甲斐八珍果
俺は正直言ってガキがあまり好きじゃない。
平気で我が儘を並べたてるし、純真さを武器に何でも思い通りになると思ってる奴なんか、心底張り倒してやりたいと思う時がある。
可愛けりゃ何でも許されると思ってんじゃねぇぞコノヤロウ――それが俺のガキに対する基本的スタイルだった。
自分に可愛げが無いから妬んでんじゃないかとか思った奴、前出ろコラ。
俺直々に泣きが入るまでデコピンの刑だ。
ともかくそんなこんなで、俺はこの甲斐の国に飛ばされてきてから出会った人達の中でも、真田幸村の事が少し苦手だった。
いや勿論17にもなる幸村がギャーギャー煩いだけのそこらのクソガキ共とは違うのは分かっていたし、幸村個人が気に入らないって訳じゃないけど、それでも俺と一回りも歳が離れているともなればそれだけでガキに見えてしまうのは仕方ない事で。
だって考えてもみてくれ。
俺が成人式迎えた時に小学生って事だろう?
成人と小学生。
どう考えたって相手はまだ青二才。
もう少し年が離れてたら『あらあら若いお父さんねぇ』なんて言われてもおかしくない年齢差だと思う。
いや、この時代――この世界をそう括って良いものか判断しかねるが――の武家社会では10代半ばでも政略結婚の対象で伴侶を得ていた事を考えると、あながち否定しきれないものがある。
実際俺の友人は、14歳離れた弟を抱いててマジに若い父親扱い受けた事があるらしいし。
少しばかり自分の導き出した答えに戦慄しつつ、俺は目の前で幸せそうに茶と饅頭を頬張る武田の一番槍の無邪気な顔を眺めた。
「殿!如何なされた?!食べぬのでござるか?!」
「え?あ、ああ…いや食うよ。」
饅頭を右手、湯飲み茶碗を左手に持ち、ニコニコとまるで小さな子供の様に真っ直ぐな視線を向けられて、俺は慌てて置かれていた饅頭を一つ手に取る。
手にした饅頭を半分にし片方を口に放り込むと、上品な甘さが口一杯に広がった。
「………………如何でござるか?!」
「ん。旨いな……。」
「そうでござろう!!これは某の行きつけの茶屋の名物でござれば!!」
俺の言葉に、長い後ろ髪を尻尾のようにブンブンと振り出しそうな勢いの幸村が、笑みを深める。
そんな幸村相手に、俺は些か戸惑いながら表情を引き攣らせた。
何で幸村は俺なんか相手にこんなに嬉しそうな顔をするんだか。
これがお館様や佐助が相手なら理解出来なくもない。
でも、その対象はお子様苦手な、この俺だぞ?
仏頂面しか向けないようなおっさん予備軍だぞ?!
敬遠されこそすれ、ニコニコとした笑みを向けられるなんてありえなくないか?
佐助曰く『真田の旦那が甘味を分け与えようとするなんて滅多に無い事』なんだそうだ。
そう考えると、こうして俺に饅頭を勧めてくれるという事は、少なからず俺は幸村に好意を持たれているらしいという結論に至る。
しかし、俺は幸村に気に入られる理由が全く理解出来なかった。
「なぁ幸村?」
「何でござろう?」
「お前さ、俺の傍に居て楽しいか??」
お館様のように殴り愛が出来る訳じゃなし、佐助のように世話を焼いてやれるでもなし。
何かあるとすれば、こうして一緒に茶を啜る事くらい。
俺に武芸の嗜みがあれば付き合ってやれるのかもしれないが、それもあり得ない。
「と、申されますと?」
「いや、何で幸村は俺の所に来てくれんのかなーと思ってさ。だって面白い事なんて何もないだろ?俺と一緒に居てもさ?」
俺自身、幸村に対して愛想がいいという自覚も無い。
いや、それは勿論幸村個人に限った事じゃないんだが。
どちらかと言えばお館様を筆頭に大人な男の人に対しては愛想いい方だと思うけど、若い兄ちゃん達にはあまり褒められた態度とはいえない自信がある。
「そんな事は…ッ!」
無い――と続けようとした幸村の顔が一瞬強張る。
どうしたのかと幸村が凝視している背後を振り返れば。
そこには一人の中年男性の姿が。
パッと見、武将というよりも文官と思しき神経質そうな面立ち。
誰だっけ?と頭の中のデータベースにそれらしい人物を探すが、ヒットせず。
訝しげな表情を崩さぬままその人物へと視線を向けると、ピクリと片眉を跳ね上げた男はふん――と一つ鼻を鳴らした。
うっわ!何こいつ?!
明らかに今俺の事鼻で笑ったよな?!
初対面――の筈だ――の人間相手にどういう反応だコイツは?!
普段なら目上の人間には表面上でもにこやかな笑みでも浮かべる所だったが、流石にこの手のタイプの奴に向ける笑顔なんて持ち合わせてはいない。
俺は微かに目を眇めて、俺から幸村へと視線を向けた男の蛇のような感情の薄い横顔を睨み付けた。
「真田殿!先日来よりお願い致しておるものは用意出来たのでござろうな?!」
「あ、いや……その件につきましては先日もお話致しましたが……。」
「手に入らぬでは済みませぬぞ!これは予てよりご所望の品なれば!」
「とは申されましても……。」
「そのようなどこの馬の骨とも知れぬ下賤の者に無駄な時間を割く暇があれば、国の隅々までも探して頂きたいものですな!」
「う………申し訳……ござらぬ……。」
「良いですな?くれぐれも刻限までに頼みましたぞ!」
キィキィと一方的に捲し立てると、男は今一度俺をその蛇のような目で睨め付けて去っていく。
その後ろ姿に思いっきり舌を出してやって、俺は思いのほか大人しい幸村の方へと向き直った。
「何だよアイツ!態度悪ィな!」
「申し訳ござらぬ。某のいざこざに巻き込んでしまい申した。」
「別に………幸村が悪い訳じゃないだろ。」
「いえ、某が確と務めを果たせておれば殿をこのような不快な目にあわさずとも済み申した。申し訳ござらぬ。」
さっきまでの満面の笑みはどこへやら、シュンと項垂れた様子の幸村に、流石の俺も対応に困る。
いくら俺がガキが苦手だからって、当人に責の無い事で落ち込んでいる奴に対して鬱憤をぶつけようなどとは思わない。
第一、俺を不機嫌にさせたのはあのクソ忌々しい蛇みたいなヤローであって幸村じゃない。
それどころか幸村の方こそ訳の分からない因縁をつけられているようにしか見えなかった。
俺の事より、幸村自身が怒りを向けてもおかしくないだろうに。
「何であんな風に言われて黙ってんだよ?」
俺はその時、何故か酷くムカムカしていた。
俺自身は元の世界でもあんな上司や先輩なんかも居たから腹は立ちはしたものの、どこにでもこういう奴の一人や二人は居るよな――くらいでそれ以外は別段どうとも思わなかったが、明らかに因縁吹っ掛けられてるっぽい幸村に対するあの態度は何故か許せないと思った。
だってどう見たって自分の息子位の歳の幸村に対するような態度じゃないだろう。
大人ってーのは、未だ未熟な子供達を導き、誘い、見守りこそすれ、同レベルで喚き散らすようなもんじゃ無い筈だ。
少なくとも俺の思う大人の男ってのはそういう人達だ。
俺自身まだまだだが、お館様をはじめ古参の武将や文官達の殆どはそういった人達が多い。
しかし、さっきの男のような同じ大人として恥ずかしくなるような奴も居るのは確かな事で。
そんな奴に幸村が大人しく頭を下げている事が、酷く腹立たしかった。
「某が悪いのです……以前より申し渡されておった甲斐八珍果を集めるという務めを全う出来ない某が……。」
「『甲斐八珍果』?」
「左様。この甲斐の国の八つの名産でござる。」
「その甲斐八珍果を集めるように言われてたのか?」
「如何にも。されど、その内の一つは既に旬を過ぎ、手に入れる事が難しく……。」
それを先日伝えたのだが、納得してもらえず意地でも探し出せとそう迫られていたのだという。
その話を聞いて俺は呆れずにはいられなかった。
何だそれ?!それってただ単に無理難題を押し付けられてるだけじゃないか!
これじゃどっちがガキなのか分かりゃしない。
幸村の対応の方がいっそ潔くて男らしい…いや大人らしいじゃないか。
俺はあまりの事に頭を抱えて盛大な溜息を漏らしてしまった。
「……で、その旬を過ぎたものって何なんだよ?」
「桃にござる。甲斐八珍果とは葡萄・梨・桃・柿・栗・林檎・石榴・銀杏を指しまする。なれどこの時期には桃は……。」
成る程。確か桃は他の7つと比べて少しばかり旬が早かった筈だ。
そんな桃を神無月――10月のこんな時期に手に入れろって言う方が無理があるってのは流石の俺でも分かる。
ハウス栽培だの品種改良だのといった技術の発達した現代社会ならいざ知らず、こんな戦国時代に時期を外れた果物なんか手に入れられる筈がない。
やはりどう考えたって無理難題を押し付けられてるとしか思えない。
明らかに幸村は被害者じゃないか。
俺は眉尻を下げて肩を落とす幸村の、今は小さく縮こまってしまった姿にふるふると頭を振った。
「幸村。」
「何でござろう?」
「口開けろ。」
「は?!」
「いいから黙って口開ける!!」
俺の言葉にきょとりと目を丸くする幸村に、俺はピシリと指を突きつける。
その勢いに押された形で恐る恐る口を開いた幸村の口に、俺は手にしていた残りの饅頭をグッと押し込んだ。
「むぐ…っ!」
「食え。」
目を白黒させてこちらを伺う幸村にそう告げて、俺は幸村の髪をガシガシと掻き混ぜる。
何というか……こういう時どうしたらいいのか分からなくて、咄嗟にお館様にされた事を思い出した訳だが…。
あ、いや饅頭を口に押し込まれたりはしなかったけど。
何だか………無性に幸村を褒めてやりたい衝動に駆られたのだ。
だってこいつってば滅茶苦茶いい奴じゃないか。
ガキはガキなりに必死に頑張って、理不尽な事に凹まされて。
でもそれを人のせいにしたりはしないんだ。この真田幸村という男は。
こんな男をガキ扱いするなんて――それこそガキだって事に拘っていた俺自身の方が余程ガキっぽいじゃないかと思いながら、俺は驚いたように俺を見詰める濃褐色の瞳に笑みを向けた。
「大丈夫だ幸村。俺が何とかしてやるから。」
「……殿??」
本物の甲斐八珍果である桃は手に入らないかもしれないが、俺がこの世界に飛ばされて来た時に持っていた荷物の中にフルーツの缶詰があった。
その中に確かに桃の缶詰があったんだ。
何処に献上するものかは知らないが、この時代には無い桃のシロップ漬けなんて、甲斐八珍果に劣らぬ珍品の筈だ。
まさか未来の物ですとは言えないだろうけど、南蛮渡来の物とでも言えばいい。
俺は呆然と俺を見詰める幸村の口の周りについた餡を片手で拭うと、その手をペロリと舐めて口の端を持ち上げた。