君は特別







幸村とのやり取りから数日後。
その夜、俺は幸村に呼ばれて幸村の私室へと足を運んでいた。
俺、何か呼び出されるような事したっけ――?なんて教師に呼び出しを喰らった学生の気分で長い廊下を歩いていると。
私室の障子を開け放ち、柱に身を預けて静かに月を見上げている幸村の姿が目に飛び込んできた。
ああ、そういやそろそろ満月が近いんだっけ?
道理で廊下がいつもより明るいと思った。
何だか妙に物静かな幸村の姿に戸惑いつつも、俺はその雰囲気を壊したくなくて殊更静かに板張りの廊下を歩く。
キシ――という微かな音に気付いた幸村がゆったりと視線を向けてくるのに気付いて、俺は無言のまま小さく手を挙げた。


「ああ、殿でござったか。」
「あー…っと……呼んでるって聞いたんだが?」
「呼びつけてしまい申し訳ござらぬ。某、是非にも殿と一献酌み交わしたく思いお呼び立てした次第。」
「俺と……酒??」

「左様。先日のお礼もございますれば。」


そう言ってニコリと笑うと、幸村は立ち尽くす俺に隣へ座るよう促す。
幸村の傍らには二つの杯といくつかの小鉢の乗った膳が置かれていた。

「礼って………何の?」

膳を挟んで幸村の隣に腰を下ろすとスッと杯が差し出される。
それを受け取ると、静かに徳利が傾けられて透き通った液体がなみなみと杯に注がれた。

あれ?この見慣れた透明感…これってもしかして清酒か?
てっきり濁り酒だとばかり思っていたそれに俺は思わず目を瞬かせる。
だってこの時代清酒はまだまだ高級品で、ごく一部の権力者達しか手に出来なかったと聞いた事がある。
確かに幸村も権力者の一人ではあるが、いくら地位が高いとはいえ未だ年若い幸村がホイホイ手に出来る程容易に手に入るようなものだとも思えない。
俺は礼だという幸村の言葉に首を傾げながら手の中の酒に視線を落とした。


「先日の甲斐八珍果(かいはっちんか)の件でござるよ。殿のお陰で某、無事に務めを果たす事が出来申した。」
「桃……あんなんで良かったか?」
「それはもう!お館様も上杉殿も、それはそれはお喜びでござった!」


ああ!先日の甲斐八珍果は越後の謙信公への献上品だったのか。
武田信玄と上杉謙信が好敵手であるというのは有名な事だが、それはここでも変わらなかったらしい。
しかし好敵手である相手に贈り物を贈る程、こっちでは二人は仲がいいのかな?
不思議に思って幸村に尋ねれば、以前塩を送られた時の礼として、甲斐の至宝とも言える甲斐八珍果を謙信公へ献上するって話が持ち上がったのだと、そう幸村は教えてくれた。


「珍しい南蛮渡来の桃に上杉殿もいたく感激され、その礼にと越後の酒をお送り下されたのでござるよ。」
「もしかして……これがソレか?」
「如何にも。越後の酒は特別美味と聞き及んでおりまする。ささ、殿……一献。」


促されるまま注がれた酒を口に含めば、まろやかだけれどじわりと舌に広がる独特の風味が口内に広がる。
ああ、これは確かに美味い酒だ。
まさかこっちに来てからこんな美味い酒を飲めるとは正直思ってもみなかった。
嬉しくなって口元を綻ばせると、それを見ていた幸村の表情も嬉しそうに緩む。
それにどう反応していいか分からずに、俺は手の中の酒を一気に呷った。


「しかし、いいのか?せっかく幸村が貰ったんだろ?俺なんかと飲んじまったらせっかくの美酒が減っちまうだろうが?」
「いや、某……これを殿と飲みたかったのです。」
「何で?」

「申し上げたではござらぬか。これは礼なのだと。殿が南蛮渡来の桃を某に下されたお陰で、某はお館様にも存分のお褒めのお言葉を頂き、このような美酒まで賜る事が出来申した。これは全て殿のお陰でございますれば。」


だからこの酒は俺と一緒に飲みたかったのだ――そう言って幸村は静かに目を細めた。
何というか………本当によく出来たヤツだなオイ。
普通は自分の手柄として受け取るだろうに。
そうそう手に入るものでもないそれを俺と分けちまうなんて勿体ないとは思わないんだろうか。

「別に俺のお陰とかじゃないだろうが。必死になって甲斐八珍果を探し回った幸村に褒美としてくれたんだろ?素直にそのまま受け取っとけば良かったじゃないか。」

「いえ。あの桃がなければ上杉殿への献上品は揃う事はなかった……それを思えば、これは殿にこそ与えられるべき物。」

何というか………………本当に欲がないというか。
あまりにまっすぐな幸村に、俺はただただ苦笑するしかなかった。


「そっか。じゃあこれは俺と幸村の手柄…って事で。」


そう言って幸村の手にある徳利を奪い取る。
そのままもう一つの杯を幸村に握らせると、俺は返杯とばかりに幸村の杯に酒を注ぎこんだ。


殿ッ?!」

「一緒に………飲むんだろ?」


以前だったらガキと酒なんか飲めるか――なんて思ってたけど。
こいつは…幸村はそんじょそこらのガキとは話が違う。
そう、こいつは歳はまだガキだけど――1人前のイイ男だ。
まぁ大人の…ってのにはまだまだなのは確かだけど。


「俺、本当はガキと酒は飲まねぇんだけど。」
「―――ッ?!」
「でも、幸村は特別な?」


目を見開いた幸村の頭をポンポンと軽く叩いて。
俺はニッと口の端を持ち上げてみせる。
幸村は幸村であって、ただのガキじゃあないからな。だから特別。


「~~~~~~~ッ!某っ!」
「ん?」
「某!嬉しゅうござる!!」


何だか妙に感じ入った様子の幸村が、眉をハの字にしてグッと身を乗り出してくる。
ああ何てーの?感極まった…みたいな?
おいおい!待て待て!そんな勢い込んだら手の中の酒が零れるっつーの!
とはいえ、そんな様子の幸村が何だか妙に可愛く思えて、俺は髪に触れていた手を滑らせて、幸村の健康的に日焼けした頬を静かに撫でた。


「ったく!ああもう!そんなへにゃっとした顔したら、せっかくのイイ男が台無しじゃねぇか。」
殿~~~~!」

宥めるようにあやすように幸村の頬を撫でていると、まるで犬を撫でてるような気になってくる。
だって、そんなに気持ち良さそうな顔されると…なぁ?
本当に今度こそ尻尾が振られてるように見えるのは俺の目の錯覚じゃないはずだ……多分。
まぁ、とはいえ俺もお館様の前じゃ同じ穴のムジナ状態だという自覚があるから、あんまり人の事は言えないけど。
少しばかりお館様の気持ちが分かったような気がして、俺は苦笑を強めた。


殿の手は…………(ぬく)ぅござるなぁ………。」


やれやれと思いながらも嬉しそうな幸村を撫でる手を止められずにいたら。
どこか遠くを見るように目を細めて幸村が俺の手に己の手を重ねてくる。
そういえば俺もお館様とこんな風にしたっけ――なんて思いながら、俺は意外な事に俺よりも少しだけ大きな幸村の手に包まれながら表情を緩めた。


「ん?幸村だってあったかいぞ?」
「そうでござるか?されど殿の方が某の何倍も温ぅござるよ。まるで……。」


そこまで言って言葉を切ると、幸村は手にしていた杯を置いて俺の手に触れているのと反対の手を俺の頬へ滑らせる。
骨ばった大きな手が優しく俺の頬を撫でていく。
そのまるでお館様のような素振りに、俺は一瞬目を見張った。
だって同じ事を同じ様にお館様は俺にしてくれたんだ。
それを幸村がなんて。
それがお館様の時と同じように気持ちいいだなんて。
何考えてんの俺?!これはお館様じゃないんだよ?!幸村なんだよ?!
年下のヤロー相手なのに、この心地いい手に甘えたい衝動が湧きあがっちまうなんてホント――ヤバい。
うっわ…顔熱くなってねぇかな俺?!
あーもー……こんな事で動揺させられちまうなんて、一生の不覚だ。



殿はまるでお天道様のようでござるなぁ……。」



内心で一人動揺している俺の気も知らず、緩みきった表情で零された幸村の言葉に、今度こそ俺は言葉を失った。
ああ――流石、甲斐は武田の主従。
こんな所までもお館様にそっくりかよ?!なんて内心で思いながら。
それでもまあいっか――なんて思ってしまうのはやはり二人が同じ志を持つ熱き魂の持ち主だから。
同じ暖かさを俺に向けてくれるから。
同じ心地良さを与えてくれるから。
いやはや甲斐の虎とその虎の若子。二人がそう呼ばれるのは伊達じゃなかったってわけだ。
ホント、マジで参るよなー…二人のこのイイ男っぷりは。
だから俺がこうしてヤラレちまうんじゃないか。

「………はぁ降参。お前、お館様と同じくらいイイ男になるよ。」

まぁ今でも充分イイ男なのは確かだけど。
歳を重ねて落ち着きと深みと成熟さを増したら、お館様にも勝るとも劣らない男になるだろう。
だからそれまでに俺も幸村に負けないようにお館様のような男にならないとな。
お館様のあの人としての懐の広さ、大きさ、そして暖かさ。
そこまでには遠く及ばないだろうけど、俺も幸村や未だ年若い奴らを受け止めてやれるだけの男になりたい。
ガキだとか大人だとかそんな表面的な事に拘らない、本当の意味での大きな大人の男に。
少なくとも、俺をこうやって慕ってくれているであろう幸村や俺を受け止めてくれたお館様に対して恥ずかしくないだけの、堂々と胸を張れるくらいの男にならなきゃ、こいつらの傍に居る資格なんてないだろう。


……殿?」
「何でもない。……なぁ幸村?」
「何でござろう?」

「たまにでいいからさ………又俺とこうやって酒飲んでくれるか?」


甘味を食べながらのんびりと茶を啜るのもいいけど。
こうやって酒を酌み交わしながらゆっくりと幸村を感じるってのも悪くないって知ったから。


「―――ダメか?」

「~~~~~!そのような事は…ッ!」
「じゃあ約束な?」


真っ赤に顔を紅潮させた幸村の、武人らしく大きな手に同じように触れて。
俺はふわりと目を細める。
こうやって少しずつ幸村の事を知っていけたら嬉しい――なんて、こっ恥ずかしいから絶対口にはしないけど。
でも幸村の事をもっと知りたいって思ったのは確かだから。
言葉の代わりに、俺は幸村の大きな暖かい手にそっと頬を擦り寄せた。
だって仕方ないだろ?!この手はお館様と同じくらい気持ちいいんだから!
悪かったな!開き直って!


















そして――

「幸村ー?落雁もらったぞー。お茶にしないか?」
殿ッ?!すぐ行くでござる!待ってて下され!!」
「こらこら慌てると転ぶぞー?心配しなくても菓子も俺も逃げないって。」


あれからより一層俺に懐くようになった幸村と、幸村に対して劇的に愛想良くなった俺の姿に、佐助が驚いたように目を見開いていたのはまぁ…ご愛嬌だな。




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