「…すみません、中森警部」
そのとき、捜査一課のドアが開き一人の刑事が顔を出した。
その刑事は捜査二課の中森警部の部下だった、
「…どうした?」
「いえ、この方が中森警部に話がしたい、というので、捜査一課の方にいる、と案内した
のですが…」
そういう刑事の傍らには一人の男性が立っていた。
「あ、確かちはるちゃんの…」
その姿を見た蘭が言う。そう、その男は都築ちはるの主治医の中島医師だった。
「あ、確か先日お見舞いに来られた…」
中島医師も蘭に気がついたようだ。
「…失礼ですが、どちらさまですか?」
目暮警部が聞くと、
「あ、申し遅れました。私、都築ちはるちゃんの主治医で中島と申します」
中島医師がそう言うと中森警部が、
「…ああ、あなたがあのちはるちゃんの…。いろいろと話は聞いておりますよ。それで先
生。今日は何の用事で?」
「いえ、血液が盗まれた、と聞いて、いったいどうなっているのかお話を伺いにきたので
すが…」
「我々としても今は全力で捜査している、としか申し上げようがありませんな」
「そうですか…」
「ところで中島先生、実は先ほどこのような内容の手紙がちはるちゃんのお母さんの家に
届けられたそうですが」
そう言うと中森警部は中島医師に例の脅迫状のコピーを見せる。
それを見た中島医師は、
「…よかった」
と思わずつぶやいてしまった。
「…よかった、ってどういうことですか?」
目暮警部がやや強い調子で聞くと、
「あ、いえ、その、血液がまだ大丈夫だった、ということで」
「大丈夫?」
「はい。これによると犯人は血液を低温で保存しているらしいんですよ」
「低温で保存している、とはどういうことですか? …もしかして、手術に何か不具合が
あるとでも?」
「いえ、その…。我々としてもできる限り早く手術をやりたいんですが」
「…そんなにちはるちゃんの具合が悪いんですか?」
「いえ、彼女の容態は安定しているんですが、時期が時期だけに血液の問題がありまして
ね」
「血液?」
「はい。ご存知かと思いますか、彼女の血液型は数十万人に一人と言われている特殊な血
液型ですからね。この暑い中、何時間も血液を常温のままそのままにしておくと腐敗や細
菌の増殖が始まってやがては使えなくなってしまう可能性があるんですよ」
「…ああ、確かにその可能性はありますね」
「そんなことになってしまうと、また彼女の血液型に会う人物を探さなければならないん
ですよ」
「ああ、そうでしたな。確か献血をすると一定期間――確か最低でも4週間でしたか――
は同じ人物から血液を取ることができないんでしたな」
「ええ、そうなんです。ですが、この脅迫状によると犯人は血液を低温で保存している、
とのことですから、少々手術が遅れても何とかなるのでその辺はよかったのですが、ただ
そうは言ってもあまり長い時間そのままにしておくわけにもいかないので、何とか今日中
には手術をしたいのですよ。…ですから私のほうからも何とか早く血液を見つけてほしい
のですが…」
「それはわかっております。ですから我々としても何とか取り戻したい、と思ってはいる
のですが…」
「…でも三千万円なんてとても用意できるお金では…」
都築真弓が言う。
「…大丈夫ですよ、奥さん。我々としてもできるだけ早く犯人を検挙して、血液を取り戻
すつもりです」
中森警部が言う。
「宜しくお願いします」
その言葉を聞いて都築真弓が頭を下げる。
「私からもお願いします」
中島医師が言うと、
「とにかく先生はすぐにでも手術ができるように手はずを整えておいてください」
「…わかりました。…それじゃお母さん、ちはるちゃんのところに行きましょうか」
「はい」
そして中島医師と都築真弓の二人は捜査二課の部屋を出た。
「…それで、その血液を盗んだ人物についてはどうなっとるのでありますか?」
小五郎が目暮警部に聞いた。
「ああ、それか。今沖縄県警のほうで例の医師団の証言を元に、血液を渡した人物の似顔
絵とモンタージュを作っておるところじゃよ。完成したいこちらに送ってくる手はずは整
えておるよ」
「そうですか」
「…それにしても、これって計画的な犯行だったのかしら…」
蘭がいう。
「計画的、って、どういうことじゃ?」
目暮警部が聞く。
「いえ、羽田空港で本来血液を受け取るはずだった医師団より先に血液を受け取ってその
まま逃走する、なんていうのは前もって計画していないとできないと思うんですよね。だ
ってちはるちゃんの血液型が特殊な血液型だというのは、数日前の新聞で石垣島で同じ血
液型の人が見つかった、と言う報道があって誰もが知っていることですよね?」
「…確かにそうじゃな。そうなるとその血液を盗もう、とよこしまなことを考えるヤツが
出てきてもおかしくはないな」
「…それに、ある病院のバンが盗まれた、と言う事件があったでしょ?」
コナンが言う。
「ああ、確かにあったな。それがどうかしたのかね?」
「どうもその事件と今回の血液が盗まれた事件が関係あるように思えるんだよね」
「…うん、確かにそれも考えられるな。となると犯人は最初から――金が目的だったのか
どうかはまだわからんが――血液を盗むつもりでその、病院からバンを盗んだ、とも考え
られるな」
「…とにかく、沖縄県警から何らかの連絡がないと、我々としても何のしようもないです
な。…、まあ、とにかく今回の事件は我々二課に任せていただけませんかな?」
中森警部がそう言うと目暮警部は、
「もちろんそのつもりじゃよ。ただし、蘭さんやちはるちゃんのお母さんにはちゃんと経
過の報告はしてくれるんだろうな? ある意味では彼女たちも今回の事件の関係者じゃか
らな」
「…それはわかっていますよ。それでは、これから今後の捜査方針を話し合いますので」
そう言うと中森警部は捜査一課の部屋を出て行った。
「…大丈夫かしら」
中森警部の出て行ったドアを見て蘭がつぶやいた。
「大丈夫、って、どうしたの、蘭ねーちゃん?」
コナンが聞く。
「ん? いや、その、犯人が早く捕まってほしいし、血液が無事に見つかってほしいし、
それより何よりちはるちゃんのことが心配だし…。いろいろな意味で大丈夫かな、って」
(…ひょっとしたら中森警部が事件を担当するから大丈夫か、って思ったんじゃねーの?)
コナンは思った。何せ中森警部といったら怪盗キッドが事件に絡むといつもヤツに出し
抜かれているのだから。
そんなことを考えていると目暮警部が、
「…それじゃ、我々もこれからちょっとやることがあるからの。君たちも一旦戻りたまえ」
「戻る、って…」
「大丈夫。なにか動きがあったら君たちにも連絡するよ」
そしてコナンたちは一旦それぞれの家に戻ることにし、捜査一課の部屋を出ようとした
ときだった。
「…藤田さん」
目暮警部が藤田貴代を呼び止めた。
「何でしょうか?」
「蘭くんから聞きましたが、来月北京で開催されるパラリンピックにあなたも出場するん
ですって?」
「ええ。女子の車椅子マラソンに」
「…すみませんなあ。大会も近いというのにお手間を取らせて。練習する時間もないでし
ょう?」
「いえ、そもそもちはるちゃんを蘭さんに紹介したのは私ですし、事件が解決しないうち
は、私も安心して練習に打ち込めませんから」
「そうですか。いや、本当にすみませんなあ」
*
その日の昼過ぎのことだった。
捜査二課の中森警部の下に沖縄県警から送られた人物の似顔絵とモンタージュ写真が届
けられた。
中森警部は送られてきた似顔絵とモンタージュ写真を見ると、
「…こいつらがその、怪しい男たちか…」
そう、似顔絵やモンタージュ写真には二人の男が写っていたのだった。
「…よし、これのコピーをとってから、病院の周辺でこの顔に似た男たちを見なかったの
か聞き込み捜査だ。それから羽田空港の警察署にもこのコピーを送って空港周辺でこの人
物に似た男たちを見かけなかったか聞き込み捜査を依頼しろ」
そう部下の刑事たちに命じた。
そして彼らは捜査二課の部屋を出て行った。
「…というわけだ。そのコピーを一枚一課の方にも廻してもらったのがこれなんだが…」
目暮警部から連絡を受けたコナンたちは再び警視庁に来ると、目暮警部から事情を聞き、
その、沖縄県警のほうから回ってきた、と言うモンタージュや似顔絵のコピーを見せても
らった。
「…何か見覚えはないかね?」
「いえ、ちょっと心当たりは…」
蘭が言うと目暮警部は、
「…あなたはどうですか?」
蘭から連絡を受けて、彼らと一緒に警視庁に来た藤田貴代にも同じ事を聞く。
「…いえ、私も心当たりはないです」
そして目暮警部にコピーを渡した。
「そうか…」
「それで、この人物に対する何か有力な手がかりがあったんですか?」
蘭が聞く。
「…いや、今のところこれといった情報は入っていないようじゃが、二課のほうで聞き込
みを続けているそうだし、羽田空港の警察署のほうでも聞き込みをを続けているらしい」
「…そうですか」
「まあ、とにかく、今は一刻も早く情報が入ってくるといいんだが…」
と、そんなときだった。
捜査一課の電話の呼び出し音が鳴った。
「ああ、ワシが出る」
そう言うと目暮警部は手近にあった電話を取る。
「…もしもし、目暮だが。…そうか、わかった。ありがとう」
そう言うと目暮警部は電話を切った。
「何かわかったんですか?」
小五郎が目暮警部に聞く。
「…今捜査二課から連絡があった。事件が起こる数日前に例のバンが盗まれた病院の周辺
で例の似顔絵に似た男たちらしき人物を見かけた、と言う情報が入ったそうだ」
「…となると…」
「ああ、おそらく下見に来ていたんだろうな。そうなるとそいつらがその血液を盗んだ可
能性が強いと思うが…」
それからまたしばらくしてのことだった。
捜査一課にまた電話が入ってきた。
「目暮だが。…なに? うん、うん。そうか、わかった。中森警部にありがとうと伝えて
おいてくれ」
そういうと目暮警部は電話を切る。
「…何があったんですか?」
蘭が聞く。
「ああ。さっきの話の続きじゃよ。どうやら犯人の目星がついたらしい」
「目星、といいますと?」
小五郎が聞くと目暮警部は、
「…どうやら目撃証言などから、今回の血液を盗んだ連中はある暴力団の構成員らしい」
「暴力団員ですって?」
「ああ。一応のために組織犯罪対策部(マル暴)のほうにもコピーをまわして情報提供を
頼んだところ、ある暴力団によく似た男がいる、と言う情報があってな。今確認を取って
おるところじゃよ」
「でも…」
「君たちの言いたいことはわかっておるよ。ただ、毛利君はもともと刑事だったんだから
わかるじゃろうが、最近の暴力団員と言うのはちょっと目には普通の一般市民と区別がつ
かない構成員と言うのも多くてな。そういった連中が医者に化けて血液を奪ったとしても
なんら不思議ではないのだよ」
「…そういえばそうでしたな。一見インテリ風に見える男が実は暴力団の構成員で、マル
暴の刑事と並んでみるとどっちが暴力団員でどっちが刑事かわからなかったこともよくあ
りましたな」
「それで今、対策部の協力を得て、その男たちの写真を持ってこれから聞き込みに当たる、
と言う話じゃった。例の沖縄の医師団のほうにも沖縄県警を通じて話を聞いてみる、と言
うことじゃよ」
「そうですか…」
「まあ、とにかく何か動きがあったらこちらから連絡するから、君たちはもう戻りたまえ」
*
目暮警部から再び連絡があったのは夕方の4時を過ぎた頃だった。
自宅の電話の呼び出し音がなり、小五郎が電話を取る。
「もしもし。あ、目暮警部殿。…はい、はい。そうですか。わかりました。いえいえこち
らこそたびたびお邪魔して。それでは今から向かいます」
そして小五郎が電話を切った。
「どうしたの、お父さん?」
「…今、目暮警部から連絡があって、その血液を盗んだ男たちによく似た人物を見かけた、
と言う情報があったらしい」
「本当?」
「ああ、沖縄県警からも連絡があって、その、医師団があった男ともよく似ていた、とい
うことだ。それで今、捜査二課の連中が事情聴取のためにその男たちがいる暴力団の事務
所に向かっているらしい」
「本当?」
「ああ、それでちょっと話が聞きたい、ということなんで今から警視庁に来てくれ、とい
うことだ。行くぞ」