「は?!何ソレ?!」
ぼそりと漏らした呟きに佐助が勢いよくヒいていた。
トンネルの向こうは
俺、。
当年とって27歳の、三十路を間近に控えたおっさん予備軍だ。
そんな俺がどうしてこんな所で佐助相手に茶ぁ啜りながら武田主従の殴り愛を見やっているかと言えば。
話は2週間前に遡る。
その日、俺はいつものように徒歩で家までの道のりを歩いていた。
普段と違うのは背負ったディバックと両手にこれでもかという位の荷物を抱えていた事と、いつもは通らない抜け道を歩いていた…という事だけ。
他はいつもと何も変わらない、日常の一部。
そう、俺は至って普通にその抜け道にある小さなトンネルを潜った。
その結果がコレだ。
某文学作品じゃないが『抜け道の長いトンネルを抜けると戦国であった』ってやつ。
所謂異世界トリップというやつだと気付いたのは大分後の事だったが。
しかし俺が幸運だったのは、トンネルの繋がった先が甲斐の国主、武田信玄の居城…それも私室の真ん前の庭だったって事だった。
重い荷物の山に辟易しながらも、なんの気無しにひょい――とトンネルを潜りぬけた先に広がったのは、一面の純和風の日本庭園。
そして腕を組み庭に立ち尽くしている大柄の男。
庭の木を見上げているその姿を目にした瞬間、俺は咄嗟にヤバイ!と思った。
(これ抜け道のトンネルなんかじゃなくて、民家へ繋がる私有地にあるトンネルだったのか!)
如何せん初めて通る道だけに、勝手な思い込みだったのは確かだ。
友人にあのトンネルを使うと5分は時間短縮が出来ると聞いていたから、勝手に抜け道だと思い込んでいた訳で。
まさか私有地を突っ切ってのショートカットだったとは。
俺は慌ててその場で回れ右をすると、トンネルの中へ戻ろうとした。
その時だった。
「誰じゃ?そこに居るのは?」
渋~い耳に心地よい落ち着いた声音。
その声に咄嗟に俺はビクリ――と肩を竦ませた。
「隠れて居らずに出て参れ。」
声を荒げている訳でもないのに、有無を言わせないその力強い響きを持った声に、俺は渋々もう一度庭の方へと足を向ける。
あああ……これじゃ完全不法侵入者だよ。
警察沙汰だけは勘弁してほしいなぁ――ぼんやりそう思いながら俺はこちらを見詰めている大柄な男の前へと姿を現した。
「ええと……すみません。勝手に入り込んでしまって。抜け道だって聞いてたもので………。」
「抜け道?」
「はぁ。まさか私有地だとは思ってなくて。ホントすみませんでした。」
ペコリと頭を下げて俺は目の前の男を見上げる。
あー…なんつーか、凄い存在感というか迫力のある人だ。
着物姿が妙に堂に入っているというか何というか。
どうやらここら辺の有力者の家にでも入り込んでしまったらしい。
そう認識して俺は困ったように眉尻を下げた。
「抜け道と申したが、何処へ行くつもりだったのじゃ?」
「えと、家に帰る途中だったんですが……ちょっと荷物があまりにも多くてショートカット出来ればいいなーなんて思って……つい。」
「しょおとかっと……とな?」
「はい。すみません。」
もうこうなったらひたすら謝り倒して、せめて警察沙汰だけにはしないでもらおう。
不法侵入しようとして入り込んだんじゃないと分かれば少しは可能性があるかもれない。
見た目の迫力と違って、大分話の分かりそうな落ち着いた人のようだし。
「ふむ……家と申したが、家は何処じゃ?」
「あの…この先の住宅地なんですが……。」
「この先……?この先には要害山が広がるのみじゃぞ?」
「は?!」
思いもよらないその言葉に、俺は畏まっていた事すら忘れて素っ頓狂な声をあげてしまった。
多分今の俺はとんでもなくアホ面を晒しているだろう。
しかしそんな事に構ってなどいられなかった。
だって仕方ないだろう?
目の前の男の指差した方へ視線を向ければ、そこには言葉の通り緑広がる小高い山が広がっていたんだから。
「え?!えええええ?!何で?!」
あまりの事に俺は咄嗟に手にしていた荷物をドサリと地面に落としてしまう。
呆然と立ち竦む俺の視界には、住宅街に広がる電柱も電線もアパートも何もなく、ただ一面の緑だけが映るばかり。
トンネルを潜る前には確かにアパートもスーパーも小学校も見えていたというのに。
「ど、どうなってんだコレ?!」
力が抜けてペタン――とその場にへたり込む。
服が汚れるとかそんな事は頭に浮かびさえしなかった。
ハタ――と気付いて慌てて元来たトンネルを振り返ると、そこには俺の歩いて来た筈の小さなコンクリート造りのトンネルなど元から無かったかのように覆い繁る木々が広がっていて。
俺はただ呆然とその光景に目を見開くしかなかった。
「よもや、そなた…迷い人か?」
「………え?」
「己の帰るべき場所が分からぬのであろう?」
「帰る場所っていうか……ここがどこだか……分からない……。」
「ふむ………そなた、自身の名は分かるか?」
「……です………。」
「か。良い名じゃ。己の事はしかと覚えておるとなれば、心の病という事ではなかろう。となれば、そなた……神隠しにでも遭うたか?」
又しても向けられる思いもしない言葉に、俺は今度こそ言葉が無かった。
何ソレ?!神隠し?!
ある日突然姿を消しちゃうってアレか?!
で、俺はその神隠しで何処とも知れない所に来てしまったってか?!
そんな非ィ現実的な事が俺の身に起こったなんて到底信じられなくて、俺は呆然としたまま隣に座りこんだ男の顔を見上げた。
「ここ………どこですか?」
「我が屋敷じゃ。」
「屋敷?」
「うむ。躑躅ヶ崎館と呼ばれておる。」
あれ?何か聞き覚えがある。
いや、聞き覚えどころか、かなりしっかりハッキリ記憶の断片がある言葉だ。
躑躅ヶ崎館って確かあの武田信玄が居城にしてたっていう山梨県の史跡じゃなかったか?
大の武田信玄ファンだった俺は、以前アレコレと調べた事がある。
その中に武田信玄の居城としてその屋敷の名前があがっていた筈だ。
「え?じゃあここは山梨??」
いやいや!そんな馬鹿な!
家の近所のトンネル抜けたら山梨県って…某ネコ型ロボットのピンキーなドアじゃあるまいし!
そんな超ショートカット、現代日本の技術力をもってしても未だ不可能だってのに。
俺はグルグルする頭を抱えて情けない顔のまま空を仰いだ。
「やまなし…とやらが何処かは知らぬが、ここは甲斐の国。儂の治める国よ。」
向けられた言葉に、俺は大きく息をのむ。
甲斐って…明らかに山梨じゃないか!
古く山梨一帯は甲斐と呼ばれていた。
そして有名な武田氏一族がその地を治めていたのだ。
「…………………あの……。」
「何じゃ?」
「失礼ですが…お名前をお聞きしても?」
「おお!そうであった。そなたの名を聞いたのみであったのぅ。儂はこの甲斐の国を治めて居る武田信玄じゃ。」
…………………………アンビリーバブル!
俺の頭の中でその単語が吹き荒れた。
っていうか有り得なくねぇか?!
何コレ?ドッキリ?!
つーか仕掛けがデカすぎるっつーの!
とはいえ、目の前に広がる景色は明らかに現代日本の住宅地などではなくて。
俺はドッキリ系という選択肢の一つが消された事にガックリとその場に手をついた。
何な訳?!あのトンネルはタイムマシンとどこでもドアを足して2で割ったモノですか?!
今の俺の状況、どう考えたってタイムスリップして、その挙げ句甲斐の国へ飛ばされました――みたいな感じじゃないか。
「如何致したとやら?どこか苦しいか?」
項垂れた俺に、想像以上に優しげな声が掛けられて。
俺は未だ情けない表情を晒したまま、覗き込んでくる精悍な顔を見上げた。
「信玄……様??」
「うむ。如何致した?」
「本当に信玄様??」
だってそう簡単に信じられる訳ないじゃないか。
タイムスリップしたその先で最初に出会ったのが、あの憧れの武田信玄だなんて。
そんな都合の良い話、夢にしたって出来過ぎてる。
そんな俺に、信玄様は大きな手を差し伸ばすと俺の髪をわしゃわしゃと大きく掻き混ぜた。
「何を情けない顔をしておる!」
「だって俺、もうどうしたらいいんだか……。」
困惑なんて言葉じゃ足りない位、今の俺は激しくテンパっていた。
過去に飛ばされたらしい事、甲斐の国に居るらしい事、目の前の大柄な男が憧れの武田信玄らしい事、どれもが俺の頭の許容量を超えかかっている。
その内、頭から湯気があがるかもしれない。
「事情は分からぬが、話を聞く事くらいは出来よう。話してみぬか?の事を。」
俺の頭を撫でたまま微かに目を細める信玄様に。
俺は大きく息をつく。
そしてそのまま逞しい信玄様の腕にそっと手を伸ばした。
本当にこれが現実なのかを確かめる為に。
「俺、神隠しというよりも過去に飛ばされたみたいです………。」
俺の言葉に僅かに目を見開いた信玄様に、俺は引き攣った顔のまま困ったように笑うしか出来なかった。