狼or忠犬?







お館様が人を拾ってきた。

これが真田の旦那あたりだったら「元の所に返してきなさい!」ってな一言も出るところなんだけど。
これがお館様だっていうんだからホント驚きだ。
何たって日ノ本の武将達の中でも特に名君として名高いお館様。
普段だったら素性の知れない者をそう簡単に周囲に近付けるといった暴挙はなさらないのに、何をどうしたんだかお館様はアッサリとその正体不明の男を傍付きの家臣の一人に加えてしまったんだよねぇ。


ある日突然にお館様の前に現れた素性の全く分からない一見優男風の男。
歳は27だって事だけど、その割には妙に若く見える。
パッと見、俺様とあまり変わらないカンジ。
あれで俺様より奥州の片倉の旦那に歳が近いってんだからねぇ。ホントびっくりだよ。
そのの素性を探るのが忍隊の長である俺様の今回の仕事な訳なんだけど……。


「………で、アンタはその『とんねる』とやらを歩いてたら、いつの間にかこの躑躅ヶ崎館の庭に出ていた…と?」
「ああ。信玄様…あ、お館様の部屋の前の庭に出た。」
「でも振り返ったらそんなものは消えて無くなってたって?」
「…………信じられる訳ないよな。」
「何?嘘なわけ??」
「嘘じゃないけどよ……でも普通はそんなの信じてもらえないって事も分かってるつもりだし………。」

そう言ってと名乗った男は小さくため息をつくとガクリと肩を落とした。
しょぼんとしたその様は、どこか落ち込んだ時の真田の旦那の姿を思わせる。
そんな少年のような姿を垣間見せる男に、俺様は盛大な溜息をつかずにはいられなかった。
だってよりにもよってこの男、自分はこの世界の人間じゃない、それどころか400年以上も後の人間だ――とか何とか言い始めたわけよ?!
まぁ普通だったら、もちっとマシな嘘を考えつけ――ってな事になる筈なんだけど…厄介な事に、そうも言えない事情が今俺様の目の前にドンと鎮座していた。
だってさぁ目の前のの身なりや手にしていた物の数々は、確かにこの日ノ本では見た事も無い物ばかりなんだよねー。
まぁ俺様としては間者の線も疑わない訳にはいかないから、という名を頼りに配下の忍達に素性をあらわせているんだけど。
でも未だ成果は無し。
正直、完全お手上げ状態。
俺様めげそうよホント。


「まぁ色々言い分もあるだろうけどさ、素性が割れるまでは暫く監視をつけさせて貰うからね。」
「………ああ。」
だっけ?極力アンタの邪魔はしないようにさせるから。多少は目を瞑ってよ。」

そう言うと、俯いていたがゆっくりと顔を上げた。
微かに眉を寄せ、唇をきゅっと噛みしめながら何かを言いたげに俺様を見上げる。
あー……こういう顔、俺様弱いんだよねー。
何ていうの?捨てられた犬みたいな顔ってーの?
何かを必死に耐えようとしているその表情に、俺様絆されそう。
しかし俺様よか年上でなかなかの男前だってのに、この表情って――!
それが少しもキモく見えないって……どうなのよ?!


「なぁ、佐助…だったよな?」
「そうだけど?」

「俺の監視、アンタじゃダメなのか?」


暫く俺様の顔を心配そうに見上げていたが、意を決したようにポツリと漏らした言葉に俺様は僅かに目を見開く。
―――は?!何それ?監視役を自らご指名ですか?!
それも一番疑わなきゃならない俺様自身を?!
そのあまりに有り得ない発想に、俺様は大きく天を仰いだ。

「え?……やっぱダメか??」
「あのね、俺様が監視するって事は、他の奴より監視の目が厳しいって事なんだよ?分かってる?」
「ああ。分かってるさ。」
「普通は監視が厳しくない方がいいんじゃないの?たとえアンタが間者じゃなかったとしてもさ。」


お館様の手前、極力最小限の監視になってしまうだろうと踏んでいた俺様にとって、のこの申し出は決して悪いものじゃなかった。
いやいや。それどころか、こちらとしてはそれこそ渡りに船だ。
だって護衛という名目でもつけて貼り付いていられたなら、俺様自身の目でこの未だ得体の知れない男の人となりを探る事が出来るわけだし。
でもそれって間者でも何でもない人間だったら、耐えられないような苦痛になる筈で。
自ら進んでそんな状況に己が身を置こうとするなんてホント何を考えてんだか。


「でも佐助が傍に居てくれた方が手間が省けるんじゃないか?部下の人達からいちいち報告受けなくて済むし、見張ってる人の主観とかで捉え方が違ったりする事も無いし。それに、その方が俺も色々と安心出来るし、早く俺の事分かってもらえると思うんだがな。」


だって佐助は俺が怪しいと確信しない内は俺を殺したりしないだろう?――そう言ってはコトリと首を傾げて見せた。
えー…つまりは俺様以外にを疑っている連中からの手出しがあっても、俺様がを危険分子と認識しない内はお館様の意思を尊重してを守るだろう――って……そーゆー事?
その方がにも利益があるって?
その予想以上に的確に事態を把握している様子に、俺様は今日何度目かの驚きで目を見開いた。
何なんだこの男は?
まるで捨てられた犬のような切なげな顔を見せたかと思えば、その一方で年相応の狡猾さも兼ね備えたりもするこの男――。
その表情のどこを見ても気配のどこを探っても、何かを企んでいるような気配は微塵も感じられないってのに、誰よりも狡猾で現実を見据えたその言葉に俺様はという男に対する認識を改めずにはいられなかった。

しかし俺様直々にの監視…ねぇ?
流石に思いもしなった提案だけど、さてどうしたもんかねー。
俺様の想像の遥か上を行く提案にあれこれと思いを巡らせていると、不意に聞き覚えのあるその声が不意に背後から掛けられる。


「おお!こんな所に居ったのか?」

「あ?!お館様!!!」


少し前から近付いて来ている気配は感じていたから別段驚きはしないけど、まさかを探していたとは思わなかった。
掛けられた声にの肩がピクンと跳ね上がる。
途端に俺様の前に居たが嬉しそうに表情を緩めて勢いよく駆け出した。
ホントだったらが駆け出す前に動きを止めなきゃならない所なんだけど、しかし俺様の手は空を彷徨う。
だってさー……アレを止められる?
殺気の欠片すらも無いような嬉々とした弾んだ声に、さっきまでのアンタはどこに行ったんだ?ってな位の満面の笑み。
……………何というか…うん、あえて言うなら主人を見つけて駆け寄ってく犬ってカンジ?
あれ、尻尾があったら絶対にちぎれんばかりに勢いよく振られてるよ絶対。
あー…これは本格的に真田の旦那と同類だわ。
もしかしてこれから俺様、お館様の前では2匹のワンコの綱をひかなきゃいけなくなるんじゃないの?!
駆け寄って勢いよくお館様の巨体に飛び付いている『ワンコその一』の姿に、俺様は軽い眩暈を覚えながらの後を追ってお館様の前に姿を現した。


「こらこら何してんの。お館様から離れなさいって。」
「うぉ?やべッ!……………すみませんお館様。つい………。」
「よいよい。気にせずともな。」
「いい訳ないでしょうが!が間者だったらどうすんですか!」


あっけらかんとしたお館様の言葉に、思わず頭を抱えたとしても俺様悪くないよね?!
まったく、どうして真田の旦那といいお館様といい、うちの上役達はこうも警戒心が薄いんだか。
いや、お館様に関して言えば普段はそうでもない所を見ると、どうやらに対してのみ極端に警戒感が薄れているらしい。
こんなんだから俺様が必要以上に警戒をしないといけないんじゃないのよ!

「して、如何致した?このような所で?」
「ええと、俺のこれからの扱いについて佐助が相談にのってくれてました。」
「ほう?佐助が……のぅ?」
「はい。俺に護衛の忍をつけてくれるって言ってくれたんですが、俺出来れば佐助が直接傍に居てくれた方が嬉しいなーと思いまして。」
「佐助の方が安心出来ると申すか?」
「そうですね。でも佐助は忙しいようなので無理なら仕方ないかなぁ…と。」

俺、今の所はただの穀潰しなんで――そう言っては微かに苦笑して見せた。
ちょっとちょっと!俺様確か『監視』をつけるって言った筈なんだけど?
何でそれがいつの間にか『護衛』になっちゃってるわけ?!
これじゃまるで俺様がの為に動こうとしてるみたいじゃないのさ。
何アッサリと監視を護衛に摩り替えてくれちゃってんだか。
その思いもよらない言葉に、俺様だけでなくお館様も驚いたように目を見開いていた。
そりゃそうでしょーよ。
お館様にしてみたら、俺様がの事を警戒して動いている事は百も承知の事な訳で。
だとすれば、からは監視をつけられそうで困っている――といった嘆願こそあっても、俺様がの為に動いているなんて話を聞かされるとは思わなかったんだろう。
予想外の展開に、俺様とお館様は思わずお互いの顔を見合わせてしまっていた。


「そうか……はそれで良いのか?」
「何でです?だって佐助は優秀な忍なんでしょう?そんな人が傍に居てくれた方が色々といいと思うんですが………俺何かおかしいですか??」

「…………ふむ……佐助、どうじゃ?」
「いやまぁ……俺様は別に構いませんけどね……。」


どうにも調子を狂わされて仕方ないけど、まぁこちらにとっては不利益な事は何一つない訳だし。
それどころか、この展開はいっそ好都合と言っても過言じゃない。
何せお館様公認で監視が許可されるのと同じ事なんだからねぇ。
そりゃこっちから拒否する必要なんて無いでしょ。


「さすれば佐助、暫しの間の…護衛を任せる!」

「はっ!」


お館様の直々の命に頭を垂れれば、その様子にがパァッと表情を明るくする。
ええ?!何なの?この嬉しそうな顔は?
お館様公認で監視が決まったんだって本当に分かってんのかね。
やれやれと思いながら視線を向ければ、同じように苦笑いを浮かべたお館様の顔が目に映る。

何というか、本当に俺様もお館様も、には振り回されっぱなしのような感覚が拭えないんだよねぇ。
でもまぁ何故だかこの少しの間で、お館様がへの警戒を解いた理由が少しだけ理解出来たような気がした。
確かには少年のような一面を持っていると思う。
しかし、はただ無邪気なだけの幼い子供のような人間じゃない。
自分という未だ得体の知れない人間を理解してもらうには、自分にとって必ずしも最良ではないこの道を選ぶしかないと分かってるんだ。
そう、は自分が疑われている現実を理解した上で、その現実を否定せず受け止めて、それでも己の全てを曝け出そうとする事で現状を好転させようとしている。
こんな現実に塞ぎ込むでなく不平を漏らすでもなく、ただただ自分はお館様に害を為す人間では無い事を分かって貰う為に最善の道を選択しようとしているだけ。
只々ひたすらまっすぐに俺様達に対している。それだけの事。
恐らくこうする事が一番自分を理解してもらえる近道なのだと、そう信じて――。
無知が故の純粋さではなく、すべてを受け止め理解した上でなおかつ向けられる真っ直ぐな瞳ってのはここまでに強い何かを相手に与えるもんなのかねぇ?
その眼差しと姿勢は、何だか俺様も絆されてしまいそうで…少しばかり怖い気もするのは…秘密だけど。


「さてと!そしたらまずはの身の回りの整理だね。必要な物も揃えないといけないし。」
「了解!」

「ああ、でもその前に一服しようか?そろそろ八つ時だしね。」


そういえば行きつけの茶屋から差し入れがあったんだよね。
真田の旦那にはまだ話してないから、うっかり食べられちゃってるなんて事は無い筈だ。
の顔を覗き込むと、途端にポンと手を打っては楽しそうに目を細めた。


「そしたらお茶でも淹れてこようぜ佐助。俺、持ってた荷物の中に美味しい茶葉があるんだよ。」
「ほう?先の世の茶とは如何様なものか楽しみじゃのぅ。」
「へへ…期待して下さいねお館様。あ、でも俺ここでのお茶の入れ方とか分からないから佐助に頼んでいいか?」
「はいはい。じゃあその茶葉とやらを持ってきなよ。」
「おう!分かった!!」


すぐ持ってくる――そう言っては自身の荷物を仕舞い込んでいる次の間へと走った。
バタバタとしたお世辞にも行儀いいとは言えないその後ろ姿に、今日何度目かの苦笑いを浮かべると、お館様が小さく笑みを零す。
そのいつになく柔らかな眼差しに、俺様は何とも言えない気分で小さく息をついた。


「――――どうじゃ佐助?は?」

「あーもー何というか色々と参った――ってカンジですね。」


「ははは!そうであろう?あ奴はまっすぐではあるがそれだけに止まらず賢さも兼ね備えておる。それでいて己の身に起きている事に対して卑屈になる事も無い。今の事とて、己が茶を淹れるつもりであったであろうに、儂やお主の事を考えて、あえて毒見が出来るようお主に任せると申したのであろう。」

「………………。」


それは俺様自身も思った事だった。

「護衛の事もまた然り。護衛と申して居ったが、その実は監視である事を理解した上で、あえてあ奴自ら監視を佐助にと申したのであろうよ。なれど、は自らそれを選んで儂らに対しておる。時に悲しげな眼を向ける事も、何かに耐えるように唇を噛みしめる事もあろうがのぅ。」

「あの表情は反則ですって……。」
「佐助といえどあのの眼差しには絆されたか?」
「ありゃ捨て犬や迷い犬の目と同じですからね。無下にはしにくいのは確かですが……。」


真田の旦那が元気が取り柄の仔犬だとしたら、は主に忠実な成犬って所?
お館様に飛び付いていく姿は同じでも、は常に自分というものをきちんと理解している。
自分が感情のまま飛び付いてはならない時がある事も、それを周囲が許さないという事も、そうしようとする自分を危険視している人間が居る事も全て理解して、時に切なげな顔でグッと耐えるんだよね。
だからこそ、あんな絆されそうな表情を浮かべつつも、決してそれに甘えはしない。
そして自らを厳しい状況下に晒す事も厭わないんだよね。
それが真田の旦那以上に歳を重ねてきた男の――真の姿なんだろう。



「牙を剥く狼か、はたまた忠犬か……判断はつきかねますがね。」



出来る事なら本当の忠犬であって欲しいと思いながら。
俺様は満面の笑顔で戻ってくる今はまだ素性の知れない男へ、初めて含みの無い笑みを向けた。

ああ、やっぱり俺様、絆されちゃったみたいだわ。




↑ PAGE TOP