大人の漢
驚いたように目を見張る信玄様に、俺は俺の分かる範囲のこの身に起きたであろう事を話した。
自分は400年以上後の世界に住んでいたであろう事。
友人に教えてもらった抜け道を通ったらここに出てしまった事。
振り返ったらその抜け道も消え失せていた事。
どうすれば元に戻れるのか一切分からない事。
とにかく今分かる事全てを、包み隠さず俺は目の前の武田信玄を名乗る人物に話して聞かせた。
「成る程のぅ…俄かには信じられぬ話ではあるが……。」
「何より俺自身が一番信じられないですよ…。」
「しかし、その見慣れぬ姿も、摩訶不思議な持ち物も、未来より参ったと申すのであれば理解出来ぬ事もない。」
「信じて………くれるんですか?」
「うむ。儂にはそなたが嘘を申しておるようには見えぬでな。」
これでも人を見る目はあるのだ――そう言って信玄様は茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる。
その予想外な信玄様の言葉に、俺は零れんばかりに大きく目を見開いた。
だって自分の身に置き換えてみてくれ。
突然自分の前に現れた奴に未来から来ましたーなんて言われても、はいそうですかと信じられる訳ないだろう。
なのにこの人は俺の突拍子もない筈の話を真剣に聞いて、その上俺の言葉を受け入れてくれている。
俺自身がそんなにアッサリ信じていいのかよ?!とツッコみそうになる位清々しくそう言って笑う信玄様に、俺は信玄様の大きさというか懐の深さを垣間見た気がした。
なんつーの?『漢』と書いて『おとこ』と読む――みたいな?
いやもう流石は、かの有名な武田信玄!ってカンジ?
兎にも角にも、この人の懐の深さに触れて、俺は改めて武田信玄という男のファンになってしまった。
「ありがとうございます信玄様!!俺、感動ッス!!!!」
両手を握りしめて信玄様を見上げると、一瞬驚いたように目を瞬かせてからすぐにその顔が破顔する。
いやぁやっぱカッコイイわ!
何というか…これこそ大人の男!ってカンジだよな。
俺、こんな人が社長とかだったら絶対「最後まで着いて行きます!」って言っちまってると思う。
「―――さて、そうなるとは今後の身の振り方を考えねばならぬのじゃな?」
「あ………そうだ。俺、行く所無いんだった……。」
信玄様の言葉に、俺はハタ――と我に返る。
たとえ元の住所の所に行けたとしても、そこには既に誰か居るかもしれない。
となれば、本当に俺に行く場所などありはしなかった。
俺はこの戦国時代にたった一人放り出されてしまったのだ。
行くべき所も頼れる人も無い。
右も左も分からないこの世界で一人で生きていく事を余儀なくされてしまった事の本当の意味を、これから嫌という程この身を以って知る事になるだろう。
世の中そんなに甘くはないのだ。
感動と興奮で年甲斐もなく盛り上がってる場合じゃない。
俺は浮上した気分が急激に下降していくのを感じながらガクリと肩を落とした。
「そこでじゃ…そなた、このままここに留まる気はないか?」
「はいィ?!?!」
「行く当てが無いのであれば、儂に仕えてみぬか?」
そう言って笑う信玄様。
……………………………えーと……これって夢じゃなかろうか?
うん。夢だよな。夢に決まってる。
こんな都合のいい話、夢じゃなけりゃ何だっていうんだ。
そう思って頬を抓ってみれば途端に走る痛み。
「うそ………夢じゃない……?」
いやいやいや!どんな都合のいい夢だって、こうもトントン拍子に進むもんじゃないと思う。
何?!どんなご褒美だ?!コレ?!
怖いくらいに何から何まで俺に都合の良いように進む現状に、俺はポカンとしたまま信玄様の顔を凝視してしまった。
「どうじゃ???」
「う……。」
「如何致した?」
「うれ…し…ッ!」
「……?」
「嬉しい…よぉ……ッ!」
何というか――
年甲斐もなくというか、男として情けないとか色々思う所はあったけど。
俺はあまりの嬉しさにじわりと涙腺が緩むのを感じていた。
たった一人で放り出されたと気付いた時、本当に俺は『独り』なのだと思った。
誰も俺の事を知らない。
誰も俺の言う事など信じてくれない。
誰も俺を助けてはくれない。
たった1人で生きていかなくてはならない。
それが当然だと思っていた。
だってそれがこの世の常だから。
なのに……何故だろう。
信玄様は、出会ったばかりの得体の知れない俺を信じてくれたばかりか、俺の身の振り方までも心配してくれて。
それだけでも充分嬉しかったのに、俺の身柄を引き受けてくれるとまで言ってくれた。
正直何でそこまでしてくれるのか理解出来なかった。
けれどその思いが、優しく頭を撫でるその手の温もりが――。
泣きたくなる程嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「ほんには童のようじゃのぅ。」
「うう……っ!すみま…せん……ッ!」
慌ててゴシゴシと目元をこすれば、苦笑を浮かべた信玄様が赤くなった俺の目元をそっとさすってくれる。
大きくてゴツゴツとしたお世辞にも綺麗とは言えない武人然としたその手が、俺は酷く暖かく優しいものであると思った。
「安心せい。そなたは一人ではない。この武田信玄がついておる。」
「―――――っ!」
「これからは儂の事を父とも爺とも思うが良い。……良いな?」
向けられた言葉と眼差しに、俺はただ無言のままコクリと頷く。
一言でも言葉を発したら、号泣してしまいそうだった。
こうして俺はこの日を境に、憧れの武田信玄の事をお館様と呼ぶようになったのである。
そしてあの日から日々は流れて。
俺はこうして目の前で繰り広げられる武田主従の殴り愛をのんびりと茶を啜りながら眺めるまでになったのだった。
その間には幸村や佐助といった面々との顔合わせがあり、その時に初めて俺は単純に過去に飛ばされたのではない事を自覚した。
だって武田信玄と真田幸村が同時代に主従関係を結んでいたなんて話、聞いた事がない。
それに、真田十勇士の猿飛佐助は実在しない物語の中の人物だった筈だ。
となれば答えは一つ。
ここは俺の居た世界の過去ではない――という事。
つまりは異世界トリップという、タイムスリップよりも極めて非現実的な事が俺の身に起こった現実だった。
まぁタイムスリップにしても異世界トリップにしても、俺自身の身に降りかかって来た事は大差ないから全然問題ない訳だけど。
「はぁ……若いっていいなぁ………。」
「だから何なのさっきから?!」
先刻から目の前で繰り広げられるじゃれ合いの域を超えたスキンシップに、俺は盛大な溜息を漏らす。
それに胡散臭そうな顔を向けてくる佐助に、俺は微かに眉尻を下げてみせた。
何故かなんて決まってる。
幸村が羨ましいんだ。
お館様と拳と拳で語り合える幸村が、楽しそうに殴り愛を続ける幸村が酷く羨ましかったのだ。
熱血・青春・猪突猛進。
そんな言葉が似合う幸村。
その若さ溢れるエネルギーは、三十路も近い俺には無いものだ。
いやまぁ、たとえエネルギーが有り余ってたとしても、アレが出来るとも思えんが。
あんなん受けたら一撃で死ぬ自信あるわ。
「………俺だってお館様とスキンシップしたいんだよ……。」
ブチブチと不満そうに呟けば佐助がきょとりと目を丸くする。
ああ、スキンシップって単語がまずかったのか。
未だにポロリと零れてしまう、この世界では南蛮語扱いされてしまうカタカナ語に俺はガシガシと頭を掻く。
「えーと……何ていうか……触れ合い??」
「はアレが触れ合いに見える訳……?」
心底げんなり――といった様子で佐助が二人の方へ視線を向ける。
それに引き攣った笑いを浮かべながら佐助の視線を追うと、今まさに吹っ飛ばされた幸村が塀に激突して殴り愛が終わりを告げた所だった。
「お?!ほい佐助、終わったみたいだぞ?幸村も呼んで来いよ。今日は幸村の好きな団子だからさ。」
手にした手拭いの一つを佐助に差し出し、俺はその場に立ち上がる。
こちらの存在に気付いてゆっくりと歩いてくるお館様を迎える為に、俺は慌ててもう一つの手拭いを手に草履をつっかけてお館様の下へと走った。
「お館様!!お疲れ様です!!」
「おお!。見ておったのか?」
「はい!!」
俺の差し出す手拭いを受け取って流れる汗を拭うお館様に、俺は満面の笑みを向ける。
それに僅かに目を細めると、お館様は少し乱暴に俺の髪を掻き混ぜた。
がしがしと大きな手が乗せられる度に、俺の気分は段々と高揚していく。
幸村のようにお館様と触れ合う事が出来ないのは少しばかり寂しいけれど、こうしている時だけは俺も幸村に近付けたような気になれた。
お館様に触れてもらっているこの時だけが、今の俺にとっての至福の時間だった。
「へへへ………!」
「何を笑ろうておる?」
「何ていうか……嬉しくて。」
こうしてお館様の傍に居られるのも、お館様にこうして優しい眼差しを向けてもらえるのも、暖かな手に触れる事が――触れてもらえる事がこんなにも嬉しい。
そう言って笑うと、お館様は驚いたように目を見張ってから小さく苦笑してみせた。
こういった表情は俺が知る限り幸村に向けられる事は少ない。
この瞬間だけは、俺がお館様の感情を独り占め出来ているような気がして、俺は酷く子供っぽいとは思いながらも独占欲が満たされるのを喜ばずにはいられなかった。
「そうか……儂もが笑ろうてくれるのを見るのはこの上ない喜びよ。」
優しさと強さとを内包した瞳が静かに俺の瞳を捉える。
そして髪に触れていた大きな手が、そっと頬の上を滑り落ちた。
その大きくて逞しくて安心出来る暖かさに俺は静かに己の手を重ねる。
「お館様?」
「何じゃ?」
「お館様の手は……暖かいですね。」
そう言って目を細めれば、お館様の目が更に優しく綻んで。
「そなたの手も温いぞ。まるでお天道様のように…のぅ。」
そして俺達は、幸村を連れて戻った佐助にツッコミを入れられるまでお互いの温もりを心ゆくまで堪能したのだった。
ビバ!スキンシップ!!