ジンジャーミルクティー
甲斐の国に飛ばされて来てから初めての冬。
俺はその予想以上の寒さに半泣き状態の毎日をおくっている。
盆地特有の寒暖差の激しい気候がここまでキツイものだとは正直思いもしなかった。
エアコンもヒーターも無いこの環境は、ひ弱な現代人である俺には酷くこたえる。
なんせ館内も隙間風が抜ける場所があったり、部屋を移動する際には屋外に面している廊下を歩かなきゃならないのだ。
その上、室内だって断熱材やら何やらが入っているような壁ではないし、部屋と部屋をわけているのはせいぜい襖か障子ときたもんだ。
密閉性なんてこれっぽっちもありゃしない環境。
暖房器具だって火鉢があればいい方で、せいぜい火鉢の周りくらいしか暖房性は無い。
そんな環境だから少しでも身体が温まる方法がないかと、俺は震える腕を擦りながらも必死に少ない知識を総動員する事となったのだった。
「佐助ー?ちょっと聞きたい事があるんだが。」
珍しく他の仕事がないのか、朝から俺の護衛という名の監視役をしていた佐助に声を掛ける。
とは言っても天井裏に――なんだが。
「何?どしたの??」
声と共に音も無く俺の前に降り立つ佐助。
最近は驚く事も無くなったが、最初は悲鳴すらあげられない程驚いたもんだ。
慣れって怖えーな。
「生姜って……どこに行けば手に入る?」
「は?!」
「だから生姜だ生姜。俺、まだ城下には行った事無いし、館内で貰えるものなのかも分からんしな。」
「生姜なんて…そんなもん一体どうすんの?」
「ああ、ちょっとな………。」
尤もな佐助の疑問に、俺は言葉を濁しながら小さく苦笑する。
いや別に大した事をするわけじゃない。
この寒さを少しでも和らげられないかと知恵を絞った結果、甚だ単純ではあるが温かいものを摂ろうって結論に至っただけの事だ。
んで、向こうの世界から持ってきたものの中に、インスタントの粉末状のミルクティーがあった事を思い出して、それならばいっそ身体を暖めてくれるジンジャーミルクティーでも作ろう!と思い至った訳だ。
ほら、生姜には血行促進の作用があって、身体を温める効果があるって言うだろう?
「何に使うのか知らないけど、どれ位必要なの??」
「んー……まぁそうだな………とりあえず1・2個位か??」
「それなら厨に行けばあるんじゃないの?」
「勝手に貰えるモンでもないだろ?」
「なら頼めばいいよ。1・2個わけてくれ…ってさ。」
俺様もよく色んな物わけてもらうよ――?そう言って佐助は口角を上げる。
そうか。……とはいえ、タダでくれって言うのも何だしなぁ…。
暫く考え込んでから、俺は生姜をわけてもらう代わりに何か代わりの物を差し出す事にした。
世の中、タダほど高いものはない…って言うからな。
ここはきちっとギブアンドテイクで行こう。
そういや、この間俺が口寂しさに舐めてた飴に、厨のおねー様方が興味津々な視線を送ってきてたな。
よし!それを献上して生姜と交換してもらう事にしよう。
これなら俺も気兼ねなく生姜を貰う事が出来るってもんだ。
俺は佐助に礼を言って荷物の中から大袋入りの飴玉をいくつか取り出すと、懐紙に包んでポーチの中に仕舞い込んだ。
そして粉末状のミルクティーの袋を同じ様に手にしたポーチの中に放り込むと、不思議そうに首を傾げている佐助に声を掛ける。
「俺、これから厨に行くけど佐助は?」
俺の監視をしてるわけだから結果的に俺の後を着いてくるとは思うが。
とりあえずと思い聞いてみる。
出来れば佐助が一緒に作業してくれれば助かるんだがな。
佐助自身がやってくれるか、傍で監視してくれていれば毒見については問題が無くなる。
そうすればお館様や幸村にもお裾分け出来るし。
「何するのか分からないけど、俺様も一緒に行くよ。そろそろ八つ時も近いし、旦那のお八つを準備しないといけないからね。」
「そっか!じゃあ一緒に行こうぜ。」
佐助の言葉に笑みを向けると、一瞬だけ戸惑いがちに佐助の表情が揺れる。
それはすぐにいつもの貼り付けたような笑みに隠れてしまったが。
何なんだ?一体??
不思議に思いつつも、わざわざそれを詮索するのは躊躇われて、俺は先に歩き出した佐助の後を追い掛けた。
厨に到着すると、俺はこの場の責任者らしい年配の女性の所へ足を向ける。
交渉事ってーのはボスとやらなきゃ意味がない。
俺は早速向こうの世界で鍛えた営業スマイル全開で、目的を果たすべく物々交換を申し出た。
結果は当然、俺の大勝!
元営業部のエースの力を嘗めんなよ?!…………………中小企業だったけど。
とりあえずポーチの中の懐紙に包まれた飴玉を差し出して生姜をゲットした俺は、少し離れて様子を伺っていた佐助をこちらへと手招いた。
「何?どうしたの?」
「佐助、悪いんだがここを切り落としてもらえないか?」
粉末状のミルクティーの袋の上部にある切り取り線を指し示す。
俺の手元には刃物なんて無いから、このままじゃこのミルクティーの袋を開封出来ないのだ。
女中さんに鋏を借りても良かったが、きっと出てくるのは布を裁断する為の裁ち鋏か糸を切る糸切り鋏あたりだろう。
しかし、そんなものを使ってしまったら一発でその鋏をダメにしてしまうに違いない。
何たってこの袋はポリエチレン製なのだ。
うっかり仕事道具の鋏を刃こぼれさせてしまったら流石に申し訳ない。
その点、佐助なら鋏以外の刃物はお手の物だから、この袋を開ける方法の一つや二つあるんじゃないかと思った訳だ。
「ここ?」
「ああ。刃物が無いと開けられないんだ。助かった。」
ひょい――と苦無の一つを取り出して、佐助は器用にそれを手元で滑らせる。
切り取り線の点線に沿って切り落とされた袋を開くと、僅かに甘い香りが漂った。
「ついでと言っちゃ何だが……生姜を皮剥いてスライス……じゃなかった…ええと薄切りしてもらえるか?俺、お湯を沸かしてもらってくるから。」
「……あのさー、?」
「ん?何だ?」
「これさ…俺様にやらせるより自分でやった方が早いよね?」
「え?あ、ああ。まぁそうなんだが………。」
こんなの自分にやらせるな――って事だろうか?
いや、まぁそう思うのも当然か。
しかし、佐助の手を借りた方が毒見だの何だのといった事が省略出来て、結果的に手間が省けると思ったんだがなぁ。
まぁ俺が勝手に始めた事な訳だし、こればかりは仕方ない。
「余計な手間、掛けさせたな。すまん。」
「…………………。」
「後は自分でやるから。もし良かったら後でこれの説明を――。」
そこまで言った時だった。
「ああもうっ!!」
「は?」
何やら急にガシガシと頭を掻き毟る佐助。
その顔はどこか困ったように眉間に皺が寄っている。
おいおい、そんなに力を籠めたらハゲるぞ。
いくら若いって言ったって頭皮への過剰な刺激は危険に決まってるんだからな。
いつもの貼り付けたような表情と違う感情の籠った佐助のその顔に、俺は思わず目を瞬かせてしまった。
「自分でやった方が断然早いってのに、わざわざ俺様にやらせるのって何で?」
「だから悪かったって。押し付けるつもりはなかったんだ。」
「~~~~ッ!そうじゃないでしょ?はぁ…………………もうッ!分かった!分かりましたよ!」
「ど、どうした佐助?」
「毒見だの説明だのはもういいよ。どうせ俺様にやらせれば毒見の手間が省ける――ってトコでしょ?」
「あー………。」
「が……少なくともお館様や旦那には害を及ぼす気はないって事は……充分分かったからさ。」
だからこれ以上必要以上に気を遣わなくてもいいよ――そう言って佐助は苦笑を浮かべながら俺の肩に手を乗せた。
ええと、俺の監視役を担ってくれている佐助にそう言ってもらえるってのは確かにありがたい事なんだが。
しかし本当にいいのか??
だって相変わらず俺は不審者のままだし、警戒を解かれるような何かをした覚えも無いぞ。
何が佐助の心境を変えさせたんだ??
「佐助……。」
「とにかくこれからは自分の行動に制限をつける必要はないから。」
「あ、ありがとう………。」
何と言ったら良いのか分からずにそう答えると、佐助もどこか困ったように苦笑いを浮かべた。
「それで?結局の所、は何を作りに来たわけ?」
煎じ薬って訳でもないでしょ――?そう言って首を傾げる佐助に、俺は手元の粉末状ミルクティーのパックと生姜を両手に口の端を持ち上げてみせる。
「生姜を煮出して、それで茶を淹れようと思ったんだ。」
「生姜の煮出し汁で茶を淹れる?!」
「ああ、茶と言ってもこれは普通の茶とは少し違うんだ。以前お館様と幸村が手合せしてた時に紅茶ってのを出した事があっただろう?」
「あの少し紅い色したやつ?」
「そうそう。その紅茶に牛乳――って言っても分からんか。んー……『酪』って言うんだったか?牛の乳って。それを入れた少し甘い紅茶がこの粉を湯に溶かすと出来るんだ。その湯の代わりに生姜を煮出したのを使おうと思ってな。」
「薬でも作ろうっての?」
「いや、生姜には身体を暖める働きがあるって言うからな。それを飲めば少しは身体が温まるんじゃないかと思ったんだ。」
言いながら俺は借りた包丁で生姜の皮を剥いていく。
おっと!生姜の準備より先にお湯を沸かさないといけないんだった。
慌てて近くに居た若い女中さんに湯を沸かしてもらうように頼んで、その間に俺は剥いた生姜を薄めにスライスしていく。
出来る事ならきちんと茶葉から淹れて紅茶を作りたい所だが、ここにはミルクも蜂蜜も無いからインスタントの粉末ミルクティーを使うしかない。
この際、贅沢は言ってられない。
インスタントとはいえ、ミルクティーが作れるだけマシというものだ。
暫くして沸騰して湯気を上げ始めた鍋にスライスした生姜を放り込むと、生姜独特のあのスパイシーな香りが厨に広がる。
「さてと、そろそろいいかな?」
湯飲みに粉末のミルクティーを入れ、充分に煮出されたであろう生姜の香りが漂う煮汁をその中に注ぎ込むと、フワリとミルクティーの甘い匂いが周囲に立ち込めた。
ああ!何か久しぶりだ!こーゆー感覚。
こっちに来てからは出される物しか口に出来ない事が多かったし、基本的に茶と言っても番茶かほうじ茶だろうかと思しきものばかりが出ていたから、紅茶の――それもインスタントとはいえ甘めの茶を口にするのは本当に久しぶりの事になる。
木の匙で軽く掻き混ぜてから甘い香りのそれを口に運ぶと、舌の上で広がる甘さの中に微かに感じるピリッとした感覚。
甘ったるいだけではないその味覚に、俺は満足げに小さく息をついた。
「よし完成!佐助、良かったらお前もどうだ?」
「え?」
用意されていた湯飲みの一つに同じようにジンジャーミルクティーを作ると、不思議そうに俺の手元を見ていた佐助にそれを差し出す。
「コレだよコレ。ジンジャーミルクティーって言うんだがな。」
「毒見…って事?それならもういいって先刻――」
「違う違う。コレは佐助にだ。」
その湯飲みを見て驚いたように目を見開いている佐助に、俺は手にしている湯飲みを握らせると、全身殆ど隠されている中で唯一肌が晒されている佐助の頬に手を伸ばした。
触れた頬は氷のように冷たくなっていて、俺は思わずビクリと手を震わせる。
「うっわ!冷てー顔しちゃって。まぁこの寒いのに天井裏なんかに居れば当然か。忍ってのは本当に大変だな。俺なんか部屋の中で火鉢にあたってたって死にそうだってのに。本当にご苦労さん。」
いくら仕事とはいえ、寒いものは寒いに決まってる。
ジンジャーミルクティー位じゃ酒を飲んだ時の様に暖かさは感じられないだろうが、生姜のジンゲロールだかショウガオールだかの辛味成分による血行促進作用が少しでも働けば、少なくとも飲まない状態よりはマシな筈だ。
それに、寒い時の甘い飲み物は、気持ちまで温めてくれる気がするし。
ホットココアとかお汁粉とか甘酒とかホットミルクティーとか冬定番の飲み物は、何故だか心も身体も寒い時ほど無性に欲しくなるもんなんだよなぁ。うん。
「これを………俺様に?」
「ああ。たいした効果は無いと思うが、コレ飲んで少しでも身体を暖めてくれ。」
不思議そうな顔から驚いた顔、そしてどこか困ったような顔へと表情を変えていく佐助。
お前、忍のくせにそんなに表情豊かな所晒していいわけ??
少し前まで、貼り付けたような作られた笑顔ばかり向けられていた事を思うと、この佐助の変化は少しでも俺に気を許してくれるようになったと捉えていいんだろうか?
だってどう見ても今の佐助の様子は、うっかり素の表情晒しちゃいましたって感じだぞ?
「無理に飲めとは言わんが、生姜の辛味成分に血行促進効果があるってのは事実だからな。でもまぁ仕事中はダメってんなら捨ててくれ。あ、それともやっぱり毒見が必要―――」
「貰う。」
「え?」
「貰うよ。ありがと……。」
そう言って佐助は躊躇う事無く湯飲みを傾ける。
「甘い………。」
「はは!あまりお気に召さなかったか?」
「そんな事ないよ。うん……美味しい。」
「なら良かった。コレで少しでも暖かくなればいいんだが。」
「なったよ……凄くね。」
「おいおい…そんなすぐに効くかよ。」
佐助の言葉に思わずツッコめば、どこか悪戯っぽい表情を浮かべて佐助がニッと口の端を持ち上げる。
え?何だその顔は?
俺、何か変な事言った覚えは無いんだが??
そう思って首を傾げれば、佐助の人差し指がトン――ッと俺の胸元に触れてくる。
「―――ココがね。」
………………………………………えーと。
これは心が暖かくなった……という事でいいんだろうか??
「ねぇ?」
「――え?何だ??」
「又寒くて堪らなくなった時にさ?」
「ん?」
「この『じんじゃあみるくてぃー』っての作ってくれる?……………………俺様の為にさ。」
湯飲みから立ち昇る湯気の向こうで。
そう言って笑う佐助の瞳がいつになく柔らかく細められていたのを、俺は信じられないものでも見るかのように呆然とした表情で見詰めてしまったのだった。
ちなみに、お裾分けしたお館様と幸村にもジンジャーミルクティーは、すこぶる好評でした。
それがきっかけで、暫くの間躑躅ヶ崎館内で生姜ブームが沸き起こった事は言うまでもない。