土曜日、米花公園の入り口。
蘭はここに来る途中、開店したばかりの花屋で買った、少女の見舞い用の花束を手にし
ていた。
その傍らにはコナンが立っていた。
「ねえ、蘭ねーちゃん」
コナンが蘭に話しかける。
「なに?」
「その蘭ねーちゃんが言っていた女の人、って何時ごろに来るの?」
「うーん、9時半にここで待ち合わせ、って言ってたからねえ。そろそろ来るんじゃない
かなあ」
蘭が左手にしてある腕時計を見ながら言う。
と、入り口の前に一台の車が停まった。
そして助手席側のウィンドウが開くと、
「蘭さん、お待たせ」
藤田貴代が運転席から声をかけた。
「え? 藤田さん、免許持ってたんですか?」
「ええ、これでも就職してすぐに取ったのよ。…ところで、その子誰?」
と、彼女はコナンを見て言った。
「あ、ウチで預かっているコナン君なんです。藤田さんの話をしたら、コナン君もその子
に会ってみたい、って言うんですよ。コナン君も一緒に連れて行っていいですか?」
「それは別にかまわないわよ。とにかく、ここで立ち話もなんだから早く乗って」
「それじゃ失礼します」
そして蘭は助手席に、コナンは後部座席に座った。
二人がシートベルトを着用するのとほぼ同じくして車が発進する。
*
「…コナン君、ちょっと狭いけど、ごめんなさいね」
藤田貴代が後部座席のコナンに言った。
そう、コナンの隣には折りたたまれた車椅子が置いてあったのだ。
「ん? 大丈夫だよ」
「それならいいんだけど」
「…ところで藤田さん」
蘭が話しかけた。
「なに?」
「…藤田さん交通事故に遭って歩けなくなった、って言っていたのに何で運転免許を取っ
たんですか?」
「ああ、それね。やっぱり車椅子生活だとどうしても行動範囲が狭くなっちゃうのよ。だ
から少しでも行動範囲を広くしたかったのよ。それに…」
「それに?」
「たとえ歩けなくなっても努力すれば何だってできる、って言うことの自信をつけたかっ
たの。車椅子マラソンを始めたのもそうだし、免許を取ったのもそう」
「ふーん、そうなんですか」
そんな会話を聞きながら、コナンは後部座席から運転席の藤田貴代を見る。
(…それにしてもこの車、随分工夫してあるんだな…)
そう、彼女が乗っている車はハンドルにノブが付いていて、右腕だけでハンドル操作が
できるようになっており、運転席の左側、シフトレバーの下にもう一本レバーが付いてい
て、左腕でそのレバーを使ってアクセルやブレーキ、ウィンカーなどの操作をしているの
だ。
「…どうしたの、コナン君?」
藤田貴代がさっきからじっと運転席を見ているコナンに気づいて聞いた。
「ん? この車面白いね。両手だけで運転できるんだもん。まるでラジコンカーみたいだ
ね」
「…面白い事言うわね。確かに両腕だけで運転できる、って言うのはラジコンカーを動か
すのに似ているかもしれないわね」
やがて車は病院の駐車場に到着した。
「ちょっと待っててね」
先に車を降りた蘭たちに言うと、藤田貴代は後部座席に置いてあった車椅子を車外に出
すとそれを開き、乗っていた車から乗り移る。
そして車椅子を動かそうとした時、
「あ、押してあげますよ」
そう言うと蘭はコナンに持っていた花束を渡し、車椅子の取っ手を持った。
「あ、悪いわね」
そして3人は正面玄関のスロープから病院の中に入っていった。
*
エレベーターである階に着くと、蘭は藤田貴代が乗っている車椅子を押し、コナンはそ
の傍らで廊下を歩いていった。
やがて、
「あ、この病室よ」
「都築ちはる」と名札があった病室を藤田貴代が指差した。
(…おや?)
コナンはその名札をじっと見る。
(…都築ちはる、って名前どこかで聞いたことあるぞ…)
と、
「コナン君、何してるの?」
蘭の声が聞こえた。
「う、うん。なんでもないよ」
そして3人は病室に入っていった。
病室に入ると、窓側の席にベッドに上半身を起こしている少女がいた。その傍らには一
人の女性がいた。
「ちはるちゃん」
藤田貴代が話しかける。
「あ、お姉さん、いらっしゃい」
ベッドの少女が挨拶をする。
「いつもすみません」
ベッドの傍らの女性が話しかけた。と、傍らに立っている蘭たちを見ると、
「…ところでそちらの方は?」
「あ、知り合いの毛利蘭さんと、江戸川コナン君です。ちはるちゃんのお見舞いに行きた
い、っていうので今日は一緒に来たんです」
「…はじめまして。私、都築ちはるの母親で都築真弓と言います」
そういうとその女性は二人に挨拶をする。
「はい。これ、お見舞い」
そう言うとコナンはちはるに花束を渡す。
「ありがとう」
「本当にすみませんね」
そう言うと都築真弓はベッドの隣にあった花瓶に水を入れるために病室を出て行った。
*
そして蘭とコナンは近くにあった椅子を持ってくるとそれに座って、藤田貴代や都築ち
はると話を始めた。
「…ふーん。学校の先生が毎日お見舞いに来てくれているんだ」
藤田貴代が言うと母親の真弓が、
「そうなんですよ。この子入学してすぐに入院してしまったでしょ? 担任の先生も心配
しお見舞いに来てくれているんですよ。その時に退院しても大丈夫なように、ってときど
き勉強も教えてくれているんです」
「優しい先生ですね」
蘭が言う。すると、
「ほお、今日もお見舞いに来てもらっているんだね」
白衣を着た人物が病室に入ってきた。
「あ、先生」
都築真弓が言う。
「…先生、って?」
蘭が聞くと、
「あ、この子の主治医の先生なんですよ」
「はじめまして。中島といいます」
そう言うと中島医師は蘭たちに挨拶をする。
「あ、はじめまして」
蘭も挨拶を返す。それにあわせてコナンも軽く会釈をする。
「お母さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
中島医師が都築真弓に話しかけた。
「何でしょうか?」
「ここではなんですから診察室のほうで。…ちはるちゃん。ちょっとお母さんを借りるね」
「はあい」
それを見た藤田貴代が、
「…それじゃ、私たちはここらでお暇しましょうか」
「いえ、すぐ済みますから」
中島医師が言うが、
「いえ、こっちも随分と長居しちゃいましたし。それじゃちはるちゃん、また来るわね」
そして3人は病室を出て行った。
*
車の中。
「…本当にあの子、見ていると病気にかかっているなんて思えませんね」
蘭が藤田貴代に話しかける。
「そうね。私も最初はそう思ってたんだけど、実際にはあんな小さな子が病気と戦ってる
んですものね」
「…コナン君はどう思った?」
蘭は後部座席のコナンに話しかけた。
「…うん。確かにあんな子が病気にかかっているなんて信じられないよ。一日も早く元気
になって欲しいね」
*
やがて米花公園の前に車が止まり、蘭とコナンが車から降りた。
「…本当にすみませんでした」
そして二人は藤田貴代に挨拶をする。
「いえ、こちらこそ。それじゃ、またね」
そして走り去った車を見送った後、コナンと蘭は家路に付く。
「ねえ、蘭ねーちゃん」
コナンが話しかけてきた。
「…どうしたの?」
「病院に着いたときからずっと思っていたんだけど、都築ちはる、って名前どこかで聞い
たことない?」
「どこかで、って言われても…、聞いたことあったかなあ」
「ほら、この間おじさんが見ていた新聞にそんな名前あった気がしたんだけど…」
それを聞いた蘭は、
「…そう言えば思い出した。確か手術に必要な血液が特殊な型の女の子だったんじゃな
い?」
「そうだよ、その名前聞いたときからどこかで聞いたことがあったんだけど、たぶんその
女の子だよ」
「…確かこんな記事だったよね。確かちはるちゃん、って数十万人にひとりしかいない、
と言う特別な血液型で、手術の際に普通の血液を使うと体が拒絶反応を起こす可能性があ
るから今、彼女と同じ血液型を持っている人を探している、とかそんな記事だったわね」
「あのお姉さんが言っていたけど、あの子のお母さんが手術の決心がつかない、って言う
のはもしかしたらあの子と同じ血液型の人が見つからないから、ってことがあるのかもし
れないね」
「そうね。数十万人に一人しかいない、って言う同じ血液型の人が見つかるといいんだけ
ど…」
どうやら今回の件に関して蘭にとってもコナンにとってもいろいろと考えさせられる部
分があったようだ。
*
それから数日経った日のこと。
「…コナン君!」
蘭がコナンを呼んだ。
「何、蘭ねーちゃん?」
「この記事を見てよ」
そう言うと蘭はコナンの目の前で新聞を広げ、ある記事を指差した。
そこには「ちはるちゃん 血液提供者見つかる」と言う見出しが書かれていた。
「ちはるちゃん、って…」
「そう、この間お見舞いに行ったあの女の子よ。やっぱりコナン君の言うとおりだったの
ね。…何でも彼女と同じ血液型の人が見つかったらしいのよ」
「それで?」
「うん。その話を聞いてお母さんも、彼女の手術に同意したらしいわ。ただ…」
「ただ?」
「その彼女と同じ血液型の人が住んでいるのは沖縄の石垣島、って言う話らしいのよ」
「石垣島?」
石垣島と言ったら沖縄本島よりさらに西にある島のはずである。
「それで、石垣島でその人の血液を採取して、東京まで血液を空輸することになったんだ
って。それが到着次第手術を行う、って言う話らしいのよ」
「ふーん。でも大変だね、西表島から東京まで血液を空輸する、って言うのも」
「そうね。何でも西表島から東京まで直通便がないから、って言うことで一旦那覇まで行
ってそこで東京行きの飛行機に積んで、羽田に向かうことになったんだって。だから迅速
な行動が求められるみたいよ。まあ、でもこれであの子の病気が快方に向かえばいいんだ
けど」
と、その時、部屋の電話の呼び出し音が鳴った。
「…はい、毛利ですが。…あ、藤田さん?」
どうやら藤田貴代のようだ。
(…そういえばこの間お見舞いに行った時、蘭とあの女の人がお互いの電話番号交換して
たな。毛利小五郎の娘だと知って、あの人驚いてたな)
コナンはそう思った。
「…ええ、そうです。ちはるちゃん、よかったですね。これで病気がよくなるといいんで
すけれど…」
どうやら、例の少女のことが話題になっているようだ。
コナンはその会話を聞きながら何気なく新聞に目を落とす。と、
(…おや?)
例の記事が書かれている同じ紙面の隅にあったある記事でコナンの目が止まった。
「病院からバン盗まれる」と言う記事だった。
記事によると昨日の朝早く、ある病院から一台の輸送用のバンが何者かによって盗まれ
た、と言う届けがあった、と言うことだった。警察の調べによると、病院の事務所の鍵が
壊され、バンの運転に使うキーも盗まれていた、と言うことから警察は病院内の事情に詳
しいものの犯行と見て捜査を始めた、と言うことだった。
「…どうしたの、コナン君?」
蘭がコナンに聞く。
「ん? な、なんでもないよ」
コナンは口では蘭にそう言ったが、
(…なんか気になるなあ…)
そう、心の中ではなんとなくこの事件が心に引っかかったのだ。
(…オレの思い過ごしだといいんだが…)
*
そして数日が経ち、採取された輸血用の血液が東京にやってくる日のこと。
既に朝のうちに西表島で血液は採取され、那覇空港に運ばれた血液はそこから飛行機で
運ばれ、予定通り東京に到着する予定だ、と言うニュースがその日の各局のテレビで放送
されていた。
羽田空港に1機の旅客機が到着し、中からジェラルミンのケースを持った二人の人物が
降りてきた。
その二人を待っていたかのように二人の白衣を着た人物がやってきた。
「…お待ちしておりました」
白衣を着た人物の片方が言う。
「これが血液です」
そう言うと、その沖縄から来た人物は白衣を着た男にケースを渡した。
「扱いには気をつけてくださいね」
「分かってますよ」
そう言うと白衣の人物二人は足早にその場を立ち去っていく。
それから程なくのことだった。
一台のバンが羽田空港に止まると、中から二人の人物が出てきた。
そして空港ロビーに入るが、
「…?」
何か周りの様子がおかしいか、辺りを見回していると、
「どうしました?」
空港職員が話しかけてきた。
「いえ、まだ来ていないんでしょうか?」
「まだ来ていない、といいますと?」
「いえ、今日沖縄から輸血用の血液が届けられるはずなんですが」
「え? 先ほど受け取りに来た方がおられまして、その人に渡したようですけど」
「なんですって? …その血液は我々が受け取ることになっているんですよ」
「本当ですか?」
「とにかく、誰かを呼んできてください!」
そしてにわかに羽田空港のロビーはあわただしくなった。
すぐさまその連絡は東京警視庁に行き、捜査二課の中森銀三警部が数名の刑事とともに
羽田空港に駆けつけ、事務室の片隅を借りての事情聴取が始まった。
「…つまりあなた方が本来受け取るはずだった血液を、何者かが血液を受け取りに来た医
師団だと偽って、輸血に使う血液と受け取ってどこかへ立ち去った、と言うことになりま
すな」
中森警部が医師の一人に聞く。
「はい。あの血液はちはるちゃんの手術に使うためにどうしても必要な血液なんですよ」
「…そういえば新聞に書いてありましたな。確か数十万人にひとりしかいない、という特
殊な血液型なんでしょ?」
「ええ。国内に同じ血液型の人物がいたこと自体が奇跡に近いんですよ」
「…となると、その血液が今日、羽田に届けられることは誰もが知っていたことだから、
やろうと思えば犯行は可能と言うことになる。…となると、その受け取りに来た人物が怪
しいということになりますな。」
中森警部が言う。
「はい。おそらくそうではないか、と」
「そう言えばこの間、病院から輸送用のバンが盗まれた、と言う事件があったが、それと
も今回の事件は何か関係があるのか? …ところで、その受け取りに来た人物の人相とか
は分かりますか?」
中森警部は空港職員に聞いた。
「いえ、ちらっと見ただけなので…。確か二人組だったということまでは覚えているんで
すが…」
「…となると、アイツの仕業ではない、と言うことか…」
「アイツ、って誰ですか?」
空港職員が聞き返す。
「あ、いや。それはこっちの話で」
「…そうだ、沖縄から血液を届けに来た医師団がその受け取りに来た人物に会っています
から、彼らに聞けば何か分かるかもしれませんね」
「その、沖縄から来た医師団が那覇空港に到着するのは?」
職員は事務所内の時計を見ると、
「そうですね。6時過ぎになると思いますが」
そして中森警部も時計を見る。
「…となると、まだ時間はあるな。わかりました、今から沖縄県警に事情を話して協力を
要請しておきますよ。電話をお借りします」
そして中森警部は事務所内の電話の受話器を取った。