっと、お父さん!」
 そう言いながら蘭とコナンも後を追いかける。

 そして小五郎たちが廊下に出たときだった。
「…毛利さん、どうしたんですか?」
 廊下に立っていた警官が小五郎を引き留めた。
「何者かがヨーコちゃんを狙っているんですよ!」
「なんですって?」
「しかもそいつがライフルか何かを持っているんですよ。おそらくそれでヨーコちゃんを
…」
「なんですって?」
 そしてその警官は近くにいた同僚の警官に、
「目暮警部を呼んできてくれ!」
 そう叫ぶと、
「それで、どちらですか?」
「こっちです!」
 そして小五郎たちは廊下を走り出した。
   *
「…それじゃ、次の曲、聞いてください」
 ヨーコが言うと前奏が始まった。

 そんな様子を見ながら男はライフルを構える。
 この大音響の中ではおそらく銃声も掻き消えるだろう。
 そして男はスコープを覗き込む。
 スコープの向こうには沖野ヨーコがいた。
(…ヨーコ、これでお前はオレだけのものになるんだ)
 男はヨーコの左胸に照準を合わせる。
 そして引金に指をかけた。

 その時だった。
「…あの人だ!」
 男の近くで子供の声が聞こえた。
     *
 コナンたちの目の前にライフルを持った一人の男がいた。
「おい、お前、何をしている!」
 小五郎が叫ぶ。
 不意を突かれたか、男が小五郎たちのほうを向いた。
 小五郎たちの姿に驚いた男はあわててライフルをコナンたちに向けた。
「…ようし!」
 そして蘭がその男に向かおうとした時だった。
「待て、蘭!」
 小五郎が叫んだ。
「どうしたの?」
「いくらお前の空手でも、相手がライフルじゃ勝ちようがないぞ。オレに任せろ!」
 そう言うと小五郎は男に向かって走り出していた。
 男があわてて小五郎に向かってライフルを構えようとした時だった。
 小五郎が素早く相手の胸元に飛び込むと右手でライフルの銃身を掴んだ、と思った瞬間、
見事な一本背負いを決めていた。
 次の瞬間、警官たちが男にとびかかり、あっという間に抑え込まれてしまった。
    *
 不意にバックバンドの演奏が止まってしまった。
「…?」
 演奏が止まってしまい、ヨーコがバックバンドのほうをさりげなく振り向く。
 と、ステージにいたほとんど全員がある客席の方向を向いていた。
 ヨーコもつられてそっちの方を向く。
「…あれは?」
 幸いにもその声はマイクには拾われていなかったようだ。
    *
 男が手錠をかけられた。
 その男の顔を見たコナンは、
「…この人は…」
「どうしたの、コナン君?」
 蘭が聞く。
「…この人、光彦の家の近くのアパートに住んでいる人だよ」
「本当か?」
 小五郎が聞く。
「うん」
「…お前、一体なんでこんなことを!」
 小五郎が言うと目暮警部は、
「詳しい話は本庁の方で聞こう。連れて行け!」
 そして目暮警部の命令で男が連れて行かれる。
   *
 その様子を見ていたヨーコは周りの様子に気が付くと、あわてて観客に向かい、
「…ど、どうしたのかな? 興奮しすぎちゃったのかしら? ははは、声援送ってくれる
のはありがたいんだけれど、あまり興奮しすぎちゃうのもね」
 ヨーコがそう言うと会場から笑い声が起こった。
「…ごめんなさいね。途中で止めちゃって。それじゃもう一度最初から」
 ヨーコがそう言うと、バックバンドも落ち着きを取り戻したか、再び前奏が流れ始めた。


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