Wandering of the dragon 9
政宗が怪我をして帰ってきた。
「ぎゃー?!何したんだ政宗ッ?!」
そのあまりの大出血ぶりに俺は開口一番絶叫するしかなかった。
何が凄いって、政宗の顔面だ。
どこのスプラッタ映画だ?!と叫びたくなるような顔面血だらけの状態。
こんなのが深夜の路地裏なんかにいたら、速攻で回れ右したくなるようなそんな光景に、俺は真昼間から出くわしていた。
「Ah……ちょっとな………。」
「おま……ちょっとって………。」
「悪いが先にシャワー浴びさせてもらうぜ。」
「ば…ッ?!何言ってんだ!そんな状態でシャワーなんか浴びたら死ぬだろーが!!」
凝固し始めた血が気持ち悪いのか、ふるふると首を振りながらバスルームに向かおうとする政宗の首根っこを掴まえると、俺は慌ててリビングのソファーへ政宗を座らせる。
いくら政宗が人外かと疑いたくもなるような桁外れな力の持ち主だとしても、人間である事には変わりはない。
絶対動くなと厳しく言い置いて、俺は急いで救急箱を取りに和室へ走った。
どう見たってあれは頭部からの大量出血だ。
頭部の傷である事を考えたら、本当ならすぐにでも救急車を呼んで病院に行きたい所だけれど、この世界の人間ではない政宗を病院に連れて行く事は流石に躊躇われた。
保険がきかない事はまだいい。
費用が高いだけで、実費さえ払えば処置そのものはしてもらえるだろう。
しかし保険がないのに高額医療費を払うとなると、明らかに不審者ではないだろうか?
保険料が払えず臨時の保険証を使用していて正規の保険証が無い…とかならともかく、明らかに戸籍の無い不審者なのだ。
不法滞在者に間違われでもして、巡り巡って警察に通報でもされたら…説明なんて出来っこない。
どこかのモグリの医者でもないかぎり、存在しない筈の政宗の診療を任せられる所などありはしなかった。
「政宗、とりあえず自分でドコ怪我してるか分かるか??」
救急箱に買い置きのタオルやガーゼ、それにポットと水の入ったバケツ・洗面器。
代えの服と使い古した大判のタオルケット。
そして一番大きいサイズのゴミ袋を用意すると、俺は大人しくソファーに座っていた政宗の隻眼を覗き込む。
一見、意識障害のようなものは見受けられないが、万一という事もある。
俺は一度政宗を立たせると大判のタオルケットをソファーに広げ、その上にもう一度座らせると、気まずそうに視線を明後日の方へ向ける政宗の両頬をガシッと掴んだ。
「たいした事ねぇ。ちっとばかし頭を掠っただけだ。」
「1ヶ所だけか?」
「ああ、頭は1ヶ所だけだな。」
「………頭は…って事は、他にも怪我してんだな?」
「――ッ?!」
しまった――という表情を浮かべた政宗を、俺が見逃す筈が無い。
俺は政宗の着ているTシャツの裾を掴むと一気にそれを捲り上げた。
背中に2ヶ所、まるでバットのようなもので殴られたような跡。
出血こそしていなかったが、激しい殴打の様子が窺える痣に、俺は小さく息を呑んだ。
「だからたいした事ねぇって言ってんだろーが。こんなのは大した怪我にゃ入らねぇよ。」
もっと酷い怪我だって経験している――そう言って政宗は俺から目を逸らした。
確かに政宗の言う通り、政宗はもっと大きな怪我も沢山してきたんだろう。
政宗の生きてきた本来あるべき世界ではそれが当たり前の世界だったであろう事は、容易に想像出来る。
事実、政宗の身体のあちこちに刻まれた無数の傷跡が、その事を肯定している。
けれど、だからといってたいした事じゃないなんて、そんなのおかしいだろう?
たとえ傷が小さかろうと、受けた痛みは変わらない。
どの世界だって、傷を負えば痛いし苦しい。
だから大小に拘らず傷を負ったと知れば、心配もするし不安にもなる。
特に、自分が何もしてやれないこんな時は尚更。
その事を告げると、政宗は一度だけ肩をビクリと震わせると微かに眉間に皺を寄せて立ったままの俺の顔をじっと見上げてきた。
「………。」
「政宗がもっと大変な思いをしてきたって事は、俺も分かってるつもりだ。けどな、だからってお前が傷付いてるのには変わりないだろ?大事な人が傷付いたら…誰だって心配するし、不安にもなんだろ?傷付いてる姿見たら………辛くなんだろ?」
洗面器の中にポットの湯とバケツの水を入れ、数枚のタオルを浸ける。
熱めの湯を吸ったタオルの一枚を政宗に手渡すと、俺は残りで政宗の血にまみれた顔や髪を拭き始めた。
微かに湯気をあげる熱めの湯のおかげで、こびり付き始めた血が融けタオルが赤く染まる。
それを洗面器の湯で濯ぐと、俺は再び政宗の顔に手を伸ばした。
「…………頭の傷は思ったより深くないみたいだな………。」
「ああ。本当に掠っただけだからな。」
「頭は皮膚の下が薄いから、傷が浅くても大量出血するっていうからな。」
大きく裂けてはいるものの、すでに血が止まり始めている額上の傷に、俺はホッと胸を撫で下ろす。
勿論、頭の場合は外傷よりも後で出てくる内出血とかの方が危険なのは確かだから、このまま様子を見て少しでも異変があったら、すぐにでも救急車を呼ぶつもりだ。
命に関わるとなれば、不審者扱いされるだの何だの言ってる場合じゃない。
俺は何度も何度も拭いては濯ぎ又拭いてという作業を続け、洗面器の湯が真っ赤になるまでそれを繰り返した。
あらかたの血を拭き取った俺は、用意していた替えのシャツを政宗に手渡す。
「とりあえず今着てるのは血まみれだからこっちに着替えろな?」
「All right(分かった)。こいつはどうする?」
「流石にこのTシャツはもう使い物になんねぇからなぁ。ま、このゴミ袋の中に入れとけよ。」
真っ赤に染まった何枚ものタオルをゴミ袋に放ると、手元のゴミ袋を政宗に手渡す。
政宗が着替えをしている間に、俺は洗面器いっぱいの真っ赤な湯を洗面台に流すと、急いでリビングに取って返し救急箱から消毒薬を取り出した。
家庭用消毒薬なんて大して役に立たないかもしれないが、何もしないよりは遥かにマシだろう。
俺は脱脂綿に消毒薬をこれでもかと振りかけて、政宗の傷口にぎゅっと押し当てた。
「ぐッ?!痛てーな!も少し優しく出来ねぇのかよ?!ッ?!」
「何だよ。これ位の傷、たいした事ねーんだろ?政宗様は?」
「Shit!揚げ足とりやがって…。」
「ハッ!心配させた罰だろ?」
どこか拗ねたように呟く政宗。
そんな政宗の顔を覗き込んで、俺はニヤリと笑みを浮かべて見せた。
「……………Sorry。心配掛けた。」
「分かればよろしい。」
申し訳無さそうに眉尻を下げた政宗の、湯で湿った髪をそっと撫でる。
微かにまだ血の臭いが残っているその髪の感触を指先で感じながら、こんなに素直な政宗なんてそうは見れるもんじゃないな――なんてボンヤリ思いつつ、俺はガーゼと包帯で政宗の傷口を覆った。
政宗の濃褐色の髪に、真っ白な包帯が嫌にハッキリと浮かび上がる。
その姿が思った以上に痛々しくて、俺は微かに眉を寄せた。
「痛い…………よな?やっぱ…。」
敷いていたタオルケットを回収してゴミ袋に放っていた政宗が、俺の言葉に静かに振り返る。
こうして改めて政宗の表情を見てみれば、やはり大量出血の後であるせいか些か顔色が悪いように感じる。
「何泣きそうな顔してんだ?」
じっと政宗の包帯を見詰めていると、いつものようにニヤリと口の端を持ち上げて政宗が俺の頬に触れてくる。
暖かな手が優しく頬を撫でていくのを感じながら、俺は口元をぐっと引き結んだ。
怪我をしたのは政宗の方なのに。
動揺している俺を慰めようと――安心させようとしてくれている。
これじゃどっちが心配されてるんだか分かりゃしない。
「…………泣きそうになんか…なってねぇよ……。」
「Ha!素直になれよ?」
「―――ッ!」
それはからかいを帯びた言葉だった。
けれど、見上げた先の政宗の隻眼は、触れている手と同じように柔らかな――そして穏やかなものだった。
「俺の為に心を砕いて、いつでも俺を心配して、時には苦言も呈して………そうやって当然のように俺に手を差し伸べるのは小十郎だけだと思ってたんだがな。」
「政宗………。」
「俺の為に本気で怒鳴ったり、俺の怪我を自分の事みてーに受け止めて泣きそうになったり……まったくどれだけ驚かせてくれんだアンタは?」
小さく笑いながら、政宗はそっと目を細める。
あの、時折浮かべる微笑みが。
酷く近くで俺を見詰めていた。
「…………えと……まぁ…そりゃあ俺は小十郎みたいに政宗の背中は守ってやれないけどさ。俺、そーゆー事となると本当にヘタレだし。でも……政宗が疲れた時には……その……肩を貸すくらいはしてやれるかな……なんて思ってんだけど?」
何の力もない俺に出来る事なんて限られているけれど。
だからこそ政宗が本当に疲れた時に支えてやれる存在でありたいと思う。
肩の力を抜いて、奥州筆頭としての顔から伊達政宗個人としての顔に戻れるような場所を作ってやりたい。
苦しい時、疲れた時、力を抜きたい時――。
そんな時は何も考えずこの肩に寄り掛かればいい。
それ位の事なら俺にだって出来る筈だから。
そう――俺は望んでいるんだ。
傷付き休息を必要とする竜の、憩いの場所となれたら。
ほんの一時でもその翼を休める事の出来る場所を、俺自身の手で与える事が出来たら――と。
「Ah……?」
「ん?」
「少しばかりRequestがあるんだがな。」
「リクエスト??」
政宗の言葉に目を瞬かせると、ソファーに腰を下ろした政宗が悪戯っぽい笑みを浮かべて自分の隣をポンポンと軽く叩く。
座れという事だと理解した俺が戸惑いながらも政宗の隣に座ると、ひょい――と身体を反転させて政宗はソファーの上にその長身を投げ出した。
俺の膝に頭を乗せた状態で。
「ま、政宗ッ?!」
「肩もいいがな。今はアンタの膝を借りてぇんだよ。」
そう答えた政宗は静かに目を閉じると、俺の柔らかくもない膝枕の上で幸せそうに笑ったのだった。
数日後、どこぞの族のニーサン方が政宗を見舞いにやって来た。
詳しい事情は分からなかったが、どうやら先日の怪我はこのニーサン達を庇って作った傷だったらしい。
しかし、いくら元の世界で族の頭みたいな状態だったからって………。
頼むからココでまでこーゆー方々を従えたりするのは勘弁してくれ!!!
伊達連合とか、チーム伊達とか出来たら………俺マジで泣くぞ。