愛するが故に

(第2話)



 一台のタクシーがあるビルの前に停まった。
 中から小五郎たちが出てくる。と、
「あ、毛利さん、お待ちしておりました!」
 玄関の前で山岸が小五郎たちを出迎えた。
「それで、我々に話とはどういう事ですか?」
「ここではなんですから、詳しくは会議室で」
 そして山岸の案内で小五郎たちは事務所の会議室へと連れて行かれた。
    *
 会議室では事務所にいる者が大勢集まっていた。
 もちろん、その中には沖野ヨーコの姿もあった。

「…それで、事務所に送られてきた手紙というのは」
 初めて会った事務所の社長との名刺交換もそこそこに済ませて小五郎が聞くと、
「ええ、これなんですが」
 そういうと社長は小五郎に何枚かの紙を見せる。
「…これは…」
 受け取った紙に書かれている文を見て、思わず小五郎が絶句する。
 それを脇から覗き込む蘭とコナン。
「…!」
 思わず手で口を覆う蘭。
 その紙には、

「今度のツアーのファイナルで沖野ヨーコを殺す」

 これだけしか書かれていなかったのだった。
「ヨーコちゃんを殺す…、だと!」
「ええ。これが一昨日の夜に事務所のポストに入っていたんですよ」
「それで、何か手がかりになるようなものは?」
「いえ、封筒には何も書かれていなかったし、消印や切手もなかったからおそらく直接事
務所のポストに投函したのではないか、と思うのですよ。実は我々は最初は悪質ないたず
らなのではないか、と思ったのですが、実はヨーコの公式ブログのコメント欄にも同じよ
うな書き込みがあったというのですよ」
 そう言うと事務所の職員がパソコンの画面をプリントアウトしたのであろう紙を小五郎
たちに見せる。
「…幸いなことにヨーコのブログは、コメントやトラックバックが承認制なのでまだ誰の
目にも触れていないのですが…」
「…それにしてもふざけた野郎だ。それで、事務所としてはどう考えているんですか?」
「どう考えている、って…」
「ヨーコちゃんを殺害する、という手紙がこの事務所に届けられたばかりか、彼女の公式
ブログのコメント欄に書き込まれた、となるともうこれは単なるいたずらなんかで片づけ
られる問題ではないんだ! …とにかく、これは警察を呼んだほうがいい」
 小五郎の声にその場にいた一同が顔を見合わせる。
 やがて社長が、
「…そうですね。確かに毛利さんの言うとおりかもしれませんね。それじゃ、私が警察を
呼びます」
「お願いします」
    *
 そして事務所の社長の連絡を受けて警察がやってきたのはそれから間もなくだった。

「…これは、間違いなく脅迫ですな」
 小五郎から事情を聴き、実際に紙を見せられた目暮警部が言う。
「…しかし、まだこれだけでは何の手掛かりにはなりませんな」
「…そうですね。見たところどこにでもあるパソコンを使ってプリントアウトしたものの
ようだし」
「…一応本庁のほうでも詳しく調べてもらいますが、その結果が出るのも少々時間がかか
るかもしれませんね」
「少々かかる、とは?」
 社長が聞く。
「いえ、私もよくわからんのですが、電話の逆探知なんかのように自宅からインターネッ
トに接続していればいいのですが、最近は漫画喫茶などにもパソコンが置いてあるところ
が多いでしょう? そこから発信している、という可能性もありますからなあ。そうなる
と聞き込み捜査もしなければいけないわけで…」
「そうですか…」
「とりあえずこれは我々のほうで預かりましょう」
 そして目暮警部は部下の警官にその紙を預ける。
「…ところで社長。そのヨーコちゃんのツアーのファイナルはいつ、どこでやるんです
か?」
 小五郎が聞く。
「ええ。明後日、東都武闘館で午後6時半から始まる予定なんですが」
「東都武闘館、ですか…。あそこは大学の頃に何回か柔道の大会で行ったことがあります
よ。あそこってもともと名前通り武道の会場なのに、国内外問わず結構使っているミュー
ジシャンが多いんですよね」
「まあ、ミュージシャンにとって武闘館のコンサートというのはある意味で目標の一つで
すからね。そういう事もあってなかなか予約競争が激しくて…。ヨーコにとっても1年振
りの武闘館だし、今回のツアーのファイナルですから何とか成功させたいんですよ」
「…まあ、それはそうでしょうなあ…」
 そういうと小五郎は考え込んでしまった。
「どうしたの、お父さん?」
 蘭が聞く。
「いや、ちょっとな。これが地方の会場だったらとにかく、武闘館ともなると会場も広い
し、警備の人数も相当なはずだろうからな。その合間を縫ってヨーコちゃんを殺す、なん
てことができるのか、と思ってな。…それで社長、ちょっとお願いがあるのですが」
「なんですか?」
「明日武闘館へ行ってみていいですか?」
「明日?」
「ええ。会場を見て何かつかめるかもしれませんし…」
 小五郎の申し出に社長はちょっと考えると、
「…ちょっとよろしいでしょうか?」
「ええ、かまいませんが」
 そう言うと社長は小五郎たちとは反対側の壁で何人かと話し合いをする。
 そして数分後、
「…了解しました、毛利さん。明日、社員を事務所のほうへ迎えに行かせますよ」
「あ、わざわざすみませんなあ」
    *
 そして翌日の東都武闘館。
「関係者駐車場入口」と書かれた看板の中に一台のワンボックスカーが入っていく。
 そしてある場所に停まると中からコナンたちが下りてきた。
 と、小五郎の姿を見つけた社長が小五郎に近づく。
「毛利さん、お待ちしておりました」
「いえ、わざわざすみませんなあ」
 するとコナンの視線がある一点で止まった。
「…あれ?」
 その声を聴いた小五郎と蘭もコナンの視線の先を見る。
 そう、そこには一台の車が止まっていて、中からヨーコが下りてきたのだ。
「…なんでヨーコちゃんまで?」
「ええ。昨日毛利さんたちが帰った後、ヨーコも自分の問題だからどうしても行きたいと
言いましてね。もともと彼女のコンサートですし、それにスタッフの打ち合わせやリハー
サルもあるし…」
「そうですか…」
 するとヨーコのほうでも小五郎に気が付いたか、
「あ、毛利さん。済みません、こんな面倒に巻き込んでしまって…」
「いえ、ヨーコちゃんがこんなことに巻き込まれたとあってはこちらも黙っていられませ
んし…。それより、大丈夫ですか?」
「ええ、社長や山岸さんからは『とにかく心配しないで、明日のコンサートだけを考えろ』
と言われましたし」
「それならばいいんですが…」
(…そうは言っているようだけど、不安は隠せないようだな…)
 コナンはヨーコの顔色を見てそう思った。
(…とにかく、何も起こらなけりゃいいんだが…)

 と、それを見ていた山岸が、
「ヨーコ、行くよ」
「あ、はい。…それじゃ、毛利さんまた後で」
 そしてヨーコは山岸とともに「関係者入口」と書かれたドアから入っていった。
「…それじゃ毛利さん」
 そして小五郎たち事務所のスタッフたちとともに中に入っていく。
    *
 会場に入ると中では何十人ものスタッフが舞台を組み立てていた。
「すごいもんですなあ…」
 辺りを見渡して小五郎が言う。
 そう、彼女が立つであろうステージはまだまだ作業途中だとはいえ、いろいろと舞台装
置が組み込まれており、かなりの大きさになっているのだった。
 そしてアリーナ席の部分には椅子を並べていた。
「ええ。ヨーコのコンサートはいつも満員ですから、準備も大変で…」
 社長が言うと小五郎が、
「…それで、今回のコンサートはどのくらいの入場者を見込んでいるんですか?」
「ええ、一応1万人を見込んでいるんですがね」
「1万人?」
「ええ。ここは最大で15000人入れられるんですが、今度のコンサートは正八角形の会場
内のうち、3辺をステージに使ってそこに面している座席にはお客は入れませんから、ど
うしてもそのくらいになっちゃうんですよね。まあ、おかげさまで今回のコンサートも前
売りは売り切れましたよ。ただ…」
「ただ?」
「…実はまだ今回の件に関しては警察の方や毛利さんを除くと一部の者しか知らないんで
すよ」
「それはどういう事ですか?」
「我々はギリギリまで今回のコンサートを行う方向で話を進めていますからね。確かに一
部からは中止したほうがいいのではないか、という意見も出たのですが、すでに1年前か
ら予約しているし、関係各位にご迷惑をおかけするわけにもいきませんからね。それに…」
「それに?」
「どうしてもヨーコがやりたい、って言うんですよ」
「ヨーコちゃんが?」
「ヨーコはファンをとても大切にしますからね。我々も最初の内は中止とまではいかなく
とも延期しようか、と考えていたんですが『わざわざこの日のために休みを取って見に来
てくれた人たちがいるかもしれない。そしてこの機会を逃すともう二度と生の沖野ヨーコ
を見ることができない人もいるかもしれないから、そんな人たちに申し訳がない』と言い
ましてねえ」
「…ヨーコちゃんがそんなことを言うとはねえ」
「ええ。意外と彼女は芯が強いですから。そうなると我々としてもギリギリのところまで
開催、という方向で話を進めなければいかんのですよ」
「ふうん…。意外と芸能界というのも大変なところなんですな」
     *
 そして彼らは社長の案内で今度は階段で二階席に上がり、そこから会場を見渡す。
「…なんだよ。ここからじゃヨーコちゃんの姿がよく見えないじゃないか」
「でもその分見渡しはいいんじゃないの?」
 蘭が言う。
「まあ、確かにな。一体その、脅迫状を送りつけてきたヤツがどういう形でヨーコちゃん
を殺そうと考えているのかわからんが、もしライフルか何かで狙撃する、となったらアリ
ーナよりは2階席のほうが危険は少ないからな」
「でも、ライフルで狙撃する、ってのは危険なんじゃない?」
 コナンが言う。
「危険だと?」
「うん。だってコンサートの前って所持品検査をするんでしょ?」
 コナンがそういうと社長が、
「そう言えばそうだ。カメラなんかを持ち込まれないように所持品検査をやって、持って
いた者は一時預かることになってるんですよ」
「…そうでしょ? カメラならとにかくライフルを持ち込むとしたらゴルフバッグのよう
なものに入れなきゃいけないし、そんなゴルフバッグみたいなものを背負って入場しよう
としたら、誰だって怪しいと思うよ」
「まあ、ライフルはあくまでも可能性の一つだからな。ナイフで刺すとか、差し入れ品に
毒を仕込むとかいろいろ方法はあるはずだし。それこそ小さなナイフだったら所持品検査
の際に見落とす可能性だってあるし、毒薬なんかは普通の薬と見分けがつかんし…。いず
れにせよ、ヤツがどういった形でヨーコちゃんを狙ってるのかわからないんじゃこっちと
してもどうしようもないからなあ」
 そういうと小五郎は腕を組む。

 と、そんな時だった。
「お、毛利君も来てたのか」
 小五郎の背後で声がして目暮警部が現れた。
「あ、これは警部殿。…それで、何かわかりましたか?」
「いや、警視庁のほうでも捜査は続けているのだが、これといった手掛かりはまだつかめ
ておらんよ。ただ…」
「ただ?」
「今回の一件と直接関係があるかどうかわからないが、ちょっと気になる事件があってな」
「気になる事件?」
「うん。おとといの夜のことだったんだが、杯戸町にある銃砲店に何者かが押し入って、
ライフルと銃弾が盗まれたそうだ」
「ライフルと銃弾? だとしたら…」
「いや、まだ詳しいことはわかっておらんよ。今現場周辺で不審な人物いなかったか聞き
込み調査を続けておるところだよ。一応今回の事件との関連性は調べておるのだが、彼女
の事務所の社長の意向で、今回の脅迫事件に関してはまだマスコミには伏せておるのだよ」
「社長の意向?」
「うん。変に騒がれてコンサートが中止になってしまったら大変だと言っておるのでな。
だからこちらとしてもあまりおおっぴらに動けないのだよ」
「うーん…」
「…だとしてもライフルを持ち込むのは難しいんじゃないの?」
 コナンが言う。
「持ち込むのは難しいだと?」
「だってさ…」
 とコナンはつい今しがた小五郎に行ったことを繰り返す。
「…うん、確かにそうかもしれんな。とにかく当日は所持品検査をしっかりとやるように
社長には頼んでおるのだが…」
「…そうなんですか?」
 小五郎が社長に聞く。
「ええ。当日は警備員を増やすことをお願いしているんですが。それと、警部さんとも話
し合ったんですが、当日は私服警官も配置をお願いしようか、と」
「その件に関しては社長とも話し合ったよ。何人かの私服警官をよこす方向で話が進んで
おるよ。そしてワシが指揮を執る予定だ」
「警部がですか?」
「この事件、ワシが指揮を執ることになっておるからな。もちろん当日はワシも刑事だと
は分からない格好でいるつもりだ」
「まあ、確かに何かあったら大変ですからな。…さて、下に降りようか」
 小五郎の声を合図にしたかのように全員が1回に降りようとした時だった。
「…?」
 コナンが不意にステージのほうを振り返った。
「どうしたの、コナン君?」
 蘭が聞く。
「ん? い、いや、なんでもないよ」
 そう言いながらも再びコナンはステージのほうを向く。
(…なんだ、今の視線は?)
 そう、コナンは自分たちのことを誰かがじっと見ているような感覚を覚えたのだ。


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