Wandering of the dragon 10







それは会社の昼休みの出来事だった。


「あれ?ー?お前、嫁さん居たっけ??」


同期入社の同僚達数人と昼食を取っていた俺の頭上から、聞き覚えのある声が掛けられて、俺は伸ばしていた箸を止める。
振り仰いで見ればそれは同じ部署の3年先輩で。
俺は不思議そうに俺の弁当箱を覗き込んでくるその先輩の顔を見上げて小さく首を傾げた。


「は?いや、俺まだ結婚してないッスけど?」
「だよなぁ?」
「それが何か??」
「いやさ、なんつーか豪勢な弁当食ってるからさ。もしかして愛妻弁当かと思ってよ。」

苦笑気味にそう言って、先輩は俺の肩を数回叩く。

「やだぁ先輩ってば。君、結構前からしっかり弁当男子ですよぉー?」
「そうそう!料理結構好きなんだよなー?お前?」

なかなかイケルんですよ、こいつの飯――そう言って笑う同僚達の言葉に、俺の弁当を覗き込んでいた先輩が意外そうな顔を向けてくる。
それに小さく笑って、俺は箸の先の厚焼き玉子を一つ口に放り込んだ。


「へぇ?意外だなー。飯とか作るの、一切ダメかと思ってた。こんな繊細なのも作れるなんて凄ぇじゃん。」
「そういえば君、確かに以前より料理の幅広がったっぽいよねー?」
「ああ分かる!前は結構ガッツリしたのとか多かったもんな。それに、冷凍食品とか市販のレトルト系とかも多かったけど、最近は手作り感あるし。」
「そうよねー。これならいつでもお嫁にいけるわよー。」


にっこりと笑顔を浮かべる同期の女の子の言葉に、俺は思わず口の中の物を噴き出しそうになってしまう。
えー……何やら物凄い単語を聞いた気がするが、きっと幻聴だろう。うん。
我が国では『嫁』ってのは女性にのみ許される言葉の筈だ。
百歩譲ってオネェ系の方々や、女の子も顔負けな美形君だったら理解出来なくも無いが、典型的標準一般人レベルの俺にそれって一体どうなんだ?!
なんつーか笑うに笑えねぇ!
それにしても、俺の弁当の中身についてかなりの誤解が生まれているのが非常に気に掛かる。
このままじゃ俺はいつでも嫁の貰い手があると太鼓判押される程の料理名人にされてしまうじゃないか。
俺は手にしていた箸を置くと、困ったように眉尻を下げて視線を向けてくる同僚達を見まわした。


「いや……最近は俺、ロクに弁当作ってねぇんだよ。」
「え?!じゃあ誰が君のお弁当作ってるの?!」
「まさか彼女とか?!」


俺の言葉に驚いたように目を見開く同僚達。
何なんだその反応は?!
俺に彼女が出来たらおかしいってのか?!
釈然としない思いで憮然と彼らを見返すと、皆の顔に苦笑いが浮かぶ。

「ちげーよ。同居人が居てさ。そいつが殆ど飯作ってくれんだよ。」
「同居人??それこそ彼女じゃねーの??」
「いや………残念ながら。アイツ男だし。」
「何だぁ~違うんだー。」
「悪かったな彼女じゃなくて!その………………親戚の子……預かってんだよ。そいつが今は弁当作ってくれてる。」
「へぇ?親戚の子って……いくつの子?」
「あー……今19歳……だったかな??」
「もしかして大学生?ん家から大学通ってるとか??」

そういや俺も大学ん時は下宿してたんだよな――そう言って頷く先輩に、俺は慌ててパタパタと手を振ってみせる。

「いや違うんスよ。なんつーか……アイツ今行く所なくて……んで俺が預かってるっていうか………。」
「え?じゃあがその子養ってんのか?」
「まぁ、そういう事になりますかねー。」


養ってるといえば確かに養ってるんだが、代わりに殆どの家事を任せてしまっているので、俺が完全に奴を養ってるとはいい難い気がするのだが。
とりあえず表向き俺が働いて稼いで…ってのは間違いない訳で。
俺は微かに苦笑して手元の弁当に視線を落とした。
味も彩りも問題なしの手の込んだ品の数々。
それは我が家の同居人となった政宗が作ってくれたものだった。


「つまり最近のの食生活の充実っぷりは、その親戚の子のおかげってワケか。」
「そーゆー事。」
「しかし、同居人のヤローに飯作ってもらってるって……寂しーなオイ。」
「悪かったな!いいだろ別に!それにアイツの飯は凄ぇ旨いからいいんだよ!!」
「へぇ~?そんなに美味しいの?その子のご飯って?」
「いやもう半端なく旨い!!マジで!」

一度政宗の飯を食ってしまったら、そんじょそこらの飯なんか食えなくなってしまう気がする。
それ位に政宗の飯は俺の胃袋を完全に掴んでいた。

「いいなぁ~~~私もその子のご飯食べてみたい~~!!」
「あ、俺も俺も!が絶賛するんだから、余程だろー?」
「ねえねえ、今度同居人くんのご飯食べさせてよー?」

「ええええええッ?!」


同僚達から向けられた思わぬ発言に俺は思わず目を見開く。
たかだか弁当の話から、まさかそんな話にまで発展するとは。
俺はいくつもの期待の篭った顔に見詰められながら、ただただ流れ落ちる冷や汗を拭う事しか出来なかった。


















「という訳で、悪ィんだけど今度2・3人分の弁当頼めねぇかなぁ?」


その日帰宅した俺は、土産の酒を片手に政宗の顔色を窺っていた。
頼み事をする以上、手ぶらという訳にもいかないと思って今日は奮発して政宗の好きな酒を買ってみた訳だが、どうにも政宗の機嫌があまり芳しいとは言えない。
整った顔に浮かぶのは、不機嫌オーラ。
流石は奥州筆頭。
じっと睨まれただけで、俺は蛇に睨まれた蛙状態だ。
あ、この場合蛇じゃなくて隻眼の竜になるのか。
俺は迫力のあるその表情に、思わず逃げ腰になりながら冷や汗を垂らしつつキョロキョロと視線を彷徨わせた。


「…………何が『という訳で…』だ。何で俺がそんな事しなきゃならねぇんだよ。他を当たんな。」

「うううぅぅぅ~~~そう言うなよー政宗ぇ。」


政宗の言い分も分からないではなかったが、俺には俺の人付き合いってのもある訳で。
あそこまで揃いも揃って同じ事を言われれば、つっけんどんに断る訳にもいかない。
俺は拝み倒す勢いで政宗の不機嫌全開の顔を上目遣いに見上げた。


「飯なんかいくらでも簡単に手に入るんだろうが。俺が作ってやる必要がどこにある?」

「だって俺には作ってくれんじゃん?それをちょっとだけ量増やしてくれればいいだけなんだって。」


それともやっぱり毎日の食事の世話は俺が気付かなかっただけで仕方なく…渋々やってくれてたんだろうか?
俺の目には結構楽しそうに映っていたのだが。
そりゃ元の世界に戻ればお殿様として傅かれる立場の政宗が、俺の為に家事やら何やらをやってくれるなんて本来ならありえ無い事なんだろうけど。
一方的に養われるよりいいと言っていたから、俺もそれに甘えきっていた所があるのは否めない。
俺は政宗の厚意の上に胡坐をかいていた愚か者だったんだろうか。
何が俺が政宗を養ってる――だ。
強く言えない立場の政宗の弱みにつけこんでいただけかもしれないじゃないか。
そう考えれば考えるだけ頭の中はグルグルするばかりで。
何だか無性に情けなくなって、俺は手にしていた酒を無言で政宗に押し付けるとガクリと肩を落としてその場で踵を返した。


「Just a moment(ちょっと待て)!」


踵を返した瞬間、慌てたような政宗の声が背後から掛けられて。
途端に右腕をガシリと掴まれる。
俺は情けなくもへにゃりと歪んだ表情で、政宗の誰の目から見ても整った顔を見上げた。


「何て顔してんだ。」
「だって………。」
「アンタの考えてる事なんざ大体想像つくがな。」
「うー……。」
「別にの飯を作ったりすんのは嫌じゃねぇよ。」

だからそんな捨てられた仔犬みたいな顔で俺を見るなよ――そう言って政宗は俺の髪を静かに撫でた。
ごつごつした大きな政宗の手。
時に俺の心の奥深くに入り込んでくる暖かな温もり。
そんな優しく触れられたら……又俺はその暖かさに甘えて甘えきって、政宗の優しさや厚意に当然のように縋り付いてしまう。
俺は先程までとは違う柔らかな政宗の視線に、ぎゅっと強く唇を噛み締めた。


「Ah……だから…………。」
「……………。」
「……………………俺が渋ってるのはアンタじゃねぇからなんだよ。」

「政宗?」


政宗の言葉にきょとりと目を丸くすれば。
やれやれといった様子の政宗がはぁ――と盛大な溜め息を漏らす。

「分かんねぇか?」
「うん……。」

「どうして俺が以外の奴の為にそんな事しなきゃなんねぇんだ…って事なんだよ。Understand?」


そこまで言うと政宗はどこか困ったように眉尻を下げる。


「俺はアンタの為以外には動く気はねぇよ。」
「政…宗………。」


だからアンタがそんな顔する必要はこれっぽっちもねぇ――そう言って、政宗はフワリと口元を緩めた。
髪に触れていた手がゆっくりと頬を滑り、噛み締めていた唇をスイ――と撫でていく。
その触れた熱に、労わるかのような優しい感覚に。
俺は何故だか無性に泣きたい衝動に駆られてしまう。
静かに向けられる眼差しと温もりは俺の感情を揺さぶるのには充分だった。

政宗がうちに来てから、俺は本当に感情の波に翻弄される事が多くなったように思う。
今までなら何も感じなかった筈の感覚。
1人暮らしの生活では当たり前に与えられる事もなかった親愛の情。
日々の何気ない生活の中で揺れ動く様々な感情。
向けられる想いや温もり、優しさ、そしてまっすぐに俺だけを見詰めてくれる眼差し。
そのどれもが政宗が与えてくれたものだった。
そして、そんな政宗と触れ合う度に、俺は俺の中が大きく変えられていくのを感じずにはいられない。

いいのだろうか。
当然のように与えられるこの世界。
こんな心地良い空気に慣らされてしまっても。


「俺………政宗に何もしてやれてねぇのに……。」

「馬鹿な事言ってんなよ?が俺に最初に手を差し伸べてくれたんだろうが。」
「でも俺…ッ!」


俺が与えたものより、政宗が与えてくれたものの方が遥かに多く、そして大きいのに。
どうしてこんなにサラッとこんな事を言えてしまうんだ?
これが国を統べる器を持つ男の姿なんだろうか。
俺は湧き上がる想いに耐え切れなくなって俯くと、目の前の政宗のシャツをギュッと握り締めた。



「………仕方ねぇpuppyだな。」



そう言って小さく笑う政宗の声が酷く近くで響いて。
俺は政宗の肩口に顔を埋めるようにして身体を引き寄せられる。


「俺はアンタが居たから今こうしてここで生きてるんだぜ?」


少しは自惚れろよ?――囁くような政宗の言葉に俺は無言のまま頷くと、包み込んでくれる政宗の力強い腕の中に静かに身を委ねたのだった。


















そして後日。
了承されなかった旨の事情を、件の同僚達に簡単に説明したのだが。
その時同僚に掛けられた言葉に、俺は思い切り撃沈する羽目になってしまった。


「やだ~愛されてるわね~君。」


誰に?!とは恐ろしくて聞けなかった………。




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